2017年12月28日

わたモテ感想[喪127]モテないしのる


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今回は修学旅行から始まった凸凹3人組がメインのお話になっています。
もう思い残すことなく年を越せる……そんな気持ちにさせてくれる回です。


物語は、時間的に「お昼のパレードまでまだ少しある」時刻。
一行の行動は、吉田さんと真子さんのパパママコンビが統制しているようです。

次のアトラクションは、吉田さんのススメでコースター系からうって変わって実に恐ろしい客いじり系に…

司会者が無造作に観客の1人を指名して会話を強制してくるような、仕事の付き合いで参加した講演会等で、強制的に感想を発言させられるような、サークルの飲み会の席で突如始まる自己紹介タイムのような。要するに「くたばりやがれ!」と思わざるを得ないアレ。あぁ…と思い当たる人は少なくないはず。


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世の中には気の利いたコメントを咄嗟に返せない人間がいることを、「できる人」は多少なりとも配慮してくれないと困ります。

しかし世の中では、そういった場面をうまく切り抜けられる能力こそが求められるものであり、自身を守るために重要だったりする。ゆりちゃんのようなコミュ障にとっては、ただ辛い場面でしかありません。

ネモはなんの問題もなく余裕の受け答え。コワリィッチに「どこかで会ったことあるよね?」なんて訊かれてますから、このアトラクションは(おそらく昨年に)経験済みなのでしょう。

そりゃお前は余裕だろうがコッチは違う!とゆりちゃんが考えたかどうかは分かりませんが、退路を断たれた緊張感に不意に襲われたので、不安で腕を組む防御姿勢をとることになります。


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そらそうよ

もこっちも緊張しています。ゆりちゃんを陰キャ扱いする程度の余裕はあれども、指名されるのは御免被る気持ちに変わりはないからです。

指名されるかもしれない場面で有効なのは、場の雰囲気の醸成に非協力的な旗幟であることを鮮明にすることです。それは非礼な対応に他なりませんが、指名する側にとってみれば、意識を向けてくれている人を相手にする方が対応に与しやすいですし、場を盛り下げない上で確実だからであります。

それを応用すれば簡単、寝ているフリをしてやり過ごせば良いのです。「質問あるやついるかー?」と教師が生徒に投げかけてきたときは俯いていればやり過ごせる、そういう心理。もこっちは寝たフリを始めました。

それを見たゆりちゃん、「黒木さんならそうするよね…」と即座に自分も寝たフリにはいります。空気読まなそうなコワリィッチであれど、寝ている人を指名してくることはありますまい。遊び疲れや緊張の切れ目でアトラクション中に舟を漕ぐ人は案外に多いものだからです。


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しかしそうは問屋が卸さない。
寝たフリをしている仲良しふたりの姿が吉田さんの心の導火線に火をくべる。

寝ている生徒がいたら、その近くの生徒に発言を促すのがベテラン教師というもの。吉田さんは急に声を張り上げて歌唱を開始します。畢竟、コワリィッチの注目を集めるわけで、なし崩し的にその横の寝ている仲良しふたりの存在が明らかとなり、「あれー うたってない人いるー」なんてことになる。びくぅっと、寝ているフリでは逃げられない現実を叩きつけられるふたりが可愛い。

それにしても、こうキャラクター並んでいると分かりやすいですね。前列はリア充系陽キャで、ゆりちゃんともこっちはその正反対。

このふたりはRPGをやったらストーリーそっちのけで寄り道とか関係ないことばかりしてそうなタイプというか、MMO-RPGをやったら狩りやアイテムハントには出かけず、なんら生産性のない振る舞いや遊びを黙々と何時間もし続けていそうというか。真面目にやれと外野に怒られるタイプ。


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そんなふたりですが、もこっちは窮した場面から逃げず立ち向かう術を身につけています。基本、嫌なことからは逃げる姿勢なのだけれども、逃げ切れないなら覚悟を決めて対峙するだけの意思を持っています。ゆりちゃんはそうではない。握り拳と腕に添える手の仕草が実に対照的です。


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なにやってんだ私…と心がグワングワンに揺れていそうですが、覚悟を決めたもこっちは足を踏み出します。

指名避けに寝ているフリが通じないなら、大多数の参加者と同じように振る舞う「逃げ込むなら人混みへ」作戦に出ます。隣の吉田さんがノリノリですから、自分もノリノリにならないと、これまた目立ってしまうからです。


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そんな黒木さんの態度を曲解しちゃうのがゆりちゃんの面倒くささ愛おしさ。

「ずるい 抜けがけした…」

この心理は、同類の黒木さんも(参加)できないはずだと考えていたことと、参加しないでいる自分は間違っている姿勢だと理解していることを裏付けます。それをして、黒木さんは自分と違って「参加できる」人なんだ…と気落ちします。それはそうかもしれません。

しかしもこっちの真意は、自分と同じく指名されたくない一心に震えるゆりちゃんを助けることにあります。自分が助かるために、気づいていないゆりちゃんを救うために、もこっちはゆりちゃんの腕をとり手を振らせながら「嘘でいいからやれ!」と指示を出すのです。


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実にもこっちらしい、ゆりちゃんとの間に築かれている友情を感じさせられるシークエンス。恥じらいつつも、参加型アトラクション独特の楽しさに身を任せ始めるゆりちゃん可愛すぎ問題。

ゆりちゃんの歌声が耳に入ったのでしょう、真子さんが振り向いて驚愕します。あんなにはしゃいでるゆりちゃんを見るのは初めてのことで、ゆりちゃんは「こういうの絶対にやらない」からです。黒木さんは凄いなあ、ゆりにどんな魔法を使ったんだろう?

ゆりちゃんは不可思議な心地よさを覚えていたに違いありません。

覚悟を決め、肚をくくって自分が一歩踏み出せば、その勇気を讃える結果がもたらされるものです。



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その結果がこれだよ!

コワリィッチに愛すべき凸凹3人組が讃えられた瞬間です。歌ってくれる3人の姿が、とても嬉しかったのでしょうね。

とびっきりの笑顔が揃う写真が人生に寄与してくれるありがたみは、歳を重ねたものにしか分かりません。

この3人は修学旅行で蝙蝠の間から関係が始まった縁で結ばれているわけですから、これはもう家宝級の、最高の写真だと私なんかは思います。


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しかし名前は答えてもらう







…。
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アトラクション後に真顔で虚脱直立するふたり。

なんだかんだで「らしく」ないことをしたものだから、
回復待ちなのでしょう。他の4人は手洗いか写真の購入にいったのでしょうか。

お互いがそばにいても無理して何かを語りかける必要のないことが自然である、いつもの間柄。

…と思いきや、


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「黒木さんのせいで たいへんな目にあった…」
やおら呟くゆりちゃん。

ゆりちゃんはきっと、この発言を受けて「ごめんね、ゆりちゃん……」 と謝ってくるもこっちを期待していたのです。そして「ううん、黒木さんだからいいよ(だから、おあいこ)」と返してシャンシャンにする意図があったのではないでしょうか。

真子さんであれば、その望んだ返答は得られたのでしょう。
しかし相手はもこっちです。真子さんとは違います。以前とは違って、立腹したら遠慮なくもの申すことのできる仲になっているのです。


「お前がああいいうの 絶対嫌そうだから やってやったんだろ!!
「お前…!?」
「……頼んでないし お前じゃないけど……」

売り言葉に買い言葉。
ゆりちゃんは、自分の甘えが跳ね除けられ、お前呼びされたことに不快感を露わにします。

もこっちは、お礼までは望まなくとも「まさかあんなことになるとは思わなかったね」ぐらいの、互いが互いを理解し合えているからこその感想を共有したい気持ちはあったでしょう。

お互いがお互いを想っていたとしても、言葉ですれ違ってしまえば、感情の持つパワーに負けてしまい、険悪な雰囲気に発展してしまいます。


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そこに降臨するは救いのハグ。勇気をだした一歩を讃える結果。ふたりは吉田さんに救われました。

もこっちは、ゆりちゃんと友達関係にあるからこそ怒りの感情を発露させました。さはさりながら、ゆりちゃんとの間に生じた仲違いを即座に解消しきれるほどの手腕は有しません。

ゆりちゃんは、コワリィッチに「ゆり」「ゆり」と呼ばれても嬉しくなかったこともあるのでしょうが、「お前」呼ばわりが、気の置けない間柄だからこそ用いられもすることに気づきました。

もこっちに自分の名前を答えさせ、確認と満足、そして湧き出る喜びをのせて手打ちの言葉を口にします。

「まぁ黒木さんのお陰で吉田さん楽しそうだし 一応 私の為にもやってくれたんだよね? じゃあもういいや」

何がだよ?と思うもこっちは、ゆりちゃんの心情の機微をいまだ理解しきれていません。分かるのは、吉田さんのように言葉と感情が明瞭な方が理解しやすいということぐらい。もこっちの中で、相手をなるべく理解しようと努める気持ちが育っている気がします。

ゆりちゃんは、自分勝手で気難しいようでいて、結局のところで大切な相手である吉田さんが楽しんでいることを喜ぶ優しさ持っていますし「一応」と謙遜クッションを挟んで、同類の黒木さんが自分のためにしてくれた行為であったことを疑問形の形にすることで断定を避けつつ認めています。

ゆりちゃんが友人に求めるのは、言葉と感情を曖昧にしつつも理解しあえる熟年夫婦のような間柄なのでしょう。ただそれは、真子さんに求めることはできても、もこっちに求めることはちょっと難しい気がします。

ゆりちゃんは、その気さえあれば「ねぇ。とか、お前。とかで私を呼ばないで」「ゆりって呼んで」と確たる態度をもこっちに示せるでしょう。でも、決してそうはしない。気づいてもらうことを望み、求めているのです。もこっちが開眼するのを待っているのです。

隣同士に座って、何も語らずともそのままでいられるような、ふと手が触れ合っても、「まぁいいか」と仄かに伝わる温かさを無言で共有できるような間柄を欲しているのだと思います。

もこっちがふと、ゆうちゃんと路線は違えども、ゆりちゃんもまた自分にとってかけがえのない親友であると気づくときがくるのではないかと期待しています。ゆうちゃんが中学生時代に得た無為の親友であるなら、ゆりちゃんこそ、高校生時代に得た無為の親友になります。

その日が来るのはちょっと遠いかもですが、意外とすぐそこにあるような気もします。ゆりちゃんは面倒くさいですけれど、唯一無二の親友になる存在でしょう。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんはやっぱ、いいなあ…








人と屏風は直ぐには立たない?

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吉田さんの左頬の腫れの原因は、なんというか実にしょうもない吉田さんらしいものでした。純粋にネズミ―を楽しみたい気持ちが横溢する吉田さんにヤンキー仲間がついていけなかったことでひと悶着があったのです。


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即座鉄拳殴打にでる吉田さんの狂犬具合はさておき、気の進まない相手に自分の好みを平然と無理強いするのは非常識な態度といわざるを得ません。もこっちらと行動を共にしても、ネズミ―を心の底から満喫しようとする気持ちに陰りはありませんし、アトラクションを楽しむノリをメンバーに求めています。

吉田さんは、大好きなネズミ―の世界に友人を招くことが目的ではなく、ただ友人と楽しい時間を共有したいのです。そして、自分がネズミ―が好きであることに懐疑も羞恥も抱いていません。好きだから、なにも、曲げない。精神の高い自立を感じさせます。

例えばネモは、自分がアニメ好きで声優を目指していることは友人たちに2年間隠していました。たとえ親しい中でも、知られず隠しておきたい秘め事はあるものですし、あって糾弾されるいわれもない。

しかし吉田さんはドストレート。自分の好きなことはノーガード開示。それを否定されようと揶揄さえようと、怒りはしますが、好きである自身の気持ちを曲げることはありませんし、好きでいてくれる人に喜びをぶつけます。言葉と感情がハッキリしている。


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吉田さんを喜ばせるためではなかったとはいえ、もこっちとゆりちゃんは一転して能動的にアトラクションに参加する姿勢をとりました。ジェスチャーもして大きな声を出して歌いました。吉田さんは普段の二人を知っているわけですから、どれほど嬉しく思ったことでしょう。

だからこそ、こんな曇りのない笑顔をするし快哉をあげる。抱きしめちゃったりする。コワリィッチと同じ表情になっちゃったりする。吉田さんはホンマいい舎弟友達をもったものです。

他人にどう思われようが、自分に「それが好きだ」という確たる感情があるなら、それを隠したり、曲げたり、誤魔化さなくてよいのだという一つのテーマが見えてきます。


遠足はお昼前。まだまだ続く。

吉田さんとヤンキー仲間、ネモと岡田さんとの仲直り、うっちーのもこっちへの想いの終着点などが、これから描かれるのだろうと思います。そして、ゆりちゃんの成長も。

来年の更新日が待ち遠しいですね。
 
ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 18:43| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月23日

(映画感想)『ワイルド・カード』


まとめ
隠れた名作


ステイサム主演のアクション映画である。ジャンルはクライムスリラーとのことだが、あんまりピンとこない。ネバダ州ラスベガスを舞台に用心棒業を営むニック・ワイルドのドラマが描かれる。ステイサムがド派手に暴れまくるアクションではなく、ラスベガスの裏社会を意識したクライムドラマといったところで、いうなれば地味な映画である。それでありながら、いぶし銀な魅力ある作品に仕上がっている。

ステイサムの鋭いアクションとシンプルだが繋がりのあるシナリオが相乗されている。低予算映画と思われるが、安っぽくない見事な仕上がり。観客の大多数が馴染みのない、夜のラスベガスとカジノの雰囲気をスタイリッシュに映しているシーンが中盤に挟まれているからだろう。

と、べた褒めをしているようだが、気になる点も存在する。
主人公ニックがギャンブル依存症であることが分かりにくいことである。この設定はストーリー上司かなり重要な要素なのだが、中盤以降でいきなり手元に放り込まれてくるダイナマイト束のような扱いなのだ。鑑賞後には、監督が勿体ぶらせた描写に過ぎなかったとわかるが、しかし「ギャンブル依存症」という割に「ずいぶん軽いな……」と評価せざるを得ないところが釈然としないのである。



現代人が覚えておくべき用語「サイマー」
サイマーとは、出自は2チャンネルの生活版あたりと思われるが、いわゆるネット用語の1つである。債務に「ー者」を意味する"-er"を掛け合わせたものであり、その名の通り債務者であり、有り体に言えば借金気質な人を意味する。日常的に友人から金銭の貸し借りをしたりローンを組んだりサラ金を利用している人、と捉えて差し支えない。

これだけだと「そんな人いるよね」ですむが、サイマーがサイマーと呼ばれる所以は、その気質は極めて厄介で絶対に関わらない方がいい人種であるからに他ならない。関われば不愉快な思いをするし、トラブルに巻き込まれるのが常だからである。そして、たいていはギャンブル依存症に足を突っ込んでいる。

本作のニックがギャンブル依存症であると知ってもピンとこないのは、ニックに「サイマー」の特徴が見られないからである。たとえ人種が違ってもサイマーの気質は同じである(海外の映画で、うだつの上がらない借金気質のダメ人間がしばしば登場するが、あれがサイマーである)。サイマーはサイマーなのである。脚本家がギャンブル依存症を誤解しているとしか思えない。依存症は立派な病気であり、こんなに甘くも軽くもない。



とまあ、気になるのはそれぐらいのものである。
ニックは銃を意図的に全く使わないが、これは「格闘シーン推しのステイサム作品だから」も理由としてあるだろうが、長い用心棒家業の中で独自に築き上げられたコンバットスタイルが確立しているからである。その場で入手するアイテムを駆使して相手を倒すのは機転の利いた洒落た喧嘩劇のようで面白い。達人の域にあるわけで、下手に銃を使わない方が強いのである。

シナリオはハッピーエンドまでのシンプル一直線なのだが、重要な役割を担うのがサイラスである。ニックにとっては用心棒の依頼人に過ぎない相手であったが、次第に心を通わせ、歳を超えた友情を築き上げるのである。

両者とも、そこそこの成功を可能にした能力を持ちながら現状に燻り、将来に不安を抱えている。そして、臆病なのが良い。サイラスは、ニックのような勇敢さが欲しかったしそれを克服する術を欲して接触したのだった。そして、ニックとラスベガスで過ごすことで、誰しも臆病であることを学び、臆病である自分自身を受け入れて生きていくことは悪いことでも何でもないことを学んだのである。それこそが「自分らしさ」だからであり、新たに生きていける確信を得たのである。サイラスはラスベガスから去る日に、そのことをニックに伝えた。そして、ニックにも「自分らしさ」を認めるべきだと進言する。ニックも、そのことを認める。自分は臆病なギャンブル依存症なのだと。

文章にすると地味なシーンにすぎないが、早朝のダイナーという、社会の末端から一日の始まりを感じさせる雰囲気もあって実に味のある名シーンに仕上がっている。しかし、ニックの表情は硬い。もうすぐマフィアに殺されるだろうと覚悟しているからである。

そこに怨恨呪詛的にマフィア一行が現れる。多勢に無勢、バターナイフとスプーンを握りしめたまま固まるニックであったが、察したサイラスが機転をきかせて咄嗟に道化師のふりをしてマフィア一行の気が逸れた一瞬の隙にニックは裏口から遁走する。追いかけてきたマフィアを屋根の上からやり過ごそうとするニックであるが、ボスはニックが絶対に逃げられない体制を敷いての捕獲命令を耳にする。マフィアを敵に回して生きて逃げられるだろうか?観念したニックは耳を閉じ、走馬燈のごとく自分がヨットに乗る姿を夢想してしまうのだが、手始めにサイラスを殺せと命ずるボスの声を聞き屋根から飛び降り、鬼神のごとき立ち回りで一行をギッタギタのメッタメタに叩きのめす。

ここの流れが熱すぎて本当に素晴らしい。自分たちは臆病であることを受け入れたふたりであったが、それをして、勇気を出して戦うことを瞬時に選択したからである。ニックは、そのまま屋根の上に身を隠していれば逃げおおせられたかもしれなかったが、サイラスが殺されること耳にして、それを阻止するために屋根から飛び降りるのだ。ここで彼が手にしている武器はバターナイフとスプーンである


ニックとサイラスは、もう二度と会うことはないと思うが、ふたりが手にしたのは生きていく希望と喜び、永遠に続く友情である。短くカラッとした別れのシーンも、心根が通じ合った男同士の友情を感じさせてくれて素晴らしい。

ステイサム作品は見終わった後に腕立て腹筋をしたくなる衝動に駆られることはあっても、大きな余韻はないのが常であった。しかしこのワイルドカードは別である。有名でも高い評価を得た作品でないところが不思議だが、文句なしに名作だと思う。ステイサムファンでなくとも観ておくべきだろう。
 
posted by ぎゅんた at 19:00| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

【FireHD10】アマゾンの格安タブレットだが……?


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まとめ
・iPadのような洒落た汎用性はない
・アマゾンプライム会員の娯楽用タブレット
・持ち運ぶには不便な大きさ



「最近の若者は引きこもり気質で外出しない」とかなんとか批判的な論調の記事がプレジデントあたりに掲載されていた気がするが、それもまた宜なるかな。若者は、特に目的もなく外出して不快な思いをしたり無為な時間や出費を費やしたくないのである。際立って引きこもり気質なわけではない。昔はやることがなかったから、暇つぶしに外出していたが、今は家の中で暇つぶしができるだけである。省エネになったのだ。それを可能にしたのが、他ならぬ電子ガジェットの進歩なのである。


そんな折、サイバーマンデー2017の割引とプライム会員割引を合算利用すればFireHD 10(以下、FireHD)11780円で購入できる機会に恵まれた。性能からすれば破格に近い値段であろう。デカくて画面が綺麗で今をときめくタブレットだからである。

さはさりながら、格安で購入できたとしても自分の使用用途に合っていなければ良い買い物ではない。FireHD は買ってよかったと思えるタブレットになるだろうか不安な気持ちが強かった。

というのは、私は普段 iPad mini4(以下、iPad)持ち歩いているのであるが、それはPDFファイルの観覧とメモアプリでの文書作成、カメラ撮影(高性能ではないが私の古いガラケーのそれよりは遥かにマシ)が使用用途にあるからである。また、出先でWiFi環境があればブラウジングやEメール作業を行うことができることも挙げられる。iPadのメモアプリは大手各社のメールソフトと同期させることができる点が気に入っている。

購入に際して、FireHDで iPad と同様の使い方ができるかの確証はなかった。周囲に実物を所有している人はいないし、FireOS対応のアプリは未知数であったからだ。ブラウジングとメールは当然できるようだが、しかし、メモアプリとの同期があるかは分からない。「カメラ機能がメチャクチャショボイ」という前評判も気になった。

とはいえプライム会員であることから、プライム・ビデオやプライム・ミュージック、Kindleを綺麗な大画面で楽しめる権利を有していることは確かである。よしんば、iPadのような使い勝手と乖離していても、FireHD は「Amazonの、Amazonのためのタブレット」として用いれば良いのだろうと考えた。というか、プライム会員でもなければ購入を検討すべきでないほどAmazon特化された設計なのである。タブレットで利益を上げるのではなく、購入者を「Amazon」にタグ付けして逃さない戦略なのだ。

別にiPadでもプライム系アミューズメントは謳歌できるが、FireHD での方が適任であることは論をまたない。FireHD でプライムビデオを流しながらiPadでブラウジング等を行う現代版デジタルジャンキー・スタイルが可能となるのは魅力であろう。ちょっと不健康な気もするけれども、できるもんはできる。思えば、遠くまで来たものだ。



さて届いた実物は無骨で大きかった。重さは見た目に反してたいしたものではない。ただ、片手での操作は無謀であろう。取り回しを考えると、やはり屋内での使用に限定されてきそうだ。

肝心のディスプレイは綺麗であり、満足度の高いクオリティ。
……なのだが、中華製液晶モニタじゃあるまいしグレアがやたらに強く、反射で顔が映ってしまうのは困りものだ。シナリオ系エロゲーが流行っていた往時、感極まって落涙したプレイヤーが、場面展開の暗転時にモニタに自分の顔が映って興醒めした事件が勃発したことを思い出してしまう。気にしないならその限りではないが、多くの人はグレア防止を兼ねた保護フィルムを貼ることになるだろう。

カメラは、いまどき珍しい絶句級のしょぼさ。「写真なんざスマホやデジカメで撮るもんやろ」と開き直ってコストを優先したことが窺い知れる。
プライム会員は画像データに限りプライムフォトに無制限にアップロードできる太っ腹サービスの恩恵にあずかれるのであるが、このカメラではそのありがたみも薄れよう。FireHDのカメラは存在を忘れても良さそうだ。



ある程度いじくりまわして言えることは、FireHD はAmazonのためのタブレットであり、機能的に洒落た小回りは期待しないほうが良いということだ。そして、プライム会員であることはこのタブレットを所有する上での絶対条件であろう。それを承知で所有すれば、これ以上ない働きをしてくれる。

気が向いた時に気軽に、好きな場所で好きな姿勢でプライム・ビデオを楽しめるのはありがたいことだ。面白いかどうかはさておき、一生かかっても見切れないほどのラインナップであり、時間泥棒この上ない。嫁に言わせれば「ラインナップがイマイチ」なプライム・ミュージックにしても、一生かけても聞き尽くせない曲数を備えている。Kindleで無料書籍を読み漁っても良いし、読みたい本を電子決済で瞬時に購入することも簡単だ。ゲームもたくさんあるので、FireHD は純然たる娯楽用タブレットの扱いが最善であると思う。仕事用に使うタブレットとしては、向かないだろう。
 
posted by ぎゅんた at 23:35| Comment(0) | iPad2 , iPad mini | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

(FX)千単位で南アフリカランドちゃん(スワップ派)


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こんなことがあって「やっぱあかんわ」と足を洗っていたスワップ目的の南アフリカランド(ZAR/JPY)。とはいえ、ときおり為替のチェックはしていたのである。その目的は、南アフリカランドが極端に下落した事態が起きた場合にポジションを得るためである。懲りてないのである。

この作戦はスワップ目的で将来的に円安に振れる可能性が極めて高い局面で有効であり、欲張らなければ小遣い程度なら高い確率で得られる手法である。リーマンショックで焦土とかした株式市場で、本来的に高値だった優良株をホルダーしまくった人が市場の落ち着きと回復とともに莫大な利益を得た手法と似たようなものだ。手を突っ込む勇気さえあれば、リターンが得られる局面は、鉄火場な市場にときおり出現する。絶対に値が上がる(であろう)IPOみたいなモンである。

私のようなクロス円専門で円安に振れることでキャピタルゲインを得たり日本円の超低金利を利用したスワップ運用する「ミセス・ワタナベ・スタイル」を堅持し続けるド素人オロカモノにとっては、もうこの手法しか確たる手法がないのである。ケチな心をも持て余しているから、仮に中期的にホールドし続けることになってもスワップポイントで利益の積立を狙う。スワップで利益がたまっていると、マイナス決済でも損失を相殺することも狙える意味で悪くない(その場合、トータルでの利益は乏しいわけだが、損失を出さずにポジションを解消できる保険にはなるから)。



そんなかんだで南アフリカランドの動向を不真面目ながらチェックしていたのであるが、11月半ばごろに8円を切って7円台に急落した場面があった。急落といっても、「いつもの」類の、たいしたことのないレベルであったが、7円台に突入するのは確かに下落であった。これを見た瞬間に欲の虫が騒いだので、ポジションをとることにした。

とはいえ、レバレッジ安全考えると種銭が不足してしまった。
私が利用しているFX会社はセントラル短資FXであるが、幸いなことに千単位で南アフリカランドを購入することができる。当然ながらスワップもキャピタルゲインも1/10であるが、小さな種銭でレバを効かせずに小さなポジションを小さくとることは可能だ。

そんなわけで種銭を2万円を用意して、1K単位のZAR/JPYを2つのポジションで購入した。これならレバは0.8倍で済む。絶対ではないが、気休めになる程度には安全だ。

ポジションをとってから値が思ったほどすぐに回復せず、放置をかましてロング生活をしていたところ、緩々と8円代に入って回復基調になった。すぐさまポジションを決済して利食いに走る。マーフィの法則ではないが、決済後もそのまま値が上がり続けていくので損をした気持ちにならなくもないわけだが、欲張ってはいけない。利食い千人力なのである。暇つぶしに取ったポジションで数百円の利益が出るならそれで良いのである。利益が出せる状態でポジションを全決済してプレッシャーから解放される瞬間ほど気持ちの良いものはない。これはちょっとクセになる。やっぱりFXは投機(ギャンブル)である。



ところで、今朝になって南アフリカランドが急騰の気配を見せていた。ここでその理由を貪欲に調べに行かないあたりが、私のようド素人がド素人のままであり続ける原因なのであろう。そんなヤツが鉄火場から利益を掠め取って生き残っていくには、とにかく欲張らない。ただこのことに尽きるのではないかと思う。
 
posted by ぎゅんた at 16:59| Comment(0) | FX | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

(書評)『緋色のメス』大鐘稔彦・著



医療モノ小説。

著者は医師であり小説家である大鐘稔彦氏。「孤高のメス」シリーズで有名である。また、漫画「メスよ輝け!」「青ひげは行く」「ザ・レジデント」の原作担当でもある。外科医を主人公に据えた医療現場で起こるドラマと閉鎖的な医者社会の姿をリアリティを交えて描写してくることで定評がある。

作風は、およそ信頼に足るプロの姿でない医師が多く登場し、医師という職業にしても、世間一般で考えられているような魅力的なものでは決してなく、心身ともに疲弊しきる一介の肉体労働者に過ぎない描写がなされる。そこには医師として生きてきた作者なりの心情が色強く反映されていることが窺いしれる。話の展開は断定的でワンパターンな傾向がみられるものの、「でもまあ、そうだよね」と憐憫と親しみを感じられる人間味ある物語が展開される。それが特徴であり、長所でもある。面白いのだ。

本作『緋色のメス』もまた、そのベクトルから漏れない。

しかし肝心の、面白いかどうかという、単純至極な結論を導き出すなら、面白くなかったと言わざるをえない。題名から『孤高のメス』の姉妹作品であると不要な勘違いをされないか心配になる。



[コピペでストーリーのあらすじ]
宮城県の公立病院に勤める看護婦・中条志津は、四十七歳の春、乳癌を宣告される。彼女が治療先に選んだのは、秋田の鄙びた炭鉱町が経営する小さな病院だった。執刀を依頼したのは、この病院に勤務する外科医・佐倉周平。かつて人妻の身ながら激しく愛した相手だった。二十年ぶりの再会を果たした二人は、運命の歯車が再び動き出すのを感じた。


ここから、どのような物語を想像するだろうか?

面映ゆい想いを抱いた2人が主役であったが、志津の乳癌は外科手術で根治される。過去の想い出は美しき秘め事となり、各々はまた新たな人生を歩み始めるー

およそ、こんな内容を想像するのではなかろうか。少なくとも、私はそう思って手に取った。

全然、違った。生々しく醜悪な破廉恥ドラマでしかない男女の痴情のもつれを、美談に仕立て上げているように小説風に料理したようなものだったからだ。

面白い物語というのは、往々にして失ったり欠けたりしている何かを取り戻していく過程が描写されるものである。それが、王道というものだ。本作にも確かにそうしたプロットはみられるし、事実、決して退屈な物語と唾棄されるものではない。

しかし、払拭しきれない生理的な不快感が常につきまとう。不倫などとんでもない!と考える向きの人には、およそ薦めることすらできそうもない。大鐘稔彦氏の性的な描写は、少なくとも私の肌に合わない。

それにしても外科医を中心にした医療モノでありながら、読んでいて医師という仕事にさっぱり魅力をおぼえないのは著者の意図したところだろうか。

自分の生活や人生の一部を犠牲にしてでも、他人を病から救うために行動できる精神を持ち続けていない務まりそうもなさそうな職業におもえる。少なくとも私は、他人のために睡眠時間を削られるなんて我慢がならないし体力もないから予選落ちである。よしんば体力馬鹿であったとしても、責任と重圧感で気が触れてしまいそうだ。医師の自殺率は高いのである。

posted by ぎゅんた at 00:12| Comment(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする