2016年12月30日

【書評】英語のバカヤロー 「英語の壁」に挑んだ12人の日本人


英語を満足に話せたり読み書きしたりはできないけれど、英語には興味がある。そして、英語をどう勉強するかについては、人並み以上の知識を有していると自負している…。

このような人は多いはずである。日本人の多くは英語が好きで、英語をモノにしようとする念が強いからである。私も、そうだ。なぜそうなのかについては、様々な意見があろうし、それらを考察していくのも興味を惹かれる事柄だ。きっと、面白い論がでるだろう。英語には、どこか特別な趣の憧憬がある。

この本に登場する12人の日本人は、著名な研究者や世界の第一線で働く人たち。俗的に言えばインテリであり、当然ながら英語エキスパートを想像させられる。実際、その通りの人たちである。この本は、そんな人たちがどのように英語に立ち向かってきたか(いまも、どうなのか)をインタビューを通じてまとめ上げられたものが収められている。

英語を使わざるをえない環境に身を置けばなら英語がメキメキ用達するわけではないとか、英語ができる人は脳のOS言語が英語に置き換わっているのかと思いきやそうでもない(思考はやはり母国語で行われる)のだなとか、聞く・喋る・ジョークを打つのはやっぱり難しいのだなとか、側から想像するほど苦もなく習得したり使いこなせているわけではない実態が見えてくる。これをして自分の英語の未熟さに安堵する必要はない。艱難辛苦なしに英語をモノにすることはできないヨ(だから、苦労も努力もしよう)という応援と受けとればよろしい。

ボリューム不足と言ってしまえばそれまでだが、平易で読みやすいコンパクトな内容にまとまっている。英語を勉強している合間の休憩時間にに読むと脳に心地よさを感じるぐらいだ。受験勉強している学生であれ英語学習を自身に課している社会人であれ、気分転換にちょうど良い書であるから、興味がある方は手にとると宜しかろう。
 
posted by ぎゅんた at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

映画感想「イコライザー」

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「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力である」という有名な言葉がある。この作品をこの言葉に無理やり当てはめると、「正義ある力」になる。デンゼル・ワシントン演ずる主人公ロバートはホームセンターの主任を務める知的で影のある中年男性で、健全で規則正しい日々を過ごしている。男は強い義侠心があり、元裏社会で活躍した凄腕なのであった。物語は行きつけのダイナーで出会った少女との交流から始まる。

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法が捌かぬ目の前の悪モンがとっちめられて、それによって弱者が救済される勧善懲悪もの。日本人が好む必殺仕事人路線を髣髴とさせる映画。悪事には正義の鉄槌が下ってしかるべきである、と考える人は楽しめるだろう。デンゼル・ワシントンの衰え知らぬ好演も光る。ホームセンターで働くおっさんの正体がこんなに格好いい男というギャップが良いのである。ところで、売り物のハンマーを「仕事」の後に拭いて棚に戻していましたが、中古品になってませんかねそれは。

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ロバートは最初から「仕事人」であったわけではない。ダイナーで出会った少女を理不尽な暴力から救うためにとった行動から始まっていく。その過程は決してドラスティックなものではない。ロバートの葛藤や逡巡があり、仲間との交流があって最終的に成立していく。この辺の流れは等閑に付されず丁寧に描写されているため、人によっては展開がスローに感じるかもしれない。加えて、派手な銃撃や爆発アクションは少ないので思ったよりも地味かもしれない。確かに、冗長なところが見受けられる。

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良作と呼ばれる映画は、不思議と引き込まれる妙味もっているものだ。本作もそうで、キャッチーさに乏しい淡々とした映画であるにもかかわらず、保障された面白さに底支えされている。シナリオも複雑そうで全然たいしたところはないそれなので頭を悩ませることはない。ポップコーンを片手に娯楽タイムを決めよう。英語字幕可。オススメ。
 
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2016年12月05日

映画感想「キャピタリズム マネーは踊る」

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まとめ
米国の極端さは世界一ィィィィ!


アメリカには住みたくない、と、マトモな感覚の人なら誰しもが思う。犯罪率が高いとか、英語が話せないとかいう次元の話ではない。人間だからなしえられる種の歪さに支配された国家だからである。自由と平等が約束されていて、誰にでものし上げれるチャンスが与えられた国ではないのである。

学歴社会の加速化とかジニ係数の上昇だとか「格差社会」を訴える声が喧しい昨今であるが、米国に比べれば日本はぬるま湯みたいなもんである。安楽とばかりにぬるま湯につかり続けていても埒があかないし、温度をゆっくりと上げられれば気づいたら茹で上がってしまう(「釜中の魚」)わけでもあるが、マシな状況ではあるわけだ。というか、米国が酷すぎるのである。日本以上の学歴社会で1%の超絶富裕層が底辺95%を牛耳っている極端さだ。経済格差の実体と、なぜその格差が生まれるのかについて。そして、その格差を生んだ原因が資本主義にあることをムーアは訴える。

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資本主義というのは、「金を持っているものが強く(資本家・経営者>労働者)、金を持っている者は、それを元手により金を稼げる」システムが成立している社会を言うのだろう。金を稼ぐためと誰もが儲け主義に走ると弱肉強食の社会と化し、社会の恒常性が破綻するので、(儲けを度外視した)社会保障が組み込まれるのが普通である。国家を運営するコストがかさむ要因にはなるものの、国民が概ね安心して生活できる社会を醸成する上ではベターな選択と考えられる。

米国は資本主義が突き進みすぎて、破綻寸前のように思える。徹底した資本主義の邁進が原因で、皮肉にも自らが資本主義の限界を体現してしまったような段階にある。次代の米国を担うべき優秀な若い人材がこぞって金融業界に押し寄せている現実は、「稼げる業種」を選択する当然の流れでもある一方、高額な学生ローン(銀行への借金)の返済のためという切実な理由が存在する。大学では生産性の高い人材を育て排出しているのに、生産性が低いどころか破壊的な分野―働けば働くほど世の中が悪くなる―に彼らを送り出している。

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ビジネスというのは、「現金化する仕組みを作ること」だと私は理解している。資本主義では、これが当然ながら尊ばれる仕事ということになる。徹底した資本主義を邁進した米国では、社会にあるあらゆるものがこの「現金化される仕組み」に組み込まれている。「ゆりかごから墓場まで」ではないが、農業から刑務所まで、ありとあらゆるところに資本主義の根が張り巡らされている。よくもまあ、そんなこと思いつくわと感心するというか呆れるというか。「超えちゃいけないライン」を軽々と突破している非道さに背筋が寒くなる。悪魔と契約することでアイデアを思いついたとしか思えない。三途の川の渡し賃すら奪い取り、奪衣婆に衣服を奪い取られることになった亡者のために貸衣装屋を用意して徹底的に搾り取るスタイルを繭一つ動かさず淡々と行うレベル。恐ろしいのは、こうした所業を「資本主義のルールに則っているだけ」と真顔で考えていそうなその精神性である。悪いことしている自覚はあるだろうと思うが、性根のところで絶対的に冷血なのが毛唐である。自覚がないか、自覚があっても日曜日に協会に行けば赦されてチャラと真顔で考えていそうである。


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マイケル・ムーアは民主党支持の左翼だが、日本の売国奴体制批判病のサヨクと違って真に愛国者である。「いつまでもアメリカに住み続けたい」と語る彼は自国批判を行い、米国の暗部・問題点をドキュメンタリ・フィルムの形で痛棒を喰らわせてきた。本作は2009年発表であり、リーマンショックを経ての銀行に対する米国民の怒り、そしてオバマ政権への国民の期待の高さも収められている。ムーアは民主党支持なのでオバマ政権に心底、期待したであろう。

結局のところ、彼はオバマのことを「良いこともしてくれたけれど、期待はずれだった」と評するようになる。先の大統領選ではバーニー・サンダース支持だったようだが、サンダースはヒラリーに民主党代表大統領候補の座を譲ることになった。ムーアがどれほど嘆いたかは想像に難くない。そして、この大統領選はトランプが勝利するとして、5つの理由を述べた。私には、反ウォール街を謳うトランプに期待する米国民が、表立ってトランプ支持を表明しなかっただけで相当数にいたことが当選の決定打になったのではないかと思う。金融で儲ける現代資産家への妬み嫉みもあるが、マネーゲームで巨額のお金を稼ぐのは、もういい加減にしてくれやという心理である。

アメリカだけにゃあ、住みたくない…。
 
posted by ぎゅんた at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

映画感想「星を追う子ども」説得力のない優しい世界

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まとめ
駄作ではないが面白くもない


喪失感を抱きながら生きる3人の主要人物らが登場する。舞台はアガルタという地底世界(地上からアガルタに入る際に重力が反転したのだろうと想像させる場面がある。なぜ天候が存在するかは謎)で、死者を蘇らせることのできる生死の門を目指す旅を描く。

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「当てるな」と指示していますが、体の近くを掠っただけで肉片になると思います


やたら高いところから飛び降りまくるシーンが目立つ作品。飛び降りる。普通は死ぬ。着地シーンは描かない。なので死なない。細かいところが終始ハッキリしない作品になっている。舞台のアガルタが架空のファンタシー世界なので、理屈ぬきで楽しめばいいだけの話をかもしれないが、残念ながら、物語に没頭できるほど作り込まれていない。3人が行動することに共感と納得ができないからである。意味深なセリフも心情の吐露も号泣シーンも、「台本にそうあるので、そう演技してます」以上の印象を受けない。冷めた気持ちでただそれを眺めているだけだ。

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(`・ω・´)


2度と地上に戻れないかもしれない未知の世界への危険な旅になるというのに、なぜアスナはモリサキに同行する決意をしたのか(小学6年生の少女がさして逡巡もせず)。

10年前に亡くした妻を蘇らせるために死者の門を目指すモリサキは分かりやすい。しかし、なぜそこまで妻を愛しているのか、蘇らせたいかの真意が分からない(「それが愛だ」と監督は真顔で考えているのかもしれないが、普通、10年も経てば妻を喪失したことへの心理的な決着はつくものだ。「本当に愛した人なら亡くしたことでより愛が深くなる」とも考えられるが、純粋すぎる童貞の考えにすぎないと思う。モリサキは蘇らせた妻になにかを伝えたいのか。聞きたいのか。ただ抱きしめたいのか、なにも分からない。)。

シンはアガルタ人であり、亡きシュンの弟である。優れた兄と違って半人前だと思っている。シュンを想うヒロインに正対する存在であるはずだが、物語の都合の良い牽引役以上の存在感がない。

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アガルタという架空の世界は、オープンワールド・ゲームの舞台にすると映えそうであった。それはつまり、「どこかで見たことがあるアレが豊富」の裏返しだが、普遍的なファンタジー世界を描けているということであり、これは王道といえる。本作のストーリーは、そのエッセンスに、「異世界の冒険と終着点からから得た知見と自己の成長。そして未来を生きることを選ぶ人間の姿」を持つ。これも王道といえよう。加えて、人が本質的に抱くべき「命について」をストーリーに巧みに織り込んでいることから、この脚本を書いた人(深海誠)の性根の優しさを垣間見ることができる。問題は、それなのに面白くないというところにある。もったいないとこだ。

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決して駄作ではないが、気を使って好意的に解釈しないと面白いと評価できないところが残念。「君の名は。」で燦然たる名声を勝ち得た深海誠にも、こうした迷走期があったのだと思うと感慨深い。

posted by ぎゅんた at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする