2018年06月21日

わたモテ感想[喪136]モテないし漫画を薦める


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Proof that Yuri-chan has a emotion.
今江先輩と別れた卒業式の日に、もこっちはゆりちゃんの前で(直接的な描写はないが間違いなく)涙をみせました。読者も、泣きました。泣くというのは、言葉にならない情動に突き動かされた感情の発露であります。嬉しさ、悲しさ、悔恨、申し訳なさ……胸の中いっぱいに広がった感情が爆発すると人は涙を流します。これは、ひどく人間的な現象です。

「目から流れ出るこの水はなんだ」とロボットが自問するシーンがあったりしますが、あれもまた、泣くという行為が人間に特有の現象であることを逆手にとった演出といえます。どんな悪人の目にも涙で、泣くということは、その人が最低限のところで人間らしさを保っていることの証明にも用いられましょう。


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今回はゆりちゃんがもこっちに救われる場面が描かれる話です。私はゆりちゃんの抱えていた孤独感に胸が締め付けられました。と同時に、香魚子先生の名作『シトラス』の第8話を思い出しました。

自分を理解してくれる人を誰よりも欲している孤独な心と、純真に自分を見ていた人が居てくれたことへの救いの気持ちが交差する展開は古典的ながら胸を打つヒューマニズムに溢れています。


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最近のゆりちゃんは表情筋がないキャラクタとして描かれており、いかにも無感情な陰キャラ然としておりますが、それはただ感情を表情に出さないだけなのです。泣く、というのは確かに人間的で感情豊かなことだけれど、泣けるという触れ込みで読んでみた漫画で泣けなかったとしても、自分が間違っているわけでも、気持ちを共有できなかったことから友達に拒絶される理由にもなりはしない。

思えば、ゆりちゃんは喜怒哀楽にまつわる感情の発露を指摘されると、それを即座に否定する振る舞いをみせています。笑ってないよ。びびってないよ。別に嫌ではないけど……。(涙目に)なってないよ。

私は、元来ゆりちゃんは喜怒哀楽がハッキリとした表情の豊かな子だったのではないかと思いました。そんなゆりちゃんを、南さんのような人物から攻撃材料にされてイジメられたかイザコザがあったりして、感情を表に出すことを一切しないようになったのかもしれません。喜怒哀楽を表に出さず、指摘されても肯定せず。

ゆりちゃんと付き合いの長い真子さんにしても、ゆりちゃんが楽しそうとか嬉しそうとか気づいたとしても、それを口に出して確認をとることはありません。無碍に否定されるだけで、意味がない会話だと悟っているかのようです。

無感情一徹な人間と一緒に居たいと考える人はいないものです。不気味で、退屈で、居心地が悪いことを、誰しも経験的に知っているからです。ゆりちゃんの周りにいた友達は、真子さんを残してみんな去っていった過去があったりすると、いよいよ辛い。


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昨今、囁かれる話題として「登場初期のゆりちゃんは人間的だったじゃないか。いまと別人だ。バージョン違いか?」疑惑があります。

修学旅行のときは、班員編成で真子さんに裏切られて心理的に自暴自棄になっていたので、全く見知らぬ相手同士だったことも幸いして案外に上手くコミュニケーションが取れていたのでしょう。人間関係が下心も親愛の情もなにもない、呉越同舟的なフラットな状態であれば、社会不適応者でもなければ最低限度の礼節をもって団体行動がとれるものだからです(即席パーティであれども案外に上手くいく法則)。

そしてまた、修学旅行で同じ班になったことを通じて、黒木さんが馬鹿でボッチなコミュ障であると知りました。黒木さんになら自分の姿を出しても問題はなさそうだと、ゆりちゃんが判断するキッカケになったことでしょうし、以降それをして「私は黒木さんって無理して話さなくていいから楽だけど 黒木さんはどう思ってるんだろ……」と自覚まじりにもこっちの存在を意識し始めることになっていきます。その後は、色々と思い知る事があったことが原因で、ゆりちゃんはもこっちにも喜怒哀楽を見せなくなっていった流れのように思います。




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「男を見極めるには本棚をみればいい、女を見極めるには台所のスパイス棚をみればいい(西洋の格言)」
本棚にストックされる本は、単純に持ち主が気に入っている本および紐解くことが多い本を意味します。類は友を呼ぶではありませんが、本棚に並んでいく本は、その選定に所有者としての共通項を隠し通す事ができないものです。言い換えれば、どのような本を嗜むかによって、その持ち主の人となりが知れるというわけです。他人に本を推して貸すという行為は、間接的な自己紹介の面があると言えそうです。

ゆうちゃんで実地確認をしたにせよ、もこっちがクラスメイトに漫画を貸す日が来るとは、隔世の感があります。この漫画は良いと思っていることを他人と共有したい気持ちの表れでもあり、自分の好みの告白でもあるからです。初期の頃から追いかけているファンは、もこっちの成長を感じられたことでしょう。

もこっちが他人に本を推薦する姿は[喪109]でもみられました。あのエピソードが好きなファンの方は多いと思います。帰宅したもこっちが「行かなきゃ良かった とも思わないけど…」と確かな達成感を伴うからこそのセリフを、静かそうな雪の日の情景の中に溶け込ませた演出が印象的だからです。


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思えば、もこっちはもう主人公として十分に成長しきってしまったかのような印象を受けます。ぼっちが墓穴を掘って痛々しい目にあったり、読者をドン引かせる振る舞いは、もうしないでしょう。周りのキャラクターに振り回されつつも、無自覚な振る舞いがスマートな解決策となって世界を補強していき、そのまま最終回になだれ込んでいく展開が約束されているように思えます。

今更、現在のもこっちの人間関係が壊滅してぼっちに戻ったりもしないだろうし(一種の仮定法未来として、南さんで示されるかもしれない)、初期の路線に戻ることも考えられないからです。

いずれにせよ、ゆりちゃんはもこっちにあだ名及び名前で呼ばれることになるイベントを残したままです。あと数話もすれば、それが描かれるエピソードが訪れるのではないでしょうか。

ポジション・トークですが、このふたりは「ゆり⇆黒木さん」呼びがらしくて良いなあと思います。「ゆり」呼びされたゆりちゃんが「(喜んでるか?)嬉しいの?」ともこっちに訊かれ、肯定とともに笑顔を見せる姿が浮かびます。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ…

ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 23:48| Comment(0) | わたモテ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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