2016年08月23日

漫画感想「BMネクタール」


人類の食糧事情に福音をもたらした「バイオミート(BM)」を題材にしたパニック・アクション。やたら面白いのに妙に知名度が低い作品。全12巻でコンパクトに終わる。ちょっと古い漫画なのだが、特に違和感なく読めるハズ。面白い漫画は時が経っても面白いのだ。

三部構成となっているが、全て同じ流れ:迫り来るBMからの共闘サバイバル である。結局のところ、BMはヒトが管理しきれる存在ではないのに、懲りずに未曾有の厄災が生じるのである。人間の傲慢さと愚かさは必ずや厄災を招き、関係のない人々が巻き込まれて犠牲になるのである。

主人公ら以外のキャラクタたちは基本的にやられ役だが、見事な死亡フラグをおっ立て死んでいく。そうじゃないキャラクタもいるのだが、いずれにせよかなり容赦のない死にっぷりは共通事項。女子供関係なし。BMに貪り喰われるわ火炎放射器で焼き払われるわ砲撃でぶっ飛ばされるわと無慈悲極まりない。とはいえゴア描写は全体的にアッサリしている。グロ漫画ではないのである。

そんなかんだでB級映画感が漂う作品なのだが、その徹底ぶりは相当なもの。読者が作者のプロ漫画魂を肌で感じとれる好例となろう。冷静にみれば荒唐無稽なご都合主義だらけだが、そんなことを意識させない勢いのある漫画力が魅力。子どもを子ども扱いしないオジサンたちがとにかく格好いい男たちなのもステキ。

311以降、原発や原子力に関して世間の目はいやおうに厳しくなった。突き詰めれば、人間が自然のエネルギーをどこまで管理しきれるかどうか、ケツを拭けるのかどうかが問われている。BMネクタールもまた、そうしたテーマを内包する。実に魅力的な題材だ。ネタ切れ中のハリウッドが飛びついて映画化しそうな気がするのだが、気のせいかな。USBM!?オーマイガー!!
 
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2016年08月18日

タブノキの芽生え

写真 2016-08-18 8 46 37.jpg
若葉は赤みを帯びているが、次第に緑に変化する

埋めておいたタブノキが、猛暑にもかかわらず次々と発芽している。

どんぐり全般は秋に拾って発芽は春になる(時間がかかる)が、タブノキは種子を拾える時期(夏)に発芽させられることができる。すぐに芽が出て欲しい人に向いているのではないか。

発芽の成功率を上げるためには、以下の項目が重要と思われる。

・種子を水に漬け吸水させておく
・種子の状態で地面に転がっているものは、吸水させても発芽しづらい(虫に喰われたり乾燥しきってダメージが大きいものが混じるから)
・深緑の果実から種子を取り出して水に漬けたものを植えると発芽しやすい

発芽の確実性を求めるなら、鮮度の高い実から種子を取り出して植えることになるだろう。

花壇用や野菜用の安い培養土で発芽するので、土に対する要求性は低いようである。また、発芽後はクヌギほど日照を要求しない。発芽までは土が乾いたら散水する程度の管理でよい。
 
ラベル:樹木
posted by ぎゅんた at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

(書評)森が消えれば海も死ぬ 第2版


まとめ
陸と海を結ぶ生態系を学ぶのに最適な一冊では
専門家の良心が文章に滲み出ている



自然界を常に循環している天然資源が水であることはよく知られている。
雨が土壌に染み込み、涵養を経た水が水脈に集まったり湧き出たりして、それらは山中から川を流れ海にながれていく。水はいずれ蒸発し、いずれ雨になって地上に戻る。この循環サイクルは、地上に緑が無いと断絶される。地上には、保水力が求められるからである。砂漠地域を緑化しようと思ったら、まずは地道に地上に緑を這わせていかなくてはならないはずだ。

海の中にも「砂漠化」は存在する。磯焼けである。岩石や岩盤から海藻が枯死した状態を指す言葉だが、石灰藻とよばれる炭酸カルシウムを主成分とした白い海藻で覆われた場合も磯焼けと読んでいる。石灰藻で覆われた場合、その自然回復は絶望的であり白いペンキを塗りたくったような不毛な世界が延々と続くことになる、と読者を絶望させることがサラリと記述されている。石灰藻が覆った岩石や岩盤には、石灰藻が分泌する物質によって、海藻や貝類などが付着できない(殺されてしまう)のだという。しかし本来、海辺の岩石や岩盤などは海草・海藻だけでなくフジツボや貝などで覆い尽くされているはずだし、そうなるはずなのである。

なぜ、石灰藻で覆い尽くされたのか。
その答えは、海に流れ込む川の水の故郷である、森にあったと本書は述べる。正確には、森林から流れ込んでくる腐食物質が、石灰藻の横指の成長を阻害しているのであり、海藻を育んでいるのである。生活排水により富栄養化した水が河口部で海藻のエサとなっているわけではないのだ。川の水は腐食物質を豊富に含んでいなくてはならない。そしてまた、腐食物質が常に海に供給されるよう、海の傍には豊かな森林があらねばならない。

腐食物質とは、腐植土層から生じる有機酸のことであり、これらが河川から海に流れ込むことで、石灰藻の付着と広がりを防止している。腐植土層は、樹木の落ち葉やその他の有機物が土壌中の微生物により分解・発酵・化学変化されている土壌のことである。樹木には大まかに広葉樹と針葉樹があるが、針葉樹は葉には樹脂や抗菌物質が含まれていることから分解が遅いことから、人間にとって都合の良いほうに知恵をまわすなら、森林の広葉樹を増やすことを考えることになる(広葉樹は実生苗から成長していくと根が広く深くに張っていくので、土砂崩れを防止する観点からも望ましいといえる)。
戦後、荒廃した山林には成長が早く資源価値があったヒノキや杉といった針葉樹が盛んに栽培されたが、林業が産業として凋落して以来、杉林・ヒノキ林は放置され続けている。本書の筆者だけでなく林業の活性化を望む声は根強いが、その狙いは土壌と水源の保全や大気中の二酸化炭素の炭素固定、海洋資源の保護、漁獲減少の回復にある。木材供給による目先の経済効果は優先していないことは共通している。

意外に感じたのは、水田や湿地も腐食物質を供給していることだ。これらは、かつての里山であり、全国のいたるところに普通に存在していたのだが、いまは減少の一途をたどっている。『「ふるさと」をイメージしなさい』と問われるた人のほとんどは山を背景に持った田園風景を思い描くそうだが、その風景こそが里山なのである。いま、自分たちが住んでいる町の山や森に行ってみれば分かるが、雑草が覆い茂った荒れ果てた状態になっているはずだ。人間が手を加えなければ、自然はただ野生動物の縄張りでしかない。人間が手を加えないことを自然保護だとか、それが自然な状態だといってしまえばそれまでのことだが、案外にそのことが人間に不利益をもたらすことがある。その例が住宅地に出没する野生動物であり、田畑を荒らす獣害である。人間が住宅そばの自然を放置すればするほど、そこは野生動物にとって「人間の存在感の無い場所」となり、テリトリーの区別がつかなくなってしまう。野生動物が人里との区別がつかなくなっているのは人間のせいなのである。人口減少と野生動物による被蓋が急増している地方自治体は里山事業を復活させるのが解決への近道だろう。その際は広葉樹の植樹を積極的に行い、腐食土壌の量と質の向上を図るべきである。いずれ豊かな海洋資源として答えが返ってくるからである。
 
posted by ぎゅんた at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする