2014年12月29日

書評「人を見捨てない国、スウェーデン」 高福祉の社会民主主義は理想郷


 スウェーデンは高福祉高負担で有名な国である。福祉の話題が挙がった時に、しばしば比較対象として俎上に載せられる。現政権の福祉にケチをつけたがる人に大人気の国なのである。

 通読してみると、スウェーデンはとてもいい国である印象を受ける。たとえ税負担が高くとも、高い福祉の対価であることが目に見えてわかるので、国民は納得して納税している。これは、自身に返ってくる社会福祉サービスが充実していることと将来・老後に対する不安が少ないからに他ならない。驚くべきことは、学費が原則、無料であることだろう。教育費ほど保護者を懊悩させる現実問題はないのだ。まるでパラダイスだ。一読した人は、だれしもそう感じるに違いない。

 日本でも本書に詳述されているスウェーデン式福祉が実現されることを祈るばかりだが、何ら一切の変化がないままであるのを見る限り、導入が難しいのだろう。既に構築された社会制度の変更は困難を極めるものであるし、財源確保が現実的な課題(導入抵抗)になるからだ。

 本書にはあまり追求がないが、スウェーデンはいま移民問題に苛まれている。ラディカルに「人は財産」と考え成立している社会民主主義のスウェーデンには、陸続きでもあることも手伝って移民を受け入れてきた。その結果、純スウェーデン人は緩やかに減少し、移民と混血人種が増加し続けて行くことになる。「人は財産」とするのなら、「スウェーデンが高福祉高負担のまま」存続していくのであれば、国民の人種は問題にならないと捉えているのかもしれない。移民問題はスウェーデンだけでなく、欧州全土で問題になっている。近い将来、欧州はイスラム系移民を筆頭とする人種のるつぼと化すと思われる。そこに残っているのは、体面上の国家と文化であり、純血統性は喪失している。国家を成す国民が純血種でないことは、国家の統一性と方向性の消失に他ならないから、形骸化した国家と文化だけが残ることになる。現代がいかにボーダーレスでグローバルな社会であるといえども、脈絡と受け継がれてきた国家が瓦解するのは人類にとって取り返しのつかない損失である。移民を受け入れるというのはルビコン川を渡ることである。「移民は受け入れます。その後、問題が生じたら、そのときの社会情勢を考慮して対応を行う」などと弥縫策を唱える政治家がいるとすれば、世界史を知らなさすぎると言わざるをえない。他国を制圧するときに大きな武力は必要ない。制圧は常に人種の入植が優先される。悟られぬよう、静かに緩慢に。気づかれたとしても、既に国家の中枢に人を食い込ませていればよいのだ。

 少子高齢化が喫緊の課題(いまさら対策を講じたところで遅すぎるのだが)である日本では、いまこそ移民を温かく受け入れるべきだと述べる専門家が少なくない。どれだけ無責任で能天気なものかと呆れる。正直に「賃金に文句を言わない底辺肉体労働者が欲しい」と述べるなら理解もできるが、そうしたことは一切言わない。社会を支える労働者層がいなくては国家国体の維持が不可能になるとか所得税がおちこみ「借金」が返せなくなるとか、地方が疲弊するとか、高齢化社会を支える介護の人材がいなくなるとか、およそ型通りである。共通しているのは「移民を受け入れないとみんなの生活が崩壊しますよ」なる脅しである。確かに間違いではない意見だが、これらの禍根は社会制度上の問題にあろう。その最もたるものが、怠ってきた少子化対策のツケである。結婚し子を産み育てる行為が、とてつもない経済的負担になるのだから、この部分の抜本的解決が必要なのだ。即ち、若者に充分な給料(年次増加して行くことが約束されている)が支払われることである。少なくとも、子を持ち育てることの経済的負担を大幅に下げなくてはならない。結婚し家庭を持ちたいと望む若者が経済的負担を理由に結婚できないままでいる社会状況は明らかに病的である。移民の受け入れを検討するまえに、少子化対策を最優先するのが筋であるし、最低でも合計特殊出生率を2.1以上に引き上げなくてはならない。本気で取り組めば必ず達成できる数値である。これが達成できないのは、国民が少子化対策に本気で取り組んでいないからである。繰り返すが、移民の受け入れは相当に慎重に判断されるべきものである。もし政府が「スウェーデンに倣って高福祉のために移民政策をとる」と言い出したら全力で阻止しなくてはならない。スウェーデンは移民政策で高福祉を実現したのではない。高福祉高負担の国に職を求めてきた移民を温かく受けいれたにすぎない。

 本書を読むと、スウェーデンは実に人間に温かい国だと感じる。それは、作者が終章で述べる、
スウェーデンでは、「人は財産」で、どんな人でも存在してくれているだけで、社会に貢献するものだと考えます。そこに人が居れば、その人の周りに活動・仕事が生まれます。マイナス二十度の厳寒に自然の中を歩いていると、そばに人が居るだけで「ああ、暖かい。人は貴重な熱源なんだな」と理解できます。そのためにみんながオカネを出し合ってスウェーデン社会をつくっていく、ハンディキャップのある人には社会がちょっとヘルプをして、みんなと同じスタートラインに立って頑張ってもらおう、と考えるのです。

からも伺える。深い人間愛に根ざすスウェーデンの国を感じさせる文であるが、残念ながらこうした人間の善意で成り立つ集団は他集団の食い物にされるのが現実だ。スウェーデンは、あと半世紀もすれば、形だけの国をのこして消滅するだろう。高福祉高福祉の国スウェーデンには、しかし純スウェーデン人は残されていないのである。高福祉は、自国民のみに限定したセーフティネットでなければならない。

 我々は島国のアドバンテージに甘えているだけでなく、いまこそ国家存続を憂い、真剣に議論しなくてはならない時にきている。本書を読むと、スウェーデン社会を羨ましく思う一方で、我が国の将来の舵取りに強い危機感を覚えるのである。

posted by ぎゅんた at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月20日

映画感想「バンクーバーの朝日」 はいはい日本が悪い戦争が悪い


まとめ
・駄作
・出演俳優のファンはどうぞ


1900年代初頭、多くの日本人が、
新天地を夢見て、遙か遠くカナダへと海を渡った。

しかし、そこで彼らを待ち受けていたのは
差別、過酷な肉体労働、貧困といった厳しい現実だった―

そんな中、日本人街に一つの野球チームが生まれる。
チームの名は「バンクーバー朝日」。

夢も希望も持てなかった激動の時代。
やがてチームは人々にとって、一条の光となっていく。
彼らは何を信じ、何を求めて走り続けたのか。
歴史の波間に埋もれていた“真実の物語”が
今、ここに甦る―


 設定を読むと興味を惹かれる人が多いのではないか。この作品設定を通じて、監督が問いたいメッセージは色々と作れると思う。物語に戦争が絡むからである。反戦映画にもできるし、史実を忠実に映像化した「その時代に生きた者を描く」ドキュメンタリ風にもできる。また、事実を元にした一種のサクセスストーリーを映像化することも。私は、この作品の広告文を読んで、最後者の物語が描かれるのだろうと思った。異国カナダの地で白人から差別を受けつつも懸命に生きた日本人移民の姿を描く感動作なのだろうと期待した。しかし、残念ながら期待にはこたえてくれなかった。なにを伝えたい映画なのか不明瞭であった。

 この作品のキモは、実在した野球チーム「バンクーバー朝日」にある。当時のカナダ人と比して体躯に劣る彼らは、パワープレイでは力負けして勝てない。そこで俊敏な機動力を発揮した頭脳プレイ「brain ball」で対抗して勝利を積んでいく。そして、カナダ人たちに一目置かれ始めるようになる。痛快な話だと、あなたは思うだろう。今も昔も、日本人は白人に劣等感を抱き、差別され続けていると感じているからである。ただ、少なくともそれは、現代よりも当時の方が苛烈であっただろう。白人の多くは非白人を同じ人類とみなしていなかったし、差別行為が差別だと認識していなかった。現代はそうではない?そんなはずはなくて、相変わらず白人は非白人に対して潜在的優越感を抱いているし、隠しもしていない。しかし、それが差別だと私は思わない。日本人も、日本人以外のアジア人に優越感を抱き、差別意識を持っているからである。「差別は人類愛の欠如」だの「差別は貧しい道徳心から生まれる」だの、さも現代文-評論で俎上に挙げられそうな題材があるが、馬鹿らしいにもほどがある。差別はあって当然である。差別を超えたとろに人間の愛や徳がある。決して道徳が前提にあるもにではないし、あってはいけない。人間の頭の中身など文明が生まれた頃から一切の進歩もしていない。

 映画では、白人に差別を受ける日本人移民たちの姿が描かれる。繰り返すが、当時の白人は非白人を人間とみなしていないのが常識であったから、ごく自然なことである。もちろん、主人公の妹が接していた博愛的な白人も存在したわけだが、例外にすぎない。白人たちがインチキ審判に「フェアにやれ!」と声をあげる場面もあり、ヒューマンドラマを垣間見せるものの、これは日本人を認めているというよりは、面白い試合を観たいからこそルールを守れ(フェアにやれ)と言っているにすぎない。

 この作品、感動作をうたっていながら、鑑賞して、どこに感動するポイントがあったか説明することができない。強いていえば、主人公らの野球に対する想いだろうと思えるが、それにしたって描写不足が否めない。なぜ彼らが野球が好きなのか、野球を続けているのかの説明すらないし、勝利を収めるに必要であろう練習シーンも殆どない。異国カナダでの野球こそがこの作品のキモだろうに、なんら、説得力がないのだ。肝心の試合シーンにしても、ただバントと盗塁で勝利しているようにしか見えない。序盤と中盤でチームメイトが数人、抜けているのだが、補充選手はどうしたのだろうか。この作品を観た野球好きが「野球を舐めるな」と激怒しやしないか心配になる。

 肝心の野球シーンに説得力がないので、残るは戦争と人種差別あたりで作品の評価が決定する。だが、観ればわかることだが、なんら心に響くものはない。フジテレビ55周年記念作品で電通が絡んでいるとくれば期待する方が愚かなのだが…要は史実をタテにした日本人揶揄である。酷いのが、「白人にブチかましたれ!」と声を荒げている日本人移民コミュニティの大人たちが、結局は彼ら自身は声をあげてブチかましてもいなかったように描かれていることだ。いっちょまえなことを言うだけは言うが、バンクーバー朝日の勝利に乗っかって喜んでいるだけの存在に描いてやしないか。そもそも日本人移民コミュニティの面々に魅力があるかといえば、無いのである。あえてキャラクタを掘り下げなかったのかもしれないが、それをバンクーバー朝日の選手らまで徹底しなくてもよかろう。最後まで登場人物らの区別が難しかったが、いかがなものだろう。有名俳優を起用しているようだが、世間には私のように俳優に一切興味のない観客だっている。滑舌が悪いのか方言まじりなためか登場人物らのセリフも実に聞き取りづらい(気のせいではない)のもマイナスだ。主人公が現代若者が東京弁で喋っている珍妙なスタイルで鼻につく。

 この作品の主人公は、主人公の妹エミーではないかと思う。「(奨学金が得られなかったことには理由があるのですが、)私はこのカナダという国を好きでいたいので(話しません)」と述べるシーンは美しかった。これがこの映画の全てで良かろう。

 その後、彼らが具体的にどうなったのかは、描かれない。日本が真珠湾攻撃を行って開戦したことから敵性外国人となった日本人移民は収容所送りとなり、移民街もバンクーバー朝日も消滅して終わったと語られるのみである。
 
posted by ぎゅんた at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月15日

漫画感想「青山月子です!」別冊マーガレット1月号 あぶれた藤本君問題

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今月号の付録「2015別マカレンダー」より。微デフォルメイラスト愛らしすぎ問題

 掲載位置が本誌後半でどことなく先行きが心配な「青山月子です!」も第三話。作者である湯木のじん先生の作品の特徴に、漫画的ご都合展開を感じさせずに若い子の澱のない心理描写を描く「日常系」があると考えている。例えば、子どもは純粋に悲しかったりすると泣くものだが、成長して大人になるに従って、泣く行為に打算がつきまとうようになる。悲しいから泣くことも勿論あるけれど、泣いている自分を客観的に眺めて思考していたりするものだ。しかし、子どもは、悲しくて泣くときは胸の中がただ悲しみだけでいっぱいになっている。これを未熟な幼児性心理と捉えるか純真無垢であると捉えるかは人それぞれだが、私は、その純粋さに焦がれる。だから、私は湯木のじん先生の作品が好きである。

 最近、眼鏡っ娘になったらしい作者は、所々にシュールなギャグを挿入してくるが、それも作品に明るさのアクセントをもたらしているので好きだ。清潔感のある画にあって、シュールなギャグが緩急のマッチをもたらしている。ちょっとしたデフォルメが上手だからだろう。単行本「藤代さん系。(1〜4)」の裏表紙イラストにしろ、今月号の付録のカレンダーのイラストにしろ、まるで絵本の一頁のような愛おしさがある。

 第三話では、クラスに自分の居場所を得た加賀美くんに対する月子さんが描かれる。加賀美くんは自分を出すことで結果として周囲と打ち解けているのだけれど、月子さんはそうではない。記憶喪失前の月子さんもまた、きっと加賀美くんのように皆に囲まれる存在であったはずだ(名前のとおり、加賀美くんは「鏡」をかけているのだろう)。
 だからといって焦燥感にとらわれたり嫉妬するような月子さんではない。マイペースなままである。一方の加賀美くんは、身辺感情にひと段落もつき余裕が得られたことからくる慢心から、月子さんを上から目線でみてしまう保護者的意識が芽生えつつある。これは恋慕感情というよりは、少なからず親睦があることからくる仲間意識にすぎないのだが、月子さんは加賀美くんが自分を信じていないと感じたのであった。ふたり意識の齟齬である。第四話でどうなるのか、来月号が待ち遠しくて仕方が無い。


まとめ
ぎゅんたは湯木のじん先生を応援しています
posted by ぎゅんた at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 湯木のじん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする