2015年05月31日

書評「『朝型人間』の成功哲学」

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三週間続けられれば一生が変わる』の影響で早寝早起きを心がけるようになった。0時前に寝て6時には起きるようになってきた。まだ完全な習慣として身体に染み付いたわけではなく、二度寝することもあるものの、概ね実行できている。6時起床自体はたいしたことではないが、昔は8時半まで寝ていたことを思えば凄い進歩である

この本を購入したのは、私が高校生の頃である。早起きが心身に良好であること、また、学業成績を向上させる秘訣であることは知っていたが、早起きは大の苦手であった。二度寝の誘惑と快楽には勝てなかった。「俺は夜型」と決めつけて、起床は遅かった。それでも遅刻せず登校するならまだ許されようが、平然と遅刻していたものであった。昼から登校が常習化していた。そんな生活態度で成績が優秀なら、それは漫画である。今にして思えば、なぜ卒業できたのだろうか?担任の人情の厚さに感謝せずにいられないのである。

つまりは、この本を読んでも、早起きを実践するには至らなかったのである。

しかしこの本は駄本では全くない。早起きすることのメリットを、実例と解説を交えてこれほど訴えてくる本もまた、ないのである。早起きしてみようか、と自然に思える嫌味のない内容だ。特に第二章「私はこうして『早起き生活』で成功した!」の竹内均氏の寄稿「私の『知的生活』の秘訣」が素晴らしい。本書が伝えたいことの全てをこの上なく分かりやすく面白くコンパクトにまとめてくれている。

当時の私が早起きすることがなかったのは、お分かりの通り、私の意志薄弱がすべて原因である。
本やセミナー講習会で得た知識は、実行に移して初めて意味を持ち始める。「0から1への距離は、1から1000への距離より遠い」というユダヤ人の格言どおり、人間は実行(およびアウトプット)しなければ始まらないのである。


改めて整理すると、この本に書かれているのは

朝型の人生にすると途方もないメリットが得られる

ことに尽きる。

早起きというと、老人の生理現象のように思われる向きが少なからずあるようだし、実際に早朝の町中を散歩しているのは老人ばかりであったりする。だからと言って、早起きをしなくていいとか、する必要がないと考えるのは早計だ。本書は、「朝型に切り替えることが自分の人生に有益になると思うならやってみなさい」と語るだけだ。そして、早起き生活に切り替えるには労力が必要だから(習慣を変えるのは大変)、それだけは強い意思をもって乗り越えよとも述べている。

早起き生活に切り替えるには、習慣の修正が必要だ。これは、明確な目的意識をもって実行に移し続けなくてはならない。これは、学びのアウトプットの基本である。決して簡単なことではない。だから、乗り越えられた時に成長を感じられる。早起き生活に切り替えるだけで成長できる。早起きが習慣になれば、更に成長していける。

少なくとも私は、早起き生活に切り替えるだけで豊かになれそうだ(ならなくてはならない)と痛感したときに、本書と早起きを思い浮かべた。そして、手っ取り早くコストのかからない自己成長にうってつけだと思った。なので、実行に移した。最初こそ二度寝したり三日坊主だったり日中に眠気を覚えたりと早起きがストレスだったものの、3週間ほどの継続を経て習慣になり始めた。ここまでくると身体が憶えるから、どんどん楽になる。朝起きて、コップ一杯の水を飲んで、散歩でも読書でも好きなことをして過ごす。そのうちに腹が空いてくるので朝食を食べる。これがまた美味しいのである。そして、時間はたっぷりある。早朝は時間の流れが緩やかで、毎回それを実感する。仕事に出るまでを過ごす時間が極めて贅沢で心地よい。本書に書いてある通りである。

成長したい人、勉強したい人、誰にも邪魔されない自由な時間を確保したい人、成功したい人たちにとって、最もコストパフォーマンスがよい投資は、間違いなく、まず早起きを習慣にすることである。成功者らの大多数が早起きなのであるなら、素直にそれを真似するところから始めれば良いのである。



※就寝時間をかえずに早起きをする短眠法もあるが、私の生理には合わなかった。少なくとも私には6時間の睡眠時間が必要なのが分かっている。短眠にすると、普段は6時間で済む睡眠時間が9時間必要になり、結局は帳尻合わせをさせられるのだ。ナポレオンを尊敬し短眠人生だった野口英世のようにはいかない。人によっては、短眠でも問題ないようであるが、日中に短時間の昼寝を組み込んだりの工夫が必要になるようだ。

「朝型人間」の成功哲学 (知的生きかた文庫)
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2015年05月29日

坂井あわら倫理法人会300会記念特別モーニングセミナー

知り合い経由で参加。ちなみに私は倫理法人会会員ではない。入会を勧められてはいる。モーニングセミナーに参加すること自体は無料である。

この倫理法人会という組織はどのようなものか、私は知らなかった。ネットで検索するとイロイロと出てくるが、別に宗教ではない。神様を崇めたりしないし、壺を売りつけられもしない。明るい事業主たちの社交的勉強会のようなものである。ただ、開始時に全員で倫理法人会の歌「夢限りなく」を歌って、万人幸福の栞を輪読し、演壇に立つ人のお話を聞くだけである。

倫理に基づく考えが全面にわたってあるため、オトナになってから受ける修身や道徳の授業みたいである。現代版寺子屋タイム。自己啓発のきっかけづくり。人としての正しいあり方を再考し、重んじ、実践していく会とでもいおうか。これがどうにも全体主義的なので宗教っぽくはある。

大家族や部活動に代表される縦社会に慣れていたり居心地の良さを感じるタイプの人に向いている気がする。反対に、そうでないひとは蕁麻疹まみれで気絶するかもしれない。私は縦社会こそ日本人の組織形態だと考えている一方で居心地の悪さをおぼえる中途半端なタイプであるから、正しく真面目な組織だなと感じる一方で、属したいとは決して思わないのである。

無料だからと足繁く参加し続けるのも厚顔無恥で不徳であるから、もう行くのはやめようと思う。同じ時間に何かするなら、近所を散歩して落ちているゴミを拾っている方が私の性に合っている。


結論
社会に貢献するために、自分の事業の拡大と発展を願っているがそれは社長のみならず従業員たちの成長なくしては達成できないと考えている人、顧客作りを視野にいれた人脈作りを望んでいる人、ひとかどの人物の講話を聞くのが好きな人、早朝がヒマでしゃあない人、意識高い人、らに向いている会だと思われる。なお、名刺とfacebookのアカウントは必携アイテムである。
 
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2015年05月17日

漫画感想「昏倒少女(安藤ゆき)」 瑪瑙のつり針


とてつもなく純真清廉な登場人物に出会える少女漫画。読み切り集。

細く切り出した割り箸の先にインクをとって、ガリガリ描き上げたかのような画風。男性的でアナログチックさが漂ってくる。

少女漫画であるが、とても大人びた印象を受ける。これは、少女漫画が子どもっぽいという意味ではない。自分もそうだったように、teenagerは、もっとガサツで配慮がなくて無知なものだ。男子は性欲の衝動に晒され、胴間声をあげる。女子は悪い意味でませていて地上最強の生物であるかのような怖いもの知らず。世を知らず客観的に自分を見る術も知らず。それが若さである。…と言ってしまえばそれまでだけれど、責任を取ることもできない身分で節度なき振る舞いを重ねる様は、どうであれ子どもっぽい。そうした子どもっぽさが希薄な漫画、という意味だ。

登場人物らの気性・性格は実に格好良く好感がもてる。清潔というか生真面目というか、性的な言動はおろかキスのひとつさえない。虚構ギリギリ、できすぎているかのような人物像だ。「こんな性格で青春時代を過ごしてみたかった」「こんな子たちがいて欲しい(描きたい)」そうした作者の思いが見え隠れするのである。大人びた印象を受ける理由は、このへんにありそうだ。

これらが漫画的エッセンスとして、作者独自の画風に混ざり合い、地味ながらも存在感のある世界を構築する。読めば、浸ることができる。柔らかく包み込んでくれる温かさのある物語ばかりだ。

このような作品を描く漫画家は至宝である。
少女漫画だが、カラーの水墨画のような硬派なカバーイラストであるのも良い。
 
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2015年05月15日

漫画感想「青山月子です!」第8話 角逐と痛棒

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6/25は書店へ

 第4話に続き、またもボディブローのような質量ある読後感。私を含む読者の多くは、次回までヤキモキさせられ続けるわけで、これは連載漫画の実に罪深いところだ。6/25発売の2巻も4話収録になるであろうから、2巻のラストがこの第8話になるわけで、これはもう計算づくの所業であろう。

 今回の話は、月子さんと加賀美くんの告白寸劇のようなものだ。そして、男性読者視点からすると加賀美くんの心境がよくわかるのである。

 年頃の男子が、女子に告白するのは、想像以上の勇気を必要とするのである。一般に、男児は女性に面と向かって恋慕感情をストレートに口にできないのである。口にせず、態度や婉曲表現で伝えようとすることが多いだろう。これを男の硬派性とみるか、甘えと見るか、独自の恥の文化とみるか、は様々であろうが、確実なのは、男性側からの告白には、とてつもない勇気を要するのである。贔屓目にみれば、それだけ、気持ちが本物だと評価できよう。現実的には感情にストレートな傾向のある外国人い多いと思われるが、息を吸うのと同じように好きだ愛してると口にする男性も存在する。確かにそのような男性はモテるようだ。女性は好きとか愛していると言われたがっている生き物でもあるし、逆に男性がそれだけ自分の気持ちを伝えずにいることを意味してもいる。しかし、そうした態度を心の篭っていない軽薄な態度と評価する女性もいる。確かなのは、相手を恋慕する「好き(愛している)」なる気持ちは、極めて重要な感情ということだ。

 加賀美くんは月子さんに、遠回しに自分の気持ちを伝えてようとする。このとき、加賀美くんは一切、月子さんに目を合わせようとしていない。照れているのだろう。フツーなら、これで加賀美くんの気持ちが伝わって頬を赤らめるようなものだが、相手が月子さんなのでちょっと困った流れになってしまった。

 加賀美くんは拗ねてしまう。彼なりに配慮して、勇を鼓して気持ちを口にしたのに、月子さんはそれを受け止めなかったからであります。

 なぜ、月子さんが加賀美くんの気持ちを受け止めなかったのか。月子さんだからというよりは、きっと、加賀美くんを好いている自分が掴めていないのである。うまく気持ちにできない…と感じたり、加賀美くんにアタックしている女の子に「協力」の態度にでるのも、根底にある月子さんの心の動揺を現している。

 結論を述べると、次話が読みたくて喉から手。湯木のじん先生は実に罪深いことをなさる方であります。
 
posted by ぎゅんた at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 湯木のじん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

(書評)リッツ・カールトン 至高のホスピタリティ We are Ladies and Gentlemen Serving Ladies and Gentlemen


ホスピタリティという感性は、行動を伴い、形になって目の前に現れてきたとき、はじめて大きな説得力をもって人の心に迫ってくる(P.158)。


講演会で紹介されていた本。

題名から、本書の内容に「リッツカールトンのホスピタリティについてのハウツーが書かれマニュアル」を期待するかもしれないが、結論はそうではない。ホスピタリティにマニュアルはないのである。リッツカールトンについての雑学をネタに、人をもてなすとはどういうことか、なにが考えられるか、何を大切にすべきか、等が述べられる。人生やビジネスへのヒントであり哲学が、柔らかく温かみのある文章で綴られる。繰り返すが、ホスピタリティのマニュアルでもハウツーを学ぶ本ではない。

本書で語られている内容は、ホスピタリティに結びついてるけれども、人生とビジネスに不可欠で普遍的な考えに溢れている。本書を読んでいると「そうだよな」とか「あ、この話は知ってる」とか、まるで知識を再確認しているようなことが多いはずだ。要は、作者オリジナルの理論や哲学が展開されているわけではない。

そしてまた、こうも言える。人生とビジネスに於ける肝要は大昔に既に完成されている。時代によって僅かな変化があるにしても、その根底は「型」になっている。だから、(特にビジネス書で顕著だが)述べられている内容は普遍的な考えに溢れているわけである。まず具体的で明確な目標があること、地道な努力は不可欠、「今すぐ」実行することが大切、物事は常に相手の立場にたって考えよ、損して元とれ、感謝の念は絶やさず声にして伝えよ、…「あるある」と思うだろう。角度やピントや形と、そして文章を変えているにすぎないからである。

読みべき本だけれども、気張って読む必要はない。気楽に読めばよい。参考になるところがあれば、反省にあてるなり知識にして頭に収納しておくなり実践に移せばよい。



本書とは関係がないが
ホテルの仕事に興味がある方は、漫画「コンシェルジュ」が読みやすく面白いのでオススメだ。ホテルに泊まるときに、色々な気づきが得られるだろう。そして、それを人生や仕事に応用してみよう。

posted by ぎゅんた at 06:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月05日

【試乗】アクセラ 20s Touring(FF/6AT)

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まとめ
価格に見合う実力車


 新型アクセラの20Sは、2Lガソリンエンジンのハッチバックである。MTが選べるが、セダンと4WDの設定はない。売れ筋グレードになることをマツダは予想してのことだろう、かなりの力作に仕上がっている

 興味のある方は試乗して走らせてみればよい。「これはいいクルマ」感がジンワリと伝わってくるはずだ。ただし、キャッチーな分かりやすさに欠ける仕上がりなので、ちょっと走らせてみた程度では気づきにくい。短時間の試乗は避けたいところだ。


低くコンパクト(に感じる)ボディ
 車の全幅は1795mmでGHアテンザと同じだが、運転してみると遥かに小さく感じる。GHアテンザだと狭そうだナと感じるいつもの道も、このアクセラだとなにも感じないぐらいの差がある。少なくとも、全幅値が同一であることを忘れて運転しているのである。私は「車体を小さく感じるクルマは、ドライバーに合ったいい車」と判断するのだが、その意味で新型アクセラはGHアテンザよりいい車である。

 20s Touringは安全装備も豊富だが、それが作動する場面には遭っていないので評価することはできない。メーターフード前方に立ち上がる、アクティブ・ドライビング・ディスプレイは速度やナビ連動で方向指示が表示される先進的な装備だが、私個人に限っては不要。目障りではないが、結局、見ないのである。


SKY-Driveとキックダウンスイッチ
 20s Touringにはパドルシフトが備わるが、これは下り坂で意図的にエンジンブレーキを強くかけたい時以外に用いることはない。これには理由がふたつあって、ひとつは、パドルシフトを叩いた(引いた)時の指先に伝わる感触がイマイチ安っぽく、積極的に操作したい気持ちに欠けること。もうひとつは、シフトレバーを「M」に倒して操作するマニュアルモードが極めて優れていることである。

 シフトレバーをMに倒しマニュアルモードにすると、その時点で選択されているギアが表示される。シフトレバーを上に押せばシフトダウン、下に引けばシフトアップになる。パドルシフトでも受け付ける。この時の変速スピードは自然で滑らかである。優れているのは、ドライバーの意図に対して最大限に忠実に振る舞うことである。例えば、4速でマニュアルモードにしてアクセルを踏んでいれば回転数も速度も上がっていくわけだが、ドライバーがシフトアップしなければ4速固定のままである。極端に速度が落ちた場合は例外で、そのときはギア自動でギアが下がる。いずれにせよ、ドライバーが操作しない限りは、できる限りギアを維持し続けるモードになっている。これはMTでは当たり前にすぎないことだが、ATでは意外に実現できないのである。そして、このモードを利用するとATに標準装備のキックダウンスイッチが使いやすくなる。

 キックダウンスイッチはATでフル加速をさせる機構と思えば良い。この新型アクセラでいえば、オルガンペダルを床まで踏み込んだ状態にして、そこから更に踏み込むと「カチッ」とスイッチが入った感触と音がすると同時に車体がフル加速に入る。

 さて、このキックダウンスイッチ、いざ動作させてみようにも、Dモードの時だと意外に踏みづらい。なぜなら、アクセルを踏み込んで行くだけで、既に充分な速度付近に達してしまい、それ以上の加速が不要になってしまうからである。しかし、その加速は新型アクセラのフル加速ではない。高速道路の合流など、フル加速が必要な場面で問題なく使えるようにしておきたいし、試乗する際は動力性能を評価するために動作させておくべきである。

 マニュアルモードでは、ギアが固定され続けることは述べた通りだが、このキックダウンスイッチの入力はマニュアルモードであっても受け付ける。巡行時6速でマニュアルモードにし、オルガンペダルを止まるところまで踏み込んでみよう(6速だから、踏んだところで大きな加速はしない)。床まで踏んだら、つま先あたりに力を入れる感じで更に踏み込んでみよう。するとカチッとキックダウンスイッチが作動して、車体が猛然とフル加速する。そのままペダルを踏み続けていると、2〜3秒でRevに入ってしまうので、Dモードに戻すかシフトアップしなくてはならない。こんなにパワーのあるエンジンだったか、と感服せずにいられない走りをしてくれることだろう。余裕のある動力性能はいざという時の懐刀である。


エンジンブレーキ
 エンジンブレーキは強力で、Dモード中にどんどんシフトダウンしてエンブレを利かせようとする。I-ELOOPが搭載されていることも関係しているかもしれない。いずれにせよ、無用なブレーキによる減速を減らすうえでエンブレが利くのは良いことだ。


ステアリングフィール
 平均以上に重めのようだが、個人的にしっくりくる好みの重さ。これ以上、重くては疲れるし、軽くては心もとない。切った分だけ、リニアに素直に曲がる味付け。これがなんとも自然で、連続するコーナーのある道を走らせたくなる衝動に駆られる気持ち良さだ。




こんな20s Touringにも欠点(トレードオフ的な)は幾つかある。

まず列挙すると、

1.車内が狭い
2.カーボン調の加飾がダサい
3.左膝がセンターコンソールのプラスチックにぶち当たる感
4.エンジンを回して行った時の官能性が低い


となる。これら以外には、特別に不満はない。


1.車内の狭さ
 例えば、助手席の後ろのリアシートに、チャイルドシートを設置するとなると、助手席はかなり前方に位置することになる。小柄な女性はともかく男性にはこたえる狭さだ。チャイルドシートを設置する予定の人は覚悟を決めなくてはならない。試乗の際に、お持ちのチャイルドシートを設置させて助手席の座り心地を確認するべきである。

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設置すると助手席はタイトになります


 後部座席の空間は同セグの競合車種らに比べてなんとなく狭い。閉所恐怖症の人は嫌がるだろう。荷室の積載性は確保されているものの、滅茶苦茶に載せられるわけではない。この点が気になる人は別の車を検討するべきである。

 せめてもの開放感のために、オプションの電動スライドガラスサンルーフを付ける手もある。ただしL packageを選択したうえでATにしかつけられない。



2.カーボン調
 スポーティさの強調と、内装のアクセントとして採用されているようだ。安っぽい素材ではないが、私はカーボン調が嫌いなので嬉しくない。

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ピアノブラック素材を採用すればよかったのでは…


3.ニーパッドが欲しい
 XDの時にも抱いた不満点である。コーナリングやちょっとしたワインディングを走り抜けている時などに、左膝は支点を求めてセンターコンソールの下側面に当たるのだが、硬いプラスチックまるだし感触を味わうことになる。実に安っぽいというか、惜しいというか、残念に感じてしまう。

 新型アクセラのインテリアのレベルは高いが、細かにいくみると、プラスチック素材が多く採用されている。値段と車格的に、そこにケチをつけるのは無粋なことだ。けれども、そんな中で、目につかない部分でありながらニーパッドを備える。そのことが、気づいたドライバーに高い満足度をもたらす結果につながる。

 新型デミオとCX-3にはニーパッドの設定があることから、MCで装備されることは間違いあるまい。


4.エンジンは快音か?
 SKY-G2.0は、申し分ないエンジンだが、過去のMZRエンジンに比べると高回転時の音の官能性に劣る気がする。回しても、不快な音ではないのだがエンスーを喜ばせる種の高揚感に欠けている。乾いた整った音が、ただ増幅されただけのような音と表現すればいいのだろうか。回したところで「悪くないが良くもない」音が聴こえることになる。意味もなく回したくなるエンジンではない。実際、SKY-G2.0自体は回したがらない性格のエンジンに躾けられているようだ。

 SKY-G2.0のエンジン音は、MZRエンジンを回したときの音を好む人に不満を抱かせるだろう。MZRエンジンが格別に官能性が高かったという評価はないようだが、NCロードスターやGHアテンザ25Zのエンジンのような「荒々しいが重厚でパワー感のついてくる独特のエンジン音」は、私のなかでこの上ない快音だったりする。



※新型アクセラの最優秀グレードはXDだと確信しているが、一般受けしないマニア向けであることは否定できない。装備と値段、クルマのキャラクタから判断すると、中途半端に過剰だからである。FFでなく4WDなら納得モノなのだが。

 
posted by ぎゅんた at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 試乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする