2017年02月14日

【書評】消費税、常識のウソ




タイトルに訴求力がなく損をしている本。とても頭のいい人が消費税について簡素平坦な説明をしてくれる内容。部分的に難しい箇所もあるが、読み飛ばして構わない(そういう箇所こそが税制の肝であろうが、読者がそれを理解する必要はひとまずないから)。

一般的に悪とされる消費税増税だが、それが一面的な見方であることを述べる。本書では声高に批判姿勢を表していないが、結局のところ、現行の税制が極めて不公平と非効率に凝り固まっており、その変更や革新を提案して終わる前向さを包括している。


消費税増税を決して認めない姿勢の人は多い。私も、そうだ。ただし、私を含め、消費税増を心情的に許せないのであって、冷静に消費税について考えた末の意見でないことも共通するだろう。消費税増税はもう避けられないと、無力感と傍観をもって受け入れている人も多いだろう。大多数の国民がそうかもそれない。本書は、そういう人に読んで欲しい。本書を読むことで気持ちが晴れることはないが、招待の掴めない相手の顔ぐらいは見えるようになる。そうした差こそ、往々にして、後の福となるからである。

増税しか考えない財務省こそが日本の経済発展を妨げる悪省だ、とか、政治家は総理大臣を含めて財務官僚に洗脳され増税の必要性を囀る操り人形になるとか、財務省と官僚の悪口が、思慮と遠慮を欠いてそこかしこに吹き荒れている。火のないところに煙は立たずで、財務省が増税に熱心なのは本当だろうし、財務官僚が政治家に増税の必要性耳打ちするのも、事実だろう。ただ、それを十把一絡げに悪行と見なすのは早計である。本書にも記載があるが、なぜ消費税増に(国民から見て気狂いのように)固執するかについては理由がある。著者の出自からして、この説明の部分は極めて官僚的であり、完全に納得できるものではない。ただ、この意見に対して理詰めで反論できる政治家はいるだろうか?と思う。太く筋の通った理屈があるからだ。なるほど、財務省や官僚、増税やむなしのスタンスの政治家たちは、このような考えで動いているのだな、と思わせる話である。「この攻撃」をひらりマント的に返せる政治家は、少ないだろう。河村たかし名古屋市長ぐらいのものではないか。浮世には消費税増税絶対反対の野党議員や「庶民派」コメンテーターらがでかい顔をしているが、多数占める感情的反対派である国民に向けたアッピールい過ぎないから、反論なんてできやすまい。諸外国に比較して日本は〜、と、台所事情の違う諸外国比較意見(もっともらしいだけの価値しかない意見)を述べて有耶無耶にするのが関の山である。消費税増税に立ち向かうには、相当の知識精通とアイデア、これを実現できるたけの人脈と立場が必要である。反対意見をいうだけなら小学生でも言える。

その昔、消費税3%が導入された時、私は小学生だった。小遣いを握りしめて買い食いに出かけたときだ。100円で買えたジュースが110円になったことに強い理不尽さを感じた。いまでもありありと覚えている。そもそも、3%なのだから、103円でないとおかしいだろうと。成績不良素行不良の悪ガキでも、それぐらいの計算はできる。自販機では1円玉が使用できない事情は分かるが、消費税は10%ではない。憤りに狂った友達と私は自販機に小便を引っ掛け、釣り銭口に犬の糞を仕込んだ

いまでもこのときの我々の怒りは正当なる範囲であったとおもう。なぜなら、以降、メーカーは5%を契機に120円に値上げしたし、ポテトチップスの中身は減り続けて空気袋と化し、円安だろうが円高だろうが値下げもせず、姑息な便乗値上げを敢行する、消費者軽視の利益追求の姿勢を隠そうともしない聳え立つ糞であることが露呈したからだ。同様の、腹立たしい思いを経験した人は少なくないはずだ。これは私の推測だが、消費税の増税に対して国民は極めてヒステリックな心理が先行して反対しているように思えてならない。理解の底には、消費税増税の妥当性と必要性を理解している。しかし、現実的にその実施には理屈を超えて感情的に容認できないのである。この感情こそ消費税増税の大きな障壁となっているはずだ。

本書では、消費税の性質が分かりやすい表現で説明されている。消費活動に課税されるので誤魔化しがきかず取りっぱぐれがないとする。確かに、その通りだ。常に安定した固定的税収になる点も、財務の面からは望ましい長所だろう。インフラとおなじで、大局的な管理には「安定」が不可欠だからである。

また、本書で私が著者に好感を抱いたのは、利子や配当に課税する所得税は(消費税に比べ)公平でないと発言しているところと、もっと税制を整理・簡素化して徴税の透明化とコスト削減すべきであると述べているところである。複雑化するほど特例や抜け道ができ始めて不公平感が生じるからとしているが、要は利権や不正の発生を防げないからだと汲み取れる。著者が現在、財務官僚ではないからこそこうした意見が述べられるだけかもしれないが、その出自を考えれば信頼できる人物像に思える。終章の『理想の税制「ユナイテッド・タックス」』は短く簡素だが、魅力的で一考に値する構想。作者の虎の子にちがいない。アッサリとした記述でまとめられているのは、決して目立とうとしない官僚的気質の表れのようである。

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2017年02月03日

(書感)ドキュメント 底辺のアメリカ人 オバマは彼らの希望となるか



私はこの作者が好きである。これを読んで以来、ファンになったのだ。フツー以下のアメリカ人の姿を等身大で文章にしてくれる優れたライターだと思っている。お気に入りなのだ。

アメリカに興味がある人は少なくないと思う。わけても、色々と「極端な」お国柄であるところからくる観察対象としてこれほど面白い国もないところが興味深いのだ。歴史は浅いくせに奥深い国である。優れたところは大いに参考になるし、ダメなところは反面教師としてこれ以上なく適切なところをみせる。最近のアメリカは反面教師ばかりでダメダメにしか見えないが、なぜダメなのか分析して反面教師として、自国の舵取りに活かせることは変わらない。知れば知るほど嫌いになる国は韓国だが、知れば知るほど住みたくない気持ちになるのが米国である。そんな国なのに誰よりも愛国者であるマイケル・ムーアもまた、私のお気に入りの人物である。

米国発の黒人大統領バラク・オバマの大統領選を、市民目線で追っかけたドキュメンタリである。内容は現地のアメリカ国民へのインタビューが大半だが、そのインタビューを通じて、大統領選挙やアメリカ社会の背景を折り込み式に説明していく。貧困・教育・失業、そして移民と差別…宿痾にまみれたこの国をどうやって理想的な国に変えることができるのか。バラク・オバマをアメリカ国民はどう捉えているのか。頁をめくりながら、あなたは様々な思いを抱くだろう。

今になって思えば、期待と熱望を一身に背負ったキーフレーズ「CHANGE」は、実現できなかった。その失望か絶望か、更なる期待か、極端に振れるお国柄はトランプを大統領に据えた。毎日毎日、ニュースに登場しない日はない有様だ。反面教師だけの国に成り果てるのではないかと心配である。アメリカは同盟国なのであんまり無茶されると巻きぞえを食らうという意味で、であるが。
 
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2017年01月09日

マツダが次に向かう先は?

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記念日でマグカップを貰った("Zoom-Zoom"はやめたのだろうか?)


一抹の寂しさ
お世話になっていた北陸マツダ野々市本店よりおしゃれな招待状が届いた。なにごとかと思ったが、新店舗完成による内覧会の案内であった。マツダのデザイン部主導によるディーラー店舗の大改修が始まったことは知っていたが、ついに石川県にもきたのかと感慨深い。

昔からのマツダファンは半ば確信しているが、最近のマツダのフォローが関心の低下によって疎かになっていたのではないか。私がそうなのである。身の丈にあったことをすればいいのになにを調子こいているのかと感じ始めていたし、伝統のお家芸「業績回復→調子こく→会社傾く→異次元から売れ筋モデルを召喚→業績回復→調子こく→…」をやっぱり踏襲しているように思えてならなかった。CX-3をSKY-Dのみの設定にしたあたりにその兆候を感じたものだ。

外観と内装を刷新し、一流ホテルのおもてなしを取り入れた店舗を目指していることが分かった。車で乗り付けるとスタッフが出てきて車を預かり駐車してくれるし、帰りは車を玄関まで持ってきてくれる。スタッフの言葉使いも物腰も極めて丁寧である。昔からのマツダに慣れていると逆に居心地悪い違和感を感じないわけでもないが、マツダのディーラーがここまでするとは。似合わねーと揶揄したくもなるが、ブランドのクラスアップを現場レベルからも実現使用する本気さを感じるのもまた事実。ソウルレッドプレミアムメタリックの展示車が誇らしげに並べられている。ウッド調で間接照明を活かしたシックな雰囲気といい、もはやTシャツ短パンで自転車で訪れることはできそうもない。端的に俗っぽく表現するなら「レクサスな店舗になった」といったところか。…昔からのマツダファンは見捨てられた気持ちになるかもしれない。


オフレコにならないこぼれ話
店舗に出向していたマツダの技術者の話では、三列シートを備えたクルマを鋭意開発中であるとのことだが、ミニバンタイプではないだろう(とまでしか言えない)とのことであった。海外で販売されているCX-9が3列シートだが、マツダは海外モデルを国内モデルに流すことは決してしない(当人の弁を借りれば「マツダは国内市場をとても大切にしている」)ので、考えらるとすればCX-6ではないか。小飼社長が3列タイプの車両を開発中とフォーマルの場で答えているので、スライドドアは無理かもしれないがファミリー層向けのモデルが出るのは間違いない(時期は言えない)。

今のマツダはかつてのスポーティさから上質さに移行させている。スポーティ捨ててスポーツを、スポーツモデルで対応させるのでは。

Q.新開発直6エンジンが次期アテンザに載りFRになるとネット上で話題になっているが?
A.マツダはV6までしか持っていないが、夢のある話ですね(言葉を濁す)。

Q.SKY-DRIVEが6速のままというは如何なものか。さらなる多段化の予定は?
A.SKY-DRIVEの多段化もしくは多段ATの開発しているはず(言葉を濁す)

次世代SKYACTIVEの詳細は不明である。思えば、フルSKYで登場したモデルはCX-5であったが、歴史的な大ヒットモデルとなった。このことから、絶対に失敗できない車種で次世代フルSKYデビューをしてくるだろう。2代目CX-5は2月にデビューすることから、時期的には4代目アテンザかRX-VISON(の市販モデル:RX-9?)がその候補ではないか。最近のマツダに見られる細かな改良や新技術の搭載といった、悪くはないが地道なマイナーチェンジの域を出ないレベルでは、明らかな「進化した」感を演出できない。そうなると、世間を驚かせるエンジンの登場、そしてドライブトレーンの登場が間違いなくキャッチャーとなる。それをマツダデザインでまとめ上げたものでデビューさせてくると予想できる。マツダらしいブレイクスルーを決めてくれることを期待したくなる。

ダウンサイジングターボの趨勢にあって多気筒エンジンが姿を消している中、エンスーを魅了してやまない直列6気筒エンジンを出すとなると、それだけでインパクトになる。マツダのSKYACTIV思考に基づけば「直6の完全バランスを追求しまくったら下手な直4エンジンなみの燃費が実現できた」とか、そうしたロマンを思わせるところがありそうだ。

いまのマツダに足りないプレミアム点は直4ラインナップとFF/AWDであることはしばしば指摘されている。4代目アテンザやRX-VISONはFR/AWDで、そしてこのご時世にマツダ初の新設計直列6気筒を出すそのインパクトはかなり大きいものになる。SKY-Activeと魂動デザインがロングノーズを強制するところかがあるから、直列6気筒エンジンを搭載できる余地が(素人考えで)ありそうに思える。

MTとATとCVTのいいとこ取りをしたドライブトレーンがSKY-DRIVEであるが、いつまでも6速であるのはもはや格好がつかないから、少なくとも8速ATを同時に出してくるだろう。

ただの妄想である。が、こうした路線をマツダに期待したくなる自分がいるのである。
 
posted by ぎゅんた at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | クルマ(なんでも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

【書評】英語のバカヤロー 「英語の壁」に挑んだ12人の日本人


英語を満足に話せたり読み書きしたりはできないけれど、英語には興味がある。そして、英語をどう勉強するかについては、人並み以上の知識を有していると自負している…。

このような人は多いはずである。日本人の多くは英語が好きで、英語をモノにしようとする念が強いからである。私も、そうだ。なぜそうなのかについては、様々な意見があろうし、それらを考察していくのも興味を惹かれる事柄だ。きっと、面白い論がでるだろう。英語には、どこか特別な趣の憧憬がある。

この本に登場する12人の日本人は、著名な研究者や世界の第一線で働く人たち。俗的に言えばインテリであり、当然ながら英語エキスパートを想像させられる。実際、その通りの人たちである。この本は、そんな人たちがどのように英語に立ち向かってきたか(いまも、どうなのか)をインタビューを通じてまとめ上げられたものが収められている。

英語を使わざるをえない環境に身を置けばなら英語がメキメキ用達するわけではないとか、英語ができる人は脳のOS言語が英語に置き換わっているのかと思いきやそうでもない(思考はやはり母国語で行われる)のだなとか、聞く・喋る・ジョークを打つのはやっぱり難しいのだなとか、側から想像するほど苦もなく習得したり使いこなせているわけではない実態が見えてくる。これをして自分の英語の未熟さに安堵する必要はない。艱難辛苦なしに英語をモノにすることはできないヨ(だから、苦労も努力もしよう)という応援と受けとればよろしい。

ボリューム不足と言ってしまえばそれまでだが、平易で読みやすいコンパクトな内容にまとまっている。英語を勉強している合間の休憩時間にに読むと脳に心地よさを感じるぐらいだ。受験勉強している学生であれ英語学習を自身に課している社会人であれ、気分転換にちょうど良い書であるから、興味がある方は手にとると宜しかろう。
 
posted by ぎゅんた at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

映画感想「イコライザー」

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「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力である」という有名な言葉がある。この作品をこの言葉に無理やり当てはめると、「正義ある力」になる。デンゼル・ワシントン演ずる主人公ロバートはホームセンターの主任を務める知的で影のある中年男性で、健全で規則正しい日々を過ごしている。男は強い義侠心があり、元裏社会で活躍した凄腕なのであった。物語は行きつけのダイナーで出会った少女との交流から始まる。

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法が捌かぬ目の前の悪モンがとっちめられて、それによって弱者が救済される勧善懲悪もの。日本人が好む必殺仕事人路線を髣髴とさせる映画。悪事には正義の鉄槌が下ってしかるべきである、と考える人は楽しめるだろう。デンゼル・ワシントンの衰え知らぬ好演も光る。ホームセンターで働くおっさんの正体がこんなに格好いい男というギャップが良いのである。ところで、売り物のハンマーを「仕事」の後に拭いて棚に戻していましたが、中古品になってませんかねそれは。

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ロバートは最初から「仕事人」であったわけではない。ダイナーで出会った少女を理不尽な暴力から救うためにとった行動から始まっていく。その過程は決してドラスティックなものではない。ロバートの葛藤や逡巡があり、仲間との交流があって最終的に成立していく。この辺の流れは等閑に付されず丁寧に描写されているため、人によっては展開がスローに感じるかもしれない。加えて、派手な銃撃や爆発アクションは少ないので思ったよりも地味かもしれない。確かに、冗長なところが見受けられる。

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良作と呼ばれる映画は、不思議と引き込まれる妙味もっているものだ。本作もそうで、キャッチーさに乏しい淡々とした映画であるにもかかわらず、保障された面白さに底支えされている。シナリオも複雑そうで全然たいしたところはないそれなので頭を悩ませることはない。ポップコーンを片手に娯楽タイムを決めよう。英語字幕可。オススメ。
 
posted by ぎゅんた at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする