2018年05月02日

「若者のクルマ離れ」説

不明 (1).jpg
特に意味のない画像


東洋経済ONLINEでこんな記事が

「若者のクルマ離れ」説で見落とされる本質 新しい価値を提供できていないことが問題だ

読みやすく親しみやすい文章。良い記事であろう。内容にツッコミを入れたくなる意味でも…


まず、コメント欄でも散々の指摘がなされているが「若者のクルマ離れ」の原因については記述が甘すぎる。これに関しては、不思議なことに、いかなる識者も見当違いな意見ばかりを口にしている。小難しく考えすぎなのか、現状認識があますぎるのかは分からないが、的を外した意見ばかりである。訳知り顔で、手近な娯楽が増えすぎたため、とか、スマホという完結したオモチャがあるから、とか、将来の社会不安から貯蓄に走っているから、とか述べているが、本質は外している。

答えは単純明解。若者に金がないことである。「金のワカモノ離れ」というほうが正しい。
「若者の〜離れ」シリーズは、ほとんどがすべてこれで説明がつく。

生活水準は昔と横ばいやや上昇したものの、給料水準は物価の上昇とはリンクしていない。便利になったのはインターネット技術と電子ガジェットの進歩であり、主にスマートフォンの普及が筆頭である。我々の生活スタイル昔のそれとは異なる様相に変えたことで、これはイノベーションである。

とはいえ、インターネットの発達と普及が、我々が住むこの世の中を豊かにしただろうか?と問えば、誰もが首を横に振ったりする。インターネットは、情報の収集に極めて便利であるが、もはや衆愚に犯され、歪んだ商業主義が入り混じることで実に魅力のない世界になってしまった。

検索エンジンにしても、昔のような「一個人の考え」が優先的に排除されているのか分からないが、ヒットしてくるのはテンプレート通りの小綺麗な業者仕立ての情報ばかりである。それを嫌うムーブメントによってSNSが台頭してきたが、次第に馬鹿な個人をさらけ出す発見器に成り下がってしまった。落ち着く先は、電話よりも手軽で便利なコミュニケーション手段としてのみである。いまでは誰でも持っているから、当然のように固定費用がかかることになる。格安SIMを賢く利用したり、馬鹿らしいソシャゲ(ガチャ、課金)に手を出さなければ、月額も大したものにはならないが、年額にすれば結構な額になるものだ。

情報収集のできる便利なコミュニケーションツールは持っている。けれども、そのことが豊かな生活や満足感に繋がっていない。所詮人間は、自分の生活圏において、便利で快適に自分の自由が利く裁量が大きくなるほど豊かさを自覚する側面があるものだ。とすればそれは、お金を持っているかどうかということに帰結してくる。金は無慈悲な主人だが、同時にこれほど優れた召使いもいない。ただし、金があっても人格は買えない。


真っ当な人間なら、金がないなら、節約したり消費を控えたりするものだ。偉人・上杉鷹山だってそう唱える。まず自由の利く金を確保して、そこから考えるのは良いことだ。これを非難する方が馬鹿げている。

ローンしてでも買え?自分たちはそうした?そんなこと言われても知らん。ことあるごとに「時代を読んで仕事をしろ」と偉そうに高説述べてるのはギャグか?

今の若者たちは馬鹿ではないし、よく耐えていると私は思う。普通、これほどまでに金がなく貧しかったら暴動が起きたりモラルハザードが起きるものだ。だが、暴動を起こすのは頭がオカシイ種の「左巻き(ネット用語でいう「パヨク」)であり、モラルハザードはバブルの時代を忘れられない中高年や、金持ちになることを焦っている山師ばかりに見られる。「ワカモノ」の大多数は、むしろつとめて真面目であり、文句を言わず勤労し、納税し、社会に貢献しているのである。清貧と言ってよい。現状、高い給与を求めて海外に飛び出していく若者は少ないようだが、島国であることによる引きこもり気質と治安の良さが若者の国外流出を防いでいるにすぎない。政治家は、気づいているのだろうか。

「若者のクルマ離れ」に危機感を募らせる筆頭は自動車メーカーである。次に自動車が日本国の基幹産業であることを理解している政治家であろう。彼らが現状分析のため依頼するシンクタンクは、お抱えの識者からの意見をまとめてプレゼンしているのであろうが、先述の通り本質からずれている(「若者に金がないこと」を頑な認めたくないのか、意図的に無視している?)ので、最終的なアウトプットの段階でチグハグなことになるのである。


かつてトヨタが若者ターゲットにしたスポーツカーとして『トヨタ・86/スバル・BRZ』を企画した。大きな期待も末に発売されたが、およそ若者が買える価格ではなく、クルマファンの失望を買った。これじゃ買えるのは「ハチロク」世代の中高年じゃないかと。そして、実際にそうであった。若者は買いたくても買えないし、スポーツカーに興味はなかったのである。クルマ好きの若者は、1990-2000年代の中古スポ車や、安いベーシックな車のMTモデルを購入して大切にしているようだ。そうだろうと思うし、それが良いとも思う。

幸か不幸か「86/BRZ」はヒットモデルとなり、売れるならこれでいいの旗の元に落ち着いてしまった。確かに、価格が安ければ若者に売れるほど甘い世界ではないし、安全基準を満たすための装備の拡充など、車体価格に直結する製造コスト増は右肩上がりである。売れるクルマ(ヒットモデル)を出すことは極めて難しい。ターゲット層には売れなかったけど、結果的に売れたのならそれで良いと考えるのは当然だ。次期86は、もう若者をターゲットにしていないはずである。

「86/BRZ」を新車で購入できる若者は中流階級に属する数少ない存在にすぎない。昔と異なり、中流階級に属する若者の数が激減してしまった。

結局のところ、世の中を牛耳っている連中が自分たち世代かわいさに、雇用や人件費を削りまくったことが原因で、資本主義社会において最も重要な基盤層となる中流階級が少なくなってしまった。いきおい、増加した低所得層は相対的に豊かさを喪失して生活に困窮を覚えるようになった。これにより、消費行動は萎縮され縮小化されていくばかりである。低所得層であれども善良な納税者であるから、数でカバーできると考えられているかもしれない。しかし、低所得層の増加と社会保障からの支出は殆どセットであるし、将来の国力に直結する教育水準の足を引っ張る傾向にある。低賃金が原因で生活保護受給者以下の生活を強いられている労働者が存在する現状は異常である。

日本社会に活力を取り戻すための骨太策があるとすれば、中流階級層を増やすことである。生活に満足を覚えており、一般的に教育水準が高く、適度に消費活動をしてくれる善良な納税者だからである。そうすれば「若者の〜離れ」は、すぐに死語になるだろう。
 
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2018年03月15日

アルファードとヴェルファイア



東洋経済ONLINEにて、興味深い記事があった。
トヨタ「アルヴェル」が苦手な人たちの心理


ミニバンという出自ながら、よくぞここまで育て上げたものだと感服させられるのが、トヨタのアルファード/ヴェルファイア(以下、アルヴェル)である。同じような意見を持つ人は、多いだろう。

ファミリー向け、家族臭、貨物、ダサい、実用性第一……

エンスーの求める要件とは対局にある特徴の塊でありながら、今や日本のみならず海外でも「高級ミニバン」という立ち位置を絶大なものとして確立させたのだから。成功者やVIPがアルヴェルのような大きなミニバンを普通に買い求め、乗り回している時代になった。冷静に考えると、本当にトンデモナイことである。私のようなオッサンは、成功者やVIPは高級黒塗りセダンやスーパーカーに乗っているイメージがあるのである。だがその考えは時代遅れだ。

もっとも、エンスー気質や昔向きの考え強い人は、アルヴェルの魅了は分かっていても、ちょっと「外す」意味で別のモデルを買い求める向きがある。ただし、それとてトヨタ・ランドクルーザーやレクサス・LX、ポルシェ・カイエンといった高級SUVであることがほとんどであり、高級黒塗りセダンが選ばれることは少数だ。ベンツ・Sクラス以外の高級セダンは姿を消したのか?

コンサバとフォーマル、自動車としての性能を追求すれば、やはりセダンにかなうボディタイプはない。さはさりながら、もはやセダンは過去ほどの威光や羨望の対象をもたない。むしろ車高が低くて小さくて狭苦しい印象をもたれ、SUVにその地位を奪われてしまったかのようだ。時代から除け者にされた不遇な境遇にあるといえる。中古の高級セダン乗り回している品性のない連中が目立つこともマイナス要因である(理解不能なシャコタンや改造を除けば、中古の高級セダンを購入することは賢いことなのである。丁寧に乗られていたであろう個体を不人気車種であるがゆえに安く入手でき、セダン本特有の「走りの良さ」を味わえるからである)。

ひと昔前は、SUVが現在のような世界的ブームになることは誰も考えていなかったが、いまではどのメーカーも熱を上げてSUVを開発している。そうすると競争原理が働くために、魅力的なモデルがどんどん出てくる。セダン市場とは、対照的だ。エントリーモデルからそうでないものまで、豊富に幅広い市場が開かれている。マセラティやランボルギーニまでもがSUVを発売し、この市場は益々の盛り上がりを見せている。フェラーリがSUVを出すのも時間の問題だ。


消費活動にもっとも鋭敏なのは、実のところ若年層である。正規雇用者の賃金が諸外国に比べ低いままに据え置きにされている日本は、悲壮なことに中流階級層の数を減らし続けている。出世や成功でがあって、ようやくその中流階級層に入れるかどうかのような、過酷な社会になった。中流階級層の喪失は社会の安定性と発展基盤を失うことである。

若者は昔から金がなかったが、無いなら無くとも目の前の仕事を頑張っていけば昇給が約束されていた。なので、金がないころは貯金に務め、欲しいものへの憧憬を育て上げた。「いつかはクラウン」という古いキャッチコピーは正鵠を得ていたのである。トヨタのクラウンに対する天才的なセルフブランディングと言えなくもないが、クラウンを若者の憧れのクルマにすることで、クラウンを好調に売り続けられるようにしたことは事実だろう。中流階級層に届いた「若者」が、高い満足と共に購入したのである。だからこそ、愛着があり、クルマを大切にする文化が育っていった。このときトヨタは、いまは金のない若者でも…と長い目でみた商売をしていたように思う。

いまは、ブラック企業が蔓延することに表されるように、頑張れば結果につながってくるほど明快な社会ではない。昇給はあっても緩慢で、常に自分の口座から金を引き抜いていこうとする悪辣なビジネスモデルが跋扈しており、自己防衛でヘトヘトにさせられる有様だ。国際競争力も失い、暗い未来しか見えず、大金を投じて大卒者になったにもかかわらず低賃金労働をさせられる。目端のきく若者は海外に職を求めて飛び出しているが、当然のことである。クルマを買うどころでは無いのである。


そんな中にあっても、トヨタはアルヴェルのターゲットを若者にしているように思える。若者に限らずおいそれと買えるクルマではないが、頑張れば手が届かないわけでもない絶妙な価格設定であり、現代の成功者を具現するかのような堂々たる巨躯に迫力あるルックス、そして絶大なブランド力を有するからである。新車で買って数年経っても、車体価格があまり落ちないことから案外にお買い得なモデルだったりするところも人気を後押ししている(クルマは負債になりがちなアイテムなので、この要素は重要だ)。

運転というより操縦じゃないのかというほどのデカさと重さのあるクルマなので、ドライビングプレジャーはモータースポーツの純粋なそれとは異なって存在すまい。しかし、運転していい気分になったり、同乗していい気分になれるクルマには仕上がっている。所有欲をくすぐる絶大なブランディングをトヨタの技術の粋を集結して実現させているところが凄い。クルマの運転に面白さを追求する若者は少数派だし、今時モータースポーツなど汗臭いし危なっかしくて金ばかりかかるので流行らないから、所有することに先ず意義を置くクルマは正解なのである。

実際に、若者はアルヴェルを欲しいと考えているようだ。それが証拠に、厳しい肉体労働と引き換えにひとかどの給料を得られるガテン系の若者らはこぞってアルヴェルを買い求めている。家族持ちとなっていよいよミニバンを、となったときに購入候補に上がるクルマの筆頭でもある。

さてそんなアルヴェルであるが、一般的に「ヤンチャ」「粗暴」な振る舞いをするクルマだと捉えられているようだ。残念ながらそれは否定できない。

運転のたびに自分が高級なクルマを所有していることを自覚できる満足度は、単純に高い所有欲を満たす。運転して気分が良いと、人は横柄さが顔をだす(高級外車などにも同様の傾向がある)ものだ。アルヴェルのような大きな車体に乗っていれば尚更のことだ。

運転手が、いまだ運転への幼さの残る若いドライバーであれば、我の強い走り方をしてしまうものでもある(運転免許を取ってから誰しもにこうした時期があり、ヒヤリハットや軽い接触事故を経験することで「自動車を運転すること」の恐ろしさを学び、矯正されていく。たまに、死亡事故を起こす)。

そうでないドライバーが運転していれば、その限りではないものの、世論からみるアルヴェル対するイメージの中には褒められたものでない感情が存在する。ありていに言えば「DQNミニバン」である。熱烈な支持がある一方で強烈なアンチを生むほど好き嫌いが分かれる商品というのは、それだけ強烈で個性的で優れた商品力を有するプロダクトなわけでもある。

アルヴェルは、嫌いな人には変わらず嫌われ続ける一方、支持する人たちに支えられ、これからも売れ続け、進化していくのだろう。海外での展開もどのようになっていくか楽しみだ。噂のレクサス版も今後、登場するかもしれない。アルヴェルはもはや「敵なし」なので、登場は時間の問題のような気がする。


昨今のクルマ市場のトレンドは、走りの良さの追求よりも所有欲を満たすことへの追求にあるようだ。アルヴェルは、ミニバンでありながら、この面で競合車種の追従を許さないレベルにある。ミニバンでなければ、コストパフォーマンスに優れる万能選手型が求められる傾向にあり、それが昨今のSUVということになろうし、それを可能ならしめるモデルの開発にしのぎが削られている。

走りが優先された時代では、とにかく速いクルマであることが先ず求められていたことと対照的である。重心が高くなることや車両重量の増加、また快適装備の充実は、確実に走りのパフォーマンスを低下させる要因だからである。隔世の感、というか、価値観が大きく変わったようだ。セダンの存在感が薄れているのはやむを得ない時代の流れといえる。昔ながらの「クルマ」が好きな人は、今のクルマ市場は窮屈でつまらないに違いない。安全性の優先は理解できても電子デバイスがゴテゴテ山盛り標準装備となり、直4以上のエンジンを望めば多額の出費とモデルが限定され、MTの設定は少なくなるばかりだ。そして、売れているのもファッションSUVばかりときているのだから。私はどちらかといえば「昔ながら」のタイプなので、昨今のクルマ市場の動向に一抹の寂しさをおぼえている。直4ターボのブランド外車など認めがたい心理がある。アルヴェルはハイブリッドモデルがある一方で、301馬力を絞り出すV6ユニットを積んでいるが、地味ながら私はこのことを高く評価したい(これはV6搭載のマークXと同じで、トヨタの良心であろう)。

飽食と倦怠、先行き不透明の不安に生きる時代に売れるクルマを作るというのは、時代のトレンドを読み間違えることなく優れたパッケージングを実現させなくてはならない意味で、とてつもない偉業だと思う。「時代の変化に追従できた個体だけが生き残ることができる(変化する個体だけが生き残る)」という言葉がある。まずは生き残ること、肝心なのはそのあと。ダウンサイジングターボに舵を切る先鋒だったベンツが直6エンジンに回帰する機運をみせていたりするので、今後、エンスーが胸を熱くする展開が訪れる気もしている。割とトレンドに右へ倣えの業界なので、直6に限らず、多気筒エンジンに回帰すればダウンサイジングターボという「萎える」風潮が払拭される可能性がある。V8を讃えるのは流石にアレでも、ちょっとした高級車はやはりV6以上のユニットを載せて欲しいものだ。


クルマ好きからは、ややも攻撃対象となるアルヴェルであるが、それも際立った「出る杭」な存在だからこそである。いまやその杭も打つことのできない高さとなり、突き抜けた個性を牙城のごとく築き、実際に売れるモンスターモデルになってしまった。

私個人に限っていえば、アルヴェルを欲する気持ちはないのだが、こういう「突き抜けた分かりやすさが具現化した」モデルが国産車にラインナップされていることに頼もしさをおぼえるし、クルマ市場としても喜ばしいものだと思う。

願わくば、素行不良のオーナーたちが成熟することでアルヴェルの品格に相応しい運転をするようになり、良好なイメージが醸成されるに至って欲しいと思う。しかしこれはプリウスと同じで、商品力が高くて大多数に売れるモノは、確率論的に変な持ち主の手に渡ってしまうことも意味する上で実現は難しそうだ。残念なことだ。

「やっぱり」と評価されない行動をとることは、他人から良い評価を簡易に得ることのできる最短ルートなのであるが、それを知らない人は損をしがちである。アルヴェルのオーナーはマナーの良い運転を心がけると良いのである。品行方正な運転をする高級車ほど相応しい佇まいをみせる格好よさもないのである。
 
posted by ぎゅんた at 17:40| Comment(0) | クルマ(なんでも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

ミニバンへのステップアップのかほり


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子どもたちの笑顔がやっぱり、全てやなあ…


家族を持つと嫁はミニバンを求める。
いま乗っているGHアテンザ25Zでは役不足だと嫁から突き上げを食らうのである。

後部座席にチャイルドシートを二機搭載して快適なドライブができるしトランクスペースにチャイルドカートも搭載できるのに何が不満なんだこのメス豚ァーッ!と拳をあげそうになるが、父母と一緒に出かけられないと訴えられると拳を下さざるをえない。しかし父母を交えた第三世帯移動をする機会が、年に何回あるというのか。そうした場合、レンタカーを利用するのが賢い消費者だと私は思うし、異論を唱える男は少なかろう。もっとも、嫁にそんな理屈は通じない。可愛い女の子がイチャイチャしていたら百合カップルかな?と思ったり、いい男ふたりがイチャイチャしていたら薔薇族かなと思ってしまう現象と同様、嫁がミニバンを欲するのはまさしく理屈抜きなのかもやしれぬ。

GHアテンザももう10万キロをこえたベテランの域に育った。
一般に走行距離10万キロを超えたクルマは、需要の高いモデルでなければ値がつかない。東南アジアやロシアに横流しして儲けるのはわかってるんだよバカヤローと悪態をついても始まらない。値段がつかないなら走行不能になるまで乗り続けて最後まで添い遂げる気概もあるものの、これは故障寸前の古いパソコンを意地でも使い続けるようなものである。男は、愛着のあるものを末長くいつまだでも手元に置いておきたくなるものだが、我儘で非生産的な行為にすぎない。特に本人の趣味の類である場合はなおさらだ。モノを大切にしている姿勢を免罪符に、周囲の迷惑を顧みない朴念仁と化しやすい。

GHアテンザ25Zは、中途半端で非力なMZR2.5(直4)を積んだハッチバックにMT設定のあるなんちゃってスポーツにすぎない。贔屓目に評価すれば加速時に重厚でパンチのあるエンジンフィールと流麗で洒落たエクステリア(斜め後ろから見ると格好よい)を有するマイナー車種であり、私自身はMTが好きなこともあって気に入っている贔屓の目で見なければ「燃費良くない、威張り利かない、たいして速くない」三重苦に見舞われる。不人気マイナー車種が好きで、多少はスポーティで、MT設定があって、中古でお買い得なクルマを求める人に向いている。以前にもこのような感想を記事にした記憶があるので、私の中でのGHアテンザ25Zの評価は変わってないのであろう。なお、0-100kmは概ね8.5-8.7秒であり、コンパクトカーよりは速いが、見た目ほど速くはない。


地方ではクルマがなくては生活できない、のはホント
マイカーがなければ生活に大きな制限を喰らい、周囲の同調圧力に常に晒される地方の田舎に居を構える子連れの家族に必要なクルマは、結論はミニバンなのである。いざという時の実用的な3列目シートもしくはカーゴスペースを確保しており、スライドドアを採用しているところから実用性が高いことである。それでいてハイエースと違ってファミリー向けな気配りがなされていて乗りやすく扱いやすい設計になっていることだ。ルックスは、箱型になるが故に大きな制約があるためにスタイリッシュとは無縁になる。もっとも、スタイリッシュなクルマで自己表現自己満足を得ようとすると実用性が犠牲になるわけで、要するに相容れないのである。

スライドドアは、やはり所有してみるとありがたみが分かるモノであり、小さい子どもがいる場合はなおさらだ。これは子どものドアパンチを防ぐことにありがたみがあるのではなく、ドアを全開にできない状態で子どもの乗り降りを強いられるストレスから解放される面で意義がある。ドアパンチを防ぐために最も必要なのはスライドドアではなく躾である(スライドドアが子どものドアパンチ事故を防ぐ有効なセーフティであることは事実だが、周囲の確認もせず車内から飛び出していく子どもであれば別の事故に見舞われてしまっては意味がない。パッシブなセーフティは重要だが、躾の方がより優先される)。道路も駐車場もとにかく広い国であればスライドドアはさほど求められないだろう。しかし日本はそうではない。狭い国土に、まだまだ多くの道路や駐車場が「旧車規格」のまま、昨今のクルマの肥大化に追従することなく存在しているからである。


家族と乗るクルマ
多くのミニバンの制作コンセプトには「家族」が打ち出されている。販売ターゲットが子どものいる家庭向けなのだから当然であるのだが、それをしてミニバンはファミリーカーであり、生活臭を払拭できないクルマにならざるをえない。昔の私もそうだったし、独身貴族のクルマ好きはミニバンに拒絶反応を示すものであるが、その禍根はミニバンの生活臭にある。ミニバンは走りがたるいだのMT設定がないだのという文句はお為ごかしにすぎない。ミニバン乗りは運転が横暴だの下手だのという意見も耳にするが、言っちゃ悪いが黒色の軽自動車やプリウスの方が当てはまる気がするし、それすらも、実際は母数の大きさの問題であり、「よく見るクルマ=売れているクルマ」であるからこそ目立っているにすぎない。ミニバンは売れているということであるし、世間の家庭の半数はミニバンを所有しているだろう。私は、それでいいと思う。ミニバンは利便性を真剣に考えて作り込まれている商品力の高さがあるし、良いものは良いものとして消費者が選ぶ、消費活動の本来的な実態が認められるからである。

ガソリンモデルの現行VOXYに試乗したしたとき、若い父親像を押し出したキャラクターには同調できず欲しいとは思わなかったものの、ミニバンとして考えられたパッケージングであることは理解できた。限られた制約の中で精悍さを表現したり、ブランドイメージを打ち出したり、遊び心を感じさせるエッセンスがインテリアに込められたり、ミニバンに求められるユーティリティに妥協していないと思わせてくれたからである。

ミニバンというのは、愛する我が子を含め家族で行動するための優れた道具であり、所有することで生活がより豊かになるのであれば、それは我が子がお金で買えないことと同様、プライスレスな「生活の中の楽しさ」をもたらしてくれるだろう。子どもも、広くてバスのような車内空間が好きなものだ。ミニバンは確かにクルマ好きの琴線に触れるどころか逆撫でしたりもするが、所有するクルマに自分の趣味性をかぶせることよりも、子どもと過ごす時間を大切にしたい親の想いは尊いものである。文章にするとなんだか気恥ずかしいが、間違ってはおるまい。現状、販売されているミニバンのほとんどは過酷な市場競争で凌ぎを削ってきた生え抜きばかりであるから、好みと相性に合致するモデルを選べば間違いはおこさないだろう。中古で過去のモデル群から選ぶのも楽しい。マツダの・ビアンテとか三菱・デリカD5とか渋くてステキ。


会うは別れの始まり
さてGHアテンザとお別れしてミニバン迎えることになる未来は、次回の車検までに訪れそうだ。どうなることやら分からないが、次は、「私のクルマ」から「家族のクルマ」になることは確定である。おそらくスライドドアを備えたミニバンになるのだろう。マニュアルトランスミッションともお別れだ。私にできることは別れの日までGHアテンザを大切に乗り、想い出を作っておくことだけである。お金ないんですけどそれは

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2017年01月09日

マツダが次に向かう先は?

写真 2017-01-09 9 21 53.jpg
記念日でマグカップを貰った("Zoom-Zoom"はやめたのだろうか?)


一抹の寂しさ
お世話になっていた北陸マツダ野々市本店よりおしゃれな招待状が届いた。なにごとかと思ったが、新店舗完成による内覧会の案内であった。マツダのデザイン部主導によるディーラー店舗の大改修が始まったことは知っていたが、ついに石川県にもきたのかと感慨深い。

昔からのマツダファンは半ば確信しているが、最近のマツダのフォローが関心の低下によって疎かになっていたのではないか。私がそうなのである。身の丈にあったことをすればいいのになにを調子こいているのかと感じ始めていたし、伝統のお家芸「業績回復→調子こく→会社傾く→異次元から売れ筋モデルを召喚→業績回復→調子こく→…」をやっぱり踏襲しているように思えてならなかった。CX-3をSKY-Dのみの設定にしたあたりにその兆候を感じたものだ。

外観と内装を刷新し、一流ホテルのおもてなしを取り入れた店舗を目指していることが分かった。車で乗り付けるとスタッフが出てきて車を預かり駐車してくれるし、帰りは車を玄関まで持ってきてくれる。スタッフの言葉使いも物腰も極めて丁寧である。昔からのマツダに慣れていると逆に居心地悪い違和感を感じないわけでもないが、マツダのディーラーがここまでするとは。似合わねーと揶揄したくもなるが、ブランドのクラスアップを現場レベルからも実現使用する本気さを感じるのもまた事実。ソウルレッドプレミアムメタリックの展示車が誇らしげに並べられている。ウッド調で間接照明を活かしたシックな雰囲気といい、もはやTシャツ短パンで自転車で訪れることはできそうもない。端的に俗っぽく表現するなら「レクサスな店舗になった」といったところか。…昔からのマツダファンは見捨てられた気持ちになるかもしれない。


オフレコにならないこぼれ話
店舗に出向していたマツダの技術者の話では、三列シートを備えたクルマを鋭意開発中であるとのことだが、ミニバンタイプではないだろう(とまでしか言えない)とのことであった。海外で販売されているCX-9が3列シートだが、マツダは海外モデルを国内モデルに流すことは決してしない(当人の弁を借りれば「マツダは国内市場をとても大切にしている」)ので、考えらるとすればCX-6ではないか。小飼社長が3列タイプの車両を開発中とフォーマルの場で答えているので、スライドドアは無理かもしれないがファミリー層向けのモデルが出るのは間違いない(時期は言えない)。

今のマツダはかつてのスポーティさから上質さに移行させている。スポーティ捨ててスポーツを、スポーツモデルで対応させるのでは。

Q.新開発直6エンジンが次期アテンザに載りFRになるとネット上で話題になっているが?
A.マツダはV6までしか持っていないが、夢のある話ですね(言葉を濁す)。

Q.SKY-DRIVEが6速のままというは如何なものか。さらなる多段化の予定は?
A.SKY-DRIVEの多段化もしくは多段ATの開発しているはず(言葉を濁す)

次世代SKYACTIVEの詳細は不明である。思えば、フルSKYで登場したモデルはCX-5であったが、歴史的な大ヒットモデルとなった。このことから、絶対に失敗できない車種で次世代フルSKYデビューをしてくるだろう。2代目CX-5は2月にデビューすることから、時期的には4代目アテンザかRX-VISON(の市販モデル:RX-9?)がその候補ではないか。最近のマツダに見られる細かな改良や新技術の搭載といった、悪くはないが地道なマイナーチェンジの域を出ないレベルでは、明らかな「進化した」感を演出できない。そうなると、世間を驚かせるエンジンの登場、そしてドライブトレーンの登場が間違いなくキャッチャーとなる。それをマツダデザインでまとめ上げたものでデビューさせてくると予想できる。マツダらしいブレイクスルーを決めてくれることを期待したくなる。

ダウンサイジングターボの趨勢にあって多気筒エンジンが姿を消している中、エンスーを魅了してやまない直列6気筒エンジンを出すとなると、それだけでインパクトになる。マツダのSKYACTIV思考に基づけば「直6の完全バランスを追求しまくったら下手な直4エンジンなみの燃費が実現できた」とか、そうしたロマンを思わせるところがありそうだ。

いまのマツダに足りないプレミアム点は直4ラインナップとFF/AWDであることはしばしば指摘されている。4代目アテンザやRX-VISONはFR/AWDで、そしてこのご時世にマツダ初の新設計直列6気筒を出すそのインパクトはかなり大きいものになる。SKY-Activeと魂動デザインがロングノーズを強制するところかがあるから、直列6気筒エンジンを搭載できる余地が(素人考えで)ありそうに思える。

MTとATとCVTのいいとこ取りをしたドライブトレーンがSKY-DRIVEであるが、いつまでも6速であるのはもはや格好がつかないから、少なくとも8速ATを同時に出してくるだろう。

ただの妄想である。が、こうした路線をマツダに期待したくなる自分がいるのである。
 
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2016年02月04日

オープンカーを所有するとは

NC1_emblem.Jpg

まとめ
オープンカーは独りよがりなクルマである


NC1ロードスターを所有していた経験から、オープンカーに対する私見を述べる。


気持ち良さ
オープンエアでクルマを走らせる行為は、極めて気持ちのよいものである。傍目からみると、寒そうだったり気が触れた行為だったり罰ゲームに見えるかもしれない。それはオープンカーに乗ったことがないからそう思うのである。

冬場にオープンで走ると、確かに寒さを感じるのだが、暖房を効かせれば頭から下は普通に暖かく、極端な薄着でもなければ問題なく運転できる。シートヒーターがあれば鬼に金棒で、まさに露天風呂のような心地よさ。しかし夏場は苦手で、直射日光が天敵になる。エアコンをかけて走らせていれば風が当たって涼しそうなものだが、真夏の直射日光だけは容赦がない。熱中症の恐れすらある。この時間にオープンカーで走るのは自殺行為なので昼寝でもして過ごそう。日没とともにほどよい涼しさになると、打って変わってとても気持ち良く走らせることができる。暑すぎず寒すぎず。夏場の日没後は、オープン走行の最も気持ち良い時間ではなかろうか。風呂上りにひとっ走りする贅沢さは筆舌にしがたい。


どの車種を買うか?
オープンカーに何を優先するかで決まる。
速さやラグジュエリーを優先するなら、外車を含む高額なモデルになろう。
軽快さや運動性能を優先するなら、マツダ・ロードスターやロータス・エリーゼあたりが候補になる。
維持費や車体の小ささを優先するなら、ダイハツ・コペンやホンダ・S660あたりになってくる。

最高のオープンカーは、多分に私見であるが、ポルシェ・ボクスター(981)であるが、価格と維持費の面で覚悟が必要になる。

オススメはやはりバランス型のマツダ・ロードスターであろう。中古のタマ数やアフターパーツが豊富であり、維持費も決して高くない面でユーザーフレンドリーである。初めて乗るオープンカーとして候補にいれない理由がない。初代のような軽量軽快さを求めるならND(S)を、アメ車的なマッシブ要素が欲しいならNCを選ぶとよい。

なお、どんなオープンカー乗ろうとも、女性には全くウケないことを断言しておく。たとえ高級なオープンカーに乗っても全くモテない。それどころか失笑を買う。男友達であっても、そうだ。「男二人でオープンカーなんて乗りたくない!」といわれるはずだ。しかし、すぐに悟るようになる。助手席に女など乗せて走りたくないと。気心のしれた男のコ友達を乗せるのがせいぜいであって、オープンカーは、ひとりで乗るものなのだ。だからこそ、気持ち良いのである。

喜んで助手席に乗ってくれる友人や恋人がいるなら、本当にありがたいことなのである。


開放感
クルマによって大きく異なるので試乗して確認するべきである。
クローズド状態とオープン状態で、大きな感覚変化を感じるぐらいの開放感があり、サイドウインドウを下げても風の巻き込みが少なく、風切り音がしないものが優れている。


着座位置
平均的な車よりは低いポジションになる。低いほど良いわけではないが、低いほうが、脚をより前に投げ出すようなポジションとなり、スピード感が得られやすくなる。


駆動方式
1t前後の軽量な車体であれば、FRがよい。本当に気持ち良く曲がる。アクセルを踏んで更に曲げていける感じも新鮮だ。

軽量FRの弱点は雪道である。冬場は雪のない晴れた日以外は運転しない方がいい。事故って一発廃車にした元オーナーからのアドバイスと思って欲しい。冬道をオープンで走らせるほど気持ちよい行為もないのだが、それは積雪がなく、路面凍結の心配がない極めて限定された状況に限られる。


トランスミッション
マニュアルで乗らないと大損する乗り物であるし、その事実を体感で理解して欲しい乗り物でもある。


積載量
一人で乗ることが殆どの独身貴族であれば積載量不足に困る場面はないと思われるが所詮は、2シーターのオープンカーであるから、その積載量を期待してはいけない。

地味に厄介な存在が濡れた傘で、雨天時に助手席に人を載せる時は迷惑をかけることになる。長い荷物も天敵だ。車種によっては、リアトランクの積載量がオープン走行時に犠牲になることがあるので、購入に際してはトランクの使い勝手を確認しなくてはならない。



色々と述べてきたが、オープンカーはデメリットだらけである。家族持ちがオープンカーを持つのはセカンドカーでしか認められないだろうし、経費でオープンカーを買おうとしても通らないだろう。我を通さなくては所有できないクルマといえる。無駄ばかりだ。しかし、オープン走行の享楽とドライバビリティが最優先された設計のクルマを運転することは、相当の独自性と崇高さに満ちた選択だ。ハマる人は、どハマりするのがオープンカーである。そんな人が、一人でも増えて欲しいと願っている。

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2015年01月07日

さよならインテR

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 諸々の事情からDC5R(後期型)とお別れになった。クルマのキャラクタイメージとは裏腹に乗用車ライクに乗り回していただけであった。いつかサーキットデビューをしたいと考えていたが、実現できずじまいになってしまった。

 いまどきインテグラタイプRを中古で買おうとされる方は少なかろうし、変わり者の類となろうが、万に一つでも参考になるところがあれば嬉しいので、私なりに抱いていた感想を書こうと思う。
DC5R最終後期型、ワンオーナー、フルノーマル、無事故15万キロの個体であった。


【どのようなクルマか?】
いざとなれば後部座席に人を載せられ(4人マデ)
積載量も案外に確保されており
リアのウイングが少し派手で目立つものの、シンプル基調のスタイリッシュなスポーツクーペで
2L直4NAで220馬力を絞り出す赤ヘッドのK20Aを搭載し
回さないでのんびり乗る限りは燃費も悪くない(ハイオク指定・12〜14km/ℓ)

クルマである。

 性格的にサーキットを攻めるFF車だが、案外に乗用車ライクに、自家乗用車然と乗りこなすことが可能だ。とはいえ、一般的な乗用車を乗り続けてきた人が乗ったら「ずいぶんとスパルタンなクルマだな」と感じるのは必定、さすがに万能キャラではない。従ってマルチユースなクルマが欲しい人は検討に値する車ではない。なお、タイプRといえばチャンピオンシップホワイトの印象が強いが、案外に青色や黒色も似合う。

 ステアリングの重ステ具合に比べクラッチとシフトはやけに軽く感じる。コンマ一秒でも素早くシフトチェンジするためのセッティングか。シフトゲートの感触は緩く、硬質感のあるタッチとはいいがたい(流石に15万キロオーバーなので致し方なし)。少なくとも、クラッチとシフトフィールに関してはあまりスパルタンではない。拍子抜けするほど扱いやすいミッションである。


【どんな人が乗ると幸せか?】
・VTECが好き
・ホンダのFFスポーツが好き
・車内がメカニカル音でうるさくても気にしない
・実用性を特別に重視しない(ある程度あってくれれば良いとする)
・維持費が少し高くても構わない
・豪雪地帯に住んでいない


 搭載される名機K20Aは、5800rpmからハイカムに切り替わり、そこからレブリミットまで怒涛のパワーを発揮する。これは昨今の小排気量ターボやハイブリッド前世の時代においてはかなり貴重なエンジンである。220馬力のパワフルなエンジン、というよりは、精緻に組み上げられた高出力型エンジンの印象が強い。高性能エンジンを載せたクルマに乗っている特別感を常に感じられるいはエンスーにはこたえられないところだ。

 アイドリング音は大きい。特に冬場のエンジン始動直後は2000rpm前後をしばらく推移するのだが、車内車外ともに騒々しいので近所迷惑になるかもしれない。回転数が落ちてきても、アイドリング音はやや大きめ。エンジンの存在感が優先されていると思えば良い。うるさいと言えばうるさいのだが、エンジンを回せば熱い音に包まれる幸福が約束されているのでトレードオフである。逆に静かだったら気分が乗らないだろう。いずれにせよ、ロータリーエンジンと同じでクルマ好きなら一度は味わっておきたいエンジンであろう。

 インテグラタイプRはFFであるから、昨今のAWDターボモデルに比べれば絶対的な加速性能に劣る。直線番長ではないしコーナリングもアンダーがつきまとうとされている。確かに、以前乗っていたNC1ロードスターに比べると、コーナリングが軽快で楽しい感じに劣るし、曲がらない感じはする。だからと言って遅いとかツマラナイという感じはしない。NC1は誰でも気軽に手軽に気持ちの良いコーナリングが可能だが、DC5はより硬派である。FFの特性を知り尽くした腕の立つドライバーが乗れば、公道上であれど無類の強さを発揮できるだろう。硬派なFFに乗りたいのであれば、インテグラタイプRは魅力的な選択のひとつだ。そして、ドライバーの腕次第で想像もつかないほど(FFらしらぬ)速く走らせられるポテンシャルがある。私はたいして乗りこなしていなかったので、宝の持ち腐れであったのだ。

 後部座席は閉鎖的な空間であるが、大人二人はなんとか乗れる。比較例を挙げるなら、RX-7やS13シルビア、RCZよりは広い。とはいえ、いわゆるワンマイルシートよりマシ程度にすぎず、前列シートの人はシートを前に出すようにしたい。閉所恐怖症の人には厳しい。なお、リアハッチのガラス越しの直射日光はかなり苛烈なので、夏場に後部座席に座ると後頭部を灼かれる拷問空間と化す。低めの車高と2ドアであるがゆえ、身体の不自由な人は乗り降りがしんどく、ウケが悪い。

 リアハッチを開くと、かなりの容積を誇るラゲッジルームが現れる。底が深いのが効いている。たいていのものはポイポイ詰め込めるが、更にリアシートを前に倒すことでより積載量が増す。なお、トノカバーがないとリアハッチのガラス越しに内部がモロ見えなので、覗かれて都合の悪いアイテムは置かないようにしたい。リアハッチの傾斜とウイングの存在のため後方視界は悪い。寒冷・積雪時に重宝するリアガラスの電熱線の効きが弱い。

 維持費は、ハイオク指定、エンジンオイル交換費用、任意保険料が少々お高くつくので覚悟を決めよう。任意保険料が高いのはこの手のクルマの宿命だ。


【このような人にはオススメしない】
・VTECの官能性に過度の期待を抱いている
・超絶なスパルタンさを期待している
・任意保険に加入しない/できない
・公道での速さを求める
・仕事で用いることもありうる
・チャイルドシートを頻繁に使うことを想定している


 VTECには刺激と官能が満ちていたのでエンスーたちを喜ばせてきた。カムプロフィールを超えた後のエンジン音の大きな変化と絞り出される怒涛の高出力の表情の変化は頬を緩ませずにいられないものだ。以前に、インテRを代々乗り継いできたオーナーに聞いた話だが、このDC5RのVTECは、初期の頃のVTECに比べると切り替わりの演出がマイルドになっているとのことである。動画でみると、確かにDC2は切り替わりの変化が劇的だ。


※音量注意

 これに比べると確かにDC5Rのカム切り替え時の音の変化はマイルドである。音の切り替わりに過度の期待を寄せるのはやめた方がよかろう。マフラーを交換したりすれば別かもしれないが…
 ちなみに公道上でハイカムに切り替えてまで走らなければならないシチュエーションはほぼ存在しない。高速道路への合流時や追い越し時に切り替えて遊ぶかどうかというところ。フツーに乗っている分には、VTECの官能性を感じる機会がない。ちなみに6速で100km/h巡航時の回転数は約3000rpmとなるので、高速道路では走行車線をゆったりと流すように走ることになる。ハイカムに入れて乗り回していると免許が何枚あっても足りない。やはりサーキットで存分に走らせるクルマである。次のオーナーに愛されることを祈るばかりだ。
 
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2014年10月27日

出先のパーキングエリアでは、どこに駐車するか?

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グループで出かけた時によく言われるセリフが「なぜこんな離れた位置に駐車するんだ?」である。
確かに、私は入り口から離れた場所に意図的に駐車する。男連中は笑ってくれるが、女連中は不満をいうのも常である。

なぜ離れた場所に駐車するのか?
それは「トラブルを避けたい」の一言に集約できる。

近くに停める方が楽だというのは、事実である。長く歩かなくて済むだろうし、雨が降っているならあまり濡れずに済むだろう。しかし、それは誰しもが考える。だから、みんな近い場所に停めたがる。停まるクルマの数が増える。結果として、トラブルに遭うリスクが上昇する。人の急な飛び出しがあるかもしれないし、ドアをぶつけたりぶつけられるかもしれない。入り口に近いだけで、車の往来が極端に集中するエリアが安全とは考えられない。駐車動作にも、余裕がなくなりがちだ。駐車場でのトラブルは大小含めて想像以上に多いものだが、多くはドライバーの駐車動作に余裕がないときに起こるものだと考えられないだろうか。

更に加えて、自分の駐車スキルが誇れるほど高くないことも加わる。
接触事故を起こしたり、アクセルとブレーキの踏み間違いを絶対に起こさないと断言できない。過度に緊張した心理状態で駐車するのはなるべく避けたい。
少し歩くことになるだけで、トラブル遭遇のリスクを下げられると考えるとき、どちらを選択するかは本人の自由だけれども、私はリスクを避けるほうを優先する。ただでさえ田舎のクルマ社会なのだから、余計に歩くぐらいが健康にも眠気覚ましにも気分的にも良かろう。
 
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2014年07月24日

直列4気筒ターボのマスタングだと?

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アイデンティティの崩壊の始まりか
次期フォード・マスタングに4気筒モデルがラインナップされることに驚きを禁じ得ない。無論、アメリカン・マッスルのアイデンティティたるOHVのV8エンジンを搭載したモデルは凛然と存在しているのだけれども、まさか直4エンジン搭載のマスタングが出てくるとは。フォードだけに、マツダのMZR 2.3 DISI ターボを流用したものだろうが、それをエコ・ブーストだのと言われても。欧州生まれの「ダウンサイジング・ターボ」の趨勢がアメリカ人にも浸透して出さざるを得なくなったのだろうか。アメリカ人ならそんなものは「エコ?低燃費?HAHAHAうるせえんだよ分かってんだよ」と跳ね除けて欲しかったと思う私はダウンサイジング・ターボが嫌いである。大排気量NAエンジンこそ正義であり至高である。V8のOHVのエンジンを載せた車を崇拝し続けるアメリカ人はアホで馬鹿かもしれないが、その精神は格好良く、羨ましい。現行のマスタングのGTモデルを試乗した時に心底そう思ったものである。

小排気量で低燃費を確保してターボでキビキビ走らせるその合理さは十分に分かるのだが、それは日本の軽自動車が昔からやっていたことの普通車バージョンに思えてならない(軽自動車がブクブク肥え太る一方だったから分かり難かっただけだ)。
低燃費の重要さとエコカーなる新たな価値観は理解できるけれども、それにかこつけて大量生産低コストで済む小型エンジンを利用しているだけに思えてしまう。由緒あるブランドがCセグメント以上の車に直列4のエンジンを載せるなど、プライドの放擲とファンに対する裏切り以外の何物でもあるまい。
低燃費だろうが時代遅れだろうが、そうとわかっていても、いつかは直6やV8エンジンを搭載する車に乗りたいと願うクルマ好きのために、無駄だらけだがロマンのある、憧憬の車を残しておいてもらいたい。例えば、直4のBMW3erに乗るなんて罰ゲームにしか思えないのだが、エンジン屋のBMWがそんなものを出してくるのは、単に売れるからだろう。BMWブランドの安売りにしか思えないし、この一方で高い金を払ってでも拘って購入してきた従来のオーナーは失望しているに違いない。直4は、所詮は大衆車の最高峰クラスのエンジンに過ぎないのである。BMWの3erなど本国ではタクシーに用いられる大衆車だから直4でも変ではないという意見もあろうが、確かにそれは正しいだろうけれども、しかし、日本におけるBMWといえば「世界に冠たるシルキー・シックス」が共通認識であり、大衆車ではないクルマと考えるのが普通だろう。シルキーシックスなんて知らないけれどBMWに乗りたい!と考える人が直4を搭載したBMWに乗るのだろうし、実際にそうした新種のオーナーが多いのだろう。
BMWからすれば6er以上のオーナー以外の動向など歯牙にもかけていないだろうから、下位クラスのクルマは売れて稼げれば問題なしと考えているだけかもしれない。会社は株主のためのものだからである。だが、素直に売れている時はいいが、この実はタコが己の足を食べるようなブランドの安売りでしかなく、将来的に「ブランド力の低下と迷走」という手痛い形で返ってくるのではないかと思われる。

どうもBMWにケチをつけてしまった内容で恐縮だが、直4モデルの拡充を推し始めているのは別にBMWに限った話ではない。エコだCO2削減だと名目上だけは騒ぎ立てて環境に優しいメーカーのふりをして製造過程でCO2を出しまくって「低燃費モデル」を出し続けるメーカーだらけである。そのうち直4ターボのベンツSクラスが出てくるかもしれない。高い金を払って直4ターボのフラッグシップに乗るなど惨め以外のなんであろう。

だからこそアメリカンマッスルカーたるマスタングは「エコ?低燃費?HAHAHA うるせえんだよ分かってんだよ」の精神の元、従来通りのV8モデルと廉価版のV6モデルとであって欲しかった。そもそも直4エンジン載せてもエンジンルームがすっかすかで、ボンネットを開けたアメリカ人は卒倒するほど激しい虚無感に襲われるのではないかと心配だ。頑迷固陋とした私の余計な心配はよそに、直4ターボで軽くなった分、案外にV6搭載モデルと遜色のない走りだったりするのかもしれないけれども、どうなることやら。直4を積んだ新型マスタング、海外カーメディアがどう評価するのか気になるところだ。

posted by ぎゅんた at 22:23| Comment(4) | TrackBack(0) | クルマ(なんでも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

洗車だけじゃないんだぜ プレクサス


愛車の洗車。となると、水洗いからワックスコーティングまで様々あるようだ。ようだ、とあるように、私はクルマの洗車に関して明るくない。クリアコーティングだとかサッパリ分からない。高級車が艶艶としているのはワックスがけされているのだろうけれども、具体的に何をどのように使用しているかについては、皆目、見当もつかない。水洗いして乾燥させてワックスを塗布して乾燥させて磨き上げてクリアコートで仕上げるの?ちんぷんかん。

洗車に疎いオーナーの場合、所持している車は常に薄汚れているか、洗車されることのない満身創痍であることが常である。これを見越して、「汚れに強い(ばれにくい)」シルバー系統のボディカラーの車を選択する人もいる。中古への下取りのことを考えると、車のボディカラーは白か黒を選択するのが有利ゆえに前提となるが、どちらのカラーも車体の汚れがすぐに分かるので、洗車を厭わないオーナーでないと清潔感を欠いた野暮ったさを呈することになるからである。私自身は、車は好きだし、マイカーに対する愛車精神もあるのだが、手間暇とお金をかけて常にピカピカで綺麗にしておきたいと望む気持ちはこれっぽっちもない。だけれども、機会があれば洗車して綺麗にしておきたいものだと願っているし、ボディには艶があった方が見栄えが良いだろうと考えている。しかし、実行に移すにはお金の面で萎えてしまう。そもそも中古で購入したクルマに、そこまで費やすものだろうか。まさしく私自身に他ならないが、このようにお考えのオーナーは多いのではないか。

さて、そんな中、暇だったので調べていたところ、プレクサスなる商品の存在を知った。メリケン製ケミカル商品である。とくれば、実に人体に悪そうな成分の塊であることと引き換えに高い利便性と一定以上の効果が見込めるお手軽商品であることを意味している。米国の化学製品は効果だけの面で判断すればどれも素晴らしいクオリティである印象が強い。しかし、人体に対しても遠慮がないはずなので、肌に触れたり口に入れたりする製品は避けるべきと考えるが、このプレクサスはプラスチックと金属に塗布する対無機物専門なので結果が期待できる。玄関先の新聞を取りにいくために乗り物に乗るほど無精なメリケン人が作っただけあって、洗車もせずにそのまま塗布して綿100%の布で拭きあげれば「汚れ落とし、艶出し、保護」の効果が得られるよう設計されている。こうした万能さを謳ういいとこ取りの製品は、絶対的なクオリティには劣り、正道からすれば邪道かもしれない。一方で、私を含めてそこまでのクオリティを要求するユーザーがどれだけいるのかという話になる。人類が楽を求めるから文明や技術が発展するわけで、ここは素直に恩恵を享受すればよろしかろう。相手は中古で買った古いクルマなのである。

さて実際に使ってみるとなると、洗車もせずに吹き付けて拭きあげるのは心理的に抵抗があり、先に洗車してしまった。設計的には(よほど酷い汚れでなければ)洗車を省いてよいようだが、工程的には洗車をした方が良いに決まっている。ただし洗車自体が存外に時間を食うので、本当に面倒ならプレクサスを信じて省いて構わなないだろう。

水気があるとよくないので水滴がない状態にしてから(洗車後数時間放置)、ボディや布にスプレーで成分を吹き付け拭きあげる。強くこすれば艶が出るとか、そういった感触はない。汚れを取りながら拭いていく、ただそれだけ。金属やプラスチックが対象だが、ガラスの面を吹き上げても別に問題はない。ホイールは金属なので吹き付けて拭くと綺麗になる。洗車の工程を省いていれば、本当に短時間に終わらせられる。

結果的に、艶が出るのは確認できた。ショールームに飾っても遜色のないほど綺麗に艶がでて光り輝くわけではないし、小さな傷が修復されて分からなくなるようなことも、水むら模様が消えることもなかった。こう書くとダメダメに感じられるが、洗車だけの場合に比べれば明らかに艶が出ているのは確認できるので、なかなかのお値打ち製品であることは確信できた。入浴直後の自分を鏡に写すとちょっと魅力的に感じるものだが、感覚的にはそれ近い。私の使い方が間違っているというよりは、常に青空天井だったDC5の塗装が弱り切っているものと思われる。GHアテンザに使用すればかなり艶が出る気がする。期待以上の結果が出た折には報告したいところ。

Amazonで買うと手っ取り早いが、ドンキホーテのカーグッズ・コーナーにも売られている。どこにでもあるサイズのスプレー缶だが、メリケン製だけあってボリューミー、一本あればかなり使えそうである。金属やプラスチックに使用できるから、アクリルのバイザーやメーターパネル、内装部品など、応用範囲が広いのも嬉しいところだ。
 
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2014年03月31日

青切符に対してこんな姿勢はどうだろう

トモダチ.jpg

記事にした記憶があるが、過去に一度スピード超過で青切符を切られたことがある。その時は「運が悪い、見つかってしまった」という悪態じみた感情と「やはり悪さはできないものだ」という反省の気持ちが混ざり合い妙な心境であったのを思い出す。悪いのは自分自身にあることは明白で納得できたので、点数と現金で責任をとった。こうした経験は、多くのドライバーがおありだろうと思う。そして「捕まらないでいるのは運がいいだけ」は真実でもある。

先日、友人と青切符についての話になり、納得いかないなら拒否っても大丈夫だと説明したところ不思議な顔をしていた。私は法令関係に明るくないズブの素人だし、実際に青切符を切られんとする場面で拒否した経験もないが、一方で昔から「黒い裏技」として知られていたのが青切符キャンセルである。実態は、点数は喰っても罰金を払わなくて済むというものだ。拒否っても逮捕されたりしないのである。しかし、知ってはいても実践するには勇気がいるものだ。小規模ながらも個人が国家権力に抵抗するのだから、大多数の善良なる小市民ドライバーはとても実行できないだろうとも思える。が、逆に警察はその心理につけ込んで罰金を巻き上げている構図が暗澹と実存しているのである。勉強して、納得がいかなければ払わない姿勢を取るのは国民に保証された権利であろう。

青切符云々に関して説明するには私は勉強もオツムも足りないので、以下のサイトを参考にしてもらいたい。
有名なサイトなので、知っておられる方が大多数で蛇足であろうが念のため。

青切符(反則行為)について質問する前に - 取締り110番 −道交法違反・交通違反で否認を貫き警察と闘うブログ−
posted by ぎゅんた at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | クルマ(なんでも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする