2017年04月27日

(再考)映画「虹色ほたる」 思い出は、命


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映画「虹色ほたる」は世間的にマイナーな作品であり続け、さほど高い評価は受けていないようである。私はこの作品を傑作だと確信し、映画好きの友人らに鑑賞を勧めたが期待する感想は得られなかった。しかし改めてこの作品を鑑賞すると、生涯の一本と断じて差し支えがないほど、私が愛してやまない作品のひとつであるとの思いを強くするのである。

舞台となる昭和53年の谷戸の山村は、夏が終わればダムに沈む運命にある。思えばこの当時は、ダム建設はあたかも国策事業であり、全国のあらゆる谷戸を対象にとどまるところを知らなかった。ダム建設の目的は治水・灌漑・発電である。貯水することで川の氾濫を防ぎ、水不足を防ぎ、水力発電を可能ならしめるとする名目と土木技術の結晶という位置づけで、人間は自然を科学技術で征服したよな陶酔感をしてこれを受けいれたのである。ダムに求められる治水は、その眼目は、結局のところ、都市人口の爆発的増加に対する水の確保にあったように思う。増え続ける都市圏の人間を賄うための水瓶が欲しかっただけにすぎない。

天の恵みである雨は、ただ人間側の一方的な都合によってダムに堰きとめられ、河川を流されることになった。同じくして、人間の生息圏では、雨は生活にとってただ余計な邪魔者になった。降水を土に還すことを忘れ、コンクリートやプラスチックの斜面を滑って河川に注ぎ込んだ。河川は排水路として機能すべく、いかなる水量の増加があっても、決して溢出することないよう護岸と堤防工事がなされ隔離された。そこでも土は邪魔者であり、水を涵養させることを拒むコンクリートで武装された。間知ブロックの隔壁が河川の壁紙となり、結果、全国の河川はフランチャイズな見た目の、特色のない直線排水路に変貌することになった。

経済成長路線をひた走り続ける戦後の日本社会は、このことにさして違和感も痛痒も覚えなかったとみえる。行きすぎた自然軽視の姿勢に警鐘を鳴らす専門家や識者によって、自然保護・環境保護の強い気運が生まれることになったが、日本人が意識せずに自然と調和して築き上げてきた文化遺産の殆どを破壊して喪失してしまった現実を前に茫然自失とする他になかった。抜歯鉗子がどんなに酷い歯槽膿漏よりも速く歯を抜いてしまうように、ひとたび人間が何らかの目的で自然に大きな手を加えると、取り返しのつかない急激な損失を生むことがある。ダム建設は確かに、治水の面で人類に益をもたらすが、その一方で、二度と買い戻せない損失を覚悟しなくてはならない。

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本作を視聴していると、文明というのは、自然の循環を利用して恵みを得ることに最適化させた長年の知恵と経験であるべきだと思わされる。私はなにも我々が、先祖と同じようなあばら家に済むべきだとか電気のない生活を送るべきだといいのではない。科学技術に支えられた人間の生活が、自然の中に、なんらその循環と恒常性に危害を加えることなく存在し、そのなかで存続していくスタイルに落とし込むべきだと思うのである。使い古された表現を借りれば、結局のところ人間は自然が許してくれる範囲の中でしか生きられないからである。どんなに人間の科学技術が進歩しても人間は生物の根幹を変えることはできない。水を飲み、酸素を吸って二酸化炭素を吐くことを止めることができない。生まれてから死ぬまで、懸命に生きる存在なのである。偉そうに述べているのは私だけで、しかし、この作品は自然破壊についてなんら非難がましい主張はしない。「そこにあった」恬淡な風景を丁寧に描写しているにすぎない。そただそれだけのことだ。その中にあって私は、かつて我々が有していた自然と距離の近い豊かな生活を捨ててしまったのだと意識させられるし、後ろ髪を引かれるような、望郷の念に駆られるのである。

この作品に流れるメッセージは力強い。青天狗の台詞にもあったが、私は「生きていてさえすれば」だと思う。どんなに辛いことになろうとも社会に翻弄されてしまっても、生きていていさえすれば、なにかがあり、どうにかなる。そして、過去の記憶を共有している相手こそ、かけがえのない宝物である。おばあちゃんに「さあ、行っといで」と見送られるさえ子とゆうたが涙を流すのは、記憶から消えてしまう残酷さと申し訳なさで胸がいっぱいになっているからだ。思い出は、人が生きる命そのものだからである。だからこそ、別れシーンで「必ず見つけるから(生きよう)」と約束した2人が愛愛おしくてたまらない。また遊ぼうな!とケンゾーと約束して別れるシーンが切なくてたまらない。青天狗が旧友と再会するわずかな1シーンと同様、私は涙を禁じ得ない。会うは別れの始まりということを、この作品ほど上手に丁寧に描いた例もないのではないかと思う。

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本作は子ども向けの作品だが、子どもたちはこの作品の深い魅力に気づかない気がする。出会いと分かれの機微への理解、里山・自然環境への理解、「夏休み」を懐かし思う気持ちなどが物語をより魅力的にするからである。案外に大人向けであるのだが、肝心の大人はこの作品の絵柄をみて視聴を躊躇しそうな点が致命的である。私は傑作だと確信しているが、「隠れた名作」扱いがせいぜいのところだろうか。

夏休みに地上波で放送でもされれば評価が上がりそうなのだが、「火垂るの墓」があるものなあ。
 
posted by ぎゅんた at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 虹色ほたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月10日

この世とあの世のあわいの話が好き 映画「虹色ほたる」より

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虹色ほたるには、原作(小説)漫画版そして映画版がある。
私は映画DVDと漫画本を所持しているが原作小説は未読のままである。
媒体が違っても内容は同じなので心配はいらないのである。

友人に貸していたDVDが戻ってきた。おりしも黄金週間以降のここ北陸は珍しく天気のよい日が続いておりまして、一足早い初夏の気分…ともなれば虹色ほたるを見たくなる。


独特の絵柄の本作は本当に現代版「まんが日本昔ばなし」である。
そして私はこの作品が大好きなのだとあらためて思う。
誰しもが持つ「思い出の中の出会いと別れ」を暖かく描ききった傑作である。

・絵柄が受け付けない
・所詮は都会人が抱く理想の田舎像
・安直なノスタルジー路線
・奇跡の安売り
・最後のシーンが蛇足


などなど、世には映画「虹色ほたる」に対する様々な批判がある。
しかし私には関係ない


見直してハッとしたのだが、序盤、ユウタが初めてさえ子と会うシーンにて。
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状況を理解しようと狼狽しているユウタをみつめる

ケンゾーがさえ子を探しにきます
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「ねえ、名前は?」
「え、…ユウタ」
「一緒に帰ろ、一緒に帰ろう、ユウタ君」

ケンゾーと会います

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「ユウタ君だよ。ほら、いとこの」
「え!?」
「ああ、そっか。いつも言ってたっけな」
「えぇ!?」

こういうやり取りがあります。

このとき
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さえ子はなにを考えていたのか?なぜケンゾーが近くに来たときに急いで名前を訊いたのか?

これは映画内では明かされませんが、漫画版に理由がチラッと書かれておりました。
村で夏休みを過ごすことになったさえ子は、自身の言うとおりの既成事実をつくることができるとおじいさんにいわれていたのでした。ユウタとあって、少しのやり取りをしたときに、さえ子はユウタもまた、同じようにおじいさんにつれて来られた人間だと気づいたわけです。そこにケンゾーがきたので、とりあえず名前を訊いて、一緒に夏休みを過ごす人間である事実をでっちあげるために「いとこのユウタ君」と紹介した。そこで既成事実が出来上がるので「いつも言ってたな」となるわけです。もしさえ子が口を滑らせて「ミッキー・ロークだよ、ほら、映画「レスラー」主演の」と喋ったらとんでもないことになっていたわけであります。

冗談はさておき、特に説明が無いけれどこのシーンは実はこういうやり取りだった、をサラッと描写するところがいいですね。


最後のシーンが蛇足との声も聞いたが、私はそうは思わない。
虹色ほたるは出会いと別れの物語だが、不滅の記憶にある夏休みの思い出が、最後、ふたりに出会いを生んで終わるからである。安直な奇跡のシーンだと批判されようがなんだろうが、絶対に必要なシーンなのである。だから納得して終わる。なんでダム湖の上を空中浮揚しているんだと突っ込む気持ちは起きないのである。


この作品
ノスタルジー色が強いのでターゲット層は40代付近になるのだろうが、そのわりには(彼らにとっては)子供向けの内容でウケないだろうし、感動ファンタジー路線から子供層がターゲットだとしても、感動を味わえるほど人生経験がないという、ストライク層不在感が強い。内容は良いのにウケない映画って大体そうですよね…海外では評価されそうな作品ですが、果たして。
 

しかし「虹色ほたる」といい「The Path」といい、ぎゅんたはどうもこの世とあの世のあわいを舞台にしたかのような話が大好物のようです。もはや性癖かもしれません。あいやーあいごーぬわー
 
posted by ぎゅんた at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 虹色ほたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月22日

生きていてくれさえすれば DVD「虹色ほたる」

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本年度No.1映画と思っている「虹色ほたる」のDVDが発売されたので購入。

全編渾身の手書きアニメーションである。
映画館での鑑賞後、これはBlu-rayを購入だろうと構えていたのだが、現時点ではDVD版しかないようだ。興行収入がイマイチだったということだろう。「いい作品ならば売れる」は過去の、娯楽の乏しい時代の観念なのか。しかし私は、この「虹色ほたる」を高く評価したいし、その思いは今も変わらないのである。

元は小説原作があるのだが、そちらは未読。
漫画版もあって、それは購読済みだが、映画版とは内容に若干差異がある。
従って、私があれこれ述べていることは、殆どすべてが映画版に拠るものである。

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ストーリー上のキーワード
昭和53年、タイムスリップ、山村、小学生の夏休み、出会いと別れ
そして、生きることについて


虹色ほたるは感動作だが、くだくだしい演出はない。
誰しもが多かれ少なかれ経験してきた夏休み。もう我々はあの頃のように居ることも出来ないし戻ることも出来ない。思い出そうにも、成人したいま、こみ上げてくる望郷と哀愁の念が強すぎて思い出に浸ることも難しくなっている。しかしその奥には、そんな過去の世界が確かな思い出として残り続けている。忘れているようにおもえても、確かに残っている。必ず、残るものなのだ。

同窓会等で過去話に花が咲くのは、話のネタがないからのことではない。
誰しもが引き出すことの出来なくなったしまっている過去の記憶を、第三者によって思い起こさせてくれるからだ。そして、誰しもがそれを望んでいるからだ。在りし日の思い出に浸ること。それは後ろ向きな姿勢かもしれないが、生きてきた過去の自分を、まるで宝物を発見したかのように感じられる行為はやはり心地よいものだ。この作品には、誰しもの心の琴線に触れるであろう因子が無条件で詰まっている。

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独特の絵柄で人物描写に癖があるが、アニメーションならではの優しい世界が描けているのは間違いない。
逆にこの作品が実写だったらここまでの感動は得られない気がするのである。
ともかく、機会があれば是非ご鑑賞ください。


過去の感想はこちら
不滅の記憶とともに 映画「虹色ほたる〜永遠の夏休み」感想
また明日なー 映画「虹色ほたる〜永遠の夏休み〜」二度目 感想
ブタさん貯金箱にトンカチを振り下ろせ 映画「虹色ほたる」DVD発売決定

 

2012年08月07日

ブタさん貯金箱にトンカチを振り下ろせ 映画「虹色ほたる」DVD発売決定

夏祭り前.Jpg


個人的に今年の傑作映画と思っている虹色ほたる―永遠の夏休み―のDVD発売が決定したようです。2012.11.21発売予定。予約済。

背景描写が美しい作品ですのでこれはBD購入フラグだろうと思ったのですが、今のところDVDのみのようです。サヨナラBlu-rayヤッパリDVD。
なんにせよ、発売は大変にめでたいことであります。
一人でも多くの人にみて欲しい作品だからです。


自分はこの映画のどこが気に入っているのだろう?
単純に好みの世界観と絵とストーリーに感動したから、と端的に言ってしまえばそれまでだが、思いつくままに書き出してみることにする。


ストーリー
一年前に交通事故で父親をなくした小学6年生のユウタは、夏休みに一人、父親とよくカブトムシを取りに来た思い出の場所、山奥のダムへ昆虫採集に向かい、不思議な老人と出会う。突然の豪雨で足をすべらせ、意識を失うユウタ。目を覚ましたユウタの前には、一人の小さな女の子、さえ子とダムに沈んだはずの村が。どうやら三十年以上前の村にタイムスリップしてしまったらしい。ユウタを“いとこ"として、あたりまえのように扱うさえ子。ユウタと同い年のケンゾーも現れ、翌朝クワガタ虫を取りにいく約束をするユウタ。さえ子に連れられた家では、お婆ちゃんもユウタをさえ子のいとことして優しく出迎えた。何が起こっているのか、全くわからないユウタ。その夜、再び不思議な老人が現れ、ユウタは一ヶ月間、この時代に居続けなければならないことを告げられる。ユウタにとって、かけがえのないもう一つの夏休みのはじまりだった・・・・・・
1970年代の田舎の村の豊かな大自然。かけがえのない仲間たちと過ごす最高の日々。失われてゆく美しい日本の夏の風景の中、物語は涙のクライマックスへ。



改めてストーリーを読んでみると、ありがちな「少年のタイムスリップもの」だとわかります。
話の芯はタイムスリップであり舞台は昭和53年の夏の山村。そこで出会った人々との触れ合いがあり、成長があり、そして別れが描かれる。


タイムスリップについては、不思議な老人(明言されていないが、山の神様でしょう)が起こしたものですし、その理由も老人の恩返し。そして主人公は小学校六年生。なので、タイムスリップに対する細かなツッコミは必要ないのです。夏休みだよ、遊びな、という風情。気にしないで素直に話に乗りましょう。


勿論、いろいろと考えれば不思議な点はあります。
老人が「手続きをしなくちゃならんのだが、結構時間がかかるんでの。だから、しばらくこの村に居んしゃい」とユウタに語る。そのしばらくは、夏休みが終わるまで。そして夏休みが終わった後、描写はないもののユウタは現実世界に戻ることになる。村での記憶は失っている。
確かにこれならタイムスリップしたユウタが、夏休みの期間を時代が違えこそすれ過ごしたことになりますが、どうも浮世の場所ではないところに行っただけではとも思える。タイムスリップ先で知り合ったさえ子にしても、現実世界では意識不明の入院状態だったはずで、ますますこれは古い時代にタイムスリップしただけと単純には言えない気がする。舞台の山村が、不思議な老人の用意したあの世と浮世の狭間の駐屯地か待合所に思えないこともない。
しかし待てよ。ここまでダラダラと能天気に書いてて気づいたが、老人は「手続き」と言っていた。
過去に現代の人間が移動してしまうことで、未来に影響を与えることなどないように取り計らいはなされるだろうし、過去の時代に居場所を借りるわけなので、不思議な老人が(おそらく)神様といえど、なんらかの措置は要るのだろう。それが「手続き」という言葉だったのだ。
なので、ユウタもさえ子も別にこの世ならざる場所に移送されたわけではなく、本当に過去の世界に移送されていたのでしょう。うむ、やはりそうだ。そう考えないと若干オカルトで怖い。


移送された理由は作中では殆ど明らかでない。
おそらくは「現世において、若い命が、当人の望まぬ理由で意識不明の状態になった」場合に、戻るか死を受け入れるのかを本人の意思に委ねる必要があるケースに適応されているのではないか。ただし、これを行うのは不思議な老人(の姿をした神様)であるし、彼の意思が不可欠なようだ。ユウタにもさえ子にとっても、この不思議な老人のテリトリーの中での事故であったことが幸いしたわけである。
ユウタの場合は怪我の程度は分からないが「水をくれたお礼じゃ」と言われていたところから、不思議な体験付きで助けられたのだろう。そう考えると割合しっくりくる。
原作の小説は読んでいないので、ひょっとしたら詳細のところは違うかもしれないが。

とは言え、このような考えはなくても自然に楽しめる。また、鑑賞後に語り合うための余地としてあえて明言させなかったのかもしれない。この辺は本人の死生観や宗教観に左右されそうなあたりでもあるのでボカして正解だろう。



キャラクター、背景、描写
水彩画のようでいて懐かしい昭和の原風景のような世界は実に魅力的である。
「となりのトトロ」を変に意識したわけでもなく、自然に東映アニメーションが信じる山村の夏を描いている感じである。トトロをありありと意識したのが「ももへの手紙」であるといえよう。あちらは妖怪が出てきてのドタバタコメディと母親との絆を確認し、ももの成長が描かれる。こちらも素晴らしい作品である。
※テイスト的に子供受けするのはももへの手紙の方であろう。虹色ほたるは比べると地味である。見比べるとよい


登場する人物はすべて「気持ちの良い連中」である。悪人は登場しないのである。
単に「昔は時代も環境も人も良かった」ということを言っているのではない。
タイムスリップしたとはいえ、舞台は不思議な老人の掌の上にあるものなのだ。そして老人は、無理強いはしないものの、その心中では、移送した若い命にまた生きる道を選択してもらいたいと考えているのではないかと思うのである。過ごした時の記憶がなくなってしまうことも、別れがあることも知らせておきながらも、人々との邂逅をもって。
思えば、ユウタを助けるにしても、わざわざタイムスリップをさせる必要があったのだろうか?との思いもわく。これは想像に過ぎないが、不思議な老人はさえ子に生きる道を選んで欲しいと思っていた。だが、さえ子は夏休みの期間が過ぎたら死の道を選択する意思があることも知っている。歳の近いユウタをさえ子に会わせることでひょっとしたら…そのような思いがあっての行為だったのかもしれない。

タイムスリップした「今いる自分」について、時間をかけて考える。現実世界に在る、背を背けたい事実に立ち向かえるようになるためには、自分だけでなく他者との出会いと触れ合いと別れが必要なのだ。別れ。それは辛いことだけれども、受けいてなくてはならない。たとえ別れることになっても、それでも永遠に消えることのない記憶としてあなたに残るから。今はいつまでも続くものではない。そのことこそが現実であり受け入れて前に進まなくてはならない。だから想い出は切なく辛くも記憶に残るのだ。


本作では「別れ」が実に丁寧に描かれております。
みんなとの出会いと別れだけでなく、考えてみれば、この夢のような夏休みを過ごした記憶からも別れなくてはなりません。描かれる別れには理由があるから余計に切ない気持ちになる。
特に夏祭り前の夕方、西日の差し込む部屋でのおばあちゃんとさえ子の別れシーンは涙抜きに語れぬ名シーン。おばあちゃんの無限とも言えるさえ子への愛と、このときのさえ子心中を慮ると、これを書いている今も目頭が熱くなるのである。二回目を観に行った時に、近くのおっさんとこのシーンで一緒に泣きじゃくったのは私の中に残る思い出であります。

ユウタとケンゾーとの別れのシーンもいいですね男の子らしくサッパリして。お前と出会えて良かった、ありがとうと礼をいい、餞別を贈り交わし、でもやっぱりちょっと照れ臭くなってしまって「また遊ぼうな!」と手を握って別れることができる。それが男の子ですものね。ケンゾーは本当にいい奴で惚れ惚れします。こんな息子が欲しい。ところで、現代にもどったところで登場するケンゾーは40を超えているはずだが、そう見えないのはなぜ・・?


さえ子は小学校三年生とは思えないほど利口で大人しい女の子です。この年代の女の子の可愛らしさや愛おしさを凝縮させたらこうなるのではという塩梅。やや大人しすぎるきらいがありますが、本当は元気にはしゃぐ明るい女の子。とある理由でこの村にいます。白のワンピース姿でショートカット若干オデコ娘。めんこいです。こんな娘が欲しい
過去シーンではズボンをはいてて髪形も違いますが、本編の大部分はショートカットで白ワンピ姿。
これはひょっとしたら病室での病衣や検査衣を反映した姿なのかも。不思議な老人は薄着が好きなのか?
思えば、ユウタにしろさえ子にしろ、現世からタイムスリップしたときの姿は基本変わらないようになっているようです。服装は変化しません(さえ子が浴衣を着るとか、寝巻きは別)し、ふたりとも日焼けのひとつもしないからです。タイムスリップした時代の隙間にお邪魔させてもらっている存在だからでしょうね。見ている分には気になりませんし、主人公らも日焼けすると周囲の人物らとの明確な区別がつかなくなるからしなかっただけかもしれません。

なんにせよさえ子はそんじょそこらの萌え系ヒロインを駆逐する可愛らしさに溢れております。いえ、ロリコンではありませんよ。



とまあ、こんなかんだで思い出しただけでも色々と書いてしまう映画「虹色ほたる」。
名作アニメとしてずっと残っていくことでしょう。
夏休みのロードショーに「蛍の墓」を流すのは恒例ですが、この「虹色ほたる」も放送して欲しいものです。



おまけ
虹色ほたる〜永遠の夏休み〜 映画のチラシ-ウェブリブログ
Q:急にチラシが欲しくなった?
A:急や


iPadより送信
posted by ぎゅんた at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 虹色ほたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月01日

また明日なー 映画「虹色ほたる〜永遠の夏休み〜」二度目 感想

今日は月初めの6/1。
行きつけのシネマでは「ファーストデイ」サービスでチケット代が千円になります。万歳三唱

映画は映画館で観たい!と思う人は多いわけでありまして、平日というのにシネマにはお客さんの姿が多く賑わいがあります。人気があり活気ある映画館の雰囲気はよいものです。 みんな もっと 映画館に いくんや!

この割引サービス、女性であれば毎週水曜日が1kになるのが羨ましい。このために女装した人が居るというまことしやかな噂が。しかし捕まったときの社会的リスクがイロイロでかすぎる。男女平等の精神で、水曜日は男も1kにしてくれんだろうか…
金曜日の二人デイを利用すればこれまた1kで済むのである。カップルでなくとも、ガチホモでも、友情でも親子愛でも可である。貴方がないしツワモノであれば、見知らぬ人と「トモダチ同士できたんよ」と結託しチケット1kゲットを狙えるであろう。相手のノリがよくないと不審者扱い警備員コールの憂き目に遭うかもしれませんが。あ、席が離れるのはちょい不自然かもしれんぬ。

…こんなくだらないことを考えるのも劇場の雰囲気がよかったから。
余裕綽々の精神状態であったからにほかならぬ。ポップコーンⅬ(塩)を購入していざ入場ぞ。


お目当ては「虹色ほたる」です。二回目なんですよ。⇒初回の感想はこちら
何気なしに見た初回で、その出来にすこぶる感激しまして、またみたくなったのであります。同じ作品を再びみる。こんなことは実に久しぶりのこと。わりあい、映画館にはよく足を運ぶ人間だと思っているが、二度観たのは「スパイダーマン2」「300」「スカイ・クロラ」以来の気がする。何が俺の琴線に触れているというのか。

観客は5人であった。もう少しいて欲しいものだが…平日15:00開演では仕方がないのか。
一度みている。サントラも聴いた。パンフも熟読した。
この状態であっても、やはり良いので良いのだ。
物語が始まり”虹色ほたるの伝説”が流れる頃にはこの作品に没頭している。
そして物語はここから一気に盛り上がっていく。

後半に入りますと、テーマである「別れ」が随所に顔を出し始めます。
楽しく遊び過ごす夏休みもいつかは終わる。変わることは、何かを失うことである。そして二度と元に戻ることはない。散りゆく桜が決して元に戻らぬように、力強く光る蛍が短命に消えゆくように、無くなってしまう。そして記憶さえも・・・?
こうした儚い情念は、やはり強く胸を打つのである。

さえ子が夜中に泣いているシーンがありますが、ここの描写は実にリアル。
余談ですが、あの年齢の女の子は、粒のように大きな涙をポロポロ落としながら声を上げて泣くのです。どうしてあんなに涙が粒のように大きいのだろう。胸の中が悲しさや辛さでいっぱいいっぱいになっているからなのでしょうか。大人になると、泣いている自分を客観的に眺め判断ができるようになる。けど、子供は違う。純粋に、悲しさや辛さの感情が全てを占めているからなのでしょうね。
最近、私が(泣く女の子を)見たのは、注射が怖いとポロポロ泣く子でした。涙の粒の大きさにビックリです。涙の量に対して顔の面積が小さいとかあるのかもしれませんが、分泌の速度が速いのかな…とか思っていた時点でもう私はおっさんであって純粋に泣ける子供ではないのだと認識するわけです。別に子供である必要はありませんが、どこか切ない気持ちを抱いたのは事実です。己の心に、ずっと子供でいたいピーターパン気質があるのは間違いない。

二週目の身でありながら、初回よりも強く心を打たれたシーンがあります。
お祭り当日の夕暮れ、さえ子がおばあちゃんに浴衣を着せてもらうシーンです。

西日の入る部屋でおばあちゃんに浴衣を着せてもらったさえ子は、「終わったら帰ってくるんよ」といわれると泣きだしてしまい、おばあちゃんの胸に顔をうずめます。
おばあちゃんと優しいさえ子の心中を慮ると、もうこのシーンの破壊力にはすさまじいものがあります。
同じ列の離れたところに座っていたおっさん(ひとり)もボロボロ泣いてるの。
そしてここから、物語は怒涛の悲哀シークエンスとなりますから、傍から見るとおっさんと俺がずっと泣いている、見苦しいことこの上ない光景になってしまうわけであります。


突如絵柄が変わるシーン
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秘密の場所へと駆け出す二人
その途中、実写のような描写になります。
これは何を意味しているのかは、映画を見てもらえば分かるとしても、ふたりの駆ける灯篭の道は現実(1977年の村)とあの世との境目にあったのではないか。
さえ子はお祭りの日に、終わりを迎えることを知っていたしそうするつもりであった。たとえ生きることを選択したとしても、兄のいない現実と事故で重体の自分の身がある。そしてこの夏休みの記憶を全て失ってしまうことになるのだ。
それでも、生きることを考えた。おなじように大切な人をなくしたユウタとある約束をしたから。

本当は、さえ子に残されていた時間はとっくに過ぎていたはずなのです。
あの描写が変わる実写風のシーンでは、さえ子が、望む終わりへ向かうのか生きるのかに思惟していた。もういつ消えてもおかしくなかった。そして灯篭の道の外にいる兄の姿をみて、追い越して、ユウタの手を握り返す。描写は終わる。
二人は秘密の場所につくのである。そして小さな言葉で約束を交わす。

最後、さえ子が口にした言葉はなんだったのだろう?
さよなら?
ありがとう?
きっと「またね」だよね。
忘れても、必ず覚えてる。指切りをして誓った約束なのだから。

そしてお別れは、おばあちゃんにもケンゾーにもしなくてはならない。
記憶を失うと分かっているのに、こみ上げてくる悲しみはどうしたらよいのだろう。

おっさんとおれは泣き続けた。
奇妙な連帯感が二人を支配する。これは映画館でこその醍醐味であり、他で得られることはない。
そして誰に咎められ謗られることがあろうか。


ところで、クライマックスのシーンに、大人のケンゾーと妻と子供がいますが、はてケンゾーも細君も年齢は40を超えているはずだが、妙に若々しく見えるのはなぜだろう。漫画版(昔の少女漫画風味)だと、きちんと風貌が中年になっていたのだが。まあいいか…帽子も受け継がれているし。原作の小説だとどうなっているのだろうか。

エンドロールが終わり、ロビーにでるとたくさんのお客さんで賑わっていた。
映画館は、いつもこんな風に活気があって欲しいと思う。
せめて水曜は男性客も1kにしてくれませんか…ポップコーンLは毎回買いますので。


まとめ
全編フル手描きでこんな素晴らしい作品を作ってくれた東映アニメーションには感謝の念でいっぱいです。
カットシーンを本編に収めたディレクターズカット版が発売されることを期待しています。
これはブルーレイプレイヤー購入フラグかもしれんなあ。
  
posted by ぎゅんた at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 虹色ほたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月31日

映画とパンフレットとヒョウロンカキドリ(AA略)

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仕事休みの6/1(金)は映画感謝デー、だれでもどんな時間でも1kで映画が見れるよー
私は、来るべきその日に虹色ほたるをもう一度みようと考えた。そしてパンフレットも買おうと考えた。
しかし今日は木曜である。明日が待ち遠しい。
…あまりにも待ち遠しくて矢も盾もたまらず、劇場に走りパンフをフライング購入してしまった。
レイトで見たいと思う映画はなかったのでそのまま帰る。明日来るから堪忍な。

映画のパンフレットを買うなんてスカイ・クロラ以来である。パンフ自体、およそ商業的なことしか書かれていないコスパの悪いものが多かったので、ほとんど購入したこともないのである。映画好きの友人の一人は、その昔、劇場に足を運んで観た映画のパンフレットを必ず購入していたが、昨今はそれもやめてしまったようだ。真意のほどは定かではないが、決して安くない映画を観る料金に加えて割高なパンフの料金まで払うことに価値を見出せなくなったのではないか。
確かに、もう少し安くならんかとは思う。「好きな人間は買うから、安く多く売る必要はない」という路線なのだろう・オタ相手の限定商法といえなくもない。ここに映画館の衰退の末端を見た気がするのである。

いまや映画は、見るだけで高く、敷居の高いものとなってきている。ぎゅんた個人は「高いなあ、何とかならんかなあ」とは思いはするものの、まあ、見られなくはない経済状況にある。しかし映画が庶民の娯楽の域を逸脱してしまっているのはヒシヒシと感じる。便利なシネコンが旧型映画館を駆逐し始めた頃からだろうか。便利さの獲得の引き換えに値段と映画愛好家を失ってしまったのか?しかしこう考えるのは早計。昔の映画館がよかったかというとどうだろう?座席指定はないから、見ようと思えば居座って何度も観れたものだが、狭くて不潔な空間だった記憶がある。ポップコーンも湿気ってたし。シネコン形態となった映画館は昔に比べて便利で清潔になった。これでいいのである。

結局は、手軽な娯楽があまりにも多くなりすぎ、映画に割ける時間がなくなったとか、それこそ生活費に困窮する”若者の映画離れ”があるのだろう。映画はかわらず面白く、素晴らしい。駄作は駄作のままで、洋画も邦画も優劣はない。TVドラマ版の劇場版は誰得であることも変わらない。テレビでやれ。


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いつものごとく脱線したので虹色ほたるのパンフに話を戻そう。
700円しますが、それなりボリュームのあるつくりです。A4横版。
ストーリーのネタバレ全開のつくりなので注意が必要です。
鑑賞後、この作品をもっとよく知りたいと思ったら買えばよろしい。

各キャラクターの設定や、背景描写の解説、声優を含めた製作スタッフの細かな情報が載っています。
独特の絵柄と描線は、色トレスと4B以上の鉛筆で描かれているんですな。個人的に好きな表現です。もっとやれ。
後半中盤で、絵柄のタッチが独自路線に変わるシーンがあるのですが、あそこの意図も書かれています。正直、あの描写はちょっとやりすぎでは、とは感じているが、今なら、評価が変わるかもしれない。そこまで挑戦する必要が果たしてあったのかを見極めたい。

というか全編フル手描きって本当だったのか…流石に蛍のシーンは手描き以外の処理を加えているものと思ったのだが。HENTAIすぎるぞ。「劇場版マクロス愛・おぼえていますか」作中におけるオーバーテクノロジーは作品そのものだったというギャグ(?)を思い出す。マクロス・ゼロの空中戦も相当にキてるが…

さえ子がやたらかわいく描かれているのもHENTAI魂に違いない。少なくとも僕はイチコロです。いえロリコンではありませんよ。
パヤオ(国定ロリコン巨匠)にこの映画を見せたらなんとコメントするのだろうか。興味深いものがある。刺激を受けたパヤオは化学反応を起こし、再び「紅の豚」路線の男の物語を作ることになった。・・・らいいなあ。

(パンフ堪能)
ううむ、明日もう一度観たら、終盤のシーンの殆どは涙まみれになり干からびるのではないかと心配である。ばあちゃん…;;

上映映画館を観ていたら、地域によってはこれから公開のところもあるんですね。
夏休みの前にこの映画をみた子供は羨ましいなあと思う。


しかしこの映画、ぜんぜん話題になっていませんね。ネットをしない中高年の間で話題になっているとかならいいのですが。作品的に彼らの胸にはドストライクでしょう。

中道右派の私といたしましては、古き良き日本の原風景を描き残してくれているこの作品には見るべきもが多いと思うし、ノスタルジックだ後向きだと批判されようが、いいものはいいものとして売れて欲しいと思うんですけどね。
あー、あとは正直者が馬鹿を見る今の世の中だけは、日本の国際力が落ちようがどれだけ生活が困窮しようが、是正されたほうがよいと思いますね。社会主義かこれは?
大人になったら、周りには悪い人がいっぱいいて、騙されないように酷い目にあわないように、まず相手を疑って信用しないようになっていくものだが、なぜそうなるのだ。正直者が悪者に騙されて馬鹿を見るなんてそんな酷い話があるか。
昔、小学生は小学生のまま大人になった世の中になればもっと世の中は愉快で面白いものになるのにと心底思ったものであった。勿論、こんな意見は回りに受け入れられなかった。子供だらけで世の中が回らないと。でも、おっさんになった今、結局「大人」は大人の姿を借りた子供の姿をしていて、社会ルールのなかで大人ごっこをしているように思えるときがある。少なくとも俺は、なにが変わったのだろうか?好奇心が減り知識が増えただけで、本体は子供の頃のままな気がする。ゴテゴテと要らないものに拘束されて素直になれない子供のままのような気がするのだ。


また妙なことを書いてしまった。精神が不安定なのかしら。投薬が必要だわ
 
posted by ぎゅんた at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 虹色ほたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月29日

OST 虹色ほたる

nijiiro_OST.Jpg


映画がよかったので、サントラを購入した。映画の感想はこちら
日曜に注文したら今日の昼には届いていた…早過ぎるぞamazon。本屋やCDショップが崖っぷちに追いやられるのも無理はない。

流行のなんたらPOPとやらにはまったく無関心で購入したこともないが、映画のサントラは別だ。
というかサントラ系しか購入していない気がする。歌とかいらないんですよ。しかしクラシックは高尚過ぎて良さがわからんからダメ。ジャズも好きだが、ネットラジオで垂れ流しにするスタイル。このサイトなんかいいですよ。

虹色ほたるは、購入した劇場用アニメーションのサントラとしては、スチーム・ボーイ人狼スカイ・クロラに続き4番目となる。気に入った作品の場合は、応援の意味も込めて購入するのである。無論、曲がよくなければ購入はしないが、曲がいい作品はたいてい、お気に入りになるので無問題。

この映画は静かに感動できる良質な映画であり、多くの人に見てもらいたいと思っているのだが、ネット上の評価をみると癖のある絵柄がネックになっているようだ。

うむ、確かに、劇場サイトで目にするであろう一枚絵がnijiiro_hotaru.JPG
であると思うが、この一枚絵を見ると「紙芝居か何かか?」と思ってしまうだろう。
このシーンは、実際は凄く心揺さぶられる後半中盤シークエンスからのひとコマであります。そしてキャラクターも、この一枚絵からでは「まんが日本昔話」調にしか見えないかもですが、実際は躍動感激しく描かれます。

ヒロインであるさえ子の愛おしさ。
虹色ほたるは萌えアニメではありませんが、さえ子の可愛さは、そんじょそこらの氾濫する萌えアニメのヒロインを凌駕しています。特にお兄ちゃん子属性の方はイチコロになるのは必定。いえロリコンではありませんよ。でも、本当に愛らしく、いとおしいキャラです。
実際にみてくれとしかいえない己の言葉足らずがもどかしい。


残念なのがPVで、いつもの邦画の悪い癖を詰め込んだかのような萎え構成PV(大事なシーンの切り抜き、歌挿入)となっていることであります。PVのテンプレ通りに作っているのだろうが、いい加減、少し変えたほうが良いのではなかろうか。尤も、試写会後のコメントかなんやようわからんが、「感動しました!」「〜〜サイコー!」等と発言している人を映さないPVであるのでまだ良心的かつまともである。もう廃れたのか、最近は流行っていないようだが。


サントラを聴いていたらもう一度観たくなってきた。
石川県で上映しているところは御経塚イオンのワーナー・マイカルしかなく、それも6/2で終了である。
6/1はファーストデイサービスで1000円なので、その日に行くとしよう。二回見に行きたくなる映画は久しぶりである。パンフレットも購入しておかねばなるまい。


まだ観ていない方はお早めにどうぞ。
DVDやBDで観るのを待つのも良いかもですが、劇場の雰囲気で観ないと勿体無いですよ。
 
posted by ぎゅんた at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 虹色ほたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月25日

不滅の記憶とともに 映画「虹色ほたる〜永遠の夏休み」感想

映画「虹色ほたる〜永遠の夏休み」である。
現代のまんが日本昔話劇場版かと思い観に行くことにした。
副題に永遠の夏休みとあるが、あのバグのようなホラーを意味してはいない。

金曜日は仕事が休み。
文化人気取りで映画館へいこう。
上映している映画館が近場にあるのはよいが(ちょっと少ないようだ)、レイトがないのは痛い。
ジャンル的にレイト入場が見込めないのだろうか。映画はレイトで見る習慣が出来ているので、平日昼間に見るのは違和感を覚える。贅沢な気分ではあるが…

大人一枚1.700円也。
いつも思うのだが、日本の映画のチケット料金は高すぎる。
フード・ドリンクを込みとすると、1人平気で2kを越すだろう。これはいただけないにもほどがある。
欧米では入場料は500円ぐらいだと聞いたことがある。羨ましい。だが、チケットが安い分は、フード・ドリンク代で回収しているそうだ。
なるほど、ここにアメリカ人が映画館に行ったとすると、おそらく3Lサイズのポップコーンとコーラを真顔で購入しそうだ。ちなみにリフィル可らしい。上映中に売店に行かねばならんが。
まあボリュームはともかく、その二つやその他を購入すれば、流石の「欧米では」でも、チケット代よりは高くなるそうだ。本邦も同じで、チケット代よりもフード・ドリンクからの収益に頼っているらしい。
若者の映画離れ(というか、金がないので我慢しているだけなのだが。この手の表現を持ち出すやつはなぜ気づかないんだ?)といわれるまでもなく、映画館で映画を観る人口が減っているのは確かだろう。映画はつまらなくなってはいない。他に娯楽の選択肢が増えたのかもしれないし、映画館で映画を観ることに魅力を感じない人が増えたのかもしれない。こうなってくると、いよいよ映画館はその存続が危ぶまれる。映画を映画館で観る。これは立派な社会文化なので、ずっと残って欲しいと思う。


簡単なストーリーは公式サイトを確認してもらうことにしよう。
なにも調べず考えずに映画館に足を運ぶのも良い。というか、そうして欲しい。


舞台設定は昭和52年の山村である。
40歳代ぐらいの人は、確実にノスタルジックになってしまうことだろうが、30歳代の人も、細かなディティールを見ると懐かしさを覚えるに違いない。
背景は恐ろしく綺麗に描かれている。美しい背景に囲まれた箱庭に主人公らがいる感じである。
違和感があるといえばあるのだが、気にならないといえばならない。むしろ、人物らがぐるりの自然の中に居ると分かってよい。
登場人物らの描写、表現には独特のくせがある。
昨今の萌え系アニメやアニメ「蟲師」のような一見したとっつきやすい絵柄ではない。
映画冒頭のシーンでキャラクターをみたときに「うお」っと思うだろう。このまま、最後までこの絵柄でみれるのかと少し心配になるかもしれない。が、結局は慣れていくもので、物語が進んでいくうちに、「この絵柄で良かった」と心底思うに至るのである。物語後半中盤にて作画崩壊のような演出があるが、あれは挑戦しすぎで、個人的には要らない演出だとおもったが。
とにもかくにも、絵柄を気にする人は杞憂であるといっておきたい。

主人公の声やセリフは、まんま現代の小学校6年生である。
仕事柄、この年代の少年たちに接することがあるが、しゃべり方と態度、反応がそっくりである。人によっては、子供特有の憎たらしさとして感じられて不快かもしれない。そのぐらいリアル。
一方で、この時代の子供として居るケンゾーは、清々しく好いヤツで主人公よりも出来た子供に写る名脇役である。

ももへの手紙」と同じで、田舎の風景は美しく、人物らに悪人は出てこない。
これはメッセージ性を分かりやすくアピールするためのものであり、その不自然さにツッコミは要らないのである。
実際にこの山村に足を運び入れたら、日中は蒸し暑さを感じるし、至るところに虫はいるだろうし、不衛生な生活環境であろう。だが、そんなリアルさは要らないわけである。そんなのは分かりきったことなのだ。そういうのは実写でやれ。

話は少しずつ佳境へと向むかう。
鑑賞しながら、このコピペを思いだしていた。

128:風と木の名無しさん 2009/07/15(水) 14:11:41 ID:J2ObqiGt0[sage]
大昔は「8月上旬は30度を超える」のが夏だったのだ 朝晩は涼しかった
8月の下旬にはもう夕方の風が寂しくて秋の気配だった

ドロドロになって遊びから帰ってくるとまず玄関入ったとこで台所のお母さんから叫ばれる
ハイハイしてお風呂場行きなさーい!
全部脱いでお風呂入ってる間に着替え(薄い綿の簡単ワンピとパンツ、以上)出してもらう
出るとテレビをお父さんが見てる。枝豆と汗かいた瓶ビールと首振ってる扇風機
食後にチューチューアイスを兄弟で半分こ
8時だョ!全員集合派だった
蚊帳を8畳間にお父さんが吊って、マンガ本を抱えて入る さっと入らないと蚊が入るので忍者のように
読み終わっちゃって次のを取ってきたいけどもう眠い
電気消すと網戸の外がほんのり明るい夏の夜で、蚊取り線香の先っちょが赤く光ってる
のそっとお父さんが入ってきて兄弟の向こう側に寝る 手を振ると振り返す
だいぶ経って扇風機が止められてお母さんが自分の隣に入ってくる うちわを持ってて扇いでくれる
お母さんの方が寝つきがよくてうちわがコトと落ちる
お父さんが起き上がってうちわを取って、扇いでくれる それが止まるのを起きて見られたことは一度もなかった

お父さんお母さんがいた頃の夏
兄弟とこの手の思い出話をしたことはまだない 泣いちゃうから
じいちゃんとばあちゃんになったら冷たい麦茶飲みながら話してみたい 夏は楽しかったね


小学生の頃の夏休みは、虫取りもしていたし、田んぼ道や野山を駆けたりもしたし、海に連れて行ってもらったりもしたし、ファミコンで遊びまくったりもしたものであった。ぎゅんたの実家は田舎といえば田舎であるから、すこうし足を運べば自然があるのであった。とはいえ、蛍を目にすることはなかったが。だが、この作品を見ると心を締め付けられるようなノスタルジックは感じるのである。これは、恵まれていることだ。


歳をとって俺は涙腺が緩んでしまったのだろうか。
大人になると泣かなくなるものだと思っていたというのに。

物語後半の中盤、主人公とさえ子は秘密の場所にいく。
そこでふたりは小さな言葉で大切な約束をするシーンがあるのだが、ここで俺はさめざめと泣いた。
隣に人がいたらそっとハンカチを渡されかねないほどに泣いた。
懐かしいからとかかわいそうだ、とかそんな感情ではない。
そのシーンでの、二人の切なさと美しさに圧倒されてしまった。もう一度観ても同じように泣いてしまうだろう。


物語は終わりに向かって続く。
親友となったケンゾウと別れをかわす。もう会えなくなるのだ…大切なシーンである。

おれはまたコピペだが、思い出した。

名前: 大人の名無しさん 投稿日: 2001/07/01(日) 12:44

十年前、学生生活を送ったボロ下宿を引き払った日のこと。
その下宿は当時でも稀なほどボロくて、貧乏学生が10人ほど住んでた。
俺の卒業時に残ってたのは6人。俺、同学年のOとM、イッコ上のKさんと
Tさん(ともに一回ダブり)、ニコ上のYさん(二回ダブり)。
最後の年は、なにかといえばこの6人でつるんじゃバカな遊びばかりしてた。
殆ど「馬鹿兄弟」の如き仲の良さで。
皆がそれぞれの行き先へ散っていった日のことはとても鮮明に覚えている。
まず「んじゃあ、行くわー」
と言って就職先の名古屋方面に車を走らせて行くO。
次に「嫌やなー…まだ居りたいわここ」
ブツクサ未練たらしく実家の京都に向かうM。
3番手「コケそうで怖ええよ」
バイクのアクセルふかしてYさん。…県の南端までその「布団袋」積んでく気
なんすか。バイクに。
4番手「家に着くまでに一泊しなきゃいけないの、俺だけ?」
…Tさん。東北まで、廃車寸前のマークUで下道つかうのなら当然です。
5番目は俺「Kさんまだ帰んないスか?」
Kさん「まだ荷物まとめてねえからさ、出発は夕方」
俺「あー、んじゃ、俺行きますね。…そんじゃ、また」
Kさん「うーい、気ぃつけてなー」
車走らせながらバックミラーでちらっと後ろ見た。Kさんは下宿をバックに
ずっと立ってこっちを見てた。カーブ一つ曲がって、Kさんも下宿も見えなく
なった。少し走ってから、パチンコ屋の駐車場に入って、車を止めた。
馬鹿みてえ、と思いながら我慢しきれずに泣いた。いろんなことが思い出されて、 お祭りが終わったのを知って、ハンドルにデコ押しつけてしばらく泣いてた。

…なんかスレの流れにそぐわない気もするけど、堪えきれない嗚咽がもれたのは
あのときが初めてだった。長文スマン。



別れは儀式。ちゃんと立ち向かって区切りをつけておかねばならない。
俺の人生にも、別れはあったが、きちんと立ち向かってきただろうか?

別れる二人が成長していることに、この二人も、貴方も気づく。
日常を過ごしてきたあの時はもう二度と帰ってこない。辛いけども、それを受け入れて、さよならを言う。確かにむずむずするけれども、大切な儀式だ。永遠に残る記憶なのだ。だから切ない。
会うは別れの始まりと知っていながらも、人はお互いに知り合い、記憶をつむぎ、そして悲しむ。それが生きている自分にとってのかけがえのないたからものであるから。


これから先はクライマックスになります。

この作品は是非、映画館で鑑賞してください。静かに感動する映画です。ひとりで観に行くことをオススメします。
スタッフロールには、本編未収録(?)のシーンがさりげなく流れますので、席を立たないで最後まで余韻に浸りましょう。
 

しかし予告PVをみると、全く面白そうに見えないのはどういうこと。
予告編をみて「これはないわ」と思った人は多そうだ。 
なぜ客足を遠ざけるようなPVをこしらえるのか。作り方を考えたほうがいいのではないか。

 
posted by ぎゅんた at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 虹色ほたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする