2017年04月27日

(再考)映画「虹色ほたる」 思い出は、命


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映画「虹色ほたる」は世間的にマイナーな作品であり続け、さほど高い評価は受けていないようである。私はこの作品を傑作だと確信し、映画好きの友人らに鑑賞を勧めたが期待する感想は得られなかった。しかし改めてこの作品を鑑賞すると、生涯の一本と断じて差し支えがないほど、私が愛してやまない作品のひとつであるとの思いを強くするのである。

舞台となる昭和53年の谷戸の山村は、夏が終わればダムに沈む運命にある。思えばこの当時は、ダム建設はあたかも国策事業であり、全国のあらゆる谷戸を対象にとどまるところを知らなかった。ダム建設の目的は治水・灌漑・発電である。貯水することで川の氾濫を防ぎ、水不足を防ぎ、水力発電を可能ならしめるとする名目と土木技術の結晶という位置づけで、人間は自然を科学技術で征服したよな陶酔感をしてこれを受けいれたのである。ダムに求められる治水は、その眼目は、結局のところ、都市人口の爆発的増加に対する水の確保にあったように思う。増え続ける都市圏の人間を賄うための水瓶が欲しかっただけにすぎない。

天の恵みである雨は、ただ人間側の一方的な都合によってダムに堰きとめられ、河川を流されることになった。同じくして、人間の生息圏では、雨は生活にとってただ余計な邪魔者になった。降水を土に還すことを忘れ、コンクリートやプラスチックの斜面を滑って河川に注ぎ込んだ。河川は排水路として機能すべく、いかなる水量の増加があっても、決して溢出することないよう護岸と堤防工事がなされ隔離された。そこでも土は邪魔者であり、水を涵養させることを拒むコンクリートで武装された。間知ブロックの隔壁が河川の壁紙となり、結果、全国の河川はフランチャイズな見た目の、特色のない直線排水路に変貌することになった。

経済成長路線をひた走り続ける戦後の日本社会は、このことにさして違和感も痛痒も覚えなかったとみえる。行きすぎた自然軽視の姿勢に警鐘を鳴らす専門家や識者によって、自然保護・環境保護の強い気運が生まれることになったが、日本人が意識せずに自然と調和して築き上げてきた文化遺産の殆どを破壊して喪失してしまった現実を前に茫然自失とする他になかった。抜歯鉗子がどんなに酷い歯槽膿漏よりも速く歯を抜いてしまうように、ひとたび人間が何らかの目的で自然に大きな手を加えると、取り返しのつかない急激な損失を生むことがある。ダム建設は確かに、治水の面で人類に益をもたらすが、その一方で、二度と買い戻せない損失を覚悟しなくてはならない。

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本作を視聴していると、文明というのは、自然の循環を利用して恵みを得ることに最適化させた長年の知恵と経験であるべきだと思わされる。私はなにも我々が、先祖と同じようなあばら家に済むべきだとか電気のない生活を送るべきだといいのではない。科学技術に支えられた人間の生活が、自然の中に、なんらその循環と恒常性に危害を加えることなく存在し、そのなかで存続していくスタイルに落とし込むべきだと思うのである。使い古された表現を借りれば、結局のところ人間は自然が許してくれる範囲の中でしか生きられないからである。どんなに人間の科学技術が進歩しても人間は生物の根幹を変えることはできない。水を飲み、酸素を吸って二酸化炭素を吐くことを止めることができない。生まれてから死ぬまで、懸命に生きる存在なのである。偉そうに述べているのは私だけで、しかし、この作品は自然破壊についてなんら非難がましい主張はしない。「そこにあった」恬淡な風景を丁寧に描写しているにすぎない。そただそれだけのことだ。その中にあって私は、かつて我々が有していた自然と距離の近い豊かな生活を捨ててしまったのだと意識させられるし、後ろ髪を引かれるような、望郷の念に駆られるのである。

この作品に流れるメッセージは力強い。青天狗の台詞にもあったが、私は「生きていてさえすれば」だと思う。どんなに辛いことになろうとも社会に翻弄されてしまっても、生きていていさえすれば、なにかがあり、どうにかなる。そして、過去の記憶を共有している相手こそ、かけがえのない宝物である。おばあちゃんに「さあ、行っといで」と見送られるさえ子とゆうたが涙を流すのは、記憶から消えてしまう残酷さと申し訳なさで胸がいっぱいになっているからだ。思い出は、人が生きる命そのものだからである。だからこそ、別れシーンで「必ず見つけるから(生きよう)」と約束した2人が愛愛おしくてたまらない。また遊ぼうな!とケンゾーと約束して別れるシーンが切なくてたまらない。青天狗が旧友と再会するわずかな1シーンと同様、私は涙を禁じ得ない。会うは別れの始まりということを、この作品ほど上手に丁寧に描いた例もないのではないかと思う。

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本作は子ども向けの作品だが、子どもたちはこの作品の深い魅力に気づかない気がする。出会いと分かれの機微への理解、里山・自然環境への理解、「夏休み」を懐かし思う気持ちなどが物語をより魅力的にするからである。案外に大人向けであるのだが、肝心の大人はこの作品の絵柄をみて視聴を躊躇しそうな点が致命的である。私は傑作だと確信しているが、「隠れた名作」扱いがせいぜいのところだろうか。

夏休みに地上波で放送でもされれば評価が上がりそうなのだが、「火垂るの墓」があるものなあ。
 
posted by ぎゅんた at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 虹色ほたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

サヨナラiPad mini コンチワiPad mini4


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もう5年以上使用していた相棒であるiPad miniが、故障して死んだ。
死んだ、というより私が引導を渡した(始末してしまった)のが正しいのであるが。

死因はゴーストタッチの嵐で操作不能になったからである。勝手にアプリを起動しまくってフリーズしたり画面の縮小拡大を繰り返してフリーズしている有様。そもそもこちらの入力を全て無視するのでメモで文章も打てなければメッセージの送信もできない。それどころか勝手に余計なことをするわけで、アプリは起動し続けるわデータは消すわ誤送信はするわの迷惑極まりない振る舞いしかしない。制御不能天衣無縫。起動したが最後、危害しか産まないのである。

メモに書きためた記事を消しまくっていく姿にブチ切れた私に引導を渡されこうなった。


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膝蹴りを一発かましただけでこうなるとは、iPadは虚弱体質に過ぎるぞ。


ゴーストタッチの主因は、画面ガラスの亀裂の長期放置のようである。購入して一年目のときに落下させた際にディスプレイガラスを割ってしまい、修理せず使い続けていたのだ。

これまでも稀にゴーストタッチと誤動作の片鱗はみせていたのだが、のび太ママに教えられた方法で窮地をしのいできたのである。それを4年間続けてきた。しかし、流石に今回の症状は終わりの始まりであった。ダメになるときはもう修理もなにも受け付けないのが機械というものか。


パソコンと同じで電子デバイスの寿命はせいぜい5年だとか聞くが、概ね、間違いではありますまい。私のようなゴーストタッチ・ストームといった致命的状態には至らないまでも、レスポンスの著しい低下やボタン類の故障、ハードディスク容量の枯渇など、パフォーマンスが使用者の現実世界に追従しきれなくなったら、もう替え時のようだ。

ものは大切に、古いものも大切に、道具は良いものを末長く…、といった、人間が生きる上で大切にしなくてはならない理念は電子デバイスには通用しないようだ。ちょっと寂しい。やっぱアナログのが好きだわと行き過ぎたデジタル化と距離を置く人種が一定数いて当然である。俺は地球最後の日までガラケーを使うぜ。



さてiPad mini4であるが、すこぶる良好である。画質の著しい向上とハイ・レスポンスが心地よい。文章を打つときの入力切り替えや変換のモタつきが皆無なのが嬉しい。文章を作成する作業の効率が300%増しである(良い文章が生み出されるわけではない)。思えば、愛用していた初代iPad miniは動作がトロ過ぎたし画面が汚かった。進化を前にすると、過去の技術は残酷な評価を下される。

ブラウジングも素早いし、JavaスクリプトをOFFにしなくともサクサク観覧できる。容量も16GBから128GBに増えたのだから、一生涯かけても使いきれない安心感に包まれる。野外にて日照下にあっても画面がちゃんと見えるのも地味ながら驚きだ。カメラの画質も満足のいくレベルに向上している。こんなことならさっさと乗り換えておけばよかった。新しい畳と女房と電子デバイスは最高である。涙をのんで大枚を叩いたがその価値はあった。

やや残念なのが、バックアップの復元ができなかったことだ。
iPad miniのバックアップをとったパソコンと、このiPad mini4をライトニングケーブルでUSBとつないでも認識してくれないのだ。畢竟、iTunesでのバックアップデータ復元が行えないわけである。絶対に引き継がなくてはならなかったデータではないが、思い入れのある写真が消えたのは惜しい。

iTunesでのバックアップは新しいパソコンで行い、画像等のデータはクラウドにアップロードしておくか、古典的だがDVDに焼いておくべきであろう。しかし、なんで認識しないのだろう?電圧が足らんのか?古いパソコンはお断り?
ウ〜ン 近代オモチャにゃかなわん…
 
posted by ぎゅんた at 23:44| Comment(2) | TrackBack(0) | iPad2 , iPad mini | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

(感想)これは愛じゃないので、よろしくB



面白くなるかもしれないと惰性で買い続けて三冊目。やっぱり面白くない

別マ本誌で連載が続いているのをみる限り、人気が無いわけではないようだ。別マの手用読者と違って私は30代のおっさんなので、「好きになることができない」と意見したところでティッシュ箱の蓋(捨てるやつ)程度の価値であろう。

そんな私には半ば確信めいた後枠がある。従前の湯木のじん作品を愛し続けてきたファンは、「これ愛」を好意的に受け止めていないはずであろうことだ。どことなく覚めた目でこの作品を追っているのではないかと、思うのである。

「なにが嫌いかよりなにが好きかで自分を語れよ!」とルフィに似たやつが言っていたが、なにが好きかで自分を語ると、どうにも浅薄な意見になりがちだ。すごく良かった、感銘を受けた、勇気付けられた、とにかく感動した、etc 、意識高い系のSNSへの投稿記事じゃるまいし、無駄なことではないが無為なことだ。嫌い(好きではない)な理由をのべることほど感情的な意見もないが、所詮人間は感情の塊であるから、それでいいと思う。そして、意見としてみたとき、なにが嫌いかで語る方が容易だし、記事にしやすい意味で無難なところがある(だから評論家は、なんでも批判しているようにみえる)。自分が好きなことを語ることは、幸せなことだし、否定されるものではない。私も「これ愛」の好きなところを語りたい。しかしそれは叶わない。「これ愛」は、嫌いではないが、好きになることができない。

少女漫画になにを求めるかといえば、非自己的恋愛体験や他人様の恋愛模様の傍観的観察といった野次馬根性の充足である。応援したいと願うことのできる魅力的なキャラクターであればあるほど、これは満たされる。最後はハッピーエンドを迎えるが、それを祝福できればできるほど良い余韻を読者に残す。おおよそ、このようなものであろう。

「藤代さん系。」「青山月子です!」その他の過去の作品群には、多くの魅力的なキャラクターが登場した。漫画的表現が加味されるから、現実的にはいそうでいないモデル像となるけれども、湯木のじんワールドの代表選手のような個性に満ち溢れていた。彼らは同性や異性や、年下年上同級生、大人たちと接し、いなし、同調し、反目し、感情をぶつけ合う。そして、成長した。懸想する相手とぶつかり合って、何かに気づき、成長することで互いを理解できたから、ハッピーエンドを迎えられた。そしてそれは、わりかし2人だけの閉じた世界でのことなのだった。この筋書きドラマに女性作者ならではのシュールなギャグを添え、細く清潔な線で描かた独特の少女漫画こそが湯木のじんワールドなのだった。

翻って、「これ愛」ではどうだろう。
あえて今までの路線とは変えた作風にしていることは分かる。けれど、それだけであって、私が読みたい湯木のじんワールドとは異なっている。話の展開が凡百なイマドキの少女漫画のそれに過ぎない。絵柄は相変わらずだし、性的描写が極端に排除された清潔な世界は不変であるところはいいのだが、その世界への没頭と心酔を促してくれるものではない。要するに、続きが気になって手がつかないほど愛すべき作品ではない。まことに慚愧に堪えない。作者は、この作品を楽しんで描いてるのだろうか。また、過去作品からのファンは、この作品をどう評価しているのだろう。

posted by ぎゅんた at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 湯木のじん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月14日

【書評】まんがでわかる超一流の雑談力





麻美たん萌え〜!地味目で寡黙で目つき悪いけど笑顔が可愛い女の子大好き!そりゃポールも惚れますわ… ハァハァ

というのは半分冗談。
本書は愛らしい絵柄でベストセラー(らしい)「超一流の雑談力」の中身を漫画で解説してくれている本であります。

マンガで分かる〜は、いまでは珍しい存在でもなくなりました。
手にして読むにはちょいと尻込みしてしまうビジネス本たちを対象に、様々、市場に登場しましたから、本屋に通うことが多い人はお気付きのように、かなりのラインナップ誇っています。難しい内容の書物は、原著からはいらず、解説本でもなんでも、まず平易なところから入門するのが良いのです。これは邪道ではなく、手っ取り早く理解していくための正当な方法です。原著でつまずいで時間を潰したり、折角の意欲を萎えさせる方が害悪だからです。マンガでわかるシリーズは売れているようですが、こうした需要があるからでしょう。より正確な知識を求める人は原著に当たれば良いだけの話です。

しかし、こうした本の多くは漫画として楽しんで読めるほどの魅力がありませんでした。画力が乏しいのではなく、漫画力が乏しいのです。漫画のカタチは取っているけれど、読んでいて面白くないのです。内容の出自がお堅いビジネス書ですから、それを単純に漫画に落とし込んだだけのものは面白いとは言いがたいのです。

本書はその点が克服されている感じで、親しみやすいライトな絵柄で説明くさくない内容のpになっています。ぶっちゃけ、「超一流の雑談力」の内容無視して漫画だけでも楽しめます。それほど深いストーリーでもなんでもないのですが、サラッと読ませてくれるあたり、高い漫画力といえるでしょう。麻美たん萌え〜

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さて、肝心の「雑談力」ですが、これはどうだろう。
本書を手に取った皆様が欲しているのは、初対面の相手や目上の相手、仕事で対面する人たちとの円滑なコミュニケーションを可能ならしめる雑談をするためのノウハウだと思われます。結論から言うと、本書にはその手の記載は特にありません。まず笑顔で相手の好意を得て、相手に話をさせて自分は傾聴する姿勢(この時に、発言をおうむ返ししたり相槌を打ったり、質問的発言で発言を促し、会話を膨らませる)をとろうというものです。ハウツーといえばそうかもしれませんが、とりあえず雑談に入るためのキッカケを豊富に用意するための内容とは言えない。ギャルゲーの「会話パネル」じゃあるまいし、現実世界のコミュニケーションは能動的なのです。

「口が1つで耳が2つあるのは、相手の話を2倍聞くためだ」とか、ユダヤの格言にあった気がしますが、相手に発言させてそれを膨らませて会話する手法は、お互いに自然で、実りのあるものだと思います。雑談は一人でするものではないからです。

この内容で1000円は安いとみるか内容が薄いからとみるか高いとみるかはあなた次第。私は安いと思いました。笑顔をつくるだけで無用な敵を作らず話がしやすくなると知れただけで満足です。感じのいい人って、総じて笑顔ですし聞き上手ですものね。
 
posted by ぎゅんた at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月23日

【試乗】ストリーム(FF/4AT)


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まとめ
・当時のホンダの良心とユーザー思いの思想設計を感じ取ることが出来る、実力ある家族向け実用車
・1.7L VTEC(FF/4AT)では力不足で必要最低限のスペックでは
・シートが私の腰に全くフィットしなかった点が残念



GHアテンザの車検の代車。ホンダの初代ストリーム。
H17年式、1.7LのFF(CBA-RN1) 走行距離12.5万km 前期型のボトムグレードのようである。

ホンダ・ストリームを語るときに欠かせないのがトヨタ・ウィッシュであろう。
これは有名な話だが、要するにトヨタがストリームを丸パクリ(+α)して発売したのがウィッシュなのである。真偽のほどは諸説あるし、丸パクリと断ずるには感情的すぎる気がするが、トヨタは昔から後出しじゃんけん的車種をぶつけてシェアを奪う戦法をとるところがあるため「火のないところに煙」になっているようだ。当のトヨタは「ユーザーが望む車を出しているだけ」と飄々と答えるだろう。…ウィッシュ(望み)をストリームにぶつけられたホンダはよくブチ切れなかったものだとと思う。


ウィッシュをぶつけられることになったこの初代ストリーム、どこが優れているかみてみよう。

すぐにわかるのは、その優れたパッケージングである。5ナンバーで中庸な全長と全高サイズながら3列シートを備えているのだ。エクステリアデザインは、もちろん、古さがあり、格好いいと一口にはいえないのだが、この当時のホンダ・デザインである「シンプル基調で嫌味のない範囲でスタイリッシュに纏め上げた」感に満ちている。下手な加飾・装飾がなく、余計なプレスラインがないのである。この時代のホンダ車のデザインが、私は好きだ。

狭い空間に無理のある設計からくる貧乏くさい窮屈さはなく、乗り込んでみれば、とても広いわけではないけれど、予想よりも広い空間が確保されていることに気づく。3列シートは流石に狭く緊急用の域を出ないことには目を瞑らなければならないが、あると無いので差は大きい。必要の無いときは手荷物置き場に利用するか、フラット収納して荷室にできる。シートアレンジの使い勝手は古臭さを残すが、時代を考えれば驚異的である。

運転席に座っても、コンパクトサイズの幅でありながら充分な広さがあり、楽である。ホンダらしい工夫のされた耐久性重視のサイドテーブルがあり、小物収納もあらゆる面で豊富である。ホンダは限られた空間を無駄なく上手に利用する設計が得意なようだ(この経験が後のN-BOXに引き継がれたのだろう)。手の触れられる範囲に用いられているインテリアの材質も水や汚れ、紫外線に対し耐久性のあるものを優先しているようだ。快適さが確保された空間で人も荷物も乗せられるパッケージング。家族、若者たちへのホンダからのプレゼントのようだ。大ヒットしたのは当然である。

実際に運転席に乗って運転使用とすると、着座位置が高い。そして腰のすわりが悪く落ち着かない。着座位置が高いのは実用車なのでかまわないのだが、腰のすわりが悪いのは堪える。シートの角度を色々調整したりしたが、結局、すわりの良いポジションは得られぬままであった。シートのホールド性もイマイチでこのシートで長距離運転は勘弁してほしいところ。カタログには「ストリームがめざす、スポーティでしっとり・しなやか・スムーズなフィールを座り心地でも体感できるよう、こだわりを注いだ1列目シートです」とあるが、本当か?2列目に座っている分には、腰のすわりの悪さはさして気にならなかった(しかし、決して良くはない)。

運転席周りは窮屈でなく、広さを感じる。ドリンクホルダーや小物収納など日常の使い勝手が考慮されている設計に気づく。インパネ周りとダッシュボードへの移行性がなくデザイン的にどうかとは思うが、目くじらを立てるほどのものでもない。ダッシュボードは安い人工皮財布みたいな模様のプラスチックだが、耐久性抜群素材であることと目に優しい点で優れている。一般的に安っぽいインテリアと評される類なのだろうが、私は気にならなかった。一般乗用車では、優れた耐久性や目に優しい素材を用いる方が遥かに重要である。ステアリングがやけに大きい気がする。

エンジン屋のホンダの1.7L VTECは4ATとのマッチングでこの車体をどう引っ張ってくれるのか。

まず、サイドブレーキを解除し、シフトをドライブに入れてブレーキをリリースすると力強いクリープをみせる。元気のよさを感じるが、ちょっと強すぎな気がしないでもない(バック時のクリープも、同様に強い)。これは期待出来る動力性能かも、と思わせるが、その期待は半分は裏切られる。パワフルではないからである。
しばしば「エンジンはこの車体には非力かと思いきや、必要十分な動力性能…」と評される向きがあるが、大雑把に言えば、確かにその範疇だ。だが、これは正確にはやや非力の裏返しである。なぜなら、この試乗は一人で、荷物も載せていない状態だからである。積載が増えれば必要十分ではなくなる。荷物をさして積まず、一人や二人での移動が多い人には過不足のない動力かもしれない。しかし、それ以上の場面で辛くなる。クルマには「余力のある動力性能こそが安全を確保する」面もあるので、ここは2.0L-i-VTEC(K20A)を選択する方が良い。[PS/kg・m]が130/15.8から156/19.2に向上するのは大きい。過去に私が乗っていたDC5インテグラ(最終後期型)TYPE-S とTYPE-RのエンジンもK20Aだったから、贔屓してしまう気持ちもある。K20Aは歴史的名機である

と、1.7L VTECを乏しているようだが、ホンダらしさのある良いエンジンである。1.7Lとハンパで珍しい型だが、優れたエンジンだからこそ採用されたのだろう。排気量通りの常識的なパワーを有する量産型ユニットであるが、綺麗に回るし素直なパワーを出す。K20Aほどではないが、回した時に快音を奏でるのも良い。

Dドライブに入れた状態でアクセルをベタ踏みすると、一拍の間をおいてエンジンは猛然と回転数を上げる。4000rpmあたりから、雑味のない迫力のある整った音が聞こえ、車体は急加速する。ギアはレヴ6800rpmできっちり変速するあたりがホンダらしい。このときの加速感はなかなかの迫力であるが、実は決して速くはない。そして100km/hを超えると頭打ち感が出始めると同時に、車体の安定性に揺らぎが出始める。高速道路の巡行は100km/hを目指さない方が安全で燃費の面で良さそうだ。

なお、Dドライブに入れた状態で一定速度巡行やアクセルワークが穏やかな運転、もしくはアクセルを抜くとECOランプが点灯する。この時代に既にホンダはさりげなくECOランプを実装していたのであった。夜間ドライブ時にこのランプが点灯すると、視界の片隅に「ポッ」と点灯が走るのが分かり、どこか心地よい気持ちになれる。

ブレーキはややスポンジーで頼りないところがあるが、カックンブレーキではない。踏みしろが大きいので、踏み込みが浅いと利きが弱く感じてしまう。踏めば利くわけなので、すぐに慣れる。

ステアリングフィールは僅かに重めで、この手のクルマにしては思ったほど遊びがない。年数と走行距離がかさんだ「トウのたった」固体にしてはシャキッとしている。弱アンダー基調で、キビキビ曲がるわけではなく、一般的にいって癖のない味付けか。足回りは驚くべきことにマクファーソン/ダブルウイッシュボーンが奢られているが、あまりに速度の乗った状態で曲がろうとすると遠心力に振られて車体の接地感が少し消えたりするところがある。横転はしないだろうが、ワインディングを攻めたらちょっと怖い思いをしそうだ。ボディ剛性を高め足回りを固めたAbsoluteグレードなら楽しめるかもしれない。

乗り心地は可もなく不可もなく。代車で古くて走行距離が嵩んだクルマにしては乗り心地が存外に良いなあという印象。ホンダの乗り味は一般的に硬く、乗り心地が悪いといわれるが、トヨタ車一般と比べれば…という枕詞が抜けている。その意味では、確かに硬いかもしれない。ただ、普通は気にならないだろう。気にするほど高額なランクの車種でもないし、快適な乗り心地を第一に期待される車種でもないからである。

あまり走りに過度な期待はしない方が良いが、ユーザーの実用性が大切にされていて、回せば快楽的なエンジンと奢られた足回りがついてくる妙味あるホンダらしいクルマがこのストリームである。


スライドドアは不要で、
なるべくコンパクトなサイズで、
いざという時に使える3列シートがあり、
充分な室内空間からくる使い勝手の良さと積載量が確保されていて、
日常の相棒として長く使えそうな耐久性がありそうな、

クルマを探している人には有力な候補になるだろう。
話を繰り返してしまい強縮だが、シートの座り心地ががイマイチなのが引っかかるのと、選ぶなら2.0Li-VTEC
を積んだグレードであることは重ねて述べておきたい。速さをさして求めないなら、1.7L VTECでOK。
 
posted by ぎゅんた at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 試乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする