2015年02月27日

映画感想「激戦 ハート・オブ・ファイト」金田、マカオに着く にあらず

unbeatable.jpg

舞台はフィリピン・マカオ。生きることへの力強さを感じる映画。高い前評判から期待するほどの傑作ではなかったのは残念。

主要登場人物は4人

落ちぶれた元・ボクシングチャンプ(ファイ)
元・大富豪の息子(スーチー)
夫に捨てられ、息子を失った不幸な母親(クワン)
その母親を支える娘(シウタン)

彼らの人間ドラマと人生再起のサクセスストーリーが描かれる。謳い文句に「不朽の名作ロッキーを彷彿させる希望に満ちた感涙ドラマ」とあるが、確かに落ちぶれた主人公が肉体にムチ打ち苦闘と執念の末に勝利を手にするドラマに嘘偽りはない。ロッキーはボクサーの減量さながらにストイック調の映画であったが、本作はそこは似ておらず、ドラマパートにより主軸が置かれている。格闘シーンはトータルで長いが、徹底したリアリティと迫力にやや乏しい印象なので純粋な格闘映画を期待してみると肩透かしを喰らう。地味なトレーニングシーンのほうが見応えがあるぐらいだが、それでよいのである。

この映画をみると、頑張ろうという気持ちになれる。確固たる目標にむかって邁進努力する姿ほど人の心を打つ原始的情動はないからである。実際に、目標を明言化してその実現に向けて一心不乱に努力している人がいれば、誰であれ、無条件に応援したくなるのが人情だ。過去の偉人や成功者たちの例を顧みるまでもなく、名を成した人は尋常でない不断の努力によって成功を勝ち得ている。また、その一所懸命な姿勢が見るものの心を打ち、パトロンや精神的支柱となる応援者を会得し、そのサポートによって名を馳せる結果につながっていく。自分が変わることが他人を動かすのである。

この映画を観て頑張ろうという気持ちになったあなたには、成し遂げるべき何かが志半ばであるか手付かずで在るはずだ。解決策は単純。即座に、その成し遂げるべき上で必要なことに着手し努力することである。現実世界は創作ではないから、努力の末にハッピーエンドが確約されることはない。けれども、努力するあなたを応援してくれる理解者や、無駄ではなかった結果は必ずやもたらされる。
 
努力は成功への投資であって、堅忍不抜の精神で費やしたコストのことでもある。努力するなら成功しなさい、と考えてもさしつかえない。勇気付けられる映画は良いものである。
 
posted by ぎゅんた at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月26日

漫画感想「青山月子です!」マーガレットコミックス1巻 錦上に花を添えて


裏表紙イラストもとってもキュート


 別マ本誌連載分の第4話までが収録されている。読み切り作品の収録はなし。

 改めて読み直したところ、スクリーントーンの貼り替えや加筆・修正がなされていることに気づく。これは特に第4話に顕著で、本誌連載版と見比べると歴然とした違いがみられる。作者に思い入れがある話で単行本化にあたり筆をいれずにいられなかった、というよりは、〆切の関係上で本誌掲載版は不満足な状態だったのではないかと推測する(間違っていたらすみません)。

 本誌掲載時の第4話が既に珠玉の出来であったから、このモディファイはいきおい読者に更なる感懐をもたらすことに成功している。そして、そのまま次巻までの掉尾を飾っている。


比較画像をだしてみよう
comparison_3.jpg
comparison_2.jpg
comparison_1.jpg
<画像左側が単行本 右側が別マ本誌>


 興味深いのは黒木くんへの加筆である。同じく第4話から「オレそこまで青山さんのこと考えて生きていないから」の後の彼の態度。本誌版と異なり、この台詞は加賀美くんに向けて意図的に発言したものに変更されている。これは、第5話から黒木くんが月子さんと接触し始めることからの布石であろう。本誌連載時には作者は、第五話以降のストーリー構想がまだ確立していなかったのかもしれない。

 きっと6話以降の月子さんは黒木くんを始めとした気持ちの良い友だちに囲まれることになるのだろう。黒木くんは「藤代さん系。」の古瀬さんのような(便利な)キャラクタとして活躍することになるはずである。


まとめ
ぎゅんたは湯木のじん先生を応援しています。

 
posted by ぎゅんた at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 湯木のじん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月22日

書評「景気に左右されない一流の男のお金の稼ぎ方」え、うん、まあそうよね…


 知り合いに読めと渡れた本。

 自活努力で生きているからこそ発言できている、個性的な著者によるエッセイ的自己啓発書。ここでいう個性的とは、(読者の)反感や批判を浴びそうな、という意味である。

 この著者がとにかく述べたかったことは『支払う税金が少ない人間は、偉そうにしてはならない(56頁)』が全てだろう。この主張がしたくてこの本を書き上げたのだなと思わざるを得ない。「少しは『恥』ぐらい知れや」と言わんがばかりで、この頁にかけて筆が乗っている。逆に本書の後半は勢いが緩やかになり、池上正太郎を目指したものの俗物っぽさを消せずに失敗したエッセイのようになる。内容と表現はわりと辛辣。民主党支持のフェミニストが本書を読んだら怒りで脳の血管が切れるかもしれない。

 僭越ながら、この著者の主張と私の考えは近いようで頷けるところがある。過去に記事にしてきたとおり、やはり税金を収める人が軽視される世はおかしいのである。成功者たちは口にしないだけで、同じことを思っている。昔から金持ちは政治に口を出してくると憚られてきたものだが、多額の税金を収め続けている立場にあればちょっとは意見したくなるのが人間というものだ。著者も、税金を多く納めるようになり、思うところがあるのだろう。そして、似た声を様々な人から聞いてきたに違いない。

 「納税額が小さな人は大人しくしていなくてはならない」
 これを、金持ちの思い上がりだとか、成り上がりの理論だとかいうことは簡単だ。しかし、社会に生きる中にあって、どちらの主張が真っ当であるかは自明である。なぜか世には前者の意見が幅を聞かせているので、やれ高額所得者はけしからんだとか、金持ちは人間的に低俗だとか、傲慢鼻持ちならぬとか、とかくバッシングが噴き荒れる。現代のラッダイト運動ならぬ皆で貧しくなろうよ運動である。ちなみに私は、尊敬に値する裕福な人に数多く出会ってきたが、清貧の生き写しのような貧者に出会ったことは一度としてない。清貧というのは、簡素で慎ましい生活を送る裕福な人をいうのだと思う。余裕のない人間に高邁な振る舞いはできやしない。日本がなんだかんだで治安がよいのは、日本人の民度が高いというよりは、国民の大多数に余裕があるからである。

 筆者は述べていないが、納税に対し国はもう少し人間的な配慮をすべきだろう。以前にも述べたが、納税額が大きければ大きいほど恩恵が得られる社会システムを組み込むべきだ。高額納税者に居心地が良い国にすれば誰も損しない。さて、それが具体的にどのようなものであるべきかについて私は論じられないが(思いつきにすぎない)、現状は、高額納税者に対して非礼だと感じている。ろくすっぽ税金を納めもしない人間と高額納税者が同質の社会サービスを受けているのは、ある意味で高邁な平等精神の遵守だが、その実はただの不平等である。いまの世論からすると「そこに不満があるなら、高額納税者は懐から金をだせ」となるのだろう。そして、嫌気がさして外国移住を検討し始めた高額納税者に売国奴の謗りを吐くのだろう。売国奴にしているのは誰かぐらい考えるオツムは欲しいものだ。

 なお、本書の後半は感情的で、書き溜めてしてあったエッセイ原稿を組み込んだかのようなチグハグさがある。全体として、著者の主張には頷けるところがあるし、痛快な文章であるのだが、この本を書斎の本棚に置いて起きたいかというと戸惑いが走る。大前研一の著書を本棚に置きたくない気持ちに似ている。…分かる人には分かるだろうか、このフレーズ。
 
posted by ぎゅんた at 21:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月19日

映画感想「ブルー・リベンジ」サビボロの青いポンティアック



まとめ
・低予算ながら監督の力技で賞賛を勝ち得た作品が好きな人にオススメ
・とても地上波放送はされまい


原題はBLUE RUIN(改題する必要性が感じられない)。

青色のカラー・キャラクターには、「爽やか」「静謐」「神秘的」「リラックス」などが考えられている。実際に、青色には人を鎮静させる効果がある。これを応用した、鉄道自殺防止を目的とした青色発光LED照明はちょっとしたニュースになったし、確かな結果を出しているという。青色は、藍染めが生活文化に馴染んでいて海洋国家である日本にとっては馴染み深い色である。

反面、青色には「寒々しい」「重々しさ」といったネガティブな性格もある。かつての黒人労働者の辛い境遇を歌った物憂いメロディや歌詞が多いブルースのジャンル名の由来が青色「ブルー」にあるとされている。ブルー・マンデーやマタニティ・ブルーが馴染み深い。

さてこの映画のタイトル BLUEは、予想通り後者の性格が最大に走り抜けている。この作品や終始一貫して、常に「ブルー」な雰囲気に満ち溢れている。小道具に意識的に青色を(映像記号的に)用いていたりもするが、そんなものは、この作品を支配する「ブルー」の前では瑣末な偶然のようなものだ。

ストーリーはコピペでこうである。
とあるビーチで廃車同然の青いセダンにひっそりと暮らす、ホームレスのドワイト。
ある日、警察に呼び出された彼は、そこで衝撃の事実を告げられる。
彼の両親を殺害した犯人が司法取引に応じ、刑期満了を前に、釈放されるというのだ。
あまりのショックに我を失ったドワイトは、オンボロの青いセダンを走らせると、
釈放された犯人のもとに向かう。
ただ一人、金も地位も理解者もないまま、「復讐を果たす」という、
唯一の目的のためだけに…。

ありていにいえば、おっさんの復讐劇。しかし、この主人公は凄腕の殺し屋でもないし特別な能力があるわけではない。一般ピーポーの浮浪者である。そんな彼が、どのように復讐を遂行するのか、その結果どうなっていくのかが、極めて淡々と客観的に映される。唖のように黙りこくった主人公と、なんら語られることのない背景解説で始まるこの作品には、浮遊し続ける寒々しく陰鬱な雰囲気だけでなく生々しい暴力が地に足つけて横たわっている。

物語の最後に初めて燦然とした光を見ることがでできるのだが、それは何を意味しているのだろう。復讐の果て、誰もいなくなったあとに、生きていた証が僅かに残るだけでもとても幸福なことなのかもしれない。



字幕翻訳は岩辺いずみ
主人公の乗るおんぼろセダンは1990年式のPontiac Bonneville。
posted by ぎゅんた at 18:54| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月17日

(試乗)スバル サンバートラック660 はたらくくるま

Image - 2015-02-17 00.05.11.jpg

 代車で使用。MTの代車を希望したら軽トラしかなかった。荷台は空。96年式11万kmオーバー。

 サンバーはいわずとしれた軽トラの代表格である。希少なRRレイアウトを採用しており、誰が名付けたかは知らぬが「農道のポルシェ」と呼ばれる所以となっている。しかし別に水平対抗エンジンではない。農道のポルシェというのは、サンバーへのユーザーの偏愛が先行した冗談であろう。

 この頃のスバルは軽自動車に直4を載せることに拘っていたのか、このサンバーも直4エンジンを積む。ただしNA0.65Lでターボもスーチャーもついていない。スバルといえばフルタイムAWDだが、このサンバーは4WDで、走行中に切り替えが可能になっている(シフトノブ中央に切り替えボタンがついている)。

 軽トラは仕事で用いる実用車であるから、快適装備など毛の生えたものしか存在しない。それはサンバーも例外ではない。エアコンと室内灯、ラジオがあるだけでよい。乗り込んでみるとやたらと頭上を含めて広い空間であることに驚く。バスの運転席じゃあるまいしフロントガラスが絶壁で開放感に溢れすぎた視界が開けている。外から丸見えじゃないかこれは。スーツ姿のいい男や水着姿の美女が真顔で乗っていたら、対向車からすると珍妙極まりない印象を与えることになろう。

 シートは前後移動が僅かに可能であるが、リクライニングなどできない。にも関わらず、案外に座り心地も良い。一時間運転し続けても腰にこない。ただしホールド性は皆無なので、急に曲がったりすると身体が滑ってしまうのは必定。乗り心地はトラックのくせにやけにジェントルで優しく、拍子抜けする。大きな揺れがあるとすれば、大きな段差があったか、アクセルを急に抜いてしまってエンジンブレーキが制動力として車体にかかった時ぐらいのものではなかろうか。古い軽トラであることを差し置いても、このサンバーの乗り心地は格別であると評価したい。

 ステアリングは妙に細くて寝ていて、大きい。車体こそ小さいもののやはりトラックである。その細いステアリングの内側に、握った時に中指を引っ掛けられる窪みがついているところが泣かせる。

 昔の車がそうであったように、キーを捻るだけでエンジンが掛かる。起動音と振動が外界後方から届いてくるのが面白い。回してパワーを稼ぐ非力な軽自動車のエンジンはどうしても煩いから、車外のリアにエンジンを置くサンバーの設計はエンジニアの姿を身近に感じさせる親しみどころだろう。半クラ領域は広いので、アクセルを煽ることを怠らなければエンストの心配なく発進できる。ただし、軽トラであるかた、ギアは超ローギアであり、例えば1速は、そのまま走ることを考えられないほど低いギアで、実質は発進用である。従って、1速で半クラ発進したら即座に2速に切り替えて構わない。というか、そうしないと発進時にもたついて後続車にせっつかれる。慣れてきたら2速発進でも良い。ローギアなので普通に可能。なお、トップギアにいれても普通乗用車の3速みたいな感触である。

 バッテリーが弱っているのか仕様なのか、走行中と停車時でヘッドライトの明るさが異なる。発進すると明るくなるが停車すると暗くなる(アクセルを踏むと明るくなる)。まるで自転車の発電式ライトだ。

 このサンバーの守備範囲は0-70km/hで、それ以上に速度をあげていこうとすると煩くなり燃費が悪化するだけの印象を受けた。50キロ巡行しているのが安楽で、キャラクターにも合っているのでは。もちろん、この速度域で安逸としていると交通の「流れ」を阻害することになる。農道や入り組んだ隘路(住宅地)はともかく、意識的に速度をあげて運転し続けなくてはならなくなる。公道ではすぐに煽られる存在なのである。高速道路にはいかない方がいい。

 RRで鼻先が軽くパワステも効いているためか拍子抜けするほど軽い。軽すぎて逆にステアリングを切りすぎないか怖いところがある。直進安定性には文句がつかないが、古い車で足回りヘタってきているためか、正確なトレースを実現できる感じはなかった。ブレーキもなんとなく心もとない。60km/hぐらいで走っている時、目の前になにか避けなくてはならない障害が急に現れた時に避けられるかどうか不安を覚える。ただ、エンジンブレーキが異常に効いてくれるので、速度調整は実に楽でブレーキ要らずである。例え下り坂でトップギアであっても、エンブレで減速するのは驚異的である。ちょっとしたカーブや下り坂でブレーキで減速する必要など微塵もない。ただアクセルを抜いてエンブレで減速して対処するだけである。この強力なエンジンブレーキを利用した走りは独特だが、慣れると操りやすく頼もしい。例えば、60km/hでコーナー直前にアクセルを抜いて減速開始、そのままコーナーを安全にまがり、ダブルクラッチで3速にシフトダウンして素早く加速→4速とシフトアップして走らせるだけでも楽しい。機械との一体感などという高尚な感触は感じられないが、分かった上で道具を振り回している子供っぽい征服感はある。ちなみに回しても全然速くない

 RRの有名な欠点のひとつに、ワイヤーが長くなるがゆえのシフトチェンジ時のフィーリングの悪さが挙げられる。別にシフトチェンジができないほどフィーリングが悪いわけではない。ただ、ゲート間での渋りや引っ掛かかりがあって、それがゆえに、確実なシフトチェンジのために力を込めた操作が要求されるところがある。シフトフィーリングは「あまり良くない」とは言える。特に1速から2速、4速から5速へのシフトチェンジがやけに渋る。1速から2速への渋りは、発進時でもありもたついているわけにいかないことから、シフトレバーを素早く叩き込むように「なんか間違っている気がする」程度の乱暴さをもって行うことになる。4速から5速へのシフトチェンジは、単純にゲートを通過させづらいのだが、これがRRのせいかは分からない。ノンシンクロではないのだろう、回転数合わせはシビアではない。リノリウムの様な肌触りのシフトノブが古い車であることを物語るが、握り心地は良好である。

 このサンバーの安全性がどの程度の高さであるか不明瞭だが、正面衝突したら即死を免れ得ない緊張感は運転中にヒシヒシと伝わってくる。後ろから追突された場合は、エンジンが障壁になり盾となろうが、間違いなくお釈迦コースなので保険屋は嫌な顔をしそうだ。後からの追突といえば、煽り運転の存在を無視できない。昨今、車間距離をとらずヤケに接近して(それを迷惑行為とも危険行為とも考えもせず)走らせているドライバーが目立つが、こうしたドライバーにカマを掘られてはたまらぬ。このサンバーに限らない話だろうが、軽トラはエンジンブレーキが強力であり、慣れたドライバーはノンブレーキで走らせ続けていることだろう。これは、一般的に減速を意味するブレーキランプの点灯が少ないわけで、実際にはエンブレで大きく減速しているにも関わらず、ブレーキランプが点灯していない軽トラはおおいだろうということである(だって、そのように走らせられるのだから)。従って、MTのエンブレについての知識もなく、満然と前の車について行くだけの思慮のない運転をするドライバーが後ろにいる場合、カマを掘られないための自衛策として敢えてブレーキを踏む必要性もでてくるだろう。そして軽トラがあなたの前を走っているときは、意識的に距離をとるほうが無難である。

posted by ぎゅんた at 23:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 試乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月15日

漫画感想「青山月子です!」第5話 別冊マーガレット3月号 ときに他者はガイダンスとなり

Image - 2015-02-15 16.24.16.jpg
月子ラバーストラップ50名プレゼントだと?

 「第一部・完」然とした月子さんの告白回です。告白、といっても少女漫画みたいな(注・「青山月子です!」は少女漫画です)どストレート描写ではないのがポイント。感情的になりつつある月子さんが加賀美くんを好きになっている自分に気づく姿が胸をうちます。

 ところで、「記憶喪失でもなければ、みんな(あなたに)あんなに優しくしないものね」と発言したクラスメイトの一人はちょっと悪役風味ですが、彼女はきっと一片の悪気もないのだと思います。記憶喪失に憧れると言った都築くんも、きっと悪気はなにひとつない。以前の、記憶を失う前の青山月子たろうと頑張っていた月子さんであれば、みなさん優しいですからねとでもサラり気にも留めなかったでありましょう。記憶を失う前の青山月子に憧れていたか戻りたがっていた気持ちが強かったでしょうから。しかしここにきて、月子さんは今の自分と居場所が見えてきた。だからこそ、「今の自分を好きになってもらいたいと、私が思っていいの?」と訴える月子さんは、力強い再生の意思に溢れているし、またそのメッセージが加賀美くんへの告白になっている。これが美しくなくてなんであろう。欲しいもの「…家」と答える月子さんの心情ともども、涙腺が緩まずにおれない。

 それにしても加賀美くんはできた男だ。(いわゆる)婦女子にモテモテなんじゃないか。人は、成長していくには他人が必要だけれども、とくに若い頃には、見返りを期待せぬ善意に満ちた他人の導きが掛け値なしに素晴らしい助力になってくれるものだ。「青山月子です!」は最後の最後でアンハッピーエンドを迎えるのではないかと予想したが、きっとそれは私の杞憂だろう。2/25を心待ちにするばかりだ。
 

Image - 2015-02-22 12.27.06.jpg
応募した。
 
posted by ぎゅんた at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 湯木のじん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

書評「受験生必読!医者の品格 医者の欲望」 医者不足とは、勤務医不足のことちゃうの


 医者コンプレックスまるだしの優等生が一気呵成に書き上げた本、という印象。なお著者は医師である。よくある業界内暴露本といって差し支えないが、色々と考えさせられるところのある本だろう。

 内容には賛同できる点も多く、面白くスラスラ読めるのであるが、感情に走りすぎて暴論になっている箇所も散見する。例えば、医者という職業の社会的ステータスを述べる話で、筆者は医者を「一般社会に出るとただのお客様」と評している。例えばの話で『事業家の集まり顔を出しても「何だ、医者やってるんですか」などと冷笑を含む対応をされることに(医者は)うすうす気づく』と説明している。これは分からないでもないが、乱暴な話ではないか。属種の違う集団にまぎれたら差異ある対応を受けがち、というだけの話だろう。そして、別に事業家と医者に限った話でもなんでもない。

 ただ、医者は世間知らずというのは正鵠を得ている。これは医者が高度に専門的な職種である以上、世間知らずになってしまう傾向にあることと、「医師は常に人間的に高度に秀でておらねばならぬ」と社会通念上、考えられていることが原因である。世間知らずといっても、常識知らずというわけでないが、一般的な感覚からするとエッと思うことを無自覚で実行してしまいがちな恥知らずというところだ。例えば、交通渋滞で学会に遅れそうな医学部の教授たちが、「パトカーに先導してもらおう」と平然と言いのけたというエピソードを私は思い起こす。自分たちは人命を預かる崇高な職業についているのだから、それぐらいの便宜が払われるのは当然と認識しているのである。現在、そんな風に考える教授たちはいないと思われるが、単に医者や医学部教授らの社会的ステータスが、確かに筆者のいうとおり「国民に少しも尊敬されていないので」ダダ下がったからとも言える。いってみれば医者たちが「無知の知」を得たわけであるが、当然、このほうが自然で望ましい姿である国民の大多数は考える。一方で、国民は心から尊敬できる医者に出会えることを常に切望しているものである。

 昔から語られていることであるし、私も思うのだが、学業に優れ偏差値が高いからと言って医学部入学を目指す風潮は誤りである。誤りの一言で済めば良いのだが、実際には国益を損ないかねないぐらい人材の喪失をきたしているのではないか。医学部入学試験をパスできるほどの知力(受験テクニックを含む)を備えた若者は、少なくとも同世代集団のトップレベルの頭脳を有しているわけで、そんな彼らがこぞって医学部入学一辺倒であることが正しいのだろうか。これは、使い古された「ペーパーテストが優れているからと良い医者になるとはいえない」論を超えて、より悲痛である。私もそう思う。「よくわからないけど、成績はいいし医学部へ」と考えている若者がいるなら、貴方のその考えは自分の将来を相当に不自由にするかもしれない、ぐらいは自問するべきだろう。

 とはいえ、高校生の身空で、将来の自己像を確立していたり就きたい職業が決定しているのは少数派であるから、「成績が良いから医学部へというのは軽率」と断ずるのは乱暴と反論が出そうだ。しかし、なぜ医学部を希望するのかを冷徹に分析すれば、間違いなく「医学部に入って医者になることで高い社会的ステータスと高収入を得たい」ことは否定できまい。否定しなくてよい。否定せず、それを受け入れ、それで、医学を学び何を実現したいかを考えることである。両親の後を継いで開業医を継承するのなら、単純な話、地元の国公立大の医学部に入学するのがベターである。世界的に活躍できる医学研究者を目指すなら東大・阪大・京大が最低限の安全キップになる。自己実現するためには、利用できるものは利用しきる姿勢で自助努力し続けなくては話にならない。

 これは私見だが、世には
「赤ひげ」のように我が身を犠牲にしても地域住民に尽くしたいとか、我が身ひとつ、無医村に従事して貢献したいと、いわゆるヒューマニズムに徹したいがため医者を目指す人間がいる。私は、青臭い書生論を唱えている口だけの胡散臭い存在だと思う。しかし、そんな人物がいても誰も咎めたてることはない。なぜなら、尽くしてくれる人情味溢れる医者がいて欲しいと考えるのは当然のことだからである。その真意のほどは、ただの国民のポジション・トークであって、医者を「自分たちに尽くしてくれる便利屋」と考えているだけのことだ。医者は専門的知識と技術を有する一人の人間であって、人並みに生活できる収入が得られて尊敬を受ける職業だからこそ医者をやっている側面がある。試しに、「医者に一切ありがとうを伝えない運動」を社会的実施してみるとよい。医者は仕事をしなくなるだろう。

 医者を志す人間が、医者を聖職と考えていてよいのはせいぜい入試の面接までである。
“If you're not a liberal at twenty you have no heart, if you're not a conservative at forty you have no brain.”
と述べたのはチャーチルだが、二十歳を過ぎて左翼的な理想主義者であるのは現実を知らなさすぎる(考えていない)。この言葉が誤りなら、無医村問題は解決しているかもしれない。無医村は無医村であり続けている理由が厳然と存在する。

 なお、作者が主張する「人格が未熟な医者・幼稚な医者だらけ」云々は、流石に言い過ぎである。こんなのはどんな業界でも、言える話で医者に限ったことではない。地位が人を作るという格言があるように、医者になってから目覚しく人間的成長を述べる人は多いし、例え世間しらすだったとしても医業を通じて人間的に矯正され成長していくものである。そうならなかった残渣は、確かに未熟で幼稚な医者であろうが、少数派であることは間違いない。医者も同じ人間なのである。「嫌なヤツ」なんてどこにでもいるし、波長が合わない人間は嫌なヤツと即断するのも人間だからである。
 
posted by ぎゅんた at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月01日

自分に合ったバゲットを探す愉しみ

2015金沢輸入車ショウに足を運んだ。時間と金の無駄だった。
以前の職場に挨拶に行った帰りに、当時行きつけだったパン屋「シエンブラン」に寄った。

私はバゲットが好で、パン屋を見つけるやいなやバゲットを購入してしまうのだが、パン屋の数だけバゲットの味が存在するように、その「美味しさ」は店によって全く異なる。その風味と味と食感のバランスは多分に個人の嗜好の影響を受けるから、自分好みのバゲットを探求する楽しみがある。なので、口コミで美味しいと名高い店のバゲットがあまり美味しくない(と感じる)ことはしばしば起こるのである。美味しいバゲットは、何もつけなくてもそのまま完食できる。クラスト口腔の粘膜が切れるぐらい硬く、口にすると鼻腔をパンの香ばしい風味が駆け抜け、噛みこむと小麦の旨味がギュッと染み出てくるバゲットが好みである。

私の気のせいでなければ、ここシエンブランのバゲットは、常に細かく美味しさが変わっていた。私の好みに合致していたときもあるし、その反対だったときもある。バゲットの細かな製法を私は知らないが、材料に限らず、生地の取り扱いや焼き方を様々に試しておられたのではないかと想像する。「シエンブランのバゲット」が正確なところで確立していなかったのかもしれないし、いつ原材料が変更になったとしても「シエンブランのバゲット」を常に表現できうる道を模索していたのかもしれない。

ぎゅんたはシエンブランを応援しています。
 
過去の記事「パン屋さんBoulangerie Chien Blanc ブーランジェリー シエンブラン」
posted by ぎゅんた at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | お店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする