2016年10月28日

映画感想「秒速5センチメートル」

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 その昔の若者雑誌。ウジウジと悩む少年に回答者が「風俗へ行け」とアドバイスする名物的読者相談コーナーがあったことを思い出す。回答者は童貞であることに悩んでいるならとっとと捨ててこいと断言していたのである。ブレがなかった。それを読んでいた高校生の私は、「一理ある回答だが、好きでもない相手に童貞を捧げるのはちょっとどうなのかしら。乱暴な」と感じたことも思い出す。

 今にして思えば、私が間違っている。童貞であることに懊悩しているのなら、それは喫緊に解決すべき課題なのである。そしてその解決策は、童貞を捨てることに他ならないし、解決することで成長できるからだ。一方、「童貞は捨てるものではなく捧げたい」と淡い願いを抱く傾向にあるのも童貞である。しかし、そんな童貞の童貞に対する神聖性など鼻クソみたいな価値観なのである。おセンチなロマンチズムでしかない。つまり、なんの価値もない。そのことを精緻し尽くしているからこその回答なのだ。ウジウジ悩むぐらいならとっとと捨ててこい(それで、分かる)!。けだし箴言である。


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 本作は万人受けする作品ではない。特定の人にはクリティカルに受け止められるだろう。それ以外の人には、背景雰囲気良質アニメないしは挿入歌の大掛かりなプロモーションビデオになろう。

 本作が心に響く人は、恋愛というのは純愛であって崇高なものだと捉えている、言ってみればピュアでインテリジェンスの高い人ではないかと思う。とくに心に響くものがなかった人は、大人になって汚れたというよりは、現実主義なのである。冷めているわけではないし、何事に対しても熱意ないわけではない。虚妄には距離を置くスタンスを取っているだけだ。

 私は後者である。ただし、本作を視聴して心に響くものが全くないわけではない。主人公の男の気持ちは、自分自身の恋愛の遍歴と重ねあわせれば理解できる。切ない気持ちも理解できる。しかし、この主人公は女々しい野郎だと思う。いつまで過去に生きているのか、過去に生き続けることは否定しないが、病的に過ぎる。そんなことだから女とうまくいかずに破局を迎える(しかも間違いなく主人公が悪い)のである。彼の明里に対する美しい想いは本物であっても過去に生きすぎていることは事実だ。そもそも同性の友達すらいないっぽいし、どれだけヤバイのか自覚もできていないのか。さっさと現実と向き合って決別をつければ楽になれように。


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 …しかし、男というには、こうしたあまりに純粋一途な想いを全否定することは野暮で無粋だと解釈する生き物だ。男らしくないといえばそれまでのことであっても、比肩できない種の崇高な想いがあるのならそれは認められうべきものに昇華する。それは自己そのものなのであり、否定すれば自己を失う。ブレて霧消してしまう。男には、客観的にみて愚行であれど決して譲れない聖域を包括して生きる性格があることだけは、だれしもが無批判に認めなくてはならない。だから、主人公の明里に対する懸想は美しくあり、成就することがなかったことは切なくある。完全に同意することも感情移入することもないにしても、そうだよね、と共感することはできる。

 ときには、無為なことと自覚の上で過去の思い出に耽溺することがあるのが男であり、弱いところであり、可愛いところなのある。思い出は現実と繋がっていないからこそ思い出なのである。明里は幸せな結婚生活を送るだろう。主人公は「風俗に行け」ば大丈夫だ。人生はまだ長いのだ。
 
posted by ぎゅんた at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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