2018年01月26日

『DEAD SPACE』(Xbox 360)




専用のケーブルを用いればパソコンのモニターを用いてXbox360を遊ぶことができる。テレビを持たない私は、この手法でXbox360を遊んできた。『DEAD SPACE』は、その中のひとつのタイトルだ。日本語版は発売されなかったので、海外版を購入して遊ぶことになる(私が所有するのはアジア版)。

『DEAD SPACE』シリーズは全て遊んできたのであるが、いま改めて(久しぶりに)初代デッドスペースをプレイしてみると、贅沢で野心的な要素が荒々しくパッケージングされた内容に舌を巻かされる。

『DOOM3』のゲームデザインとして秀でたところを抽出して、画面からHUDを排除し、近未来SF的インターフェイスに整えた感じだ。操作や立ち回りに小回りが利かなかいところがあったり、スクリプト一点張りで自由度の全くない「お使いに奔走」展開が気になるが、TPSゲーム史に燦然と輝く名作であることは間違いない。



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どんなゲーム?
異形の化け物が蠢く閉鎖的な宇宙船の中放り込まれたTPSのサバイバル・ホラー・アクションである。到着する前に宇宙船で一体何があったのか?を断片的に得られる情報から読み取っていくあたりは『DOOM3』彷彿とさせる。

しかし『DOOM3』は肝心のホラー要素がイマイチであった。それを反面教師に、本作はグロテスクさとゴア描写をより全面に打ち出したデザインにすることでサバイバル・ホラー要素を増強させている。

ホラー、と一言でいっても、『クライブバーカーズ・アンダイイング』のような、オカルト的な要素はさしてない。

化け物に襲われる点では共通しているが、あくまでもSF路線を踏襲した内容に徹している。魔法や不思議なアイテムは存在せず、主人公は科学技術が具現化されたアイテムを用いて対抗する。

これは本作の大きな特徴だが、主人公アイザックはCECという大企業に属するしがないエンジニアに過ぎず、宇宙船内の機械の取り扱いや修理に長けたスペシャリストであって兵士ではない。アイザックは優秀なエンジニアであり、機械の操作や修理はお手の物であり、その能力をして活路を切り開いていく。兵士ではないから、化け物に対抗する「武器」は工具や船内に存在するギミックを用いる。パルスライフルという生粋の火器も存在するのだが、意外にも工具の方が扱いやすいバランスに収まっているのが面白い。

コテコテのホラー演出に加えて人体破損に及ぶゴア描写が凄惨なのも特徴だ。

敵であるネクロモーフは、元は人間である。理由があって、死んだ後に異形の化け物となりアイザックに襲いかかってくる。ネクロモーフの種類はやや乏しく、登場パターンや襲いかかってくる組み合わせもワンパターンであるが、問答無用にこちらを果敢に殺しにくる姿は率直に怖い。特にスラッシャーと呼ばれるネクロモーフが叫びながら走ってくる異様な姿は印象深く、本作をプレイした人は忘れることができなくなるだろう。

ネクロモーフの死体を角度を変えて観察すると、「元・人間です」要素が強調されることがあり、ドッキリさせられる。ことにスラッシャーは非常によくできたデザインなので、それだけに、もう少し個体差やバリエーションが豊かであったならばと惜しい気持ちになる。



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Play for Xbox360
日本語版が存在しないため、海外版を入手して英語音声/英語字幕で遊ぶことになる。

英語のヒアリングとリーディングがダメでも自由度のない一本道シナリオであることに加えて強力なロケーター機能があるので問題なく遊ぶことができるし、クリアを目指すことができる。

とはいえ、折角ゲームで遊ぶのだから、作中でなにが語られているのか?は理解できた方が望ましいことに違いない。だから、少なからず英語が理解できた方が望ましい。

本作中に用いられる英語は、とりたてて難しい印象は受けない。英語を母国語にしないプレイヤーも楽しめるような配慮がなされている感じがする。従って、多少、英語に慣れていれば大意を掴むことは容易い。ヒアリングはちょいと難しいが、字幕表示がなされるから、たとえ聞き取れなくても読み取ればなんとかなる。

オーディオログは主人公の着るRIGに記録されるので、いつでも任意のタイミングで再生することができる。また、進行中のミッション内容やタスクもいつでも参照できる。英語のヒヤリングに加えてテキストリーディングの勉強が可能である。好きなだけ聞き、読むことができる。『DEAD SPACE』をプレイし、その世界観に耽溺することは、ちょっとした英語の勉強をすることでもある

ゲームをプレイしなくても、wiki(最近のビッグ・タイトルはもれなくファンが作るものなので)にアクセスして読んで楽しむのも良い。プレイ動画の視聴は、このゲームの面白さがサッパリ伝わらないのでオススメしない。

興味が湧いたら、是非とも遊んでみて欲しいタイトルだ。
 
posted by ぎゅんた at 18:14| Comment(1) | 洋ゲー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

わたモテ感想[喪128]モテないし回る


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今回はオムニバス形式。
「一方その頃」な人物たちも登場し、とても賑やかしい回です。

一方その頃な人たちとは、
・雌猫の間グループ(うっちーの属する女子グループ)
・こみさんいとさん(小宮山さんと伊藤さん)
・ダンボーさん
・岡田さん&加藤さん+南さん

です。清田くんら他の男子メンツは残念ながら蚊帳の外です。
ストーリー展開の整理を兼ねた次回以降の仕込みがなされた回であります。


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今回は前回のラストから間を空けずのスタートで、昼食を取りに行くことになった場面からです。

うっちーがコソッとスマホで雌猫の間グループにメッセージを送信している姿を吉田さんが目撃しています。吉田さんはうっちーの「スマホを忘れた(嘘)」事情を知らないので「しゃがんで何やってんだ?」のはてなマーク状態。

うっちーが宮崎さんに送信したメッセージの本文は分かりませんが、内容は宮崎さんが言うには「例のあの人が一人でいる所見かけてかわいそうだから少しの間一緒に回ってあげる」とのことなので、おそらく「一人でいる黒木が気の毒だから、しばらく一緒に(園内を)回ってる」みたいな簡素で事務的なものと推察されます。思いっきりパーティ組んでますし、しばらくっていつまでだよ!とツッコミを入れられるのは読者だけです。いずれにせよ、雌猫の間グループは、うっちーが不在であることに大きな心配や困惑をもっていなさそうな雰囲気で、メッセージ内容にさしたる不信感も抱いていない様子。

雌猫の間グループは、頭飾りが全員お揃いであるところから、ネモの言うところの「普通 女の子のグループって 空気読んでみんなに合わせるもの」に合致することは間違いありません。

一方、我らが黒木組は頭飾りはバラエティが見られる。単純に捉えれば個性的な集団であり、空気読まない女の子の集まりであり、みんなに無理に合わせなくても許されるグループ、といえそうです。要するに濃いメンツ

うっちーはこの遠足イベントを経て黒木組に収まるのか、雌猫の間グループに戻るのか、派閥など気にせずどちらにも関わる存在になるのか展開が読めません。いつまでも隠し続けてはいられませんから、今後、なんらかの形で決着がつくのでしょうが、うっちーはギャグキャラ扱いなので不幸な展開にはならないと思います。


She has no presence.
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昼食。
机の端っこに陣取り、前に真子さん、隣にもこっち、斜向かいに吉田さんを置く穴熊的布陣を敷くのがゆりちゃん。ここは昼食を摂りながらパレードが見られる吉田さんご推薦プレイス。そんな吉田さんの隣にはネモが座ります。もこっちの右隣にはうっちーが。

端に座るゆりちゃんからすると、いつもの4人が側に揃った布陣であるので吉田さんと自然に会話もできるというもの。

「メインは夜のパレードだからな その時は間近で見ようぜ」
え!?
遠足4時で終わりでしょ? 4時に点呼するって…
「ばかやろう そんなの再入場に決まってんだろ‼︎
「え!?」
え!?
「え!?」
「入らないのか?」
「あ……いや入るよ ね…ねえ!」
あ…う うん

困惑の汗をかくゆりちゃんの姿は久しぶりです。吉田さんの素っ頓狂な落胆ぷりの豪速球と、自分たちが当たり前のようにナイトパレードに参加するとみなされていたことへの狼狽があるからです。このとき、ゆりちゃんがどんな表情をしていたかは後ろ姿なので分かりません。分かることが他にあるとすれば、心を許せる自然な状態にあるゆりちゃんはリアクション豊かであることです。

もこっちは最後まで一言も口を開いていませんが、顔に汗をかいているあたり、内心はゆりちゃんと真子さんと同じであることが窺えます。

この場面でさりげなく重要そうなのは「黒木さんはどうする?」的な確認が全くなされないで終了したであろうことです。この4人に限っては、個々人の心情のすり合わせを経ての集団行動が成立しておらず、素のままでスムーズに統率が取れるバランスにあることが分かるからです。

集団行動というものは、普通は反対意見がでたり、合わせてくれないので妥協したり、我儘を貫くことを容認してもらったりと、案外に折衝が付きまとうものなのです。もし、自分の思うように行動しようとしたとしても、集団の意思と合致して包容されるのであれば、不思議な心地よさが約束される格別なグループであると言えましょう。

吉田「おいお前ら参加したらんかい!」
他3人「は…はい(即座に納得と了承が完了)」
みたいな。

修学旅行から始まったこの4人は、まだそのことに気づいていないでしょう。いや、ゆりちゃんは気づいているのかも。気づいているからこそなのかもしれません。


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場面は変わってマスコットキャラクターたちを交えた写真撮影に。

吉田さんは真子さんと一緒にクマさんと写真撮影に興じています。ピュアヤンキーの可愛らしい姿を写真に収めたのは撮影を頼まれたネモです。すっかり仲良し。真子さんが妙に照れた表情ですが、パパママコンビだからですかね……。

うっちーは勇を鼓してもこっちを誘います。もこっちもは少しビクっとしてますが誘いに乗ります。

ゆりちゃんは写真撮影の雰囲気から外れてひとり立っていたのでしょう。真子さんに「ゆりも撮ろう」と誘われます。「うん……」と弱々しいのは、本心ではもこっちと写真を撮りたいがため。でも、一緒に撮ろうと誘えないのが、やっぱりゆりちゃん。

いえ、誘えないというより、もこっちから「一緒に撮ろう」と誘ってくるのを待っている感じがします。私は誘わないから、察して欲しい。察してくれる相手であって欲しいという甘えた気持ち。

吉田さんが膝を曲げることで高さを合わせて撮影しようとしている気遣いの温かさ。一方その頃、根元さんにリア充カップル御用達ライクなポーズを強いられながらも赤面しつつも撮影に臨む黒木さんの姿が視界にイン。うっちーに続き根本さんまで黒木さんと写真を。涌き出でる冷たい衝動を左手で押さえ込む。黒木さん、そんな風に写真を撮られるのも撮影を楽しんだりするの嫌でしょ?私となら、普通に写真撮影できるよ?

…ところでネモともこっちを撮影してるのはうっちーのはずですが、こいつら女同士で腕でハートマーク作って写真撮るなんてキモイキモイと歯ぎしりしちゃってピンボケにならなかったか心配です。もっとも、ピンボケになったらなったでネモが再撮影を命じて延々とキモイキモイことになり、クマさんの左腕はゆりちゃんクローで捥げることになりそうですが。


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愛の反対語は
ひとりうな垂れ足元が覚束ない南さんの姿を発見したゆりちゃんと真子さん。

ゆりちゃんは真子さんよりも前に南さんに気づいており、声にも態度にも出さず色々と思案していたような感じです。嫌いな相手なので、思うところはあれど関わらない無関心の姿勢を崩しません。愛がないことが無関心だというなら、そう、その通りね。ってなもんです。

ゆりちゃんと南さんの間に過去、何があったかについては、作中でまだ具体的なところが語られていません。南さんがゆりちゃんの悪口を言いまくっていて喧嘩になったのか、ゆりちゃんがやらかして南さんに嫌われたのか。お互いに非があるのか。

真子さんは南さんと縁が切れていない程度の仲ではありますから、ゆりちゃんがどう思うかは別として、アプローチをかける展開は来るでしょう。拗れた人間関係を生活圏内に持ち続けることは大きなストレス。この遠足会に込められたテーマに「友だちと仲直り」は含まれているでしょうから、南さんに救いのある展開になると思います。

そうして終わりを迎える遠足会の締めがナイトパレードになるのは間違いないでしょうし、ゆりちゃん大勝利で終わるイベントが用意されているのではないかと思います。とは言っても、派手なものではなく、ゆりちゃんが黙ってもこっちの手を握るとぎゅっと握り返されるとか、そういう甘酢っぱいもの。同族なので、言葉にせずとも分かり合える間柄みたいな。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ…







against bull's eye
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こみさんいとさんは射撃場でライフルゲーム興じていました。小宮山さんのファッションセンスでは、ネズミーのファンシーな耳はお気に召さなかったようで格好いい帽子を装備しています。伊藤さんの頭に寝そべるクマさんが可愛い。ライフルを肩に掛けている姿がヤケに様になっています。

狙って的に当てられなかったのなら、それを素直に認めて笑い飛ばせばいいだけの話であるのに、ゼロインがどうとか専門的な解説(言い訳)をしてしまう「あるある」ネタが登場します。得意分野で活躍できなかったら、自分の地位を失ったり、相手の失望を買うことを恐れている心理でありましょうか。世の中にはチャレンジして良い結果がえられないことなんてザラです。失敗を恐れず恥じず、挑戦を諦めない心を持つことが大切なのです。うまくいかないのは、現状の方法に誤りがあることを教えてくれているだけなのです。

一方、ダンボーさんが野比のび太さんよろしく超絶なる射撃の腕前をサラッと披露し、男の子たちのアイドルになっています。男の子たちの服装は私服なので、他校の生徒のようです。きっと入園後にあちこちでポテンシャルを見せつけて舎弟にしてしまったのでしょう。

この大物感、狭い教室の人間関係など超越しているわけ、たとえ教室ではぼっちキャラでも学外に多数の知り合いを抱える超人タイプのようです。でも、隣の席の伊藤さんのことはちゃんと知っています。これを機にいとさんこみさんと親しくなっていく姿が見られるようになるかもしれません。



駟も舌に及ばず
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これからラストにかけてが今回のハイライトです。ちょっと辛い

昼食後と思われる岡田さん&加藤さん+南さんグループ(南さんはお代わり中?)。そこに吉田さんとネモともこっちの横並び3人が通りかかる。ゆりちゃん、真子さん、うっちーはトイレに行ったようで、特に目的もなく合流待ちの散歩中なのでしょう。

「黒木さんと根元さん……それに吉田さん?珍しい組み合わせだね」

加藤さんの位置からすると一番遠いはずのもこっちの名を先頭に…これは加藤さんがもこっちラブだからではなさそうです。目の前の岡田さんに「あ、根元さんだ」とストレートに発言することを避けたクッション話法なのです。珍しい組合わせだね(根元さんはいつも茜といるのにね)、と婉曲的な発言にしているわけです。

チラッと岡田さんをみて一呼吸の沈黙の後、もこっちたちの姿を見ながら「そろそろ仲直りしたら」と岡田さんに促す加藤さんのメンターっぷり。しかし岡田さんの心はまだ頑なです。ネモが本当に大切な存在だからこそ、慎重になるし、焦燥感に駆られるし、意地を張ってしまうのですね。何度も噛まれボロボロになったストローの姿がそれを物語ります。


岡田さんは、ネモが自分ではなくもこっちとつるんで行動しているであろうことを入園前に知っています。ひょっとしたら、「エヘヘ…」と自分のところに戻ってくる淡い期待もあったかもしれません。

現実的にそうならなかったわけですし、吉田さんまで加わって仲良く楽しんでいる様子。

これら事実が心の中で渦巻き、不快な嫉みが自己嫌悪とともに降りかかっているはずです。なにか口にせずにはいられません。たとえそれがつまらない悪態であったとしても。そこに存在するのは、ただ自分への不甲斐なさへの怒りであり、もこっちへの悪意や敵愾心ではない。

「つーかあいつ なんで黒木なんかと つるんでんの?」

この発言を表面的になぞれば、確かにこれはもこっちに対する悪口。けれどそれはミスリーディングです。そしてまた、他人への悪口を快く思う人はいません。悪口ばかり口にする人間は、そうでない人間から疎まれる一方であり、悪口ばかり口にする信頼の置けない人間とばかりつるむことになる。

だからこそ、南さんはここぞとばかりにもこっちの悪口を唱ってしまった。加藤さんは凍りついた。地雷を踏んでしまった。あまつあさえ、ネモの悪口まで。

岡田さんは発言を遮るようにやおら口を開きます。

「つーかさ…… あんたなんでいんの?別に誘ってないんだけど」

思いもがけない岡田さんの痛棒に南さんはパニックに陥ります。

「はぁー!? 別にあんたなんかについてきてないし!! つーかバカじゃない?こんな所で空気悪くしてイライラしてさー!!

ばーかばーかと捨て台詞と共に走り去る南さん。親しい友人とクラスが別になり、ぼっちになるのを避けるために加藤さんと南さんすり寄っていたことを見透かされた恥ずかしさに居た堪れなくなったのです。


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岡田さんは、こうなることを予想したうえで南さんに悪口の餌を蒔いたのだと思います。加藤さんも内心では南さんを疎んじていることを知っていますし、追い出したい気持ちが優位になった(心理的に余裕がなくなってきた)からです。残酷な策ですが、うまくいきました。

「言い過ぎじゃない?」と強く咎めないとはいえ、さしもの加藤さんも岡田さん持て余し始めてているようです。

「茜も最近 根元さんの話しかしないけどね」
「はあ?してないし」
「自覚ないの?」

根元さんの話ばかりしている茜もまた、悪口ばかり言っている南さんとそう変わらないんじゃないの?と言いたげな様子。いずれにせよ、このままでは仲直りから遠いままだと悟ったのでしょう、加藤さんは吉田さんのそばに向かいます。ネモやもこっちの窓口が吉田さんであることを見抜いているからです。

「ねぇ 私達も混ぜてもらっていい?」

これには岡田さんも従わざるを得ません。強制的ですが、仲直りのきっかけ突破口が得られるでしょう。ネモもまた、拗れた岡田さんとの今の関係に決着をつけるべきだからです。もこっちの蚊帳の外具合がすごい。

ここにゆりちゃん、真子さん、うっちーが合流すれば8人の大所帯となります。作画が大変そうなので別行動の形で分けられるかも。ゆりちゃんが南さんとどう絡むかは想像がつきません。多分、無関心の体で積極的に絡みはしないでしょう。真子さんの胃には穴があきそう。



ところで
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田村さん、あなた半年ぐらい前はこんなこと言う人だったじゃないかと突っ込んではいけません。海原雄山と同じでバージョンが変わったので




というわけで、次回の開幕は

吉田「まずは耳だ」

からスタートしそうです。


そしてアトラクション周りながら、「ネモと岡田さん」「南さん」「吉田さんと目隠れさん」の仲直りが並行して行われるのでは……。もっとも、吉田さんのところは「悪かったな」「おう」でアッサリ解決しそうな間柄っぽいのですが。

加藤さんは岡田さんとネモの仲直りのアシストを画策する一方、もこっちに絡んできそうな雰囲気です。加藤さんに絡まれたもこっちは興奮して、あらぬセクハラ行為に及びイチャイチャするかもしれません。ゆうちゃん、ネモに続いて次は加藤さんです。

ゆりちゃんの道は長い……
ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 23:19| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

(映画感想)『デッドクリフ』



まごうことのなきパッケ詐欺


立ち入り禁止の山岳地帯でロッククライミングを始めた若者たちが、転落以上の恐怖に見舞われることになるサバイバル・ホラーである。大自然の中での遭難モノですから、やっぱりテンプレート展開になってしまうものです。B級。これといい勝負な出来。フランス映画。


まとめ
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ストーリーの流れを大まかに説明すると、

1.登場人物らが人里離れた山岳にロッククライミングに出かける(田舎のあんちゃん&boob!)
2.ロッククライミング開始
3.退路を絶たれる
4.うぎゃートラバサミじゃあ!
5.パニック&サバイバル
6.結局は助からなかったよ…

こんな流れである。

ここに「知能指数の低そうな若者」「山を舐めすぎ」「醜い小競り」エッセンスがブチ込まれる。要するに登場人物らが凄惨に死んでも(心情的に)オッケーな作りに意図的になされているのである。自業自得感というか、バカは死んでも治らない、というのはシュール&シニカルなフランス人の強い本音なのか。そう考えると、いやしかし、描写がまだ中途半端だな……という感じで、突き抜けていない。「このグダグダさこそ現実的」といえばそうだし、その意味でいえば上手くできている。

前半は転落の恐怖がヒシヒシと伝わってくるクライミングシーンの連続であり、高所恐怖症の方は視聴できない迫力に満ちている。私は高所恐怖症なのでみていて辛かった。どうやって撮影したのか皆目わわからないが、迫力のある映像に仕上がっている。確かにホラーである。

しかし中盤のトラバサミ以降、謎の時間経過と天候変化でフィルム全体に陰りが降り始めるとともに、本作は転がり落ちていく。転落以上の恐怖とは殺人鬼のことだった! 人間にとってもっとも怖いのは大自然よりもナチュラル殺人鬼なのである!

…って、流れになっても、いまさら新鮮味もクソもないと感じる方が多いだろう。

文明より隔離された誰も来そうにない大自然の山岳に殺人鬼がいたら、それは確かに最悪の恐怖に違いないし、ロッククライマーなら誰しもが想像したことのある鉄板ネタなのであろうが、描写として突き抜けていないので新鮮味に欠けているように見えてしまう。後半のパンチが弱いのである。本作の残念なところだ。


テンプレ展開を反省と打破するために、主要登場人物らを完全無欠な仲良し男女パーティにして、迫り来る危機を友情とチームワークで見事に跳ね除け無事生還する「開き直った」サバイバルホラー映画が観てみたい気持ちを新たにする。それだとホラーにならんでしょというツッコミはごもっともだが、私は登場人物らが怒鳴りあったり口論するシーンはテンションが下がる一方で好きじゃないからである。そうしないと人間ドラマや物語の起伏がつかないことも分かるのであるが、やっぱり。
 
posted by ぎゅんた at 13:41| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

(映画感想)『きみはいい子』




中学生の時分であったが「タクシーから始まる幸福の連鎖」の話を知った。タクシーから降車する際に、敢えて100円の釣りを運転手に謝意と共に手渡すのである。100円であるども運転手は貰って嬉しく思うであろう。その気持ちが、次の乗客に気持ちの良い仕事として引き継がれ、乗客もまた、気持ちが良くなるはずだ。100円の釣りという、ちっぽけな始まりが、世の中を明るく良くする風に働いていくー、そういう話であった。どの文献にあったかは記憶にないが、話だけは記憶に残っている。

この話に感銘を受けた私は、金沢に出てタクシーを利用した場面で実行に移してみた。運転手は笑顔みせてくれたが、しかし、頑として受け取らなかった。素晴らしいお心遣いだけれども、君が大人になってから存分にやってくれ、そんなことを言われた。気持ちは分かるが、身の丈にあったことをせよと教えてくれたのである。私はこの運転手に気高さを感じた。目下、タクシーを利用する度に思い出すのである。


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本作は子どもの虐待を主軸に置いたヒューマニズム群像劇である。メインの登場人物は3人で、それぞれがパラレルに物語が進行し、一応の終着駅に向かっていく。子どもとはなにか、大人とはなにか、現代社会に生きる我々に突きつけられる見えない現実はどのようなものか。単純明快なハッピーエンド約束された結末ではないく、答えは、観たものに委ねられる。上手に撮られた邦画であり、視聴後にモヤモヤ残す味なつくり。なぜ我々は、こうも張り詰め中で生きているのだろうかと考えさせられる。


コピペでストーリー
岡野(高良健吾)は、桜ヶ丘小学校4年2組を受けもつ新米教師。まじめだが優柔不断で、問題に真っ正面から向き合えない性格ゆえか、児童たちはなかなか岡野の言うことをきいてくれず、恋人との仲もあいまいだ。

雅美(尾野真千子)は、夫が海外に単身赴任中のため3歳の娘・あやねとふたり暮らし。ママ友らに見せる笑顔の陰で、雅美は自宅でたびたびあやねに手をあげ、自身も幼い頃親に暴力を振るわれていた過去をもっている。

あきこ(喜多道枝)は、小学校へと続く坂道の家にひとりで暮らす老人。買い物に行ったスーパーでお金を払わずに店を出たことを店員の櫻井(富田靖子)にとがめられ、認知症が始まったのかと不安な日々をすごしている。

とあるひとつの町で、それぞれに暮らす彼らはさまざまな局面で交差しながら、思いがけない「出会い」と「気づき」によって、新たな一歩を踏み出すことになる―。


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誰もが見るべき傑作ヒューマンドラマ。

ストーリーには色々と綻びもあるのだけれども、いつのまにか気にならなくなったり解消されていたりする。事件や問題点、トピックが表在化したとしても、時間の経過と共に霧消していたり、別のアプローチの介入で改善したり、自己解決機転が働いていたりする。つまりは現実世界の事象と同じである。この作品に流れる、ストーリーを背負った現実的な空気感は実に見事で、撮り手である監督のバランス感覚の鋭さに脱帽させられる。人間のいやらしい面をも巧みに描いている。

それは俳優の演技にも熱演の形で反映されている。虐待シーンやそれを匂わす描写や表現があまりに生々しく、観る人によっては、心が辛くなったり、不快感に耐えられなくなるかもしれない。心が痛むし、腹が立つし、同情させられるし、素面にハッとさせられたりする。よくぞここまでのものを撮ったものだ。吸い込まれるように無音になる場面や意図しない雑音のようなBGM、廊下を長く無機質に映し出すカットなど、計算された演出面も味がある。


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凍りついた瞳』という有名な漫画がある。大学の丸善で、社会派を気取っていた私は、講義中に時間つぶしに読もうと(お父さんお母さんゴメンナサイ)思って購入したのだった。果たして、その内容に衝撃を受けた私は落ち込み、「読み終わったら見せてくれよ」とはしゃいでいた畠山くん(仮名)は文字通り凍りつき、「私にも読ませて」と又貸りしていった戸田さん(仮名)は講義中に教室を飛び出しいった。我々は本当に幸運だったのだ。私立の大学に通わせて貰える裕福な家庭に育ち、家庭内外で「子どもの虐待」と無縁で育ったからだ。世間知らずのお坊ちゃんお嬢ちゃんといえば、それだけの学生だったのだ。しかしそのことを咎められようか。現実に存在する、あまりにも残酷な世界に嘔吐した戸田さんを誰が慰められよう。

ここで学んだことは、親より受けた虐待は「子が親の背を見て育つように」連鎖する側面がある、ということだ。この不幸な心理は、虐待を受けて育った人間に独自に形成される歪な愛情表現にあろう。欠落した部分を補償するために、無意識的に親が自分にしたことと同じことをしてしまうのである。いわゆる愛情の欠如である。無論、やっている本人も間違っていることは分かっているのだが、止めることができない。誰にもいえない。理解してもらえない。欠落した部分が埋まらない限り、同じことを繰り返す袋小路に陥ってしまう。

しかし、優しくすることはできる。優しくしたことが全てを解決すとはいえないけれど、優しさが優しさを呼んでくることはあるかもしれない。どう接していいのか分からないなら、言葉にして伝えることができないなら、相手を抱きしめてみるとよい。それだけでも、相手を少しでも理解しようとする心の表れを伝えることができる。一人でないことを伝えることができる。安心することができる。


人間を救えるのは人間だけ
映画のラストは尻切れで、不穏な空気を残したまま終幕となる。その後の具体的な話は視聴者の想像に委ねられている。ここで描かれているのは、「あの時は」一歩も前に踏み出せず踵を返すしかなかった新米教諭が、臆せずドアをノックできる気概を身につけていることだけだ。とんでもないバッドエンドかもしれないし、ハッピーエンドが待っているのかももしれない。しかし私が予想するのは、義理の父親と膝を交えた不快な話し合いが始まることである。終わりではなく、子どものための始まりである。

面倒を起こさず、少なくとも今より自体を悪くないことを考えれば、生徒の家庭に介入などしなければ良い。しかしそれは、問題を認識していながら見て見ぬふりをすることでもある。声にならない子どものヘルプを拾った時、なんとかしなくてはならないのは大人の務めなのである。たとえそれが度の過ぎた他人のお節介だ、余計な面倒ごとだと罵られても、やらなくてはならない。

この辺の「子どもを虐待から救うため」のメッセージ性は、敢えてフィルムに入れなかったようだが、当然のことながら込められている。考えさせられるように意図的に撮られている。こうすればいい、ああすればいい、制度を変えればいい……人それぞれに色々な意見があって然るべきであり、また、快刀乱麻を断つ解決策もない。子どもの虐待という悲劇は、今も変わらず存在し続けている社会の病根のひとつなのである。
 
posted by ぎゅんた at 00:15| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

(映画感想)『ナポレオン・ダイナマイト』




アイダホ州のど田舎が舞台。全編にわたって抑揚のないシュールな、しかし温かさだけは決して失わないで突っ走る脱力系スクール・コメディ。傑作


コピペあらすじ
アイダホの高校生ナポレオン・ダイナマイト。ルックスもダサければ頭も良くない彼は、当然のように学校でも友達もなくイジメにあってばかりの毎日。そんな彼にも、メキシコ人の転校生ペドロという友だちが出来た。女の子にモテたいペドロは無謀にも生徒会長に立候補、ナポレオンも彼の応援に精を出すが…


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アメリカの学校といえば、なにはさておき、スクール・カーストである。スクール・カースト抜きでは語れないのである。この学校社会独自の社会制はアメリカ以外にも普遍的に存在するが、アメリカが文化的に最も際立っていることは確かであり、その延長線上に大国アメリカが存在している。

かくいうわけで、本作にもその特色は認められるのであるが、スクール・カーストをテーマにしたものではないから、細かな説明や発展があるわけではない。主人公ナポレオンや友人のペドロ、デビーらはカーストの底部のナードであるが、そうした本質はストーリーに先立たれた添え物にすぎない。

学校で幅を利かせているのはイケてる運動部や美女らであって、それ以外はそうではない、ぐらいに単純明快なっている。実際は存在したであろう陰惨な面はあえて排除したようで、それによって作品の雰囲気がシリアスになりきらないよう調整したようだ。ナポレオンはジョックにやられっぱなしではない。てんで的はずれではあるが、反論も反撃もするし、よくよくみればジョックもクイーンもあまりイケてない(所詮は小さな田舎でしか幅を利かせられないレベル)し、叔父のリコに見られるように、大切なのは過去に生きるのではなく未来に向かってまず今の自分が動くことである、という隠れた主張がみえてくる。こうした特色が本作の根底に太く流れていることが、本作にみられる独自の温かさとユーモアに起結したのだろう。話の展開が素直で捻くれていないのである。


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そんなかんだで、シュールな静止場面やハイテンション婆ちゃんや謎の屠殺シーンを含めた「アメリカの農場」体験が織り込まれ、押しも押されぬど田舎コメディムービーに仕上がっている。このような牧歌的で郷愁感さえあるコメディ作品は珍しいだろう。形は様々であれど、誰しもこうした経験を経て大人になっていったのだという無言の説得力まである。

爆発や暴力や派手なCGもなにもなく、中腰遁走スタイルを貫く本作は肩の力を抜いて鑑賞できる傑出の脱力系スクールコメディである。映画が好きな人なら、押さえておくべき一本であることは間違いない。オススメ
 
posted by ぎゅんた at 10:38| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする