2017年07月01日

(映画感想)「エンド・オブ・キングダム」


「エンド・オブ・ホワイトハウス」の続編。主人公補正バリバリのタフネスSPが、警護の対象である米国大統領をあろうことかバディにするように立ち回るスーパー脳筋アクション映画。

現代は平和を享受していると思いきや、テロの脅威と恐怖に常に包まれた世界である。我々はいつテロの厄災にあうか分からない不安と共存しているのである。テロは、デカイ顔をしたがる西側先進国の東側陣営へのちょっかいによる文化的軋轢が引き金で始まり、小競り合いが生じ、大国の思惑が横入りしてきて泥沼と化し、憎悪と復讐の連鎖で雪だるま式に成長して収拾がつかなくなるものである。本作のストーリーラインの根本も、そんなところにある。西側も東側も、お互いを尊重して絶対非干渉を貫くならテロなんて起きないと考えるのはお花畑だが、そう信じたくもなるし、実現したら面白い気がする。だが、同じ惑星に住み気象や資源を共有している以上、非干渉は叶わぬ夢なのである。従って人類は、国境を引いて区別されるべき集団を形成する。家族が住む家の中にだって壁や仕切りがあるのだから当然だ。お互いのために線引きが必要であるし、それがマナーなのである。いまや「世界市民」を信奉するのは左翼かぶれぐらいのものだろう。ありえないのである。

本作は、結局のところはアメリカ万歳映画である。直情的ですらある。そこには「米国最高!!あ、まあ英国もいいよねオレらの親だもんね」な意識が透けてみえる。ドイツ・フランス・イタリア・日本のトップはバカ扱い。ロシアが登場しないのはギャグ扱い。中国の姿が全くなかったのは意外。米国のパートナーは英国だぜ!のスタンスを演じる一方で中国を絡ませると「色々と面倒」だったのが事実かもしれない。

テロを引き起こされることになった遠隔攻撃への反省の念はないので、最後にまた同じことをするあたりは真顔なのかしたり顔なのかギャグか分からなくなる。米国映画なのだから当然かもしれないが、せっかくテロを題材としているのなら、もう少し小難しいエッセンスを加えても良かったのではないか。そうすると、アクション押しが叶わなくなるので、アクション重視に舵を切ったのだろう。実際、感心するほどまでにアクションシーンが多い。暴力描写は控えめであるが、お腹いっぱいになれるは必至である。

米国は、テロで巻き込まれる一般人への配慮がないと指摘される。そんなもん東側のが酷いだろと思わないでもないが、それはそれとして、安全な場所からターゲットを確実に仕留めるなら、犠牲はつきものだとする意識は確実にある。西側の映画では、常に一般人や子どもに被害が及ばないよう配慮する軍の姿勢が強調されるのは、実態が異なるからである。だから、従軍した兵士が精神に異常をきたす。無関係の人質を殺してしまって平然としていられるほど人間は器用ではない。

この映画では、テロで巻き込まれる一般人についての謝罪はない。一方で、テロを起こす犯人への無慈悲で異常ともいえる憎しみは燦然としている。テロを起こす連中など殲滅したくてたまらない米国の恐怖が透けてみえる。テロで巻き込まれる一般人にしても、テロ組織の人物とつながりがわずかでもあればそれは共謀者であるから構わないと考えている姿勢も透けてみえる。テロを画策する連中とつながりがあろうものなら一方的に殺されても文句も言えない社会を目指しているように思える。昨今、国家を紛糾させたテロ等準備罪への曖昧模糊とした気持ち悪さの正体がここにある気がするのである。
 
posted by ぎゅんた at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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