2018年06月19日

ぼくの隣は福井県! 〜石川県民の戯言〜


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どんな言葉に引っかかったのか分からないが、「福井県大嫌い!」を称するブログに行き当たった。どうやら都会から福井(のどこかは分からんが)に分け合って引っ越されてきた方が、福井という土地を生理的に受け付けつけることができず憤りを感じておられる内容であった。攻撃的な内容であった。

これは、ブログ主が偏狭であるからではない。それもまた宜なるかな的な田舎社会特有のマイナス面、いってみれば「あるある」ネタを、実際に住人として場所と時間を過ごすことになった当事者としては我慢ならない哀しみがあるからこその内容だったからである。『住めば都』とは、一種の諦めを促す魔法の言葉なのだ。

「田舎=人に優しいコミュニティとスローライフ」と思ったら、それは大間違いである。世界のどこでもそうだが、基本的にコミュニティというのは排他的である。身の安全のために暗黙の相互監視を要する人口の少ない地域では尚更のことである。

若者が進学や就職でこぞって上京する機運があるが、これは田舎社会の窮屈さから距離を取りたくなるからこその行動である。意識的であれ、無意識的であれ、やはり親元だけでなく地元を脱け出て生活したくなるものなのである。これは、若者の成長のことを考えると良いことであろう。閉鎖的な環境で有意な時間を過ごすことは、若者の将来を考えれば大きな損失だからである。これを「地元愛がない」と喚くのは、衰退と見捨てられる恐怖に駆られた他力本願の住人である(だから、上京することを躊躇う必要はない)。

田舎暮らしにも都会暮らしにも、その中間あたりの暮らしにも、それぞれに良さと悪さがある。若い頃に色々と見聞を広めておくことで、都会か田舎かその中間か、いずれにせよ自分が居を構える場所を納得して選びやすくなる。これは人生を歩んでいく上で、地味ながら重要なことだと思われる。

石部金吉のような生活をしていた人に限って 、晩年に悪い遊びを覚え歯止めが利かなくなり晩節を汚す羽目に陥ったりするのと同じように、若いうちに色々な地域を見たり生活したりしておくのは良いことなのである。「青い鳥」ではないが、いつまでも陽炎のような未来像を抱き続けて現在を否定し続けて生きる歳を取った人間ほど哀れなものはない。遅くとも20代後半ともなれば、決意と共に、地に足をつけて生きていくことを開始しなくてはならないものであろう。


福井が大嫌いと叫ぶブログ主は、気の毒なことに、福井は足を下ろして生活できる土地ではないのである。合わないものは、合わない。福井県民の民度が低いとか品性が下劣だとかは、さしたる関係はないのである。県民性の違いからくる齟齬は、多少なりともあったかもしれない。

血液型性格分類が、科学的に根拠などないと言われながらも根強く残り続けいるように、県民性もまた、昔から根強く存在するものである。血液型性格分類はさておき、県民性に限っては、その土地の歴史や風土の影響を如実に受けて形成されてきた土壌が確実にあることから、単なる統計上の特徴として片付けることのできなぬ、地域文化として捉えるべきものである。


私は石川県民だが、福井県の県民性について述べられることはあまりない。昔から福井とは少なからず関わりがあることから贔屓の目で見てしまう立場にある。実際に福井や福井県民に対して悪い印象はないし、ケチをつけたくなる不満もない。北陸に住む田舎者同士、仲良くやろうという思いしかない。

さはさりながら、福井県民から見る石川県民や、石川県民からみる福井県民への印象は「仲の良い隣国関係なし」と言われるように、それなりに攻撃的な要素を含むのが普通である。例えば、石川県民は根拠のない自信の上に福井県民を見下すところがある(これは富山県民に対しても言える)。福井県民は、そうした石川県民のさもしい自尊心を馬鹿にする心理があるはずで、少なくとも劣等感など抱いていない。ちょうど石川県加賀市市民が金沢市市民に対して抱く感情と似たようなものである。

「所詮、自分たちは田舎者である」という客観的に正しい事実を認めない人間は、第三者から見れば滑稽なものだ。金沢市民は、それこそ昔から指摘されているようにプライドが高いのは厳然たる事実であり、福井県民や富山県民を下に見る。とはいえ、実際の態度には決して出してこないあたりは洗練さがある。インテリジェンスが高いというか、表立った差別は決してしないのである。しかし、ふとした拍子に馬脚を現して判明したりする(それがまた相手からすると酷く腹立たしい)。観光客などに鼻持ちならない非礼な態度を取るのは単純のレベルの低い人間であり、大多数の金沢市民は該当しない。

福井県も石川県も、文化的なレベルや教育水準は全国水準からみて高いようで、気質も似たもの同士と思われる(私見)。お互いに(出身のことで)挨拶がわりにからかい合うことはあっても、憎しみを抱いたりはしていない。福井県民が金沢に遊びにきたからといって不当な扱いを受けたりもしないし、石川県民が福井に遊びにいって不愉快な思いをすることもない。

なんらかの人的トラブルがあるとすれば、昔からの風習に凝り固まった頑迷固陋な高齢者から受ける出自を理由にした差別か、若者同士のいざこざぐらいであろう。ことに若者同士のいざこざは田舎では頻繁起こりうる火種である。

というのは、価値観の乏しい田舎では「ナメられたら負け」という土着文化ならぬ風土病が蔓延っているからである。暴力や粗暴な行為は嫌いな心理を有する臆病もののくせに、意図的に虚勢を張ろうとする。ひところ話題になった「マイルドヤンキー」というのは、この特有の心理に端を発するものである。でかくて押し出しの強いフロントマスクをしたミニバンは、確かに強い高級車であり、訴求力の高い憧れのアイテムだ。虚勢を張る自分に酔いしれると、人は気づかず愚かな行為を繰り出す。威圧的な態度の誇示や煽り運転がそれである。ネット用語でいう「イキり」である。普通の社会人から見れば遊びでワルぶっているようにしか見えない態度で可愛いものだが、当の本人らは案外に真剣だったりする(なぜなら「ナメられること」は死を意味するからである)。

福井県民に難癖をつけられ絡まれたとすれば、原因は概ねコレである。福井県民は根が善良なので、イキった態度をとりながらも自分が悪い行動を取っていることを自覚しているし、内心ではそれ以上の悪い状況に発展することを望んでいないものである。対策は簡単で「あなたのことをナメていません」と意思表示すれば良い。素直に謝るのが一番である。相手は顔には出さないだろうが内心ホッとして、「気をつけろ」なんていいながら即座に去っていき、それで終わるだろう。

ただ、福井県民が石川県小松市市民絡んでしまった場合は例外である。この場合「面白い兄ちゃんやな一緒に遊びに行こうか」と親しげに肩を組まれたかと思いきや、脇の下から刃物を突きつけられて車に乗せられ、大日山の麓に埋められることになる。金沢市民や加賀市市民に絡んだ場合は、口汚く挑発されて暴力行為に及んでしまったが最後、警察を呼ばれ傷害事件にされて示談金をせびられることになる。福井県民は根が善良なので、喧嘩になってもお互いが殴り合って終わりと考えるが、石川県民は福井県民ほど善良ではない。ずる賢いので法的に強い立場をとって強請ってくる手段をとる。小松市民には、そもそも関わらない方が良い。

要するにイキっても損しかしないことを悟るべきであり、イキらず生きれば良いのである。肩の力が抜けるというか、自然体で楽に生きられることに気づくはずだ。このことを、1日でも早く悟ることこそが福井県(及び石川県)のような田舎で住むには重要なのである。そのためには、若いうちに他県に生活基盤を移し、環境を変えた中で生活してみることが一番だったりする。

可愛い子には旅をさせよではないが、若いうちに見聞を積んでおくことは、のちの人生に大きな影響を与える。行き先は、「孤独な群衆」を肌で知ることができ、様々な人に出会うことのできる大都市が相応しい。福井県民であれば京都・大阪がまず第一選択ではなかろうか。アクセスが容易であり、文化的に近いからである。

記事冒頭に紹介したブログ主は、色々な事情や体験がおありだったのであろうが、ご本人の反発精神が強かったに違いない。小松市に住んでいれば、もう少し楽しい生活が送れていたのではないかと邪推するが、本当のところは誰にも分からない。

posted by ぎゅんた at 22:00| Comment(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

続・フリマアプリと言えばメルカリとラクマです


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ネットを使って所有物を売ろう……と我々が考えた時、まず利用することを考えると「ヤフオク」「メルカリ」「ラクマ(旧フリル)」の3つが挙げられることになるだろう。

この3つのなかで、トータルバランスで最も良いと思われるのは「ヤフオク」である。ことにレア物を高値で売りたいと考える向きにはこれしかない。

「メルカリ」「ラクマ」と比較して、社会人男性ユーザーが多い特徴も手伝って、「一見、殺伐としているが、お互いにトラブルにならぬよう最低限の礼儀を備えたビジネスライクな取引ができる」特徴がある。これは実は、「ヤフオク」の大きなメリットでもある。ネット上における、人間同士の交渉は、顔が見えないからといって礼儀が不要なわけではない。

お前はなにを(当たり前のことを)言ってるんだ、とツッコミが入りそうだが、そう考えるあなたは常識を備えた人なのだ。ネットが社会に浸透して利用者数が増大するにつれて、思慮や良識、最低限のマナーすら知らない「残念な人」もまた、増える。いきおい、 遭遇しやすくなっている。

「ヤフオク」は、元々はそうしたユーザーに対する排除の姿勢が育っていった土壌があったこと、「メルカリ」「ラクマ」に比べやや格調が高いところから、利用するユーザーは概ね良識的な人間が多いだろうとみなすことができる。手数料を取られたり、匿名配送ができないといったデメリットもあるものの、総合的に判断すれば「ヤフオク」は魅力的な市場である。

私には、高値で売ろうと考えるレア物は所有していないので「ヤフオク」は利用していない。流行りものが好きなわけではないが、色々と思うところあって「メルカリをやってみよう」と考えた次第であり、その対抗馬である「ラクマ」にも手を出した、といったところだ。

始めから一ヶ月以上が経過したが、合計で50以上の取引を終えている。その中にあって、改めて思うところを記事にしてみたい。メルカリとラクマに対する個人的な意見・要望。また、出品にあたってのこれまた個人的な見解を述べたいと思う。




メルカリとラクマ。いまのところ、メルカリ優勢
ユーザー数が多いことを実感できるし、それこそがメルカリの長所である。わけても女性の比率がかなり高いようで、レディース用の出品物に対するレスポンスが極めて高い。ゲームのソフトやCD、DVDなども反応が良い。メンズ商品の出品に対する反応は中庸。本関係はさっぱり売れない。もちろん、モノによるとは思うが。

ブランド物・新品未使用に対する反応が高いのはいいのだが、偽ブランドや盗品が紛れ込んでいそうな懸念を払拭できない。某週刊誌に「メルカリは犯罪市場」とヘイト記事を書かれていたが、それもまた宜なるかなという気がする。

ネットでしばしばヒットする「メルカリで月に30万稼ぐ」とかいうのは、まずもって大嘘である。社会生活を営む普通の一般ユーザーが、月に30万を稼げる望みはほとんど無い。時間と、出品物が足りないからである。元々「売れるもの」を多数、所有していた人なら別だが、売れるものがなくなっていけばその勢いもなくなる。

メルカリで月に30万を稼ごうと思ったら、単価の高いブランド品や需要のあるレア物を出品し続けること以外にないと思う。これはせいぜい続いて、数ヶ月であろう。

こうなってくると、個人で外国の製造業者と取引をして出品物を買い取って売る小売業スタイルを確立したり、ブランド品を安く仕入れてくるルートを開拓したり、偽ブランドを出品することになる。いずれにせよ、危うい道であるし、税務署も黙っていないだろう。組織的にやらなくては実現できない。「業者」に転身せざるをえない。古物商の資格も必要となろう。

メルカリは「業者を嫌って排除している」と訊くが、どうみても業者だらけである。ラクマの方が顕著だが。その実態は、こんなところなのだろう。違っていたら謝罪しなくてはならないが、しかし、「月に数十万をコンスタントに上げ続けるのは、個人の力では無理である」ことは断言せざるをえない。「川の流れを変えようと思ったら手を汚すしかない」のであり、およそ真っ当な一般人が手を出すべき領域ではない。捨てるには惜しいものを、それを必要とする人に安く譲るのが、フリマとしての本来の姿であり、正しいものだと思う。

出品者としてメルカリに抱く大きな不満は、やはり手数料に尽きる。10%は幾ら何でもボリすぎだろう。それだけの良質なサポートを、出品者側にしているのだろうか?せめて消費税と同じ8%にしてほしい。

もしくは、認定優良出品者制度(仮)を設けて、ユーザーとメルカリが認めた極めて良心的な出品者は、手数料を5%にするなどの優遇措置は取るべきである。

というのも、「メルカリ」は購入者側が優遇されすぎているからである。
こういうと語弊があるので、意見を述べる。

本来、購入者側は立場的に弱いから、保護されるべきなのは当然であり、メルカリが購入者側の立場で運営していることは素晴らしいことであると私は考える。しかし、出品者に迷惑をかけるような悪辣な購入者をも過保護にする必要はない。

出品者は、手数料と送料を受け持ち、梱包作業や発送作業を控える立場にある。購入者側が購入の意思を表示して購入手続きに入ってから一向に入金しなかったり、取引コメントに返信しなかったりすると、出品者側は不安と不満を覚える。出品者は、売れたなら、即座に相手の手元に届けたいと願う立場だからである。入金が済まずに時間が経過すれば取引のキャンセルなども可能になったりもするが、それでも出品者側に降りかかるストレスは大きい。発送待ちの空白期間は、案外に問題にならないと思われがちだが、出品する側にとっては嫌なものなのだ(自分で出品するとよくわかる)。肩の力抜いてノンビリやれやと言われれば、確かにぐう正論、その通りなのだが……

また、相手が受け取り通知を延々と出さないこともある。仕事や都合で家を留守にしていることはもちろん、考えられるし、不幸にして病で床に伏せているのかもしれない。それでも、なんら取引コメントがないまま、放置されているように数日間も受け取り通知がこないというのは、出品者にしてみてば大きなストレスなのだ。受け取り通知がないと入金されないシステム上の理由もあるが、なにより早く相手を評価して取引を終えて楽になりたい心理が働くからである。相手もアンタと同じで都合のある生活を送ってるんや、肩の力抜いてノンビリやれやと言われれば、まあ、その通りなのだが……

あまつさえ、こうした購入者に対してコメントでの催促を施すと逆ギレされて「悪い」評価を食らったりするとも聞くと、いよいよ暗澹たる気持ちにもなる。

ちょっとした礼儀しらずやマナー不良な購入者は、業者と同様にもう少し排除の姿勢を見せてくれてもいいのではないかと思う。

私はまだ幸いにして、どえらく酷い購入者とは遭遇していないが、購入された瞬間に真っ当な相手であることを真っ先に祈る自分がいることに気づくのは、ちょっとした悲劇と言わざるを得ない。

メルカリは「猿の群れから人間に出会うアプリ」と揶揄されたりする。
諧謔が過ぎて大げさに満ちた表現だが、ちゃんと日本語の通じる相手が98%であるから心配はいらない。ただし、日本語は通じるが「この人はなんとなく危うい…」臭いを端々に感じさせる購入者はそれなりに実在する。



メルカリは良質なユーザーを積極的に囲い込むことで、自らのブランドイメージの向上と、そのこと自体による宣伝効果を獲得していくべきだろうと思う。

良識と常識に満ちていた新人出品者が、質の悪い購入者の存在と対応に侵され心を病んでいき、いつしかメルカリを去ったりマイルールを押し付けるモンスター出品者と変わり果ててゆく。これは哀しいことである。実際のところ、出品者の大多数は、去るか、出品をやめてしまう。購入者側が強いことは実体験で分かりきっているので、購入オンリーになる。当然の帰結である。業者出品者が相対的に増える。

もはや単純に利用者にマナー向上を呼びかけても効果があるものではない。ルールやシステム上にこの悲劇を生み出す誤謬が存在する。つまりは、メルカリ運営が対処すべき問題なのだ。

私は、メルカリの長所は「匿名配送」にあると判断しているので、ラクマが匿名配送を実装してくれることを切に願っている。同様に考えている人は、かなり多いのではないだろうか。

もっとも、ラクマはユーザーサポートが糞(メルカリも大概だが、輪をかけて)だと聞くので、出品者側に不安を与える運営のある場所で出品することも躊躇するものがあるのだが。

なんだかんだで、ユーザー数が多くて匿名配送の利点があるメルカリメインに使用しているが、不満は消えないままである。アプリの操作性を含めて心理的にはラクマをメインに据えたいのだが、ユーザー数が桁ひとつ少ないほど差があるものだから、出品しても全く反応がない。出品者は、売るために出品しているのだから、なんのレスポンスがないのはこたえられない辛さがある。加えて、ラクマは自身の出品アイテムの閲覧数カウントがないのも寂しい。

すぐに売りたいものはメルカリに出品する方が良いし、ノンビリ取引で良いのならラクマに出品して放置しておくべきだろうと考えている。もしくは、ヤフオクへの出品を考えるべきなのかもしれない。メルカリで売れにくい書籍類は、私はラクマに出品して放置している。その際、Amazonのマケプレの相場をチェックするぐらいの配慮は必要だろう。不満なのは、メルカリにせよラクマにせよ、最低設定価格が300円であることだ。これだとマケプレの「1円本」太刀打ちできない。最低設定価格を250円まで引き下げてくれないものだろうか。




実はアナログなやりとりなんです
ネットを介しているとはいえ、正体は「人VS人」での売買取引である。運やタイミングが大きく絡んでくる。売れる時は売れるし、売れない時は値段を下げても売れやしない。不安定な自営業を営んでいるような気分になる。そんな時に訳のわからない購入者にあたると、一体自分は、時間を費やして何をしているのだろうと嫌悪感に背中を押されて自問することは必定である。

取引が煩わしくなったら、すべての出品物を買取業者に丸投げしよう。売れるものも売れないものも、全て含めて二束三文で買い叩かれるが、小売においては、自分で手間をかけずに大金を得ようなんて虫のいい話は存在しない。はした金を手切れ金に業者に処分を押し付けて縁を切ればいい。後々、何十倍ものプライスタグがかけられて売られていても、文句を言ってはいけない。

「そのまま捨てるよりは、手間を加えたことで小銭に化けてくれるかもしれない意味でいいかも?」ぐらいに考えて、気楽にノンビリやるのが長続きさせるコツだろう。そして、出品する行為にかかってくる事象をイベントとして楽しむぐらいが健全な姿勢だと思う。

出品に際しての写真撮影から梱包テクニック、配送方法の熟知熟達など、今まで知らなかったことや考えたこともなかったことを、自分の手で試行錯誤して解決し、一定の回答をだして自分のスタイルを作り上げていくのは、ちょっとしたRPG要素が感じれたりもして面白いものだ。

購入者とのコメントのやりとりも、不快感と誤解を与えない、簡潔で分かりやすい言葉で行えるよう注意しながら行うと楽しいものだ。どれだけ相手に好印象を抱いてもらえるかに注力してみるのも、実りがあるだろう。相手の想像以上に美品だったと感激してもらえるよう、細心の注意を払って梱包するのもよし、一分一秒でも早い発送通知を出すことを心がけるもよし。人間相手のコミュニケーションとは、根源的に、どんなゲームよりも刺激的で面白いものなのである。

実際に、相手とコメントでやりとりをしながら滞りなく商品を発送して相手の手元に届け、受け取り通知と具体的なコメント付きの評価をもらう瞬間ほど嬉しいものはない。

この娯楽的な刺激がある限り、まだ出品をやめられそうもない。
 

posted by ぎゅんた at 21:34| Comment(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月04日

フリマアプリと言えばメルカリとラクマです


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自分にとってさしたる価値はなくとも、他人からすると価値があるモノを、誰しも案外に所有しているものである。自分にとって需要がなくとも、他人のみならず世の中に需要があるのなら、そこには金銭的価値が生じる。捨てることや業者に安く買い叩かれることに抵抗を感じるなら、身近な人で引き取り手がいないのであれば、それは世に金銭的価値を問い、引き取り手を探す好機到来でもある。

スマホを所有することがデファクトスタンダードとなった現代では、世を席巻するスマホアプリの台頭は必然である。ちょっと前の話なら『ポケモンGO』が記憶に新しいが、花々しいアプリは社会現象を引き起こす。アプリは今や、人々のライフスタイルに大きな影響力を及ぼすことのある存在である。アプリには実に様々な、開発者のアイデアに感心させられたりするユニークなものもある。

その中にはインターネットとアプリを組み合わせたフリーマーケットのアプリがあり、現在のトップランナーは『メルカリ』である。次点にくるのは『ラクマ(旧フリル)』だろうか。わけても『メルカリ』登場直後から現在に至るまで圧倒的な存在力でフリマアプリの頂点に君臨し続けている。他にも『ヤフオク!』が有名どころとして昔から存在するが、こちらはオークションなので毛色が異なる。ただ、誰かが出品したものを別の参加者が購入するという意味では同じである。


さてそんな中、私は『メルカリ』と『ラクマ』に出品者として参加してみることにした。

部屋の掃除や所有物の整理をしているうちに、ただ捨てるだけでは勿体無いと思えるものが複数あることに気づいたのだ。そして、古着なりなんなりを買い取ってくれる業者存在は知ってはいれど、端金で買い取られているのに「処分費用がかからずに済んだ♪」と喜ぶほど私は性根が優しくない。そんなことは過去に散々、辛酸を嘗めさせられてきた。「出品する」のは、たとえ手間暇がかかろうが、業者任せにした場合よりも遥かに大きい金銭的見返りを求める気持ちがあるからである。

出品候補アイテムの中には、『ヤフオク!』で高値がつくほど潜在的価値あるものはない。あるにはあっても、それは手放す気持ちがないものだ。なので、『ヤフオク!』は利用しないことにした。流行に乗ってみるのも一興であろうという気概も手伝って『メルカリ』と『ラクマ』を選択することにした。シンプルが一番である。

以降、出品者側で『メルカリ』『ラクマ』ともに、評価が10以上つくぐらいには利用してみての所感を述べていきたいと思う。



売れやすさ
ユーザー数の違いがものをいうことを、『メルカリ』を利用すると思い知らされる。利用者数は5倍ぐらい違うのではないか。母数が多ければ、それだけ出品して売れやすいことに直結する。

『ラクマ』も売れるのだが、キャッチーさに富むブランド品でもなければ、とにかく反応が遅い。需要の高い「必要とする人にピンポイント」な出品物は、どちらでも売れる。利用者が少ないということは、「購入すべきか迷う」人や「ウィンドウ・ショッピング感覚で観覧している人」が少ないことを意味するわけで、それをして「ラクマは売れにくい」という評価に直結している気がする。

『ラクマ』は出品者に販売手数料が掛からない(『メルカリ』は10%かかる)ことから、単純に出品者側にとっては魅力的なのだが、こういうのは売れなければ始まらないところがあるから悩ましいところだ。『ラクマ』ユーザー数も、認知に伴ってヒタヒタと伸びているはずなのだが、やはりまだユーザー数は絶対的に差があるままのようだ。

『ラクマ』で出品するのは、売れることを急かないアイテムが妥当のように思われる。
この場合に注意すべきは、売れない場合に、その原因が価格にあるのか写真や説明文にあるのか、購入候補者側からの反応を元に考察しにくいことである。

いいね!がついたりコメントでの問い合わせがあれば、少なくとも関心を引いている出品であることは分かるから、どう攻めるべきか指針を立てやすいし、また、そこがリアルタイムで面白いところなのだ。

参加者の絶対数が多い『メルカリ』は、出品者として売ってく上で極めて魅力的な市場と言える。

販売手数料10%は出品者にとってみれば暴力以外のなにものでもなし、不満を覚える出品者が大多数だろう。しかし、この販売手数料を差し引いてもメルカリ市場は(今のところは)参加する価値があるのがコンセンサスだろう。悔しい、でも利用しちゃうビクンビクン状態なのである。



匿名配送システムが光るメルカリ便
『メルカリ』には、配送方法に「らくらくメルカリ便」と「ゆうゆうメルカリ便」という特徴的なシステムが用意されている。全国一律で保証付きで配送状況が追跡でき、コンビニ配送も可能で宛名書き不要と、極めて出品者側に優しい特徴がある。最大の特徴は匿名配送が可能であることだろう。相手側の住所も氏名も分からないが、こちらの住所と氏名もまた、購入者側に知られずに済むのである。

『ラクマ』にも「かんたんラクマパック」と類似の使いやすいシステムが用意されているが、残念ながらこの匿名配送だけは実装されていないままだ。この差はとても大きい。

「個人情報なんて、実際のところ筒抜けじゃねえか」というド正論はさておき、それでもやはり、ユーザー間のやりとりで住所氏名を知られることには心理的に抵抗があるものだからだ。取引でトラブった時に、ユーザーが近場であれば事件が起こる可能性を否定しきれない。「住所氏名も分からない相手からブランド品を購入するのもどうなのだろう?」という疑念もないわけでもないが、この匿名配送システムは、出品者と購入者側双方の安全と安心に大きく寄与している優れたものだと思う。利用すればするほど、その確信をあらたにする。

この匿名配送が備わっているから『メルカリ』を利用しているユーザーも、多いのではないか。

つまり『ラクマ』は、一分一秒でも早く「かんたんラクマパック」に匿名配送を実装するべきなのである。それだけで『メルカリ』から『ラクマ』に拠点を移すユーザーが、数多く発生するだろう。私だってそうする。



アプリの使いやすさ
どちらも直感的に使いやすいインターフェイスに仕立て上げられている。動作も、イマドキのアプリから見れば標準以上に優れたレスポンスをみせる。

好みもあるが、使っているうちに気に入ったのは『ラクマ』の方である。出品のための下書きや出品した商品の一覧へのアクセスがしやすいのが良い。ただ、『ラクマ』の方は、出品したアイテムの観覧数のカウントがない。これはちょっと寂しいので改善して欲しいところだ。



ユーザーの特徴
始める前まで「メルカリにしろラクマにしろ、民度の低いユーザーばかり」と聞いていたが、それは杞憂であった。もっとも、今のところ「遭遇」していないだけかもしれない。ただ、ネットでネタにされているほど無法な動物園ではなさそうだ。

ただ、これは警戒すべき相手(地雷)かな……と匂わせてくるユーザーは存在する。

概ね

1.「悪い」評価が目立つ
2.ユーザーネームに「プロフ必読」と付いている(独自ルールの押し付け)
3.言葉遣いがタメ口
4.意味不明な値切りをしてくる
5.写真がネット上から拾ってきたようなもの。業者臭がする
6.◯◯ママ、◯◯mama、アニメアイコン
7.そもそもコミュニケーションが成立しない

こんなところであろう。
関わると損をするリスクを抱え込むだけなので、怪しいと思ったら即座にブロックすると良い。



売れるための工夫?
なんだかんだで出品するアイテムの写真写りが良いことが第一。ビジュアルは文字以上にモノを言う。センスのいい写真がとれた出品物は確実に売れやすい。

とはいえ、写真家のような、プロの技が問われるものでもない。肝心なのは、出品物の様相とアピールポイントが上限4枚の写真に隙なく収められていることである。ハイセンスな写真ではあるべきだが、購入者を騙して購入させるものではないのだから、出品物のありのままを伝える写真であれば良いと思うし、優先すべきことだろう。

次に商品のコメントである。
どのような状態であるかを簡潔ながらも詳細に(余計な情報は抜いて必要なことだけを)記載するべきである。虚偽記載はご法度である。正直に努める方が、結果として信頼され、購入に至るケースもある。出品者が真面目に、購入候補者に向けて書いた文章は熱意があり、読んでいると面白いし、lまた、そのことが購入の後押しにもつながるものである。

ことにブランド物であれば、いつ、どこで、いくらで購入したもので、型番や正規品である証拠などどの情報が不可欠である。未使用品かUSED品であるか。痛み具合があるなら、どのような状態であるかを詳細に記載する。

忘れてはならないのが、配送についてである。
出品物をどのような状態で、どのような方法で購入者に届けるかも忘れずに記載すべきである。

時間指定ができる配送方法を選択しているのであれば、その旨も記載すると良いだろう。



出品価格は送料との戦いだ
『メルカリ』にせよ『ラクマ』にせよ、送料は出品者側が負担するのが慣例となっている。購入者側は、送料がいくらかかるかを気にせず購入できる面で楽だからであり、購入に対する心理負担が軽減される。売れることを考えるなら、送料は自分が負担するべきだ。

出品者はまず出品するアイテムを、いかに最小限のコストで配送できるかを決定しなくてはならない。送料にかかるコストが出品価格を規定する。出品価格は、要するに送料が上乗せされているのである。ときおり最低価格300円の出品を見かけることもあるだろうが、その実態は100円程度の利益でしかない。

出品するアイテムの大きさが大きく送料に影響してくるのだが、もっとも大きな要因は厚みである。例えば書籍は、見かけ上は大きくとも厚さが3センチもない。厚みが3センチ以下でA4版角2封筒に収まるものであれば、匿名配送が可能な「らくらくメルカリ便」・「ゆうゆうメルカリ便」の中でもっとも安価なネコポス(195円)とゆうパケット(175円)を利用することができる。ここに収まる出品物は確実性が高い。書籍、ボリュームの小さな衣類、小物、CD、DVD…

これ以上の大きなや規格になると、基本的に送料はうなぎのぼりである。出品物によってはぼうすいや対破損のための緩衝材の使用などでボリュームが増してしまうことで送料が跳ね上がってしまうことも珍しくない。

いざ配送の段階で出品価格以上に送料になったら、勉強代だと思って呑むしかない。もしくは、悪い評価がつくことを覚悟の上で購入者と交渉しなくてはならない。配送方法に関しては知っておくべき知識やテクニックがたくさんある。私も精進中だ。

ひとまず送料を安く抑えた上で「らくらくメルカリ便」「ゆうゆうメルカリ便」「かんたんラクマパック」を利用するスタンスが間違いがないと思う。保障があり配送状況の追跡ができるものが優先され、普通郵便は最後の手段である(出品物によっては普通郵便が格安で済むが、出品時に断りを入れておくべきである)。



フリマアプリで月に数十万稼ぐってか?
よく見聞きするフレーズだと思われるが、結論から言うと、これは専業でガチでやらなくては無理なタスクである。

出品物も、外国から独自のルートを開拓して入手したバッタ物を売るかせどりや転売を効率よくこなすか単価の高いブランド物を出品しまくるかに限られてくる。「普通のユーザー」は、そんなことはできない。やろうと思えばできるかもしれないが、初期投資が必要な世界だろうし、グレーゾーンに足を踏み込むことも避けられないだろう。

安く仕入れて高く売るのは商売の基本だが、生身の自分とスマホ1つでそれをやるには、労力が足りるはずがない。組織的に効率よくやらなくては立ち行かなくなる

まずは大きな利益に拘らず、肩の力を抜いて取引の手間自体をも楽しむぐらいの気持ちで始めると良いだろう。やってみれば分かるが「色々と見えてくる」ものである。

私は、自分が不要とするものを必要とする人に納得して購入してもらうことで、ちょっとしたお小遣いの捻出になればそれで十分だと考えていた。それは実現できている。

出品するものの選定から出品準備、写真撮影に説明文記載、コメント対応に配送手続きなど、手間暇は想像以上にかかるのだが、それを楽しんでいる自分がいることにも気づいた。

「どうしたら送料を安くできるか?」「これを送る時に、どう梱包するか?」「満足度の高い取引のために配慮すべきことは?」など、取引を重ねるごとに反省や考察が湧き出てきて、次の取引に活かそうと試行錯誤できるところに学びの喜びがある。また、ゲーム的ですらある。

まだ当分は細々とながら続けていられそうだ。



『メルカリ』と『ラクマ』のこれから
ことに『メルカリ』で顕著だが、出品者と購入者の関係においては、購入者側が圧倒的に有利である。購入者を優遇しすぎではないか?と非難されることもあるようだが、冷静に考えれば購入者側が保護される形でなくてはフェアではない。出品者は、参加者が多数いる市場に間借りして「良かったら、買ってください」と品出しをしている存在にすぎない。そう考えれば10%の販売手数料はショバ代そのものである。

匿名配送の存在や、場合によっては購入者側に返金で応じる『メルカリ』は極めて良心的である。この購入者側視点に立った姿勢が、『メルカリ』をスターダム・アプリに伸し上げたのではないかとも思う。『ラクマ』は、この点を素直に真似すると良い。手始めに匿名配送の実装だろう。

『メルカリ』はまた、現状に倦まず弛まず、先をいって欲しい。民度が低いなどと揶揄されて新規ユーザーの獲得の勢いが落ちているなら、それを払拭すべきである。例えば認定優良出品者制度(仮称)設けて、極めて良識ある善良な出品者側は販売手数料を5%にするなどの優遇措置を取っても良いだろうと思う。結果として、出品者の多くが認定優良出品者となるべく、購入者に対して配慮ある対応をするようになり、メルカリユーザーのイメージアップにつながって行くのではないかと思うのである。平等の精神は尊いが、真面目に善良にやっているユーザーにはインセンティブがあっても然るべきである。


※フリマアプリで商売を、と期待するのは勝手だが、それで容易く大金が稼げはしない。ネット上の胡散臭い業者のページには「メルカリで月に20万稼いだ普通の私の云々」などは、アテにしないことである。

と言うか最近は、ウェブで知りたいことを検索しても、ヒットしてくるのは業者が作った血の通ってなさそうなページ(個人のブログとは思えないデザインで、外人の写真とかがイメージ画像で使用されている傾向)ばかりが上位ヒットする。数年前まではもっと、凛とした個人の考えが前面に打ち出されたページがヒットしていたように思うのだが。

 
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2017年10月17日

ラテマネーとつもり貯金


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ラテマネーという言葉があります。日常生活における、何気ない小さな出費のことを言います。卑近な例でいえば、フラッと立ち寄ったコンビニで適当に購入したお菓子やガム、飲み物などが該当しますが、タバコや不必要な会費、ATMの手数料なども含まれます。概念的な言葉なのです。

単体では、小さな出費なのです。

しかし、いっときの出費がたとえ軽微であっても、それが繰り返されるのであれば大きな出費に化けます。

お金が溜まらないと嘆く人の多くは、このラテマネーの比率が高いことが多いものです。

ただし、ラテマネーは単純な無駄遣いとは異なります。休憩用の嗜好品であったり、交友上の出費の側面もあるからです。購入の目的が曖昧模糊としており、無為で傾向的な心理からくる出費こそがラテマネーでありましょう。支払ったコストに見合う価値が得られない種の出費、回避できうる出費と考えるとよいでしょう。


なんだかんだと出費を迫られる場面ばかりの世の中ですから、金銭にどれほどの余裕があったとしても常に不足しているように思えてならない圧迫感が我々の意識を支配しているように思えてなりません。実際に、それは正しいでしょう。支払わざるを得ない月の固定費のウェイトが昔に比べ高い気がするからです。社会保険料や通信費がそれです。自由の利くお金の絶対量(要するに月の小遣い)が多ければひとまずは安心なのですが、私を含め多くの人はそうではないでしょう。その状況で無意識的な支出をしていれば、常に金欠に陥りやすくなります。ラテマネーを減らし節約することは美徳であり吝嗇にはあたりません。

我々は金欠を嘆く前に己のラテマネー状況を確認することが先決です。

ラテマネーは、言ってみれば購入しなくても問題にならない対象のためのコストでありますから、購入しなかった金額を「つもり貯金」に回すことができます。月額にしていくらになるか、想像がつくでしょうか。早速、実行してみましょう。我慢を強いられる場面もあるかもしれませんが、貯蓄に回してみましょう。数年で小さな財を成すことができるほどの金額であったことに、心胆、驚かされることになるでしょう。




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The Latte Factor: How Money Leaks & Drains Add Up To $175,000 In 10 Years

↓ 「ラテマネー」を提唱した人の原著(訳本)
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2016年06月28日

選挙とは、薬に化けるかもしれない毒を選ぶ行為である

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参議院選挙真最中である。期日前投票を済ませてきた。

選挙といえば政局だが、今回の参院選は日本共産党の存在感が目立っている気がする。与党をおびやかす大躍進が予想されている一方で「防衛費は人を殺すための予算」とおっしゃる議員がいたりと話題に事欠かない。実際、野党の最有力補になりそうな存在感である。日本共産党の支持率が上昇するということは、上流階級を快く思わない労働者層が増えているのではないかと邪推する。私の気のせいかもしれないし、トレンドかもしれない。ひょっとしたら世界を革命したがる有権者が増えているのかもしれない。いずれにせよ、選挙への関心や投票率が上がるのは良いことだ。共産党は与党にはなれないし、第一野党になれば現与党は必死こいて働くようになる。

身も蓋もない話だが、あなたが期待する候補に投票することで、あなたが期待した政策が社会に反映されることを期待してはいけない。実現されるにしても、相当にゆっくりと形を変えて行われる。「即実行」を喧伝する候補者は少なからず存在するが、過度な期待をしてはいけない。あなたがまず冷静に判断べきことは、自分の理念に近い党理やマニフェストを打ち出している党があるかどうかである。自分の理念に100%合致する政党はないものだが、そうした中で、最も近い政党を支持政党に据えるか、支持する政党がないとするかを決める。支持政党が得られたら、党の理念通りの考えを体現しているような議員を応援すると良い。「わが党は○○の路線を打ち出していますが、実は、私はそれに反対の立場で〜云々」などと述べる議員は信用ならないし、そうした議員を多く抱える政党はブレている。

本来、国民は政治は政治家に任せて無関心であるぐらいが理想だと考えられる。自分たちで選んだ議員が、信頼に足る働きぶりをすれば、だれだって政治は政治家に任せっきりで無関心でいられよう。政治不信だ投票率の危機的低下だというのは、社会にのどこかに狂いがあるのである。狂いのない社会を私は望むけれど、それは夢想である。社会の狂いを修正してくれるのが政治家であろうけれど、それを政治家に求めすぎるのも絵空事にすぎず、自らがと立ち上がる気概も更々ないのである。なので、政治にあまり文句は言えない。有権者の一人として選挙に必ず足を運ぶことがせいぜいである。

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2016年02月07日

CopyからMEGAにお引越し

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愛用していたクラウド型ストレージサービス「COPY」からサービス終了のお知らせが届いた。クラウド型ストレージも過渡期を過ぎたのか、サービスを終了するところが出始めているようだ。Copyはファイルが即座に同期されたりされなかったりと不安定な部分があったが、無料でも十分な容量があることとクリーンなインターフェイスが気に入っていただけに残念だ。

引越し先はCopyと似た使い方が出来るものであればなんでもよかったがMEGAにした。

導入は至極簡単で、アカウントを取ればすぐに利用できる。
この場合、ブラウザ上からアップロード/ダウンロードすることになる。
Copyのような、ローカルに同期フォルダをもたせて利用するには、MEGA Sync Client を導入すればよい。
iPadなどで利用するアプリももちろん存在する。所持しているiPad miniでインストールしようとしたところ、iOSのバージョンが6だと利用できないのが不満。DropboxとCopyは使えるのにちくしょう。

「フレンド紹介で容量追加サービス」はないものの、無料で50GBもの容量があるので当然か。
同期はめっぽう速いとはいえないが、Copy以下ではない。のんびり使うユーザーには十分である。アイコンがダサいのはご愛嬌。
 
posted by ぎゅんた at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月25日

世間に数多ある、クラウド型ストレージにCopyはいかが?

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過去に記事にしたが、私はCopyを愛用している。

元々はDropboxを利用していていたのだが、どうにもストレージ容量が不足することと、「ユーザーのファイルの中身を検閲されている」噂が気になっていた。無料で利用している身分なのだから文句を言える立場でもないし、検閲されたら嫌だなと感じるデータをアップロードしなければ済む話ではある。そもそも検閲が心配ならBitcasaでも使えということだろう。

Dropboxの(無料サービスでの)容量不足は、他のクラウド型ストレージを併用して解消しようと考えた。その時、Googleドライブ、Amazonストレージ、Copyを試用してみて、Copyだけで充分だなあと思い至ったのであった。

私のような管理能力の低いタイプは、アチコチにファイルをアップロードしても効率が悪い。ユーザーの利用の仕方にも依るだろうが、少なくとも私は、シンプルにひとつのサービスを利用するだけで充分だった。Copyは、容量も使いやすさも申し分がなかった。実際に利用してみて、不満もほとんどない。Copyは、オススメしたいクラウド型ストレージサービスだ。

最初から用意されている容量(無料なら15GB)とユーザーフレンドリーな使いやすさに加えて気に入っているのが、同期を解除して、クラウド上にのみデータを置いておくことが可能なことだ。

PC側でCopyのフォルダに放り込んだファイルは、同期され、クラウド上に同じファイルが置かれることになる。ファイルが少ないうちは気にならなくても、無造作に放り込みまくっていくと、ローカル側の容量が圧迫されていくことになる。

最近のPCは、過去のそれと比べて比較にならないほどの大容量HDであるから、所詮は15GBの領域の容量のせめぎ合いなど瑣末なことかもしれない。しかし、されど15GBである。一昔前の標準的なHD容量だ(考えが古いか?)。また、無用にファイルを多く所有することを望ましくないと考えるユーザーだって、いるだろう。

HDに保存し続けるのも如何なものかと考えるファイルを、クラウド上に置いて置く使い方は有益である。オンライン上にファイルの倉庫を持つようなものだ。Copyでは、それが出来る。私のような、HDの残り要領を常に気にするタイプのユーザー(ゴミ箱を空にすることが習性になっている)には、こうした使い方ができることはありがたいことだ。

もし、Copyを導入するなら、まずは無料版からはじめることになるだろう。
その場合は15GBの容量が手に入るが、その際、紹介を経てアカウント登録すると+5GBの容量プレゼントがある。また、アカウント獲得後に他人を紹介するごとに5GBのプレゼントが受けられる。

こちらから登録すれば、あなたと私に5GBのプレゼントである。なんともまあ、大容量時代になったものだ。
 
posted by ぎゅんた at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月29日

坂井あわら倫理法人会300会記念特別モーニングセミナー

知り合い経由で参加。ちなみに私は倫理法人会会員ではない。入会を勧められてはいる。モーニングセミナーに参加すること自体は無料である。

この倫理法人会という組織はどのようなものか、私は知らなかった。ネットで検索するとイロイロと出てくるが、別に宗教ではない。神様を崇めたりしないし、壺を売りつけられもしない。明るい事業主たちの社交的勉強会のようなものである。ただ、開始時に全員で倫理法人会の歌「夢限りなく」を歌って、万人幸福の栞を輪読し、演壇に立つ人のお話を聞くだけである。

倫理に基づく考えが全面にわたってあるため、オトナになってから受ける修身や道徳の授業みたいである。現代版寺子屋タイム。自己啓発のきっかけづくり。人としての正しいあり方を再考し、重んじ、実践していく会とでもいおうか。これがどうにも全体主義的なので宗教っぽくはある。

大家族や部活動に代表される縦社会に慣れていたり居心地の良さを感じるタイプの人に向いている気がする。反対に、そうでないひとは蕁麻疹まみれで気絶するかもしれない。私は縦社会こそ日本人の組織形態だと考えている一方で居心地の悪さをおぼえる中途半端なタイプであるから、正しく真面目な組織だなと感じる一方で、属したいとは決して思わないのである。

無料だからと足繁く参加し続けるのも厚顔無恥で不徳であるから、もう行くのはやめようと思う。同じ時間に何かするなら、近所を散歩して落ちているゴミを拾っている方が私の性に合っている。


結論
社会に貢献するために、自分の事業の拡大と発展を願っているがそれは社長のみならず従業員たちの成長なくしては達成できないと考えている人、顧客作りを視野にいれた人脈作りを望んでいる人、ひとかどの人物の講話を聞くのが好きな人、早朝がヒマでしゃあない人、意識高い人、らに向いている会だと思われる。なお、名刺とfacebookのアカウントは必携アイテムである。
 
posted by ぎゅんた at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月13日

社会が豊かになるには

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まとめ
・払いたくて仕方のない税金システムを渇望
・国が安楽死(尊厳死を認め、安楽死(尊厳死)施設が稼働すれば社会は明るくなる

10%前提で8%にまでなった消費税
様々なところから搾取しようとするクソな税金(特に自動車関連)
破綻済みでゾンビの体と化している国民年金
なぜか外国人に支給される生活保護
日本人の顔をして社会に潜伏している売国不穏因子
さらに現代の生活必需品であろう携帯電話にまで税金を課されようとしている
移民政策を掲げる政治家たち
少子超高齢化社会


パッと思いつく社会に対する憂い事はこんなところだ。

よくもまあ日本社会にモラルハザードが起こって社会が崩壊せぬものだと関心することしきりである。他国と比べれば、あいもかわらず世の中は平和で恵まれた国である。テレビをつければ面の皮の厚そうな連中が、どうでもいいくだらないことを真面目に深刻そうにコメントし、画面端にワイプ表示されている。どうでもいいくだらないことを真面目に深刻そうにコメントできるほど安穏としか社会である、ともいえる。…が、我々は政府やマスコミに飼い殺しにされている気がしてならないと、そう感じている国民は多いだろう。けれども、実際に武器を手に取り立ち上がろうとまで憤る人は殆どいない。市役所を取り囲んで声をあげているのは職業左翼の人たちである。不満があろうとも黙ってお上に従い仕事に勤しみ慎ましく生活することを美徳とする国民性が窺い知れる。「和を以って貴しと為す」の精神がDNAに刻み込まれているとしか思えない。狭い島国なので、性質が厚顔無恥でもなければとても生きていけない実情があるのである。

日本社会は崩壊せずとも、国は斜陽に入っている。いまどきこれを否定する人はおるまい。国力が低下しているのである。その原因は日本企業の総力の衰えと少子高齢化による人材の枯渇が原因である。日本企業の衰えは、(企業の)納税への拒否感と技術流出に原因があり、更に、その状況で望ましい有望な人材が集まらなくなっていることと職人・ベテランの引退による減少が追い打ちをかけている。日本は資源の乏しい自然豊かな島国で、人材こそを資源とする国であることはいうまでもない。

企業が納税に対して激しい拒否感を示すことは、あまり遡上にあげられることはないようだが、深刻な社会問題である。そもそも国民が税金を払いたくないと考えているのに、企業が率先して税金を払いたがる訳がない。最近ではAmazonが入植国に税金を収めていないことが取り沙汰された。合法的に税金を収めないか、法の隙間を突いて税金を最小限に抑えることが企業努力とみなされる趨勢である。これは、経営者であればだれしも、なるべく税金を払わないで済むことを第一に考えるからに他ならない。税金を払いたいと考える者などいないのである。なぜだろう?などと考えるまでもない。自らの納めた税金が納得の行く運用をされていないと感じるからである。納税は義務であるから渋々に、深く考えると頭痛のタネになるから目を瞑っている人が大半だろう。

税金についてフラットに考えると、高額納税者は神様仏様に等しい存在であると認識すべきである。その高額な納税こそが多くの民を支える慈悲となるからである。国民の殆どは意識もしていないが高額納税者の多大なる恩恵に助けられているのである。単純に、お金を稼げる人やお金を循環させられる人は善い人なのだ。納税や経済面で社会に多大なる恩恵をもたらしてくれる存在だからである。少なくとも高額納税者は万人に尊敬される人材であろう。昔から現代に至るも、金持ちは悪人像としてステレオタイプに描かれる。金持ちは鼻持ちならないやつと見做されるわけだが、これは悲しく非礼でもったいないことだ。実態は逆で、金持ちでないもののほうが生活に余裕がないことを原因とした愚劣で醜悪な人物(程度の低い人物)であることが殆どである。清貧とは理想論に過ぎない。蔑まれる金持ちは、稼ぎ方に問題があった者に限られる。

話がそれたが、要は、多額の税金を収めてもさっぱりメリットがないことが問題なのである。高額納税者は国民から尊敬を受けるどころか、感謝のひとつもされない。それどころか「悪どい事をして稼いだ銭なんだから、もっと多く税金を納めるのが当然だ」などと評価されることすらある。特に貧困層からそう評価される。高額納税者は偉いから讃えよとする社会も歪んでいるが、高額納税者を目の敵にする社会もまた歪んでいる。多額の税金を納める立場の人間が、もっと気持ちよく納税できるような社会であって欲しいしと思うし、納める税金が累進課税であるなら、納めた税金に累進して社会メリットがもたらされて然るべきだろう。みんなが競うように税金を収めたくなるような税制にしたほうが豊かで楽しい社会になるはずだ。民主主義で資本主義なのだから、皆が気持ちよく納税できるシステムが望まれる。これは夢想論かもしれないけれども、私はそう考える。心が貧しい時代だから我々は対策しなくてはならないと社会学者が騒いで数十年経った。それで、なにか変わったのだろうか?「古き良き時代だった」昭和の特定の時代の特定の舞台をテイストにした回顧主義が幅をきかせただけだろう。少なくとも、貧しい時代の方が心が豊かだったなんて、それは正解ではない。人生を楽しむには自身に余裕が不可欠である。


有望な人材が少ないこと。これは、単純なところ母数が多ければ優秀な個体の総数が増加するので、少子化は直結して不利に働く。中国やインドの台頭は、母数の大きさから発生する精鋭の多さによるものである。また、人口の多い社会は、それだけ潜在的な経済の伸び代が大きく永続的になる。日本は和の精神を大切にする横並び村社会で山ばかりの狭い島国あるから、単純な人口の増加は環境抵抗になるから望ましくないとも考えられるが、しかし、人口の減少は如実に国力に響いてしまう。少子高齢化は将来の先細りを意味するから早急に手をつけなくてはならない。いま早急に手をつけたところで向こう十数年は若年層は薄いままであるが、その層を支えるための若年層を用意しておかなくてはならない。

昨今、左翼思想家がことさらに移民政策を訴えているが、その甘言にのれば、終戦後の在日の例と同じ禍根を将来に残すことになる。歴史の主人公である人間自体は、過去も現在も未来もその本質はなにも変わらない。歴史に学ばなくはならない。そもそも左翼思想家らが大好きな「欧米」で移民政策がことごとく大失敗に陥っているが、なぜそのことは口にしないのか。近い将来におこりうる朝鮮半島有事にて発生する難民を受け折れるための下準備ではないかと勘ぐってしまう。いずれにせよ、移民政策で少子化の解消は起こり得ない。きて欲しい移民は人格的・能力的に優れた日本国の為になる人材であって犯罪者でもその予備軍ではない。移民政策は、経済規模の維持には多少有効かもしれないが活性化には有効ではない。将来的なデメリットが多すぎるし、国民感情としても望まれる政策ではない。海外の優秀な人材は、そもそも自国に留まるか渡米するかのどちらかであって、日本へはこないだろう(メリットがないと理解しているから)。観光にはくるだろうが。

若者が将来に不安を抱かない社会であれば、少子化が進行することはないのではないかと思う。将来に希望が抱けず、不安が払拭しきれないと、人は貯蓄に走り支出を抑えようとするだろう。そうなると、経済活動は停滞し、不景気になる。不景気になれば給料が下がり雇用が減る。結婚も子育てもお金がなくてできない。将来に不安がある上にお金がない。現代日本の少子化の本体はこれだろう。年金や健康保険を払うだけで精一杯なのだ。ワーキングプアで未来ある若者が生活保護に転落するケースも目立つ。生活保護が社会の(最低限の文化的な生活のための)セーフティであったのは過去の話で、一種の貴族階級であるとまことしやかに論じらることがあるが、私も同感である。それでも、生活が保証されたことで彼らが子どもを産み育ててくれるのなら良いことかもしれない。確かにこの層の人たちは子どもを産んでくれるが、しかし、あえて酷いことを述べるが、生活保護を受給する人々の子どもが将来的に社会的に貢献する人物になり得るものだろうか。私はその疑問を払拭できない。差別発言といえばその通りだが、教育にはお金がかかるし、環境が大切であることは自明だからである。子どもは易く朱に交わって赤くなり、易く低きに流れる。

納税が重負担になるほど若者にはお金がなく、どれだけ税金を課しても財政赤字なほど国にはお金がない。誰も税金は収めたいと考えず、将来の「もしも」を考えると財布の紐を締めることしかできない。

私はふと、国が安楽死(尊厳死)を認め、安楽死(尊厳死)施設を稼働させれば今の日本に多大なメリットがあるのではないかと考えるのである。Q.O.Lが著しく低下した状態にある寝たきりの人や、回復の望みのない延命治療を受け続けている人たちの、少なくとも一部には恩恵になるのではないか。本人には生きる意思がないのに、その意思を無視する形で生かされている場合が多いのではないか。我々が考えているほど、「もしも」の状態になったあとの延命を望む人は多くないのではないか。周囲に迷惑をかけて生きながらえるならば、潔く死を選びたい人もいるだろう。自分が認知症になって社会のお荷物になるなら、死を選びたいと考えているのは私だけではあるまい。自殺はしたくないと考えているだけである。本人が尊厳死を望むことが自殺とどう違うのかについては議論の余地があるが、誰も口にしないだけで、安楽死(尊厳死)は、生きる我々に与えられるべき人生の選択肢のひとつである。もし安楽死(尊厳死)施設が稼働すれば、最初は戸惑いや混乱があってもすぐに受けいられらることになるだろう。日本人の死生観からいって、拒否反応はほとんどないはずである。そして、医療負担や介護負担の軽減は、社会に多大な即時的メリットをもたらすからである。いざという時にキチンと死ねることが確信できていることも、将来に対する不安の払拭に不可欠なのである。
 

iPadから送信
posted by ぎゅんた at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月12日

忍び寄るiP2700…

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互換性がないがゆえに難民と化したインクたち

実家の「Windows2k対応というロートルで、純正インクだけをガブガブ喰らっていたくせに、インクカートリッジを交換した瞬間に死亡した」プリンタは窓から投げ捨てられたが、あろうことか両親が突如プリンタを買ってきた。店員に相談してwin2kに対応するプリンタをかってきたから、パソコンにつなげて使えるようにしてくれという。いまどきまだwin2k対応のプリンタがあるとは驚きだが、やはり世の中には古いパソコンを使い続けるユーザーもいるわけで、メーカーもそうした事情を考慮しているのだろう。俺は心が暖かくなった。

さてそのプリンタはCanonのIP2700であった。最近のキャノンのインクジェットプリンタの再安価モデルのはずである。Canonというだけで心情的にふぁっくだが、win2k対応ならば文句あるまい。流石に他のメーカーのプリンタにはwin2k対応のものは無かったであろうから。梱包されたプリンタを取り出し配線する。インスコ用CDをドライブに食べさせる。

しかし、ドライバをインストールしようとしたところ拒否られてしまった。
途中までは順調にいくくせに、最後のほうで突如発狂して撥ねられてしまうのだ。何度やりなおしても同じだ!
sudden_panic.jpg
※画像はイメージ

さてはと説明書を精読してみればwin2k対応ではないのである。店員に嘘をつかまされたのか、両親が勘違いをしたのか明らかではない。俺は心が寒くなった。

仕方がないので自分のパソコンに接続することにした。Windows7は懐の広いやつなので、飼い主がCanonが嫌いでもインスコを受け付けるのである。まさか自分のパソコンとふぁっきゃ(Fuck'n Canonの略である)ip2700プリンタがオトモダチとなるとは…ロクでも無い画像をプリントして悪戯に使う、その主犯になってもらおう。


ってなわけで冒頭画像のインクたち
・BCL-3eBK
・BCL-7eM
・BCL-7eY
が路頭に迷ってしまったので人攫い使ってくれる心優しい方がいらっしゃいましたらお譲りします。ヤフオクに出品したり火焔放射器(キンチョール+ライター)で焼き払うするのはめどいし、さりとて捨てるのは勿体無い。
取り付け期限は最短のものが「2014.08」となっていますが、問題なく使えるでしょう。多分。純正品だし。
 
posted by ぎゅんた at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする