2017年08月06日

(映画感想)「メアリと魔女の花」 米林宏昌監督の気持ちをフィルムにのせて





まとめ
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「かまいたちの夜」というゲームに、有名な裏シナリオがある。製作者側の裏話をリアリティを込めて作品に投影したシナリオで、切り口を別にしたホラーテイストが衝撃的で話題になった。

邪推かもしれないが、本作「メアリと魔女の花」にも、裏シナリオを感じずにおれないものがあった。
本作で登場したキーアイテムやキーパーソンを以下のメタファーに当てはめてほしい。


ホウキ:アニメーションで表現できるもの/アニメーターの道具

夜間飛行の花:「スタジオジブリ」のパワー

魔法の書:スタジオジブリのハウツーや著作権、権利書

エンドア大学:スタジオジブリ

博士:宮崎駿

学長:鈴木敏夫

フラナガンさん:高畑勲

大学内の生徒や主従ロボ:スタジオジブリで働くスタッフ、イエスマン

モンスターに魔改造された動物たち:才能を持っていたけれど滅茶滅茶にされた有為な人材

ピーター:米林監督の信じるところの「才能」や「才覚」、とても大切にしたい無垢の的なもの



この視点で本作を見ると、米林監督の魂の叫びが透けてくるのである。

ホウキは、アニメーターがアニメーターたる証明であり、具現化のための道具である。夜間飛行の花は、とてつもない魔力の塊のような存在として描かれているが、これを用いる時、メアリは掌で花を潰す。すると水飴のような粘着質のある青色のスライムが発生する。この描写はどう捉えても爽やかさ(一般人が「魔法少女」に普通に期待するような、軽量感)とは無縁である。これをホウキの柄の刻印に摺り込むことでホウキが脈打ちムクムク大きく太くなり自活を開始する。空を飛べるようになる。

「あなたは稀代の天才だわ!」と学長と博士、学生らに称賛されたメアリは、ただ強大な魔力の塊を使っていただけに過ぎないし、赤毛の末裔が本質的に優れた魔女の血統である説明は語られどメアリが優れた魔女の資質を有していたかについての言及はない。米林監督は、自分は才能がある考えてはおらず、謙虚な姿勢であることがうかがえる。


魔法の書は、まさに魔力さえあればできぬことはない「呪文の神髄」であり、かけられた魔法を強制解除する魔法まで記されている。学長が血眼になって固執する様がなにを意味するか、あなたにも、分かるだろう。


エンドア大学は米林監督がみたスタジオジブリそのものである。瀟洒雄壮な外観だが、巨大な扉で外界から隔絶されている。排他的さしか感じられない。誰もいない大学と思わせておいて、内部には学生の姿がある。しかし、2度と出てこない。エレベーターで最頂上の教室でメアリたちをぐるりで出迎えたのは、透明になっていた学生たちである。メアリの魔力を目の当たりにして学長と博士に混じって拍手喝采する彼らに表情はない。ズタ袋を被っているからである。博士に主従するロボットは胸に穴が空いている

この大学では野心に狂うトップ2人が日夜、狂奔している。早口でなにをどう喋っているのか分からない人体改造した博士と、大学の発展と覇権拡大に取り憑かれた肥え太った楽長の姿が執拗に描かれる。彼らは、「昔は良い教育者」だったのである。この二人の存在感は圧倒的である。

大学の扉を抜けた先の中庭には薄気味悪いクリーチャーが見え隠れしている。大学内部には学生らの教室のほか、勉強に明け暮れる学生のために学食やレクリエーション施設を完備している。その一角に動物実験棟が備わっており、博士に「失敗もまた結果だ」と言われるモンスターが檻の中に閉じ込められている。

大学の外、長い階段下にあるホウキ置き場にはフラナガンさんがただ1人で存在し、饒舌で早口な、独り言に近い言動でメアリに接する。悪い人ではないが、完全に心許せるほど理解しあえそうな感じは最後までしない。ホウキへの愛情に満ちた超マイペースな人物である。窮地に立たされたメアリとピーターの前に現れ「ホウキを粗末に扱っちゃならん」と手渡し去っていく。学長に「フラナガンめっ!」と歯ぎしりされ、博士に「あいつは変わらんな」と言われていたりする。


捉えられたピーターは「若い方が魔法の影響が素直にでるから望ましい」と博士の実験材料にされる。この実験で博士がなんの誕生を求めているのかがよく分からない(博士本人だけは遮二無二)あたりが面白い。水色のスライムになったピーターは制御不能となり破壊活動を開始することになり、博士は「なんで失敗したんだ」と狼狽える。学長は魔力を吸われる。メアリとピーターは力を合わせて魔法の書にある「強制解除」の魔法を発動することでピーターの変身を解く。

一連の騒動が終息する。博士と学長は「魔法つかいだから生きてるでしょ」と安否の確認がないまま放置されるが、生きている。ただし、モンスターから魔法を解かれた動物たちに囲まれる場面で終わる。2人に寄り添うように集まってきたようにも見えるが、詰め寄られているようにも見える。

ホウキにまたがってピーターと帰途につくメアリは、シャーロットおばさんに鏡ごしに手渡された最後の花を手放し捨て去る。掌で潰しもしていないのに、花は空中に四散するのだった。スタジオジブリはもうなくなったし、米林監督は独立の道を歩み始めたからである。


以上は、誤った鑑賞の仕方かもしれない。しかし、こう見ないと本作は売れない凡庸な映画の烙印を押すことになる。ジブリ風作品を期待した大人には爽快感のないことにくる物足りなさを、子どもたちには薄気味悪さからくる興醒めをもたらす内容だからである。効果音がやたら尖っていて耳に煩く、陰鬱な雰囲気があり、不気味なエッセンスの露呈を隠しもしないこの作品は、およそ多くの観客の期待を裏切ってしまう出来だからである。

しかし、米林監督のスタジオジブリに対する印象、また「ポストジブリ」を背負わされたことに対する心情と答えをアニメーションに仕上げたのが本作であると考えるのであれば、本作は途端に生々しいメッセージを、実に生き生きと伝えてくるのである。

なお、「電気も魔法である」ということと、博士の実験の暴走の描写から原子力発電への否定的な見解を示すメッセージを醸し出しているが、断言してもよいがブラフである。宮崎駿が原発が大嫌いなことを承知の上で、狂気にひた走る博士にメルトダウンさせているだけである。
 
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2017年08月02日

(映画感想)「ジョニー・マッド・ドッグ」




子どもには安定した社会と大人の庇護と教育が不可欠だと思い知らされる映画。戦争映画の範疇に入る作品だと思われるが、派手な戦闘シーンや残虐描写はない。暴力描写よりも、銃を持って殺人をも厭わない子どもの姿を克明に映している。ストーリーのある映画だが、ところにドキュメンタリさが感じられたりして、冷たく残忍な現実をフィルムを通して伝えてくる。「カティン森」や「ホテル・ルワンダ」のような、視聴することで魂を抉らるタイプの作品。

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アフリカを舞台にした映画は数あれど、どれもこれも内戦の哀しみが描かれるきらいがある。まるでアフリカは内戦で大地を血で染め尽くしていると言わんばかりである。アフリカ各国の発展が遅いのは、内戦が起きざるを得ない国家間構造(構造的に民族対立を煽りに煽るスタイル)と不安点な政情による貧困に原因があるのであって、アフリカ人の知能が低いとか、赤道近辺の人種は怠け者だとかいう意見は偏見に満ちた的外れである。政治・経済が安定すると、社会情勢が安定し、発展の道を辿ることになるのが普通だ。ただし、アフリカは民族対立が蜂起しやすい構造にあるために、いいところまで行くと内戦がおこって「ポシャる」ようである。海外に留学にでた知識層は国に帰らず、良識ある治世者は心が折れそうになっているのである。アフリカで発展しているイメージにある国家は南アフリカ共和国であるが、犯罪率は依然と高いようである。このまま数十年、国が維持されていけば時間が社会の安定化に寄与するものと思われる。勿論、私はアフリカ詳しいわけではない。世界中の多くの人も、そうだろう。アフリカに関する情報をニュースや書籍や映画で得ているに過ぎない。

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舞台は作品中では明らかにされないがリベリアのようだ。リベリアには、過去の内戦時の混乱を生き残った人や少年兵が今も民主の中にいて普通に生活しているそうである。内戦が終われば、職を解かれる兵士もいるわけで、本作の主人公ジョニーもそのような扱いだ。悲壮な姿が描かれる。少年兵というのは、大人の都合に理不尽に巻き込まれて人格も人生をめちゃめちゃにされた使い捨てのような哀れな走狗だということである。この作品のフォーカスは少年兵の姿にあり、彼らを産んだり利用している大人の姿は控えめである。そこがまた、救いの無さを強調している。
 
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2017年07月01日

(映画感想)「エンド・オブ・キングダム」


「エンド・オブ・ホワイトハウス」の続編。主人公補正バリバリのタフネスSPが、警護の対象である米国大統領をあろうことかバディにするように立ち回るスーパー脳筋アクション映画。

現代は平和を享受していると思いきや、テロの脅威と恐怖に常に包まれた世界である。我々はいつテロの厄災にあうか分からない不安と共存しているのである。テロは、デカイ顔をしたがる西側先進国の東側陣営へのちょっかいによる文化的軋轢が引き金で始まり、小競り合いが生じ、大国の思惑が横入りしてきて泥沼と化し、憎悪と復讐の連鎖で雪だるま式に成長して収拾がつかなくなるものである。本作のストーリーラインの根本も、そんなところにある。西側も東側も、お互いを尊重して絶対非干渉を貫くならテロなんて起きないと考えるのはお花畑だが、そう信じたくもなるし、実現したら面白い気がする。だが、同じ惑星に住み気象や資源を共有している以上、非干渉は叶わぬ夢なのである。従って人類は、国境を引いて区別されるべき集団を形成する。家族が住む家の中にだって壁や仕切りがあるのだから当然だ。お互いのために線引きが必要であるし、それがマナーなのである。いまや「世界市民」を信奉するのは左翼かぶれぐらいのものだろう。ありえないのである。

本作は、結局のところはアメリカ万歳映画である。直情的ですらある。そこには「米国最高!!あ、まあ英国もいいよねオレらの親だもんね」な意識が透けてみえる。ドイツ・フランス・イタリア・日本のトップはバカ扱い。ロシアが登場しないのはギャグ扱い。中国の姿が全くなかったのは意外。米国のパートナーは英国だぜ!のスタンスを演じる一方で中国を絡ませると「色々と面倒」だったのが事実かもしれない。

テロを引き起こされることになった遠隔攻撃への反省の念はないので、最後にまた同じことをするあたりは真顔なのかしたり顔なのかギャグか分からなくなる。米国映画なのだから当然かもしれないが、せっかくテロを題材としているのなら、もう少し小難しいエッセンスを加えても良かったのではないか。そうすると、アクション押しが叶わなくなるので、アクション重視に舵を切ったのだろう。実際、感心するほどまでにアクションシーンが多い。暴力描写は控えめであるが、お腹いっぱいになれるは必至である。

米国は、テロで巻き込まれる一般人への配慮がないと指摘される。そんなもん東側のが酷いだろと思わないでもないが、それはそれとして、安全な場所からターゲットを確実に仕留めるなら、犠牲はつきものだとする意識は確実にある。西側の映画では、常に一般人や子どもに被害が及ばないよう配慮する軍の姿勢が強調されるのは、実態が異なるからである。だから、従軍した兵士が精神に異常をきたす。無関係の人質を殺してしまって平然としていられるほど人間は器用ではない。

この映画では、テロで巻き込まれる一般人についての謝罪はない。一方で、テロを起こす犯人への無慈悲で異常ともいえる憎しみは燦然としている。テロを起こす連中など殲滅したくてたまらない米国の恐怖が透けてみえる。テロで巻き込まれる一般人にしても、テロ組織の人物とつながりがわずかでもあればそれは共謀者であるから構わないと考えている姿勢も透けてみえる。テロを画策する連中とつながりがあろうものなら一方的に殺されても文句も言えない社会を目指しているように思える。昨今、国家を紛糾させたテロ等準備罪への曖昧模糊とした気持ち悪さの正体がここにある気がするのである。
 
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2017年06月27日

(映画感想)「アウトバーン」




タイトルとPV動画から「麻薬の運び屋がアウトバーンを爆走するかアクション映画」を想像したものであったが、そんなことはなかった。惚れた女のために体を張る、割と真っ当なアクション映画で、その中にアウトバーンとカーアクションが混じったものだ。原題は「COLLIDE」であり、そこにはアウトバーンの意味はいささかも含まれない。本邦上映の際のタイトル改変が、中身に誤解を招くようなものであるべきではない。とはいえ、「コライド」と直訳タイトルであってもインパクトに欠けてしまうのだが。

結論から感想を述べてしまうと、本作は「平均点以上の出来のカーアクションもの」になる。濃く短く、テンポの良い内容にするために描写を端折ったのだろうが、それが説明不足となって満足感を削いでしまっているところがある。これが惜しいところで、もう少し丁寧な描写を織り込んでいれば、評価が高くなった作品であろうと思うのである。

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例えば主人公は、自動車泥棒を派手にやりすぎて米国に居られなくなったことが述べられる。その際に「自動車泥棒の天才だ」みたいな修飾もつく。しかしアッサリすぎる。この作品で主人公は持ち前のドライビングテクニックと、なにより自動車ドロのスキルを発揮して活路を切り開いて行くだけに、説明が足りない。

自動車泥棒に必要な心得や哲学、過去の経験などを相棒に説いたりするシーンが序盤に少し設けるだけでこれは回避できたはずだし、なにより主人公が活路を切り開くシーンに説得力が出て盛り上がったはずだ。主人公補正や運が良いだけで切り抜けられたかのようにみえてしまうのは良くない。

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次に、主人公の相棒である。
実はものすごく仲が良く信頼し合った間柄だったのだなあと分かるのが最後の最後である。こうした「相棒」は、とかく裏切り役に転身するものである。そうでないなら、真のバディであることの説明がないと気持ち良さがない。また、バディとして活躍するシーンがほとんどないので、物語から外れてしまっている。男同士が信頼し合ったバディであることが明らかで、(この相棒が)もっと活躍してくれれば更に良い内容になっただろう。活かせる素材を無駄にしている感が強く、惜しいのである。

ヒロインは麻薬が原因で両親と別れた設定があまり活かされなかったかなと思う程度。正統派パツキン美女で、主人公が一目惚れするのも頷けるビジュアルがよろしい。高級車と美女は合うのである(このヒロインが高級車に乗るシーンはないけど)。

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ストーリーは深く考えなくて良い。高級車は乗り捨て感覚。道交法違反や騒動に巻き込まれた一般人の行方は知ったことではない。終盤にどんでん返しもある。しかし流石に無罪放免はないと思うのだが、海外の警察はいい加減なのか。娯楽アクション映画におけるストーリーは、作品のもつ「勢い」と「興」を削がない添え物であれば良いわけで、その意味では本作のストーリーは合致している。ただ、そこで動く駒である人物たちのフォーカスの点で不足があり、それが本作を視聴しての物足りなさにつながっている。

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ケチをつけるような感想になったが、要は深く考えずにみれば良いカーアクション映画である。暴力描写は低めで、恋愛描写が(この手のジャンルにしては)丁寧で中性的なのも特徴か。美しいケルンの街並みやドイツの風景が見ることができる観光ムービーとしても楽しめなくはなさそうだ。おヒマな時の一本にオススメの作品だ。

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2017年06月26日

(映画感想)「デスプルーフ」



終わったあとに妙な達成感のある刺激の強い娯楽「洋画」。映画って、こういう味があるものよね、という懐かしさを覚える内容。しかしセクシャル描写やバイオレンスさが強いところがあるので、子どもが見たら面白さ云々よりトラウマになりそうだ。大人が見ると、毒の強い、まあいつものタランティーノ作品として楽しめる。


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洋画というと、米国のどこかの田舎町を舞台にした活劇や物語をテレビ越しに日本語吹き替えで楽しむものであったと思う。私(30代半ば以降おっさんたち)は、そうだった。そうやって、異国の文化を知ったし、憧れたし、戦慄したりしたものだ。外国は、洒落ているなあ……と感じ入ったものである。エンディング近くになる頃にはもう眠くなってしまってコロンと寝てしまうのが常であった。


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この作品は、撮られた年代を差し置いてもかなり古臭い映像になっている。監督の計算尽くのようで、そういう作品として撮ったのである。子どもの頃に感じたあの「洋画」の味がするのも、当然のことだ。倦怠で停滞した空気に満ちた米国の田舎町と若者を題材に、セクシャル、暴力、カーチェイスといった、映画ならではのストレートな描写が押し込まれている。計算尽くのノスタルジック作品であるので、大ヒットすることはないだろうし、物語の進行や映像描写がネチッこいので好き嫌いが分かれてしまう作品だ。私は楽しめたが、それは、昔の洋画の雰囲気を懐かしく思うことのできる独自の心理があったからではないかと思う。


イカす曲が流れるエンドロールが始まる。
ところで、チアガール姿の女の子はどうなったんだ?
 
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2017年06月16日

(映画感想)「奪還者(原題:THE ROVER)」 人間のパートナーはやっぱり


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世界経済が崩壊して10年後のオーストラリアを舞台とした物語。

こういう設定を聞くと「マッドマックス」「北斗の拳」を想起し、肩パッドバギーにまたがったモヒカン男がヒャッハーしている荒野を想像してしまうものですが、いえ私もそうなのですが、この「奪還者」は異なります。乗り物は存在しますが、肩パッドもバギーもモヒカンも登場しません。実際に世界経済が崩壊してしまったら、どうなるのか?を監督なりに考えて反映された世界(といってもオーストラリアだけですが)が横たわるように描かれています。低予算映画ですが、虚無と荒涼をたっぷり味わる出来はお見事。

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現実的というか、いややっぱヒャッハーにはならんよねというか、そうやろなあというか。
なにしろ、登場する人間たちの多くは生きる屍というか、目的もなくただ生きているだけというか。普通、もうちょっとサバイバルのためにアクティブに活動するでしょうよという想像を裏切っての無気力具合を見せてくれます。寄る辺のない蘆(アシ)のように、ただ生きているから、惰性で生きているだけで、希望を持って生きていこうとする意志が希薄です。

略奪や強盗、小競り合いに殺人は普通に起きている世界のようですが、強欲な悪党が富を集めるために行われているわけではない様子がみてとれます。富を集めても仕方がないという、欲望の鍋の底に穴が開いちゃっている心理が蔓延しているようです。その割には、現金が米ドル優位で通用したりするあたりが妙味。競争原理の働かなくなった資本主義ってこんな世界なのかもしれない。中国企業の流入と台頭、実効的支配が始まりつつありそうな描写が実にスパイシー。

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物語冒頭で敵役の悪党どもが登場しますが、彼らにしたって、生きていくために必要だから暴力行為に出たのであって、殺しを肯定しているわけでも楽しんでいるわけでもありません。それが証拠に、主人公と対峙した時に銃で殺すわけでもなく、気絶させただけで立ち去っています。人間同士、ナチュラルに銃を突きつけあってコミュニケーションを取る世界であったとしても、ど過ぎた欲望がなければ人は、人殺しは肯定されないのかもしれません。別に彼らが慈悲深かったわけではないはずです。必要もないのに殺すのもメンドクセーってところかも。それが後に自分たちに悲劇として降りかかってくることになるのが皮肉なのですが。

一方の主人公は、次第にわかってくるのですが、人殺しを厭いません。殺してもさしてなんら精神に痛痒をきたさない平素っぷりです。「壊れている」ことが分かります。なぜ彼がそうなのかとか、そんな彼が実は、とかがこの映画に大きな含みを持たせる全てになってきます。しかし、まったくもって救いはない。すごい映画だ。
 
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2016年12月09日

映画感想「イコライザー」

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「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力である」という有名な言葉がある。この作品をこの言葉に無理やり当てはめると、「正義ある力」になる。デンゼル・ワシントン演ずる主人公ロバートはホームセンターの主任を務める知的で影のある中年男性で、健全で規則正しい日々を過ごしている。男は強い義侠心があり、元裏社会で活躍した凄腕なのであった。物語は行きつけのダイナーで出会った少女との交流から始まる。

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法が捌かぬ目の前の悪モンがとっちめられて、それによって弱者が救済される勧善懲悪もの。日本人が好む必殺仕事人路線を髣髴とさせる映画。悪事には正義の鉄槌が下ってしかるべきである、と考える人は楽しめるだろう。デンゼル・ワシントンの衰え知らぬ好演も光る。ホームセンターで働くおっさんの正体がこんなに格好いい男というギャップが良いのである。ところで、売り物のハンマーを「仕事」の後に拭いて棚に戻していましたが、中古品になってませんかねそれは。

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ロバートは最初から「仕事人」であったわけではない。ダイナーで出会った少女を理不尽な暴力から救うためにとった行動から始まっていく。その過程は決してドラスティックなものではない。ロバートの葛藤や逡巡があり、仲間との交流があって最終的に成立していく。この辺の流れは等閑に付されず丁寧に描写されているため、人によっては展開がスローに感じるかもしれない。加えて、派手な銃撃や爆発アクションは少ないので思ったよりも地味かもしれない。確かに、冗長なところが見受けられる。

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良作と呼ばれる映画は、不思議と引き込まれる妙味もっているものだ。本作もそうで、キャッチーさに乏しい淡々とした映画であるにもかかわらず、保障された面白さに底支えされている。シナリオも複雑そうで全然たいしたところはないそれなので頭を悩ませることはない。ポップコーンを片手に娯楽タイムを決めよう。英語字幕可。オススメ。
 
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2016年12月05日

映画感想「キャピタリズム マネーは踊る」

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まとめ
米国の極端さは世界一ィィィィ!


アメリカには住みたくない、と、マトモな感覚の人なら誰しもが思う。犯罪率が高いとか、英語が話せないとかいう次元の話ではない。人間だからなしえられる種の歪さに支配された国家だからである。自由と平等が約束されていて、誰にでものし上げれるチャンスが与えられた国ではないのである。

学歴社会の加速化とかジニ係数の上昇だとか「格差社会」を訴える声が喧しい昨今であるが、米国に比べれば日本はぬるま湯みたいなもんである。安楽とばかりにぬるま湯につかり続けていても埒があかないし、温度をゆっくりと上げられれば気づいたら茹で上がってしまう(「釜中の魚」)わけでもあるが、マシな状況ではあるわけだ。というか、米国が酷すぎるのである。日本以上の学歴社会で1%の超絶富裕層が底辺95%を牛耳っている極端さだ。経済格差の実体と、なぜその格差が生まれるのかについて。そして、その格差を生んだ原因が資本主義にあることをムーアは訴える。

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資本主義というのは、「金を持っているものが強く(資本家・経営者>労働者)、金を持っている者は、それを元手により金を稼げる」システムが成立している社会を言うのだろう。金を稼ぐためと誰もが儲け主義に走ると弱肉強食の社会と化し、社会の恒常性が破綻するので、(儲けを度外視した)社会保障が組み込まれるのが普通である。国家を運営するコストがかさむ要因にはなるものの、国民が概ね安心して生活できる社会を醸成する上ではベターな選択と考えられる。

米国は資本主義が突き進みすぎて、破綻寸前のように思える。徹底した資本主義の邁進が原因で、皮肉にも自らが資本主義の限界を体現してしまったような段階にある。次代の米国を担うべき優秀な若い人材がこぞって金融業界に押し寄せている現実は、「稼げる業種」を選択する当然の流れでもある一方、高額な学生ローン(銀行への借金)の返済のためという切実な理由が存在する。大学では生産性の高い人材を育て排出しているのに、生産性が低いどころか破壊的な分野―働けば働くほど世の中が悪くなる―に彼らを送り出している。

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ビジネスというのは、「現金化する仕組みを作ること」だと私は理解している。資本主義では、これが当然ながら尊ばれる仕事ということになる。徹底した資本主義を邁進した米国では、社会にあるあらゆるものがこの「現金化される仕組み」に組み込まれている。「ゆりかごから墓場まで」ではないが、農業から刑務所まで、ありとあらゆるところに資本主義の根が張り巡らされている。よくもまあ、そんなこと思いつくわと感心するというか呆れるというか。「超えちゃいけないライン」を軽々と突破している非道さに背筋が寒くなる。悪魔と契約することでアイデアを思いついたとしか思えない。三途の川の渡し賃すら奪い取り、奪衣婆に衣服を奪い取られることになった亡者のために貸衣装屋を用意して徹底的に搾り取るスタイルを繭一つ動かさず淡々と行うレベル。恐ろしいのは、こうした所業を「資本主義のルールに則っているだけ」と真顔で考えていそうなその精神性である。悪いことしている自覚はあるだろうと思うが、性根のところで絶対的に冷血なのが毛唐である。自覚がないか、自覚があっても日曜日に協会に行けば赦されてチャラと真顔で考えていそうである。


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マイケル・ムーアは民主党支持の左翼だが、日本の売国奴体制批判病のサヨクと違って真に愛国者である。「いつまでもアメリカに住み続けたい」と語る彼は自国批判を行い、米国の暗部・問題点をドキュメンタリ・フィルムの形で痛棒を喰らわせてきた。本作は2009年発表であり、リーマンショックを経ての銀行に対する米国民の怒り、そしてオバマ政権への国民の期待の高さも収められている。ムーアは民主党支持なのでオバマ政権に心底、期待したであろう。

結局のところ、彼はオバマのことを「良いこともしてくれたけれど、期待はずれだった」と評するようになる。先の大統領選ではバーニー・サンダース支持だったようだが、サンダースはヒラリーに民主党代表大統領候補の座を譲ることになった。ムーアがどれほど嘆いたかは想像に難くない。そして、この大統領選はトランプが勝利するとして、5つの理由を述べた。私には、反ウォール街を謳うトランプに期待する米国民が、表立ってトランプ支持を表明しなかっただけで相当数にいたことが当選の決定打になったのではないかと思う。金融で儲ける現代資産家への妬み嫉みもあるが、マネーゲームで巨額のお金を稼ぐのは、もういい加減にしてくれやという心理である。

アメリカだけにゃあ、住みたくない…。
 
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2016年12月01日

映画感想「星を追う子ども」説得力のない優しい世界

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まとめ
駄作ではないが面白くもない


喪失感を抱きながら生きる3人の主要人物らが登場する。舞台はアガルタという地底世界(地上からアガルタに入る際に重力が反転したのだろうと想像させる場面がある。なぜ天候が存在するかは謎)で、死者を蘇らせることのできる生死の門を目指す旅を描く。

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「当てるな」と指示していますが、体の近くを掠っただけで肉片になると思います


やたら高いところから飛び降りまくるシーンが目立つ作品。飛び降りる。普通は死ぬ。着地シーンは描かない。なので死なない。細かいところが終始ハッキリしない作品になっている。舞台のアガルタが架空のファンタシー世界なので、理屈ぬきで楽しめばいいだけの話をかもしれないが、残念ながら、物語に没頭できるほど作り込まれていない。3人が行動することに共感と納得ができないからである。意味深なセリフも心情の吐露も号泣シーンも、「台本にそうあるので、そう演技してます」以上の印象を受けない。冷めた気持ちでただそれを眺めているだけだ。

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(`・ω・´)


2度と地上に戻れないかもしれない未知の世界への危険な旅になるというのに、なぜアスナはモリサキに同行する決意をしたのか(小学6年生の少女がさして逡巡もせず)。

10年前に亡くした妻を蘇らせるために死者の門を目指すモリサキは分かりやすい。しかし、なぜそこまで妻を愛しているのか、蘇らせたいかの真意が分からない(「それが愛だ」と監督は真顔で考えているのかもしれないが、普通、10年も経てば妻を喪失したことへの心理的な決着はつくものだ。「本当に愛した人なら亡くしたことでより愛が深くなる」とも考えられるが、純粋すぎる童貞の考えにすぎないと思う。モリサキは蘇らせた妻になにかを伝えたいのか。聞きたいのか。ただ抱きしめたいのか、なにも分からない。)。

シンはアガルタ人であり、亡きシュンの弟である。優れた兄と違って半人前だと思っている。シュンを想うヒロインに正対する存在であるはずだが、物語の都合の良い牽引役以上の存在感がない。

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アガルタという架空の世界は、オープンワールド・ゲームの舞台にすると映えそうであった。それはつまり、「どこかで見たことがあるアレが豊富」の裏返しだが、普遍的なファンタジー世界を描けているということであり、これは王道といえる。本作のストーリーは、そのエッセンスに、「異世界の冒険と終着点からから得た知見と自己の成長。そして未来を生きることを選ぶ人間の姿」を持つ。これも王道といえよう。加えて、人が本質的に抱くべき「命について」をストーリーに巧みに織り込んでいることから、この脚本を書いた人(深海誠)の性根の優しさを垣間見ることができる。問題は、それなのに面白くないというところにある。もったいないとこだ。

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決して駄作ではないが、気を使って好意的に解釈しないと面白いと評価できないところが残念。「君の名は。」で燦然たる名声を勝ち得た深海誠にも、こうした迷走期があったのだと思うと感慨深い。

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2016年11月22日

映画感想「この世界の片隅に」


まとめ
本年度最高傑作は間違いない。いますぐ劇場へ!

素晴らしいアニメーション映画。
平坦なドラマ展開に終始する地味な作品のくせに、なぜこうも心に深く重く響くのか。エンドロールになっても退場する観客が全くいなかったのは、やはり皆、言葉でうまく説明できようもない感動で胸が一杯になっていたからである。余韻に浸って動けなくなったのだ。この作品の感想を述べることは難しい。素晴らしいからみてくれとしか言えない。

この作品のどこが凄いのか?
…全部。と答えると陳腐だが、あながち外れた意見ではないはずだ。

作品内には、珠玉のように磨き上げられた様々なピースが散りばめられている。それらが、使い捨てされるように惜しげもなく流されていく。そのさまのなんと自然なことか。なんと贅沢な使い方であろうか。レベルの高い美術館で過ごす時間が極めて充足感に満ち溢れるように、本作を鑑賞した誰もが、お腹いっぱいになれる。さあ、早く映画館へ行こう。リピーターになっちゃいそう。
 
posted by ぎゅんた at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする