2018年05月02日

「若者のクルマ離れ」説

不明 (1).jpg
特に意味のない画像


東洋経済ONLINEでこんな記事が

「若者のクルマ離れ」説で見落とされる本質 新しい価値を提供できていないことが問題だ

読みやすく親しみやすい文章。良い記事であろう。内容にツッコミを入れたくなる意味でも…


まず、コメント欄でも散々の指摘がなされているが「若者のクルマ離れ」の原因については記述が甘すぎる。これに関しては、不思議なことに、いかなる識者も見当違いな意見ばかりを口にしている。小難しく考えすぎなのか、現状認識があますぎるのかは分からないが、的を外した意見ばかりである。訳知り顔で、手近な娯楽が増えすぎたため、とか、スマホという完結したオモチャがあるから、とか、将来の社会不安から貯蓄に走っているから、とか述べているが、本質は外している。

答えは単純明解。若者に金がないことである。「金のワカモノ離れ」というほうが正しい。
「若者の〜離れ」シリーズは、ほとんどがすべてこれで説明がつく。

生活水準は昔と横ばいやや上昇したものの、給料水準は物価の上昇とはリンクしていない。便利になったのはインターネット技術と電子ガジェットの進歩であり、主にスマートフォンの普及が筆頭である。我々の生活スタイル昔のそれとは異なる様相に変えたことで、これはイノベーションである。

とはいえ、インターネットの発達と普及が、我々が住むこの世の中を豊かにしただろうか?と問えば、誰もが首を横に振ったりする。インターネットは、情報の収集に極めて便利であるが、もはや衆愚に犯され、歪んだ商業主義が入り混じることで実に魅力のない世界になってしまった。

検索エンジンにしても、昔のような「一個人の考え」が優先的に排除されているのか分からないが、ヒットしてくるのはテンプレート通りの小綺麗な業者仕立ての情報ばかりである。それを嫌うムーブメントによってSNSが台頭してきたが、次第に馬鹿な個人をさらけ出す発見器に成り下がってしまった。落ち着く先は、電話よりも手軽で便利なコミュニケーション手段としてのみである。いまでは誰でも持っているから、当然のように固定費用がかかることになる。格安SIMを賢く利用したり、馬鹿らしいソシャゲ(ガチャ、課金)に手を出さなければ、月額も大したものにはならないが、年額にすれば結構な額になるものだ。

情報収集のできる便利なコミュニケーションツールは持っている。けれども、そのことが豊かな生活や満足感に繋がっていない。所詮人間は、自分の生活圏において、便利で快適に自分の自由が利く裁量が大きくなるほど豊かさを自覚する側面があるものだ。とすればそれは、お金を持っているかどうかということに帰結してくる。金は無慈悲な主人だが、同時にこれほど優れた召使いもいない。ただし、金があっても人格は買えない。


真っ当な人間なら、金がないなら、節約したり消費を控えたりするものだ。偉人・上杉鷹山だってそう唱える。まず自由の利く金を確保して、そこから考えるのは良いことだ。これを非難する方が馬鹿げている。

ローンしてでも買え?自分たちはそうした?そんなこと言われても知らん。ことあるごとに「時代を読んで仕事をしろ」と偉そうに高説述べてるのはギャグか?

今の若者たちは馬鹿ではないし、よく耐えていると私は思う。普通、これほどまでに金がなく貧しかったら暴動が起きたりモラルハザードが起きるものだ。だが、暴動を起こすのは頭がオカシイ種の「左巻き(ネット用語でいう「パヨク」)であり、モラルハザードはバブルの時代を忘れられない中高年や、金持ちになることを焦っている山師ばかりに見られる。「ワカモノ」の大多数は、むしろつとめて真面目であり、文句を言わず勤労し、納税し、社会に貢献しているのである。清貧と言ってよい。現状、高い給与を求めて海外に飛び出していく若者は少ないようだが、島国であることによる引きこもり気質と治安の良さが若者の国外流出を防いでいるにすぎない。政治家は、気づいているのだろうか。

「若者のクルマ離れ」に危機感を募らせる筆頭は自動車メーカーである。次に自動車が日本国の基幹産業であることを理解している政治家であろう。彼らが現状分析のため依頼するシンクタンクは、お抱えの識者からの意見をまとめてプレゼンしているのであろうが、先述の通り本質からずれている(「若者に金がないこと」を頑な認めたくないのか、意図的に無視している?)ので、最終的なアウトプットの段階でチグハグなことになるのである。


かつてトヨタが若者ターゲットにしたスポーツカーとして『トヨタ・86/スバル・BRZ』を企画した。大きな期待も末に発売されたが、およそ若者が買える価格ではなく、クルマファンの失望を買った。これじゃ買えるのは「ハチロク」世代の中高年じゃないかと。そして、実際にそうであった。若者は買いたくても買えないし、スポーツカーに興味はなかったのである。クルマ好きの若者は、1990-2000年代の中古スポ車や、安いベーシックな車のMTモデルを購入して大切にしているようだ。そうだろうと思うし、それが良いとも思う。

幸か不幸か「86/BRZ」はヒットモデルとなり、売れるならこれでいいの旗の元に落ち着いてしまった。確かに、価格が安ければ若者に売れるほど甘い世界ではないし、安全基準を満たすための装備の拡充など、車体価格に直結する製造コスト増は右肩上がりである。売れるクルマ(ヒットモデル)を出すことは極めて難しい。ターゲット層には売れなかったけど、結果的に売れたのならそれで良いと考えるのは当然だ。次期86は、もう若者をターゲットにしていないはずである。

「86/BRZ」を新車で購入できる若者は中流階級に属する数少ない存在にすぎない。昔と異なり、中流階級に属する若者の数が激減してしまった。

結局のところ、世の中を牛耳っている連中が自分たち世代かわいさに、雇用や人件費を削りまくったことが原因で、資本主義社会において最も重要な基盤層となる中流階級が少なくなってしまった。いきおい、増加した低所得層は相対的に豊かさを喪失して生活に困窮を覚えるようになった。これにより、消費行動は萎縮され縮小化されていくばかりである。低所得層であれども善良な納税者であるから、数でカバーできると考えられているかもしれない。しかし、低所得層の増加と社会保障からの支出は殆どセットであるし、将来の国力に直結する教育水準の足を引っ張る傾向にある。低賃金が原因で生活保護受給者以下の生活を強いられている労働者が存在する現状は異常である。

日本社会に活力を取り戻すための骨太策があるとすれば、中流階級層を増やすことである。生活に満足を覚えており、一般的に教育水準が高く、適度に消費活動をしてくれる善良な納税者だからである。そうすれば「若者の〜離れ」は、すぐに死語になるだろう。
 
posted by ぎゅんた at 19:23| Comment(0) | クルマ(なんでも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

続・フリマアプリと言えばメルカリとラクマです


securedownload.jpg


ネットを使って所有物を売ろう……と我々が考えた時、まず利用することを考えると「ヤフオク」「メルカリ」「ラクマ(旧フリル)」の3つが挙げられることになるだろう。

この3つのなかで、トータルバランスで最も良いと思われるのは「ヤフオク」である。ことにレア物を高値で売りたいと考える向きにはこれしかない。

「メルカリ」「ラクマ」と比較して、社会人男性ユーザーが多い特徴も手伝って、「一見、殺伐としているが、お互いにトラブルにならぬよう最低限の礼儀を備えたビジネスライクな取引ができる」特徴がある。これは実は、「ヤフオク」の大きなメリットでもある。ネット上における、人間同士の交渉は、顔が見えないからといって礼儀が不要なわけではない。

お前はなにを(当たり前のことを)言ってるんだ、とツッコミが入りそうだが、そう考えるあなたは常識を備えた人なのだ。ネットが社会に浸透して利用者数が増大するにつれて、思慮や良識、最低限のマナーすら知らない「残念な人」もまた、増える。いきおい、 遭遇しやすくなっている。

「ヤフオク」は、元々はそうしたユーザーに対する排除の姿勢が育っていった土壌があったこと、「メルカリ」「ラクマ」に比べやや格調が高いところから、利用するユーザーは概ね良識的な人間が多いだろうとみなすことができる。手数料を取られたり、匿名配送ができないといったデメリットもあるものの、総合的に判断すれば「ヤフオク」は魅力的な市場である。

私には、高値で売ろうと考えるレア物は所有していないので「ヤフオク」は利用していない。流行りものが好きなわけではないが、色々と思うところあって「メルカリをやってみよう」と考えた次第であり、その対抗馬である「ラクマ」にも手を出した、といったところだ。

始めから一ヶ月以上が経過したが、合計で50以上の取引を終えている。その中にあって、改めて思うところを記事にしてみたい。メルカリとラクマに対する個人的な意見・要望。また、出品にあたってのこれまた個人的な見解を述べたいと思う。




メルカリとラクマ。いまのところ、メルカリ優勢
ユーザー数が多いことを実感できるし、それこそがメルカリの長所である。わけても女性の比率がかなり高いようで、レディース用の出品物に対するレスポンスが極めて高い。ゲームのソフトやCD、DVDなども反応が良い。メンズ商品の出品に対する反応は中庸。本関係はさっぱり売れない。もちろん、モノによるとは思うが。

ブランド物・新品未使用に対する反応が高いのはいいのだが、偽ブランドや盗品が紛れ込んでいそうな懸念を払拭できない。某週刊誌に「メルカリは犯罪市場」とヘイト記事を書かれていたが、それもまた宜なるかなという気がする。

ネットでしばしばヒットする「メルカリで月に30万稼ぐ」とかいうのは、まずもって大嘘である。社会生活を営む普通の一般ユーザーが、月に30万を稼げる望みはほとんど無い。時間と、出品物が足りないからである。元々「売れるもの」を多数、所有していた人なら別だが、売れるものがなくなっていけばその勢いもなくなる。

メルカリで月に30万を稼ごうと思ったら、単価の高いブランド品や需要のあるレア物を出品し続けること以外にないと思う。これはせいぜい続いて、数ヶ月であろう。

こうなってくると、個人で外国の製造業者と取引をして出品物を買い取って売る小売業スタイルを確立したり、ブランド品を安く仕入れてくるルートを開拓したり、偽ブランドを出品することになる。いずれにせよ、危うい道であるし、税務署も黙っていないだろう。組織的にやらなくては実現できない。「業者」に転身せざるをえない。古物商の資格も必要となろう。

メルカリは「業者を嫌って排除している」と訊くが、どうみても業者だらけである。ラクマの方が顕著だが。その実態は、こんなところなのだろう。違っていたら謝罪しなくてはならないが、しかし、「月に数十万をコンスタントに上げ続けるのは、個人の力では無理である」ことは断言せざるをえない。「川の流れを変えようと思ったら手を汚すしかない」のであり、およそ真っ当な一般人が手を出すべき領域ではない。捨てるには惜しいものを、それを必要とする人に安く譲るのが、フリマとしての本来の姿であり、正しいものだと思う。

出品者としてメルカリに抱く大きな不満は、やはり手数料に尽きる。10%は幾ら何でもボリすぎだろう。それだけの良質なサポートを、出品者側にしているのだろうか?せめて消費税と同じ8%にしてほしい。

もしくは、認定優良出品者制度(仮)を設けて、ユーザーとメルカリが認めた極めて良心的な出品者は、手数料を5%にするなどの優遇措置は取るべきである。

というのも、「メルカリ」は購入者側が優遇されすぎているからである。
こういうと語弊があるので、意見を述べる。

本来、購入者側は立場的に弱いから、保護されるべきなのは当然であり、メルカリが購入者側の立場で運営していることは素晴らしいことであると私は考える。しかし、出品者に迷惑をかけるような悪辣な購入者をも過保護にする必要はない。

出品者は、手数料と送料を受け持ち、梱包作業や発送作業を控える立場にある。購入者側が購入の意思を表示して購入手続きに入ってから一向に入金しなかったり、取引コメントに返信しなかったりすると、出品者側は不安と不満を覚える。出品者は、売れたなら、即座に相手の手元に届けたいと願う立場だからである。入金が済まずに時間が経過すれば取引のキャンセルなども可能になったりもするが、それでも出品者側に降りかかるストレスは大きい。発送待ちの空白期間は、案外に問題にならないと思われがちだが、出品する側にとっては嫌なものなのだ(自分で出品するとよくわかる)。肩の力抜いてノンビリやれやと言われれば、確かにぐう正論、その通りなのだが……

また、相手が受け取り通知を延々と出さないこともある。仕事や都合で家を留守にしていることはもちろん、考えられるし、不幸にして病で床に伏せているのかもしれない。それでも、なんら取引コメントがないまま、放置されているように数日間も受け取り通知がこないというのは、出品者にしてみてば大きなストレスなのだ。受け取り通知がないと入金されないシステム上の理由もあるが、なにより早く相手を評価して取引を終えて楽になりたい心理が働くからである。相手もアンタと同じで都合のある生活を送ってるんや、肩の力抜いてノンビリやれやと言われれば、まあ、その通りなのだが……

あまつさえ、こうした購入者に対してコメントでの催促を施すと逆ギレされて「悪い」評価を食らったりするとも聞くと、いよいよ暗澹たる気持ちにもなる。

ちょっとした礼儀しらずやマナー不良な購入者は、業者と同様にもう少し排除の姿勢を見せてくれてもいいのではないかと思う。

私はまだ幸いにして、どえらく酷い購入者とは遭遇していないが、購入された瞬間に真っ当な相手であることを真っ先に祈る自分がいることに気づくのは、ちょっとした悲劇と言わざるを得ない。

メルカリは「猿の群れから人間に出会うアプリ」と揶揄されたりする。
諧謔が過ぎて大げさに満ちた表現だが、ちゃんと日本語の通じる相手が98%であるから心配はいらない。ただし、日本語は通じるが「この人はなんとなく危うい…」臭いを端々に感じさせる購入者はそれなりに実在する。



メルカリは良質なユーザーを積極的に囲い込むことで、自らのブランドイメージの向上と、そのこと自体による宣伝効果を獲得していくべきだろうと思う。

良識と常識に満ちていた新人出品者が、質の悪い購入者の存在と対応に侵され心を病んでいき、いつしかメルカリを去ったりマイルールを押し付けるモンスター出品者と変わり果ててゆく。これは哀しいことである。実際のところ、出品者の大多数は、去るか、出品をやめてしまう。購入者側が強いことは実体験で分かりきっているので、購入オンリーになる。当然の帰結である。業者出品者が相対的に増える。

もはや単純に利用者にマナー向上を呼びかけても効果があるものではない。ルールやシステム上にこの悲劇を生み出す誤謬が存在する。つまりは、メルカリ運営が対処すべき問題なのだ。

私は、メルカリの長所は「匿名配送」にあると判断しているので、ラクマが匿名配送を実装してくれることを切に願っている。同様に考えている人は、かなり多いのではないだろうか。

もっとも、ラクマはユーザーサポートが糞(メルカリも大概だが、輪をかけて)だと聞くので、出品者側に不安を与える運営のある場所で出品することも躊躇するものがあるのだが。

なんだかんだで、ユーザー数が多くて匿名配送の利点があるメルカリメインに使用しているが、不満は消えないままである。アプリの操作性を含めて心理的にはラクマをメインに据えたいのだが、ユーザー数が桁ひとつ少ないほど差があるものだから、出品しても全く反応がない。出品者は、売るために出品しているのだから、なんのレスポンスがないのはこたえられない辛さがある。加えて、ラクマは自身の出品アイテムの閲覧数カウントがないのも寂しい。

すぐに売りたいものはメルカリに出品する方が良いし、ノンビリ取引で良いのならラクマに出品して放置しておくべきだろうと考えている。もしくは、ヤフオクへの出品を考えるべきなのかもしれない。メルカリで売れにくい書籍類は、私はラクマに出品して放置している。その際、Amazonのマケプレの相場をチェックするぐらいの配慮は必要だろう。不満なのは、メルカリにせよラクマにせよ、最低設定価格が300円であることだ。これだとマケプレの「1円本」太刀打ちできない。最低設定価格を250円まで引き下げてくれないものだろうか。




実はアナログなやりとりなんです
ネットを介しているとはいえ、正体は「人VS人」での売買取引である。運やタイミングが大きく絡んでくる。売れる時は売れるし、売れない時は値段を下げても売れやしない。不安定な自営業を営んでいるような気分になる。そんな時に訳のわからない購入者にあたると、一体自分は、時間を費やして何をしているのだろうと嫌悪感に背中を押されて自問することは必定である。

取引が煩わしくなったら、すべての出品物を買取業者に丸投げしよう。売れるものも売れないものも、全て含めて二束三文で買い叩かれるが、小売においては、自分で手間をかけずに大金を得ようなんて虫のいい話は存在しない。はした金を手切れ金に業者に処分を押し付けて縁を切ればいい。後々、何十倍ものプライスタグがかけられて売られていても、文句を言ってはいけない。

「そのまま捨てるよりは、手間を加えたことで小銭に化けてくれるかもしれない意味でいいかも?」ぐらいに考えて、気楽にノンビリやるのが長続きさせるコツだろう。そして、出品する行為にかかってくる事象をイベントとして楽しむぐらいが健全な姿勢だと思う。

出品に際しての写真撮影から梱包テクニック、配送方法の熟知熟達など、今まで知らなかったことや考えたこともなかったことを、自分の手で試行錯誤して解決し、一定の回答をだして自分のスタイルを作り上げていくのは、ちょっとしたRPG要素が感じれたりもして面白いものだ。

購入者とのコメントのやりとりも、不快感と誤解を与えない、簡潔で分かりやすい言葉で行えるよう注意しながら行うと楽しいものだ。どれだけ相手に好印象を抱いてもらえるかに注力してみるのも、実りがあるだろう。相手の想像以上に美品だったと感激してもらえるよう、細心の注意を払って梱包するのもよし、一分一秒でも早い発送通知を出すことを心がけるもよし。人間相手のコミュニケーションとは、根源的に、どんなゲームよりも刺激的で面白いものなのである。

実際に、相手とコメントでやりとりをしながら滞りなく商品を発送して相手の手元に届け、受け取り通知と具体的なコメント付きの評価をもらう瞬間ほど嬉しいものはない。

この娯楽的な刺激がある限り、まだ出品をやめられそうもない。
 

posted by ぎゅんた at 21:34| Comment(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

わたモテ感想[喪133]モテないしつながっていく

mo133_00.Jpg

わたモテの登場人物の中で、誰が一番いい女か?」という問いがあった時、私は「小宮山さん」と即答します。ゆりちゃんが大好きですけれども、「いい女」で言えば小宮山さんには敵わないからです。

しかし、今回の話でその確信に揺らぎが生じ始めました。もこっちは以前、ゆうちゃんに向かって小宮山さんを「汚れ芸人だから」と例えていた場面がありました。さすがは黒木さん、本質を突く例えを…と私は膝を打ち関心したものであります。もこっちに語らせていることからも、作者が小宮山さんの方向性を確信した瞬間でもあったのでしょう。

従って、小宮山さんがクラスアップしたギャグキャラ担当になってしまうであろうこともまた宜なるかな、と思っていたものであります。しかしそれが今回とは。小宮山さんは『わたモテ』にとっては、地味に節目を抑えてくる重要キャラクターなのです。色々と話をぶっ壊して、コメディパラメーターを振り切らせてくれます。濃すぎ。



mo133_01.Jpg

タイトルにある「つながっていく」は意味深というか、往時から育て上げてきた人間関係の萌芽が、いよいよ一斉に開花して、あたかも化学反応を起こしまくっていく展開を確信させるものであります。いまの人間関係っぷりもチャンプルってますが、そこに小宮山さんと伊藤さん、智貴くんが加わることは手堅いですね。どうなってしまうのか。

傑作FPSゲーム『S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL』で体験できるように、丸裸で広大な世界にほっぽり出されて、手探りでその世界のルールを理解し始め、少しづつ立ち回れるようになっていくと知的好奇心と昂奮がカクテルされて面白くてたまらなくなる瞬間に出会うものです。

思えば『わたモテ』も作風が少しずつライトな方向に変わってきました。初期の頃に読んでいて、脱落した人がいたとして、その人が最近の『わたモテ』を読んだら、驚愕することでしょう。やや意図的に不自然に百合ハーレム要素が含まれている最近の『わたモテ』の作風に対して、私は思わないところがないわけではないけれども、それでも、漫画作品としての面白さは過去の時代のそれに比べて段違いのレベルに昇華している。短いページの中に、世界観が精緻に練りこまれたシナリオと嫌味のない清潔な絵柄からなる『わたモテ』は、もはや比肩する作品のない熟練のコメディ漫画になった。月に一度や二度の更新日を、心の底から本当に待ち遠しく思っているファンの数を、私は伺い知ることができない。





Here comes a new challenger!(デデン♪

mo133_02.Jpg

もこっち・ネモ・岡田さんたちは食券購入時に鉢合わせた小宮山さん・伊藤さんと一緒のテーブルで食事を共にします。もこっちと小宮山さんの掛け合いのような仲をタネに話は膨らみ、やがてもこっちが口にした「弟」のキーワードにネモが反応します。ネモは智貴くんのことに限らず、中学時代のもこっちのことも含めて知らないことが結構あるのですね。

「あんまお姉ちゃんて感じしないねー」

私はクロのこと全然、知らないんだなぁ……とネモが少なからず小宮山さんに嫉妬したからでしょう。
いつもの煽り調なこのセリフにその一端が伺い知れます。もこっちと小宮山さんが表面上はさておき、根っこの部分でとても相性が良いことを見抜いたのです。

この発言をしたネモは、もこっちに「うるせえよ」と言われたい心理があったに違いありません。

ネモは、もこっちの地の部分が常に発露した上での気の置けない間柄になりたいと思っているからです。小難しいことはない。もこっちと小宮山さんのように、第三者から見るととても仲が良い2人というのは羨ましいのです。

そんなネモの心理など露知らず、

「根元さん しらなかったんだ 私は会ったことあるけど」

mo133_03.Jpg

煽り発言ごと乱入してくる突然のゆりちゃんにネモ狼狽。「あ、あんたは〜っ!」ってなところ。

「ゆり、自分で誘わせておいて…」とでも言いたげな真子さんも狼狽。吉田さんは「今日のオススメ 幕カレー」を食べながら、やりとりを眺めています。もこっちは視線が左上ですから、「いつ会ってたっけ?」と記憶を辿っているのでしょう(でも、思い当たるところがない。だから「初耳だが…」なのですね。[喪123]で、もこっちは現場にいませんでしたし「あの時」のことは結局、誰からも伝えられなかったのでしょう)。

なんでしょう、ネモとゆりちゃんのこの様相は。ネット用語でいう「マウントを取る」というやつでしょうか。

非物理で攻撃的ゆりちゃんというのは新鮮なような気がします。ただ、攻撃対象であるネモに対して、意図的に嫉妬させたり優位に立ちたいと考えての行動とは、少々、考えにくい。

ゆりちゃんはネズミーのナイトパレードの最中、ネモと会話をしました。

あのときネモは「でも今は違う。これからは田村さんが嫌でも絡んでいくよ」と宣言しました。今回のゆりちゃんのネモへの姿勢の謎はここに端を発しております。

「根元さんは、私が嫌がっても絡んでくるっていうし、私も根元さんが嫌がるように絡めばいいのかな」とゆりちゃん回路で合点している気がします。興味がなければ話しかけもしないゆりちゃんが、形はどうであれ、ネモとこうして格闘的コミュニケーションをとる姿は新鮮でもあり、心強くもあり、不安でもあります。



mo133_04.Jpg

追撃のゆりちゃん。

もこっちとネモの会話に丸太特攻をブチかますがごとくの割り込み。
根元さんが知らない、黒木さんの中学時代の友達についても、私は知っている……。

ゆりちゃんの目線がアッチいってます(真子さんの向こうぐらいに視線をやってます)。ゆりスイッチが入ってしまったのでしょう。そして、智貴くんのことについて矢継ぎ早に口にしていきます。ネモのあずかり知らぬことを滔々とのべる様は[喪124]のゆりちゃんを彷彿とさせます。



mo133_05.Jpg
真子さんのこの表情はなにを思ってのことか……?

ナニをだよ!という意味ではないと信じたいですが、小宮山さんが突如にして乱入してきます。「変なキーホルダー好き」というあらぬ、およそ小宮山さんも知らない情報、もとい大いなる誤報(犯人:黒木智子)を周囲の人間に流布するだけでなく、「(智貴くんに)触ったこともある」のだから当然です。

小宮山さんが知りえているのは、私の部屋(3-5教室)に智貴くんがやってきた折に、ゆりちゃんが智貴くんの制服の袖を摘んでいた場面だけです。小宮山さんの脳内では「まさかそれ以降に、智貴くんに接触したのかこのメス豚!」と、思考の速やかな発展が行われたの違いありません。

これはキルスイッチ入りますわ……。

なんというか、「さわったこともあるよ」ってセリフ、ゆりちゃんらしさが爆発してて面白いですね。黒木さんの弟をオブジェみたいに扱ってるというか、異性として全く興味ないのが丸わかりです。

小宮山さんが冷静なら、すぐにそれと気づきそうなものですが、

おい!どこさわったんだおい‼︎

え、そこ?ってな感じて場の空気を凍りつかせる小宮山さんは怒髪天をつき、ゆりちゃんにメンチを切ります。ネモさんは場外に追い出されてしまいました。



mo133_06.Jpg
どこなんでしょう……

ゆりちゃんも深慮ある発言ではなく、ノリ発言だった様子。あのとき、黒木さんが教室に帰ってくるまでの引き止めのために袖を握ったことは覚えていても、それ以外のことはなんら記憶にないのではないでしょうか。この場面も「おい!って、まるで吉田さんみたい……」とか考えてそう。

もこっちは汗をかいているので、小宮山さんに対して引き気味であることが分かります。まずい、このままではアイツ(ゆりちゃん)に手を出すかもしれん……

次の場面。もこっちは素晴らしい対応をします。
コップの水を指にとって、小宮山さんの顔にピッと飛ばして冷静にさせる。

「私の友達に 気持ちの悪い からみかたすんなよ」

それにより小宮山さんは瞬間的に我に返り、また客観的な自分の姿について説明を受けます。

小宮山さんは、本来は友愛の情に厚く、相手を思いやることのできる優しい子ですから、もこっちに自分が暴走していたことを告げられれば、即座にそのことと自分の否を認め、謝罪の言葉を口にすることができる。もこっちも、そんな小宮山さんを理解している。

伊藤さんは関心し、岡田さんは小宮山さんをやべー奴と認識し、ネモはちょっぴり不機嫌に。




mo133_07.Jpg

もこっちの口から「『田村⇄黒木』は友達である」と言葉がでるのは初めてのことです。ゆりちゃんはその言葉を聞いて反芻しています。ゆりスマイルです(真子さんは大好きな吉田さんを見ているので、そんなゆりちゃんに気づいていません)。

客観的にどう見てもゆりちゃんともこっちは友達関係なのですが、ゆりちゃんは言質が欲しかったのですね。

あんな場面で、もこっちの口から、なんの淀みもなく「私の友達」なんて言葉が出るとは……ゆりちゃんだけでなく、多くのファンは目頭が熱くなったのではないでしょうか。

ゆりちゃんは、今日はもう、ずっと胸の中が温かいのでしょうね。午後の授業も上の空かもしれません。ネモへの絡みが客観的に見てアレだったにせよ、自ら行動して、ぶつかって、大いなる結果を引き出したのですから。代償として小宮山さんからメス豚扱いされても、そんなこと気にするゆりちゃんでもありません。


水取ってくるわと立ち上がった吉田さんは、その視線の先にもこっちと小宮山さんがいるはずなので、指を入れてダメにしたもこっちの水の替えを取りにいったのでしょう。「あいつ(黒木)もなかなかやるじゃねーか」なんて思ってそうで、たいへんよろしい具合です。

もっとも、水の替えをと考えたのは小宮山さんも同じだったようで、だからこそウォーターサーバー前で智貴くんの首の後ろに腕を回している吉田さんと鉢合わせるわけでして……

オチのギャグも含めて、極めてレベルの高い回でした。

加藤さんが居ないのは、もこっちと岡田さんがきつねうどんを食べてるからですかね(錯乱)






まとめ
塩見先生(図工担当).Jpg
ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ……
 
ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 22:38| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

(映画感想)『パシフィック・リム:アップライジング』 ずいぶん「ドリフト」も安くなったものだ


pacificrim uprising_film.jpg


日本語吹き替え版で鑑賞。

正直、期待しすぎていたこともあるし、自分の頭が固いこともあるのだが、駄作と唾棄したくなるほど楽しめない続編であった。明るい場面で巨大なイェーガー同士のスピーディな戦闘は小気味好いのだが、心が熱く沸き立って鑑賞できたわけではない。映画に集中できず、没頭できず、大スクリーンで流れる派手なCG動画を延々と見せられているだけのような虚しさがあった。『トランスフォーマー・ロストエイジ』のときも同じような心境だったのを思い出す。駄作具合で言えばアッチが上だが。


「正しく売れる娯楽作品」としての方向性は、本作が正しいのだと思う。明るいシーンが多く、ポップで、スピーディだからだ。しかし楽しめない。いちいち、引っかかるところが多すぎる。私には、合わない映画だった。

映画のストーリーにツッコミを入れるのは、怪獣KAIJYUが敵キャラクターとして登場し、人類がそれに対処すべく巨大二足ロボットを作っちゃう世界のお話である『パシフィック・リム』においては野暮な話。そしてまた、ツッコミを入れる行為自体を楽しんだりするものなのだが、本作では、ツッコミが全てスカスカに貫通するほど器が穴だらけというか、不満の指摘の応酬に過ぎないものであった。前作のノリを踏襲している部分もあるが、全くそうでない部分がはるかに多く感じた。

各所でも散々に指摘されているのだろうが、

1.登場人物らのキャラクターが立っていない
2.アナログな重厚感がない(動きが素早いのは、技術の進歩だとしても、質量感がない。ミニチュアの中で人型ロボットが派手に動き回っているだけに見える)
3.勿体無いキャラクターの使い捨て(マックス・チャンを出すならカンフーロボに乗せろや!マコは満身創痍でスクラッパーに乗るべきだったんちゃうの?)
4.とにかくスケールの小さい世界の話
5.ラスボスをあんなんでトドメ刺すの?

というあたりが気に入らない。

「中国押しがひど過ぎ」「東京の謎のアジア感」「富士山の裾野まで大都会」は、気にしなくて良い。制作会社であるレジェンダリ・ピクチャーズが中華資本になったし、前作が制作費を回収でき、続編の製作が決定したのは中国本土でヒットしたおかげでもある。そしてハリウッドはスポンサーありきの作品しか作らない。ただし、本作が今回も中国でヒットすると思っていたら、頭が少々おめでたいと思う。酷評まではされなくとも、前作ほどの評価は得られないのではないか。


個人的に気に入らなかったのは、主人公他の多数の登場人物らに魅力を感じなかったことである。何をそんな自信ありげに偉そうなのかと不快感すら湧く。英雄の息子だとか実は「やればできる子」設定とかアホらしくて共感する気持ちが1ミリもわかないので応援する気にならない。

ヒロイン面した前作のマコの二番煎じみたいな女も同様。あの時向こうに飛んでたら家族仲良くペシャンコに踏まれて死んでただけやぞ。メカニックさんとスクラッパーを魔改造するとか1人乗りイェーガーの開発に貢献するとかが本来の役割ではないのか。

サブキャラである若い訓練兵たちにしても、なんとも緊張感のカケラもないタルい連中で、どのイェーガーに乗って、どのように立ち回るかなど全く見えてこない。キャラクターが立っていないので、共感する気持ちがわからないし、誰が何をしているか分かりにくい。訓練施設だというが、とても厳しい鍛錬がなされているようにも見えない。危機感を持った識者が平和ボケの集団をみると腹が立って仕方がないというが、その気持ちがわかる気がする。

しかし、こうした点は個人の好みに合致しない瑣末なところだ。
最大の不満は、イェーガーの発進シークエンスが皆無だったところだ。
パイロットが乗り込む巨大ロボットもので発進シークエンスがないなんて、正気なのだろうか?

前作『パシフィック・リム』冒頭部のジプシー・デンジャー出撃シーンが、どれほどのロボット好きのオトコのコの心を鷲掴みにしたか、なぜそのシーンが重要なのかについてを、本作は全く失念している。

ドリフト接続できる信頼しあったパイロット2人が、油臭そうな通路を歩き、コックピットに移動し、傷や汚れのあるパイロットスーツを整備員に着用してもらう。巨大ロボットを動かすのは1人では決してできない。誰もが手慣れた手順で淡々とスムーズに作業が進行するのは、歴戦の経験がため。コントロール・ルームからは馴染みの管制官の声が入り、場の緊張がちょっと和らいだりする。いよいよ発進していくのかと思いきや、なんとパイロットルームはイェーガーの頭部であり、そこから垂直落下して、胴体と合体するのである。胴体にジョイントされた頭部は、そのまま一回転して胴体と強固に接続合体し、ジプシー・デンジャーの上半身がようやく現れる。と同時に、胸の原子炉に火が入る。人類が対怪獣用に建造したイェーガーの途方も無い質量感と、怪獣がどれほどの脅威であるかが、この発進シークエンスで理解できるようになっている。そして嵐の海に出ていき、更に水を利用したイェーガーの重量感を表現するのである。これらは古典的手法と言えばそうなのだろうが、この一連の映像表現で、この監督は「分かっている」「本物」「オタクだ」と確信できてしまう。ロボットものにおいてギミックやディテールは極めて重要なのである。


以上のことから、本作は私には合わない、というか燃えない作品であり、凡庸で残念な続編に過ぎなかった。
期待し過ぎていたのが空回りすることで失望に変わったとか、そんな小難しいことはない。求めていた内容が違った、ただそれだけである。

過去作と同じ路線でいっても、ニッチな人種の喝采を浴びることはできても、大きな収入には繋がらないから、本作への舵きりは間違いではないことは分かるのだが。続編を作る気マンマンで終わったが、果たしてどうなることやら。怪獣に『キング・オブ・ザ・モンスターズ』要素を入れて馬鹿っぽくそたり、怪獣を操って同士討ちさせたりするのだろうか。
 
posted by ぎゅんた at 15:45| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月16日

【試乗】マツダ フレア XS(FF/CVT)

マツダ・フレアXS_01.jpg

2012年から発売されている初代マツダ・フレアを代車で乗ることができた。
このフレアは、ご存知の通りスズキの『ワゴンR』のOEM。代車だがベースグレードのXGではなくXSであった。NA660ccのFF。簡単なスペックは「52PS・6.4kg・m」である。

スズキのワゴンRといえば、軽トールワゴンの代名詞であり、大ヒットモデルでもある。現行のワゴンRは6代目になるが、この初代マツダ・フレアは、5代目のワゴンRを出自としている。5代目ワゴンRは、行き過ぎたコストダウンを敢行して不興を買った4代目の反省を活かしたモデルのようである。

『ワゴンR』は現在では昔ほどの勢いはないが(軽自動車界は『N-BOX』に席巻されてしまったようだ)、それでも日常生活の相棒としての魅力を失したわけではない。小さい軽自動車であれども中は広くて、快適に走らせることができて、奥行きはなくとも高さがあるから荷物も載る。生活における「便利な足」として、自転車の延長線上になんの嫌味もなく自然に寄り添うように存在するモデルであり続けているように思う。パーソナルカーにしても良いし、所帯・家庭持ちの人のセカンドカーであっても良い。スピードやスポーティを求めて遮二無二なって駆け抜けるスパルタンさが求められるクルマではなく、「緩い相棒感」があればよく、より重要なのは、便利で、維持費を小さく抑えられることである。

今回、試乗できたマツダ・フレアは、5代目「ワゴンR」の前期型モデルである。中身は全く一緒で、名前とエンブレムだけが異なる。



【乗り込む前にエクステリアをチェック】
生活臭が出るトール系ワゴンであるが、このフレアは不恰好さがなく人当たりの良さそうな「角のない」感じである。目を惹く特別さはない。シンプルなデザインといって良い。ボディカラーがシルバーであれば、もう完全に無味無臭な軽自動車として空気に溶け込んでしまえそうだ。

もう少し押し出し感を求める人には「カスタムスタイル」が用意されている。見た目的にちょっと存在感が出る。



マツダ・フレアXS_02.jpg

【乗り込んで運転席に座る】
丸みさがあってシンプル一徹なデザイン。相対的に広い面積を占めるインパネ上部は銀色っぽい白さのプラスチック・パネルであり、その下はダークグレーのプラスチック部に切り替わる。明るく開放的な空間の演出を考えているようだ。男が乗るには、少々、可愛すぎる空間におもえる。

助手席駅のグローブボックスのパネル蓋の質感が安っぽいが、スズキですしね。安っぽいんじゃなくて安いのです。俯瞰的にみて「まとまり感」がある方が大切だし、スズキはこの辺のデザインがうまいと思う。

この代車は、ベースグレードで間違い無いと思うのだが、運転席にはシートヒーター、空調にオートエアコンが備わっている。シートヒーターは、スイッチを押すと直ぐに温かくなってくれる。エアコンで車内を温かくするのを待たなくてよい(これもエコである)。助手席の人は寒い。だってお尻の下にリチウムイオンバッテリーのボックスがあるし。

ナビ画面は大き過ぎず小さ過ぎずの標準サイズ。純正かどうか不明。操作の反応は良いが、直感的に扱いにくくて閉口する。




マツダ・フレアXS_03.jpg
運転席シートヒーターと可変収納式ドリンクホルダー付。やったぜ。

【走らせる】
シリンダーに差し込んだキーを奥に回せばキュキュキュ…グゥ〜ンとエンジンが目を覚ます。音は静か。エンジン始動にあわせて、速度計とタコメーターの針のスイープが見られる。

速度計の目盛りには発色鮮やかなLEDが備わっていて、エンジン起動時や加速時などは青色、燃費効率の良い運転時には緑色に発光するエコアシスト(?)機能を兼ねる。「イマドキ風軽自動車のソレ」といえばそうだが、見た目的に安っぽさを感じさせず、良いものだと思う。

エネチャージ搭載とはいえ、現行のS-エネチャージとは異なりモーターアシストはない。
小排気量のCVTで、どこまで走ってくれるだろうか。

クリープからアクセルそ少し踏み込んだだけで、ピョンと前に出る無作法さはない。ソロソロと前に出て行く。スピードを欲して踏み込めば直3エンジンがガーッと唸って速度が出る。車体が軽めなのか、平地〜多少の勾配のある坂道では、加速しはじめると直ぐに60km/hに達する。パワーバンドを外さずうまく加速していくようになっている。軽自動車でもあるし、日常用途的にこの辺りが実用速度域に設定してあるような感じを受ける。無論、この状態からアクセルを踏みませばもっと加速していく。

試せてはいないが、100km前後での高速巡航は苦手であろう。常に揺れるし、騒音がキャビンに入り込んでくることになろうからである。複数人で遠出するときクルマに選ぶと全員の疲労感が大きそうだ。やはり普通車とは異なる。

ステアリングは、軽く切るぶんにはDULL(鈍い)というか遊びがあるというか、漫然としている。切りましていけば、もちろん曲がるわけだが、FFらしいアンダーに徹している。誰でも無理せず楽に走らせられるようなステアリングに躾けられているようだ。

これは、このクルマのキャラクタからして当然である。常に路面情報がステアリング越しに伝わってきても疲れるし、キレッキレに曲がったも怖いし危ないし、だれもそこまで求めていないからである。もしカスタムスタイルのターボモデルで、このステアリング特性であるなら(同じなら)明らかに物足りないが、きっと微妙に味付けが異なるはずである。

ブレーキは踏み始めからしばらくは軽く「遊び」部分になっているが、踏み増すとキュッと急に制動がかかり始める。不用意に踏むとカックンブレーキとなり、同乗者を前後に揺らすことになる。

多少はカックン気味になる傾向があっても、確実に速度を落として止めるという目的を果たすための味付けであると言えそうだ。おしなべてブレーキ調整は容易なので直ぐに慣れる。



マツダ・フレアXS_04.jpg
前席のヘッドレストを座面に、後席のヘッドレストは、後席足元の空間に置いてある。

【シートアレンジや車内空間などについて】
震災大国であることを常に意識させられている我々にとって、被災生活や避難所生活のストレス、自宅の家屋倒壊の恐れから、少なからず自家用車に「車中泊要素」を求める機運があるように思える。また、被災生活への備え抜きに、車中泊を趣味にされる人も増えている。いざという時、愛車の中で寝られるかどうかは、地味に重要な案件になりつつある。

快適な車中泊のための要件は、それこそ一冊の本にできそうなぐらいに奥深い趣ある世界の話であろうが、素人考えで思いつくのは以下のようである。

1.フルフラットにできること
2.プライバシーが保たれること
3.電源ソケットがあり、家電が使用できること
4.換気が行いやすいこと

その上で「なるべく広いこと」が望まれるものと思われる。
いざという時に、快適な空間で横になって休めるかどうかは、想像以上に大きな恩恵である。

最近の車はよく考えられていて、フルフラットにはならないまでも、シートアレンジで割合に平坦な空間を設けることができるようになっている(フルフラットができるクルマは、それが商品力になるほどだ)。

実際にシートアレンジをした状態を写真に撮ってみた。
まず後部座席のヘッドレストを外し、前にたたむ。シートが沈みながら平坦になってくれる。次に前席のヘッドレストを外し、シートを最前まで移動させた状態で後ろに倒しきる。隙間を埋めるようにに、シートが横になってくれる。ただし腰部のところでの段差は残ってしまう。

この段差のところと前席足元のスペース、インパネ部などに荷物を配置して、頭をリアハッチ側に向けて横になるなら、車中泊はできそうな感じだ。できるとは言っても、快適に横になるための平坦化マットやプライバシー保護のためのカーテンは必須であろうし、せいぜいが小柄な大人2人分のスペースしかない。

1人で車中泊を楽しむ向きには、応えてくれそうであるが所帯では厳しいと言わざるを得ないだろう。もっとも、被災時の車中泊生活を想定している人がこのクルマを買うとも思えないが。

なお、リアハッチは他のドアが開いた状態で乱暴に閉めようとすると「バァガン!」と耳を打つデカイ音が鳴る。リアハッチだけの開閉なら、そんな音はならない。車体剛性、という文字が頭に浮かぶ瞬間でもある。



マツダ・フレアXS_05.jpg

軽自動車の後部座席は狭苦しい印象があるが、例えば助手席を最後方まで下げきった状態でも写真のようなレッグスペースが用意されている。後部座席も一段階だけだがリクライニングできるのも立派。「アルトバンVP」の後部座席に比べれば天国である。



まとめ
マルチパーパスな自家用シティコミューターとしての軽自動車であり、維持費が安く済む。そうした特性上、クルマとしての際立った魅力はないのであるが、多くの人の生活に役立つという意味においてバランスよく仕上げられている。

「とりあえず便利そうな軽自動車を」といった需要に手堅く応えてくれるありがたいクルマである。その分、官能性や所有欲を満たす点は犠牲になる。

MTを求める方には、ベースグレードのXGに5MTの設定があり、FFと4WDから選ぶことができる。しかしタコメーターはなくなる(え!?なんで!?)

posted by ぎゅんた at 12:57| Comment(0) | 試乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする