2015年04月17日

もう一度サムイ島へ行きたいか?

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まとめ
サムイ島はともかく、一度ぐらいはタイに遊びに行くとよろしかろう


 一年ちょっと前にサムイ島に行ったことを思い出す。旅行中の出来事や雑感を、日本に戻って熱の抜けた目線で洗い流すと、色々と思うところがある。

 まず、サムイ島の存在を知らない人が多い。パタヤやプーケットは知っていても、サムイは知らないのである。私がサムイ島を選んだ理由は消去法であった。ただ南国のリゾートでのんびり引きこもり旅をしたかったのだが、セブ島は予約が満員でいけなかったし、ジャカルタやパプアニューギニアは遠すぎた。へそ曲がりなのもあって、なるべくマイナーなところを望んだのもある。タイに個人的な、深い思い入れがあったかといえば、特になかった。アクセスの良さと最低限の治安、反日感情はさほどでもないだろうという印象が強かった。実際のところ、これは間違いではなかった。

 帰ってきてから思い知らされたのは、タイに一人で旅行に行くというのは、買春目的の渡航と考えられていることであった。特に中年の男性が、そうした認識でいる。確かに、タイにはそのような風俗的な側面もあるだろうし(隠したり否定しないところをみると性に解放的なのか外貨稼ぎないし国是なのかと思う)、それを目的にタイに遊びにくる人も実際に多いのだろう。

 ただ、サムイ島では、少なくとも私が行動した範囲にはそのような街や施設はなかった。どこかには、あったのだろうが、私が目にしていたのは荒屋や個人商店や市場や個人マッサージ店、そしてホテルばかりであった。個人マッサージ店は風俗への入口だったのかもしれないが、利用していないので憶測にすぎない。バンコクやパタヤなどに行っていれば、そうした側面をつぶさに見られたのではないかとしかいえない。

 いずれにせよ、サムイ島に行ったからといって風俗目当てでいったのではと思われるのは心外である。と同時に、タイに遊びにいくとは、文字通り遊びに行く以上の含みがある行為なのだと認識する必要がある。後述することになるが、もう一度サムイ島(もしくはタイ)に行きたいかといえば、そんな気持ちはないので、私個人に限っていえば杞憂になるのだが。


 次に、アジアのリゾート地という割には白人だらけであったことだ。観光地・リゾート地なのだから、白人がいても当然だが、それにしては異常に多かった気がする。そのときは、タイは国際的に人気のある微笑みの観光国の認識だったから、すぐに納得したものだが、果たして、それにしては多過ぎる。そして何処と無く品がない。本国よりも安く遊べる国だから来ているのだと考えられるが、そうすると、正体は金のないフツーかそれ以下の階級の(嫌な表現だが)白人たちと思われる。タイでは必要以上に肌をさらけ出すことは禁じられているのは有名だが、白人たちの殆どはノースリーブ・短パン・サンダルで平然と闊歩していたし、原付を乗り回していた。お世辞にも引き締まった身体とはいいがたく、まるでバーバパパが原付をニケツして走り回っているかのようであった。そんな彼らの姿は嫌でも目立つはずなのに、タイ人は別に気に留めていないようであった。不快ではないのだろうか。タイにお金を落としてくれる観光客だから微笑みで接していたのだろうか?

 白人たちは、一般観念でとらえられているほど品性は高くない。そもそも、歴史を知れば、彼らがいかに残酷で狡猾で油断ならない人種かわかるものだが、なぜか黒人やイスラムの人々の方が危険な人種と思われている風潮は不思議である。

 無論、白人の中にもマナーや振る舞いが良い人々は大勢いる。ただし、彼らはアッパークラスの、教養のある人々である。そして、我々がイメージする白人の姿でもある。そんな彼らであっても、非白人種に対しては表立った差別態度は出さないにせよ、優越感は隠さなかったりする。植民地統治時代の意識がいまもあって、アジアのような未開な土地は、結局のところ我々白人が面倒をみていなくてはならないのだ…とする上から目線の意識と言おうか(これは、日本人も有する意識ではある。けれど我々は白人ではないし、彼らほど冷酷でも一方的ではない)。

 どうも白人に関しては評価が甘い気がする。多少無作法でも、許されているというか、強く注意できないというか。白人もそれが分かっているので、態度に出てしまっているのではないか。多少、横暴で無作法な振る舞いをしても許されるイージーモードな外国は、確かに、居心地は良いだろう。言語も、母語である英語自体がグローバル言語なのである。少なくとも、タイにくる白人たちは、身の安全や言葉に関しては何ら一切の心配を抱いていないのではないだろうか。そうした心理が、態度になって現れているのではないか。今になると、そう考えてしまう。

 アジアを中心に世界をアチコチ飛び回っている知人にこの件について訊ねたら、2分もしないうちに返信がきた。いち意見に過ぎないが、含みがある。
タイは白人国の直行便が多くて、物価やすとかぶって大量にいますね。
アジア人の優しさを勘違いした白人ばっかですけどね。タイにいくと、女の子かいまくってる白人ばっかですわ。基本的にアジア人は白人になめられてますからね。

 東南アジア独特の雑多感や喧騒、そして異文化を楽しむのであれば、タイは悪くない渡航先だ。サムイ島でも、味わえるだろう。ただ、それは1週間程度で充分に満たされるのではないか。それ以上、滞在したいと思う人は少ないのではないか。

 私は、サムイ島に一週間もいなかったし、もう少し滞在したい気持ちもあった。ただ、ずっと滞在していたいと思う国ではない。タイは、どうもタイ人お統治するアジアの国家というよりは、白人を中心とした外国人の植民地に思えてならない。それは、遊びに行くには都合が良くても、生活していくには極めて居心地の悪い国だと考えるからである。



 「海外に出てはじめて分かる自国の良さ」とは、しばしば耳にするフレーズだ。私も、そう思った。物価と税金が高く少子高齢化政治不信で先行きが暗かろうと、日本ほど安全で平等で人の好い国はないと強く感じた。少なくとも、他の国に比べて這い上がれるチャンスに格段に恵まれている。母国語以外を習得せずとも生計が立てられるし、立身出世が可能なのだ。英語を覚えることが貧困層から抜け出す最初の条件になる多くの諸外国とは違う。英語は必要な人か好きな人だけが学べばよい。英語よりも母語を育てるべきだろう。

 納得のいかない人は、海外に出てみるとよい。それは、俗にいう「自分探し」なる安っぽい行為ではない。自分はここにいるからである。海外に出てみることで、なにか気づきが得られるだろう。気づくことは自分探しではない。今まで自分が得てきた知見を原材料に産出できた、自分自身の意見こそが気づきだからである。
 
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2015年04月15日

漫画感想「青山月子です!」 第7話 指呼の間

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作者は楽しんで描いたのだろうなと思う回である。

加賀美くんは肝心の場面で鈍くなるキャラなのか。月子さんのいう「あっくん」の存在が気になって仕方が無い様子。一方、月子さんの振る舞いはいつもと全く変わらない。あまつさえ「あっくん」と合コンをするという。畢竟、加賀美くんはやきもきに終止するわけであります。

そんなあっくんは、女の子にモテモテの長身・ボーイッシュ・ショートカット・姉御肌・純情と、私を含む世の中の男たちの心を鷲掴みにして離さない萌えキャラクタであります。

本名は阿久津紗英。あっくんとは、取り巻きファンの女の子たちがつけた渾名なのですね。

月子さんのいう「あっくん」は、阿久津紗英。
加賀美くんのとらえている「あっくん」はモテモテ男子。
加えて、加賀美くんはいよいよ月子さんに恋慕感情を抱き始めている。

これが、誤解の招いた人間恋模様劇に発展せずしてなんであろう。フツーの少女漫画なら2〜3話は引っ張りそうなネタです。

しかし湯木のじん先生はそうしない。
加賀美くんの誤解と嫉妬は描かれているけれども、尾を引くことなく澄明。意馬心猿なぞどこ吹く風。ドロドロネチネチはしないのであります。そして月子さんに告白する流れにサラリと移行している。枯淡なので読者によっては味気なく感じるかもですが、私は好きです。この描写にある関係こそがこのふたりだなあと思うからです。
 
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2015年04月06日

(試乗)CX-3 XD Touring(FF/6AT) Be a despairer.

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まとめ
加速感がリニアでない点が気に入らない


 人気のSUV市場にかねてから嘱望されていた小型SUVであるCX-3が発売された。まず特徴としては、エンジンがSKY-D1.5のみの設定で、グレードを決めたら駆動方式とトランスミッションをFF/4WD-6AT/MTから選ぶことができる。後期型GJアテンザもそうだが、ディーゼル・4WD・MTの車を選ぶことができるようになっているのが嬉しい。海外では設定のあるガソリン・モデルを設定しなかったのは、結局のところ、国内ではディーゼル・モデルばかりが売れているからであろう(アクセラは別だろうが…)。

 エクステリアは立派で安っぽく見えず、魂動デザインも格好良く板についている。CX-5よりも格好良いのではないか。ボディカラーはダイナミックブルーマイカであった。赤が似合う車は青も似合うものだ。

 このCX-3は、新型デミオをベースにしている。なので、インテリアの雰囲気はデミオに似ている。勿論デミオよりも加飾がなされており、コンソールサイドパネルとドアトリムアームレストに用いられるダークレッドの合皮がブラック基調の内装の適度なアクセントになっていて落ち着いた雰囲気の中に洒落っ気をもたらしている。どうせならシートベルトの色も合わせてダークレッドにしてもらいたい。

シートは合皮なのだが、いつものマツダレザーと違って柔らかく手触りが良い。座ってみると、フワッと上質な厚みと柔らかさを尻に感じた。この座り心地は良く、コックピットに座ってのアイポイントの高さも加わって、ワンランク上のクルマに乗っている感が自然と伝わってくる。

 後部座席は、前列に比べ高くなっている。これは後部座席に座った人が前方をよく見えるようにすること(閉塞感の軽減)と、会話をしやすくするためだそうである。試乗の際は自分自身が後部座席に座ってみたり、同伴した家族を座らせるべきであろう。また、車内の広さについても忘れずに吟味・確認しておかなくてはならない。マツダの最近のモデルは全て、他社の類似車種に比べ観念的に車内空間がタイトだからである。買ったあとに狭いと家族から文句が出ることだけは絶対に避けたい。もし、デザインや走りよりも車内の広さを優先するのであれば、マツダは検討しなくてよい。

 デザインやコックピットに座っての雰囲気に気をよくしていたものの、いざ走り出してみると加速感にリニアリティがないことに不満を覚えた。停車状態か発進して巡航速度に乗るまでは悪くないのだが、そこからいざ加速を始めていくと息の長い加速感がないのだ。「ディーゼルの大トルクをうたう割に加速が良くない」指摘に配慮して、アクセル開度をいじったのだろうか。実際のところ、街乗りでキビキビ乗り回すにはこの設定(?)の方が楽だし、何より分かりやすい。ただ、散々喧伝してきたリニアさとは何だったのかとは、少し思う。CX-3はデミオよりも重量が100kg以上増加しているので、軽快に動かすにはこうせざるを得なかった事情もあるのだろうが。高回転時の音がいいだけに、加速感がついてこないのは残念だ。

 乗り心地は、シートの座り心地から予想していたほど優しくはない印象。少なくとも、アクセラ20S、XDよりも乗り心が良くない。路面からのショックは突き上げがあっても直ぐに収めてくれる足になっているのだが、このクルマはもう少し乗り心地が優しい方がキャラクタに合っているし、喜ばれると思う。デミオがベースなのであまり高い要求をするのもどうかとも思うが…

 ステアリングフィールはデミオに比べより好ましい重さで、操舵に特に違和感もなく良好であった。一般的なクルマのそれに比べれば重い方だろう。アクセラXDと同じように、ディーゼルエンジンでフロントが重いのが適度な重さにつながっているようだ。ところで、緩やかなS字カーブを約55km/hの速度でクリアしていく際、なんとなく腰の下当たり踏ん張るサポートが弱く不安を感じた。これは車高が高いためなのか、シートの角度を真面目に身体に合わせなかったからかは判然としない。

 試乗車には新技術のナチュラルサウンド・スムーサーは非装着であったが、総じてディーゼルエンジンの音は気にならなかった。音に敏感な人でなければ、特に気にならないレベルに仕上がっているのではないか。ちなみにナチュラルサウンド・スムーサーは、40km程度までの低速時のディーゼル・ノイズを軽減させる装備である。欲しい場合はイノベーション・パッケージ(i-ELOOPとセットで64800円高。XD以上、ATのみ)を選択しないといけない。ディーゼル・モデルしかない上に価格設定が強気なのだから、標準装備として組み込めば良かったのにと思う。なお、電動スライドサンルーフのオプション設定は存在しない。

 そんなわけで、私が抱いた感触は芳しいものではなかった。MTモデルだとまた違った感想が得られるのだろうか。試乗車に乗れる機会があれば乗ってみたい。



※余談
ベリーサは、2代目デミオをベースにしている。一方、このCX-3は4代目デミオをベースにしている。過去に記事にした記憶があるが、私は、ベリーサの後継がCX-3になるものと思っていた。コンパクトカーの範疇にあって、デミオ比で「若干のサイズ増・車高アップ・大柄シート・広い車内空間・上質な内装」という特徴を引き継いだグローバル・車種になるのではないかと考えていたのである。しかし、ベリーサのモデルチェンジは一向にされる気配が無い。そして、CX-3が発売されてもまだベリーサはラインナップされている。デボネアじゃあるまいし、なにか理由があるのだろうか?下手にモデルチェンジできない高い完成度にあるのか、二代目ハリアーのようにディーラーが販売の継続を熱望しているのか。なかなか興味深い車種になっている。

 
posted by ぎゅんた at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 試乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画感想「ジュピター」 また人類は餌すか

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まとめ
駄作


 感想を考えることも億劫になる稀有な映画。序盤から「ダイバージェント」みたいな臭いが漂ってきて顔をしかめることになったが、まさかアレより酷いとは知る由もなかった。

 まずストーリーが酷すぎる。資本主義への批判を根底に据えているのは分かるが、それを考察する気力が沸かない。流れや背景が理解できない。理解しようと追いかける気力が沸かない。結果、さっぱり分からない。墨眉ブスのヒロインが実は地球を支配する陛下だったのです。伝説のハンター()に守られるからふたりは絶対に死にません。敵は死んだから脱出してハッピーエンドだ良かったね。他にどう説明するんだ?凄い映像のスクリーンセーバーを劇場の大画面でみれたと思えば腹もたたないことを知った。

 人類は猿から進化したと一般には信じられているが、有名なミッシングリンクにあるように、人類の起源には謎がある。多分にオカルトを帯びる話になるが、実は人類は猿を遺伝子改良されて造られたと考える仮説がある。誰に?宇宙人に。神とは、過去の人類が見ていた宇宙人の姿を模した象徴であり、宇宙人そのものだというのである。天使の羽や、天女の羽衣は、宇宙人の飛行用ガジェットで、古代のオーバーテクノロジーとも言える建造物や技術は宇宙人にもたらされたと考えられる。無限に広がる大宇宙において、生命体が地球にだけ存在するものだろうか。それはないだろう。すると、人類以上の科学技術を有する宇宙人がいることも否定できない。その上で、人類は、宇宙人の都合の良い奴隷(および食糧)用として彼らに造られた存在とも考えられている。

 荒唐無稽にすぎると思う人が多数だろう。しかし、私はそうかもしれんなあとスンナリ納得できてしまう。地球以外にも生命体はいるだろうし、もし人類の科学技術が飛躍的な進歩を遂げ宇宙に進出していったとすれば、別の星の資源や生命体を都合のいいように利用し尽くすであろうから。その意味では、この映画の設定は宇宙人ありきで成り立っているので親近感はある。…のだが、如何せん、ストーリーを追い続けることを放棄してしまうほど面白くない。むしろ「宇宙人が人類を造った仮説」のほうがよほど面白い始末だ。オカルトに付きモノの陰謀論的読み方をすれば、映画という娯楽を通じて、宇宙人がいることがあたかも「普通であること」と人類が認識するよう下準備しているのかもしれない。誰がって、そりゃ宇宙人がでしょ。世界で公開されるハリウッド大作を利用すれば効率もよいですしね。でもこんな映画じゃ、宇宙人はバカにされるだけじゃないかと心配になります。
 
posted by ぎゅんた at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月03日

(試乗)二代目 ekワゴン(4WD・4AT)

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まとめ
・実用性一本気質のプレーンな軽自動車
・動力はパワー不足を否めず(MTで乗るべき)


 嫁の実家の車。人畜無害な印象を強く受ける軽自動車。とにかく実用的家庭的な軽自動車を設計しました感がすごい。言ってみれば個性がなく地味なだけだが、商品として軽自動車を考えたとき、無印良品的なテイストであっても、それはそれで市場価値がある。軽自動車に経済性と実用性以外を全く求めない消費者は少なくないからである。まず、相手に嫌われないように徹する姿勢は、人物であれ商品であれ間違いのないスタンス。現在の軽自動車市場からみれば、トール系に比べ室内空間と積載量に劣り、カスタム系に比べ「押し」や「いかつさ」に乏しく、プレミアム系に比べ質素過ぎて燃費に劣る。総じて中途半端な立ち位置のクルマでしかないのだが、オールマイティといえることも確かで、そうした軽自動車を望む人には有力な候補となるモデルだ。ただし、三菱自動車というブランドも手伝って不人気車種のようである。

 軽自動車に速さや素晴らしいコーナリング性能を求めるのは、猫に忠義心を求めるのと同じである。狭い国土に合致した小さなボディに、我儘な消費者の要求に応えつつ、安全性と経済性を確立させなくてはならない。軽自動車は、やはり日常生活の相棒であるための、極めて実用的な性格が強調された設計になるのはやむをえない。従って「いいとこ取り」設計になるのは自明で、結果としてなんらかの性格が犠牲になる(どこかに無理がくるから)。例えば、広く高い車体にスライドドアを装備することと引き換えに重量増をきたし走行性能が低下するのは典型例である。もっとも、そうしたクルマを求める人が高い走行性能を要求することは少ないだろう。いまや軽自動車は過去の値段と比べて決して安くない。普通車のベースグレードに比肩する値段になった。そんな中では、買う方も様々に吟味してモデルを選択するわけで、ある程度、なにに特化しているか分かりやすい軽自動車が好まれる時勢にある気がしている。

そんななかで、このekワゴンを見てみる。
・自己主張の低い没個性的なフロントマスク
・スクエア基調の「ワゴン」形状
・左後部ドアにスライドドアを装備
・リアシートを前に倒してフラットにすればソコソコの積載量を発揮

 発表当時はともかく、現在の水準からすると商品力はさして高いとは言えない。しかし、この没個性的な実用性第一主義の軽自動車は、小回りの利く日常の町乗り用途に合致した、あまりクルマに興味や要求がない人向けのマルチパーパスなツールに仕上がった。長時間・長距離の運転や高速道路を巡行することにはサッパリ向かないことには注意が必要だが、そんな運転を全くしない人も案外に多いものだ(特に車社会の田舎では)。

運転した感じでは、4ATのくせにサッパリ走らない印象を受ける。50馬力のはずだが、兎に角パワーがない。発進時、普通車に乗っている感覚でパーシャルスロットにすると出足が明らかに遅い。これでは公道の流れを阻害して危ないナとアクセルを踏み込むと、途端ガーッと雑味の強いエンジン音がして、車体が加速し始める。小排気量エンジンを全開に回して乗りこなす愉しみ!などは全くない。燃費に悪い罪深い走らせ方をしている気がして後味が悪いし、なにより回して官能性を感じる音ではない。新型アルトのVPバンは49馬力だったが、もっと走った印象だった。軽さが利いていたのだ。車体の重い軽自動車はターボで乗るべし、とは正鵠を得ている。昨今のグローバル・トレンドである小排気量ターボは、そもそも日本の軽自動車が既に打ち立てていたのである(本当か?)。

 キビキビ走るにはパワーがないものの、コーナリングで不安を覚える挙動は示さない。重心が低いわけでもないが高くもないので、フラッと揺れたり不安を覚えることはない。4WDは曲がらないと聞いていたが、特にアンダーを感じることもなかった。ただ、これらは60km/hが上限の一般道で得られた感触だ。80km/hでカーブをクリアしたらどうだろうと思ったりもしたが、そんなスピードでコーナーを攻めようにもスピードがでないので攻められない。このekワゴンの快適速度域は30-50km/hぐらいだろう。

 ちなみに運転していて面白さなどは全くない。常に煩さとパワー不足に苛まれてしまう。どうやらターボの設定はないようだし、MTだと駆動方式がFFしか選べなくなるが、トランスミッションがMTであればもうすこしマシであろう。ATよりも軽くなるし、パワー伝達も改善するからである。このクルマの購入を検討される方がMTを選択するとは考えにくいのも事実だが、軽自動車だからこそMTで乗るべきである。

 スライドドアは開口量がやや乏しい。スライドドアを強く必要としている人は他のモデルの検討を忘れないようにしたい。
 
posted by ぎゅんた at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 試乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする