2015年03月31日

(書評)「2022―これから10年、活躍できる人の条件」踏み台読みでおk


 著者は超有名人らしいが、私は知らない。2012年出版のベストセラーのようである。人から借りたので身銭を切っていない。

 読みやすいが、個性が強いがゆえに万人ウケはしないであろう印象を受けた。読みやすいのは、作者の文章の精度が高く、難しすぎず平易すぎない表現で記述が保たれているからである。難解な語句や言い回しを駆使して格好よい文章で仕上げることもできたが、手にとって欲しい読者の平均年齢層を考慮したのだろうと分かる。これは、頭のいい人や意識的に訓練してきた人でないと書けない。そうした中にあって、本書中には様々な興味深いキーワードやエピソードが散りばめられているの。興味を惹かれる情報に自発的にアクセスしていくと大きな実りが得られるだろう。新たな知識を得るきっかけを得ることも、読書の醍醐味である。

 第1〜7章に別れているが、おそらく各章はそれぞれの起草の時期が違う。悪性黒色腫の闘病を乗り越えた作者に思うところあって、その経験を通じて、そして、第1章が書きたくてたまらなくなって、本書を編纂した。そんな印象を受けるからである。どことなく、本書を全体としてみると輪郭がボヤけているし、タイトルにある「これから10年、活躍できる人の条件」についての明確なメッセージもまた、ボヤけている。私が読み取れなかっただけかもしれないが、ここまで読者に合わせて分かりやすく書き上げた著者がそれに気づかないわけがない。自分自身で考え、気づいてもらいたい意図であるにだろう。なので、「この本から知り得た条件を活かせば、これから10年、活躍できる」ことを期待して手に取ると期待を裏切られる結果になる。

 また、著者は第一線のマーケティングやコンサルの専門家のようだから、この本もあくまでそれを活かした自分の広告でしかないのではと邪推してしまう。例えば、有名な「金持ち父さん、貧乏父さん」は、読者にお金に対する極めて斬新な考えと注意を呼び起こす意味で比肩する書がないほどユニークな本だが、その実は、ロバート・キヨサキの自己プロデュースが横たわっていた(る)。つまりは、その著書の情報が読者のお金に対する大いなる啓蒙につながっている一方(読者は知見を得て喜び、著者のファンになる)、彼のビジネススクールへの受講生の増加やゲームボードが売れてくれれば良いわけだ。このことに気づいて初めて、彼の著書が極めて優れたビジネス書であることに脱帽させられたのである。

 とはいえ、あまり邪推するのも気が引く。というのは、本書には、作者の偽らざる本音や読者への純粋な鼓舞が確かに存在しているからである。

 本書からは、若者に現実的な日本の立ち位置と将来の展望(決して暗いだけではありませんよ)を知ってもらいたい熱意を感じる。これもひとえに日本国の将来を憂うだけでなく、国益がため、自国繁栄を願っているのが窺い知れるし、40代以降にライフワークを持つべしとする提案も、現代社会に生きる中高年への変化球的応援歌になっているからである。このライフワークに関する提案は第6章にて述べられているのだが、私は、この本の最大の魅力こそこの章に詰まっているように感じた。冷静で、理論的で、そこから導かれる提案は前向きで勇気づけられる。荒唐無稽とか、どこかで誰かが述べていた発言に過ぎない断ずることもできようが、それでも、書物と文章を通して読者に気づきや実行へのきっかけをもたらしてくれる勢いがある点で優れている。

 著者を知っている人はもちろん、知らない人であっても、読んで損はない本だろう。これはと思うヒントがあれば、それを実行に移して行けばよい。ただ読んだだけでアウトプットがなければ、エールを送られ励まされて気持ちが明るくなるだけであなた自身に進歩はない。繰り返して述べるが、「これから10年活躍できる人の条件」については明確な記述がないので、そこに過度に期待するとタイトル詐欺本の類に感じるだろう。第6章をまず読んで、得られた感触が良かったら他の章を読み進めると良いのではないかと提案しておく。

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2015年03月28日

(書評)「三週間続けられれば一生が変わる」 習慣という帝国はなるほど強大だ 〜プブリウス・シルス〜


原題:Who will cry when you die?
翻訳:北澤和彦


本書を読んで、重要と思われるポイント
・理屈抜きに実行して、習慣にすること
・まず習慣にしたいのは早起き
・テレビをみないことも習慣にしてしまおう(驚くほど有益な時間を得られ、生活の質が向上する)
・あなたの人生のために、美徳を習慣にすればよい



いつか再び読み返したいと感じたポイントと所感
真の人格者は、正しいことをして日々を送ります。一日の仕事で疲れたあとは、三時間もテレビを見たりせずに、ソファから立ちあがり、子どもたちに本を読んでやる勇気をもっています。寒い冬の朝、ぐずぐず寝ていたりせずに、生来の自制心を発揮してベッドから跳び起き、ジョギングをします。行動は習慣ですから、ポジティブな行動をとればとるほど、もっとやる気になります。たいていの場合、わたしたちは目の前に理想的な道があらわれるのを待って日々をすごしています。道は待つことではなく、歩くことによってできる、という事実を忘れているのです。

 この本の要点が集約されているかのような箇所である。思いがけない幸運が、絶えず努力して準備してきた人の前にこそ現れるのと同じように、我々は、実際に行動に移さなくては始まりはない。それを継続していくと習慣になる。実行に移した行動が良いことであれば、かけがえのない美徳としてあなたの人生を豊かにしてくれるし、逆は悪徳としてあなたを歪める。美徳でさえも習慣にすぎないと断言したのはメタスタージオであるが、これはまた、彼の言葉を借りれば、人間においては習慣がすべてだ、ということである。良い習慣を培えば人格もまた、磨き上げられよう。若いうちに正しい習慣を身のつけることがいかに重要であるかは、ここで述べるまでもない。


心にもないことばかり言っていると、やがてそれが習慣になります。一番の問題は、約束を守らないと信用をなくすことです。信用をなくせば、信頼の絆が断たれます。信頼の絆が断たれれば、最後には様々な人間関係が次々に壊れていきます

 ちっぽけな口約束であれば、破っても咎められることはない。しかし、ちっぽけな口約束でもそれを律儀に守る人は信義に厚い人と評価される。ちっぽけな口約束でも、守れそうになかったらすぐに連絡をいれるひとは律儀な人である。重要な約束をすっぽかすのは論外だ。

 詐欺師は、まず故意的に小さな口約束を何回も守って信頼を得てから「本番」に移るという。我々はこれを真似することはないが、肝要は、人の信頼を得ようと思ったら、小さな口約束でも必ず守るということだ。


電話はあなたの都合のためにあるのであって、かけてくる相手の都合のためにあるのではありません。でも、電話が鳴るのを聞いた途端、私たちは大火事に駆けつける消防士のように振舞ってしまいます。すぐに出ないと命にかかわるかのように、走っていって電話をとります。急ぎらしい電話に答えるために、静かな家族の夕食、ひたむきな読書、瞑想が妨げられるのを何度も見たことがあります。そう言った電話は、あとでも構わないことが多いのです。

 私を含め、電話が嫌いな人は、世の中にかなり多いのではないか。好きな人は好きで仕方が無いようだが、私には理解することができない。電話のベルの男や着信音ほど不快なものはない。固定電話など置きたくないし、着信音はマナーモード(バイブレーション)に固定して、そもそも携帯電話を持ち運ぶこともない。最近では携帯電話をどこかに放置した結果、発見した時に電池切れを起こして干上がっていることがしばしばある。電話で長話をしている人がいると不愉快になるぐらいだが、これは流石に電話嫌いも病的と考え、表情と態度には出さないようにしている。

 著者が述べている通り、殆どのコールは、夕食時のセールス電話と同様にたいした意味はない。どうしても相手の都合のためのものだ。これは、こちらからコールする場合も同等であるから注意が要る。口約束やメールの方が重要でフレキシブルで気持ちが良い。本当に重要な話は、仕事場の固定電話か、改めて書類かファクスで連絡がくるか、人間同士が対面して交わされてしかるべきである。


でも、すべての本が読破に値するとは限りません。イギリスの哲学者であるフランシス・ベーコンはこう言っています。
「味見のための本があり、丸呑みするための本もある。そしてごく少数の本だけが、噛みしめ、消化するためにある。つまり、一部だけを読めばいい本があり、好奇心をもって読まなくてもいい本がある。そして、ごく限られた本が、努力と注意を払いながら、最後まで読む価値がある」

 ふと手にした本が思いがけず素晴らしい本であることが大きな喜びであるのと同じように、面白そうだと手にした本が自分にあっていなくて(つまらなくて)ガッカリすることがよくある。昨今はタイトル詐欺まがいの本が多く注意が必要なようだが、そんな中でも、必ず素晴らしい本は世に出ている。古典的な方法だが、ベストセラーにはすぐに飛びつかずにロングセラーを買うと良い。たとえ古い本であっても、ロングセラーの本であれば売れている理由が、つまりは現代でも立派に通用する真理が書かれているものである。人間の本質は変わることはないので、社会が人間の集団で構成されている以上、いつになっても、社会の本質もまた変わることはないのである。例えば私は、自分の人生に最も大きな影響をあげた本として、サミュエル・スマイルズの「自助論」(竹内均・訳 知的生き方文庫)を挙げる。

 新しい本は次々と世にで続けているし、図書館に足を運べば無尽蔵の本を手に取ることができる。全てを読むことは出来やしないし、読書に生きる人生を送るつもりがなければ、読むべき本か読まない本か選定するためのルールを持っているべきだ。例えば私は、序文やプロローグを読んで引き込まれることのない本や、タイトルをまったく想起させない記述の本は読まないことにしているが、それで困ったことは特にない。例外は、仕事の関係で読まなくてはいけない本がこれに該当しているケースである。


毎日のようにかんしゃくを起こすと何が問題かというと、それが習慣になってしまうことです。ほとんどの習慣と同じで、それはいつか第二の天性になってしまいます。あなたが“手に負えない問題児”という評判になると、人間関係がほころびはじめ、仕事のパートナーシップくずれ、信頼性がそこなわれます。

 リーダーシップを説く本には必ずと言っていいほど出てくるのが、「感情をコントロールせよ」である。上司やリーダーが、怒ると叱るの区別がついていないことほど大きな社会的損失はない。感情、特に怒りを発露することほどたやすく損を被る行動はないのである。一方的で衝動的な暴力がどれほど第三者を不快にするばかりでなく、当人に虚しい結果を招くことになるか、冷静に考えなくとも明らかだ。この記載にあるように、まさに癇癪を起こすことが習慣になると第二の天性になってしまう。そして、厄介な鼻つまみ者に落ちぶれる。最大の不幸は、当の本人がそのことに気づいていないことだ。それを諌めてくれる相手も、いないのだ。


不満をいう悪癖とおなじように、他人ーもっとも愛する人びとも含めてーを責める習慣はいとも簡単に身についてしまいます。

 感情をコントロールすることに負けず劣らず、他人のせいにしないことも重要である。他人の一切合財の点を避難する人はいないが、少なからず他人を責めてしまうことを習慣として(本書に倣えば、第二の天性として)いる人はかなり多いはずだ。これまた、上司やリーダーがこの気質を持っていると組織の生産性が下がることになるだろう。士気が下がるのである。例えば、他人に任せた仕事は、よほどのことがない限りケチをつけないよう心掛けるぐらいがよい。期待した結果でなかったのなら、責める前にその原因を考察する余裕が欲しい。命令が具体的でなかった?まだその仕事を遂行できる水準に達していなかった?遂行を妨害する理不尽な要求や干渉に遭ったのでは?他人に任せた仕事の結果に文句ばかりつけるのは己の器が小さいことを喧伝しているようなものだ。本書に引用された格言にあるように、まさに「自分の人生は自分で責任をとりなさい。すると、どうなるか?恐ろしいことに、だれのせいにもできなくなります(エリカ・ジョング)」である。
 

読み終えてみると、本書のタイトルは大げさかと思わないでもない。しかし、良い習慣は一生モノの資質となることは確かである。また、それがどれほど当人を支えるか(人生を幸福にしてくれるか)知れない点で、有無により一生に差が生じることも確かである。
3週間の継続で一生モノの習慣を得られるかどうかは、無論、読者次第なわけであるが、重要なことは述べられている。考えているだけでなくて、実際に行動に移すことである。

 
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2015年03月18日

書評「東京大空襲-昭和20年3月10日の記録-」


 人類史上最悪の一方的な非道虐殺でありながら、史実として影の薄い東京大空襲について極めて冷静で客観的に記された名著。一般都民目線での当時の情勢と、罹災者らの大空襲の体験談と後日譚、そして著者による東京大空襲への考察が訥々と記される。著者もまた実際の罹災者の一人である。

 本書を初めて読んだのは中学一年生の時分。どういう経緯で手にしたかは記憶にない。幼い身空が抱いた感想は、ありていにいえば、課外授業の戦争講話の感想文のような、教師が望んでいるであろう人道的見地に立っただけの、一定の評価を受けパスできるがだけの、寄る辺のない瑣末なものであった。戦争の悲惨さに考えを馳せるよりも、酸鼻を極める凄愴な惨状ばかりに興味を惹かれていたのだ。本能的に最も人の興味を引くものが(自分の身が安全であることが保証されている立場からの)残虐さでると思われるが、まさしくそうだったわけである。自分を弁護するわけではないが、これも宜なるかなと今になって思う。子どもが単純な味付けの食べ物を好むのと似ている。社会を知らない子どもが、物事を深く理解し評価するには判断材料と経験が少なすぎるのだ。本書を読み、身を震わせんばかりの衝動に駆られる子どもがいたとすれば、栴檀は双葉より芳しが如く、想像力と感性に優れた極めて利発な者であろう。私は、そうではなかった。

 次に本書を読むのは大学生になってからであった。講義中に読む「内職」用として図書館で借りたのだった。強い衝撃でった。身を震わせながら時を忘れて読んだ。その悲惨さに目頭が熱くなった。過去に読んでいるはずなのに受ける印象がまるで違う。大学生にもあり、ある程度は見識が広がったためだろうか。最初は理解できなくても、それに拘泥せずドンドン先に進んでいくと、後になって振り返ると理解できるようになっているものである。これは「超勉強法(野口悠紀雄)」にてパラシュート勉強法として紹介されているが、真理をついている。今は理解できないことも、自分が成長すると理解できるようになる。知的快楽を感じる甘美な瞬間でもある。

 おっさんになった今、改めて読み直すと、またもう少し違う印象を抱く。理不尽さに翻弄され一方的に全てを失うことへの悲壮さと憤怒に心が捻じり切られそうになる。文章としては極めて冷徹で客観的に書かれているのだが、行間から凄まじい著者の怒りが伝わってくることに気づいた。いまこそ、史実資料として永遠に遺すために感情を押し殺すことに努めた著者の姿勢が理解できるし、その仕事のプロフェッショナルさに脱帽させられたのである。

 この本を読んで「鬼畜米英討つべし」と思うも「戦争は絶対にしてはいけないのだから、それに至らぬよう、国民すべてが高い認識を持たなくてはならない。なぜなら、戦争は最悪の外交状態であり、それを司る政治は、国民のレベルに一致するからである」と考えるも、「アングロサクソン人種の根源的な残虐さを改めて垣間見ることができる上で、国際交流とは、常に再考と考察を要する油断ならぬ緊張である」と感じるも、すべて読者の自由である。本書は極めて客観的であるので、読者一人一人が、本書を読んで抱く感想は千差万別にならざるを得ない。その一方で、これほどまで強い著者の主観を感じ取れる本もまたない。

 次に本書を読むのはいつになるのかわからないが、その時もまた、違う印象を受けるのであろうか。楽しみなようでいて一抹の不安を内包したままでいる。
 
posted by ぎゅんた at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月13日

漫画感想「青山月子です!」別マ4月号 第6話 截然悋気

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 今回の加賀美くんは蚊帳の外の巻。無論それには意味がある。

 月子さんはどこか透徹としており、いまや自己を完全に受け入れた。記憶を失う前の自分を追蹤したり回顧することがないからである。空回りするところはありながらも、表情も豊かに、なにより随分と他人と自然に話をするようになった。

 そんな月子さんをみて我々には安堵の気持ちが湧く。読者は月子さんを見守る保護者の視点でもあるからだ。加賀美くんと同じ心境である。けれど、今回は少しばかり彼にも変化の兆しが現れた。加賀美くん本人は無自覚ながら嫉妬心を抱くようになっている。いよいよ月子さんへの保護者意識から恋慕感情へシフトし始めたのだといえる。普通、男子高校生の時分で1-5話の接触があれば月子さんにぞっこんラブ(絶滅語)だと思われるが、加賀美くんは随分と疎いというか恋愛に無関心。過去や家庭環境が関係しているのかもしれないが、その詳述は今後を待たねばならない。

 湯木のじん先生の物語が巧みなのは、その構成と起伏に「悩む人」を絡めること。そして、他人との関わりを契機・バネとして当人および他者が気づきに至り成長していく姿を絡めてくるところにある。これらが、シュールなコメディ調を根底とする静謐端麗な画で描かれる。枯淡な味わい、といってさしつかえない。

 初登場の紗英さんは、静的な月子さんと比べれば動的な同性キャラクターで、「嫉妬」に絡む「悩む人」でもある。詳述するとネタバレになるので省くが、今後の物語の主要サブキャラになるのは間違いのない愛らしいキャラクタになっている。

 輻輳し始めた物語がどう整然と解決されて行くのか、次号が楽しみで仕方が無い。


まとめ
ぎゅんたは湯木のじん先生を応援しています。

 
posted by ぎゅんた at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 湯木のじん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

(試乗)アクセラ XD 6AT 地に脚付く力強さ

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濡れそぼつ車体にやたらと映えるアルミニウムメタリック

まとめ
・アクセラXDは「通」向けだが、実に良く仕上げられている
・試乗の際は必ずサンルーフを開けること



母親の乗っているプレマシー車検時の代車。代車のほうが車格が上なのはご愛嬌。

アクセラXDに乗るのは6MTの試乗以来である。疑問に思うところは数点あったにしろ、運転してみての感触は極めてよく好印象であった。

そのとき感じていた、

・サンルーフの設定が意味不明、要らない
・エンジンスペックから予想されるトルク感が乏しい
・SKY-DとSKY-Driveのマッチングは?
・マイチェン待ちがよさそう


これらの点について検証してみよう。


電動スライドガラスサンルーフ
今回の試乗でもっとも驚いたのがこの電動スライドガラスサンルーフである。XDに標準装備されるこのアイテムは、オプション設定ならともかく、重量増と価格吊り上げが強制でしかない不当な装備だと判断していた。しかし、実際に使ってみると実に魅力的な装備なのであった。

アクセラはその車体サイズの割に中はかなり狭い。特にドライバーシートに座るとタイトな設計になっていることが分かる。よく言えばコックピット感に満ちたスポーツテイストに満ち溢れており、悪く言えば狭苦しい。アクセラを選ぶ人はそれを承知で購入するハズだが、やはり時には開放感(外界とのつながり)を感じて運転したいこともあろう。

電動スライドガラスサンルーフはドライバーシートの左斜め高方頭上に位置している。開閉はまずサンシェードを手動で開いた状態にする。その後、ルームランプ中央にあるチルト/スライドスイッチで部分開閉および水平開閉させる。文章にすると妙だが、直感で簡単に操作できる。

完全開閉にしたところで、たとえばオープンカーのような開放が得られるわけではない。しかし、頭上から外界の光と空気が車内に入り込む感触を肌で感じ取ることができる。この澄明さは体験してみなくては決して理解できない

オープンカーの必需装備にシートヒーターが挙げられるが、このXDには3段階調節のシートヒーターが標準で装備されている(後部座席にはない)。つまりマツダはサンルーフを開けて運転しなさいと言いたいのである。


トルク感、SKY-Driveとのマッチング
SKY-D2.2は従来のディーゼルエンジンに比べると想像以上に静かなエンジンである。現実的に、車に疎い人にはディーゼルだと気づかれないだろう。クルマ好きは分かるが、それでもディーゼル・トラックのような"らしい"音を感じるのは停車時からの発進時や冷えたエンジンに火を入れた直後ぐらいのものだ。車内にいればディーゼルエンジンであることの音に関するネガティブ要素はかなり小さい。下手なガソリンエンジンの方が音が大きい。

MTで乗った時にまず思ったのは、スペックほどのトルクを感じられないことであった。溢れでんばかりのパワーを手中に収める喜びを期待して乗ると、発進時に肩透かしを喰らうのだ。これはATでも同じで、クリープからソロソロとオルガンペダルを踏んで行く分には、なんら力強い加速発進は起こり得ない。力不足に感じるところだが、ちょっとアクセルを踏んだだけでドガンと飛び出るような不躾さはないわけで、安全上からも私はこの味付けが好みである。加速させたいならアクセルを意識的に踏み込まねばならない。演出的な加速感はないことから地味で力不足に感じることになるのである。

SKY-Dはトルクは高くとも175馬力しかないので絶対的な速さを実現するエンジンではないわけだが、どうもトルクが高い特性だけが一人歩きしているようだ。XDの動力性能が物足りないと不満に思うか、自然な力強さがあって乗りやすくていいナと満足するかはオーナー次第だ。

なお、ATの場合の加速は基本的にはアクセルをガバッと踏むだけで良い。一瞬の間を置いてグワっと前方に引っ張られる加速が始まる。すぐに自分の望む速度に達してしまうので、エンジンを意識的に回したい時は、シフトレバーを右に倒してマニュアルモードにする必要がある。3000rpmも回すと迫力ある魅力的な音がする。

なお1速がかなりのローギアなので、エンブレを効かせているときに1速に入ると急にエンブレが強力になることで不快なショックが生じる。

アクセラXDに関しては、スポーティさとマニアックな特性上、MTを選択するべきと感じた。ATは安楽で燃費も良さそうであるが、MTの方が飽きずにXDの楽しさを味わい尽くせるだろう。


その他
今回、改めて感じたのは望外な乗り心地の良さと脚回りの良さである。そもそもアクセラはコンパクトスポーツハッチであるから、高級車のような快適な乗り味とは無縁そうなのものだが、少なくともこのXDは軽快感と引き換えに大きな安定感を得ている。重いディーゼルエンジンを載せていることをプラスに作用させているのは疑い様もなく、フロントタイヤが路面に吸い付いているかのような感覚が、ステアリングとシート越しに伝わってくる。直進時は言うに及ばず、アンダー知らずの安定したコーナリングと、その状態からいつでも地面を掴むように加速できる力強さ。これは60km/hでコーナーを連続で駆け抜けてみればすぐに分かる。 思いのほか高いスタビリティを保って走らせることができることに気づくと同時に愉しくあるはずだ。これはXDだけの醍醐味であろう。敢えてXDを選択したオーナーにだけ贈られるマニアックな魅力でもある。

300万近い値段と選択の自由の利かないてんこ盛りオプションのディーゼルエンジンを載せたアクセラは、かなり乗り手を選ぶグレードであるが、惚れ込んで購入するオーナーは多そうだ。手頃な中古待ちも多かろう。

XDはマイチェン待ちが良さそうだと考えていたが、その考えは覆される結果になった。おそらくマイチェンでエンジンやスロットル特性の変更と安全装備の拡充が計られる。そのために値段が少しアップすることと引き換えに電動スライドガラスサンルーフがオプション設定になるだろう。XDの完成度自体が極めて高いレベルにあると思うので、マイチェン後も乗り味は変わらないだろう。

2時間ほど運転し続けたが腰が痛くなることはなかった。ラックススエードとレザーのコンビネーションシートは、黒基調と赤ステッチでコンサバティブながら渋く格好良い。とくに滑ることもなく、シートのサポートおよびホールド感は申し分ない仕上がり。左足へのニーパッドが備わっていれば言うことなしだったのだが。

フュエルリッドオープナーと給油口キャップの質感が異常に安物っぽいのが気になったが、グラム単位の軽量化の努力とみるべきか。


マツダ・アクセラ
posted by ぎゅんた at 07:14| Comment(4) | TrackBack(0) | 試乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月07日

書評「〔新版〕ドラッカーの実践経営哲学」望月 護【著】


まとめ
・「ドラッカーだから」読む本とはいえない
・ビジネスの入門書に相応しい一冊

 本書のタイトルを額面通りに受け取ると、あたかもドラッカーの実践経営についての考えを紹介する本のように思われるがそれは嘘である。「(難解な)ドラッカーが述べている内容は、実質的にこのようである」ことを、日本の社会背景や風土を考慮の上で説明し、かつ、経済人なら素養として知っている歴史的なエピソード等がバランスよく散りばめられ、経済や経営の知的好奇心をくすぐらながら読めるように仕上げてある。要は、ドラッカーの考えが純粋に述べられた本ではなく、著者の考えが多分に含まれた本と言える。もし貴方がその点に不満をおぼえるなら、ドラッカーの原著を読めばよい。ただ、ビジネスマンがドラッカーの原著を読んでいる必要があるといえばないだろう(意識の高い人は、読めば良い)。必要なのはビジネスマンの教養としてのドラッカーと、現実的に実用可能なヒントである。

 いざビジネス書を読んで勉強を始めようと思った人は、まず本書をパラパラと読んでみるとよい。文体や内容が肌に合いそうだと思ったら、下手に他の本に手を広げることなく、この本を何度も何度も読み返すと良い。それだけでも確かな実力がつくのは間違いない。

 一般にビジネス書は、内容が高度に専門的すぎてチンプンカンプンだったり、著者のエッセイが暴走したタイトル詐欺本だったりするきらいがある。本書はやや後者寄りといえなくはないものの、述べられている重要なエッセンスは、ドラッカー同様に極めて普遍的であり、今後、時代の変遷があろうと読まれていく一冊となろう。入門書として、800円でこの本が購入できる意義は極めて大きい。
 
posted by ぎゅんた at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする