2014年08月31日

映画感想「ハミングバード」安酒でも飲んでないとやってられないぽ


まとめ
・アクション映画と思ったら肩透かしを食らうこと請け合いの渋い社会派作品
・不味い英国料理は幅を利かせない。もっぱら酒


*** This review may contain spoilers ***


 イギリスといえば大英帝国。「ユニオンジャックの翻るところに太陽が没することなし」は過去の栄光なれど、いまだ世界に大きな影響を与えリードしている大国…のはずである。

 この映画を面白いかつまらないかで評価すると、私は面白い映画だと思った。ジェイソン・ステイサム主演のアクション映画であることを期待すると「あまり面白くない」になる。一方、アクション映画と思わずに主人公の男の姿を現在の英国に重ねて見るとなかなかに興味深く感じられる。製作者らにその意図がどこまであったかは分からないが、ジェイソン・ステイサムは英国出身の名俳優であるし、私の気のせいではないと思う。拙い表現になるが、この映画は英国の真の姿をありのまま、主人公に投影させているように感じられてならなかった。

 英国は決して人道的でも国際貢献を果たし続ける国ではない。一方的な植民地主義で搾取し続け、二枚舌外交で各国を混乱、争いを煽り立て、身分の低い自国民を労働階級に押し込め歯車としてきた。英国は紳士の国といわれる。それは、嘘ではないが、あまりにも美化した表現だ。実際は格差と階級が厳然と存在する、息の詰まるような差別的な社会である。それでも、世界一の大国であったのならよかったのかもしれないが、現在の英国が長い斜陽に突入したまま停滞し続けているのは周知の通りである。加えて、金融立国として経済を持ち直したかと思いきや、貧困層(低階級の労働者)は貧困層のまま抜け出せず、未来に希望も抱くことができず鬱屈しつづけている。過去の栄光を忘れることができずにいる(階級社会も差別も「伝統だから」で済ませているところがある)姿は、いってみれば英国らしいとも言えるが、英国民が潜在的に抱いている自国への不満は相当なレベルにあることは間違いあるまい。

 この作品からは、現代の英国民の、英国に対する怨嗟の声が聞こえてくるようだ。ロンドン中に設置された監視カメラの檻の中で生き、暴力や違法行為を黙認してまで中国人と手を組み(利用し利用され)、格差を金で解消しろというのか。一方、ここには「自分の能力でもなんでも使って利息で生きろ」という人生訓が込められてもいる。主人公は元特殊舞台の軍曹であり、身体に染み込んでいる殺人能力を活用して金を稼いでいくからである。現在の英国が、このように利息で生きていくには、なにがあるだろうか?

 私は英国が好きでも興味があるわけでもないが、この映画を観て感じたのは、いま述べた通りのことである。英国の未来は暗い靄に包まれている。しかし、我ら日本とて例外ではない。

 私はここで、スマイルズの名著「自助論」の訳者、竹内均の解説の一文を思い出すのである。
 
 (略)このような最盛期のイギリスを支えたのは、自助の心を持ったイギリス国民であった。本書の冒頭で、スマイルズはそのことをはっきりと書いている。これをうらがえしにしていえば、そのころに比べて現在のイギリスの勢いがやや衰えているのは、自助の心を持ったイギリス人の数が少なくなったからである。いわゆる成熟病がイギリスに災いしたのである。
 現在の日本は、日本や世界の歴史にもなかったような自由と繁栄を楽しんでいる。この自由と繁栄がどこまでも続くことを私は願う。それには成熟病を防止すればよく、それにはイギリスの最盛期に書かれたスマイルズのこの「自助論」を読むのがよい。(略)


 要所に挿入されるアクションはステイサムらしい肉弾格闘がメインで見所がある。アクション大作ではないが、眼鏡っ娘シスターと主人公の対比を楽しめるハードボイルド作品でもある。英国社会に精通している人は、見所やメッセージの気づきポイントが多くてより深く楽しむことができるだろう。ストーリー展開が都合よすぎるとか、浮浪者生活を共にしていた少女への主人公の想いの深さがサッパリ説明されていないとか粗い部分も目に付くのだが、たとえその部分の説明があったとしても作品から伝わってくるメッセージにはなんら影響がないので気にかける必要はない。大傑作ではないが、渋いつくりの映画である。
 
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2014年08月27日

書評「金持ちいじめは国を滅ぼす」 これでは子どもたちも切れるわけである


2007年に出版された本。
時代背景がやや古いものの、述べられる意見は普遍的なものが多く、著者の主張は太く一貫している。軽妙洒脱とした語り口で、よく言えばフランクで親しみやすく、悪くいえば感情的。グローバルの中にある日本経済を題材に、現代人はいかにあるべきかを再考させてくれる本である。

内容は、大きく3つのステージを行き来している。重要なこと(作者が伝えたいこと)が繰り返し述べられる形式となっている

[横並び意識の日本人〜その濫觴と現代社会との不一致気づいているか。学び考えることの放棄してまで他人と同じでないと安心できないのか?]
[世相「金持ち優遇はけしからん、優遇すべきは貧乏人だ」がいかに浅薄で国を傾けるか]
[資産家や投資家には相応しい振る舞いがある]

著者の一貫した主張とは
・恵まれた社会にいることに気づかないままでいいのか
・『「投資」の要諦は、いかに社会に役立つか』である
・金持ちは、志の高い資産家でなければならない

著者の考えは、私の考えと重なるところが多く、読んでいて膝を打つ箇所が多かった。テレビに代表されるマスコミが嫌いな姿勢も、そりゃそうだろうと同意せざるを得ない。マスコミこそが著者の主張をスポイルしている主犯に他ならないからである。泣く子と地頭には勝てぬ小作人DNAに支配される日本人は、声の大きいマスメディアのいうことを盲信しがちだが、一方で自分自身で考えることを放棄している国民が少なくないことも示している。

ところで、著者は繰り返し「自分の頭で考えて判断・行動すべき」述べるが、実はこれほど難しいことはない気がする。「自分の頭で考え」るにしても、具体的にどうこうして「考え」るべきであるかの記述はない(それ自体を考えよとのことだろうが)。繰り返し述べられるフレーズでもあるから、その点では無責任な印象を読者に与えることになってはいないだろうか。著者が本書で批判している人たち(主にマスコミ、官僚、政治家)も、彼らなりに自分の頭で考えて行動しているはずだが、その辺について特に説得力のある説明はなかったのは残念だ。

とはいえトータルで判断すれば、本書はとっつきやすい知的な良書のひとつである。機会があれば一読しておくべきであろう。現代文の模試で出題されたら、受験者は続きが気になって本屋に足を運ぶであろう面白さがある。小難しくなく読みやすいのはいいことである。

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2014年08月25日

映画感想「イントゥ ザ ストーム」無人島に持って行くべきアイテムNo1は伊達じゃない


評価の概要
・ディザスター・ムービーの傑作
・PG-13 グロいシーンはない
・序盤20分はだるいが、雹が降り始めてから一気に面白くなる


自然災害モノは昔からある映画の題材のひとつであり、ジャンルである。
その構成にはテンプレがみられる。

1.何らかの理由で災害源に近づくことになる
2.主人公らは専門家やナード(オタク系)
3.ジョッグス(体育会系リア充)粋がって死亡
4.災害から生き延びるサバイバルものに
5.大自然の厄災には勝てなかったよ…
6.でも家族がいる、愛するものがいるからいいんだエンド


およそこんなところである。
予想のつく内容、約束されたB級映画、後追い類似作品の乱発etx
などのフレーズが思いつくことだろう。

この映画も、きっとその例に漏れまい。
そう思いきや、この映画の根底に流れる温かいヒューマニズムはこれを真っ向から打ち負かした。意外性を強調させることなく巧みに回避することに成功した、と表現する方が正確かもしれない。その上で、本作には現代的なアレンジが加わった。携帯電話やデジカメ、ハンディカメラといった、一昔前では考えられなかった映像文化の小道具がそれである。

映画「イントゥ ザ ストーム」のメッセージは、私が受けた感じ、以下のようである。
1.貴重な映像を追い求める気持ちは分かるし、得られた映像に情報価値があるのは確かだが、我々にはもっと大切なものがあることを忘れてはならない
2.(現在の)米国市民はオバマ大統領を支持していない


携帯電話やデジカメの機能が向上し、だれしもが、過去の時代と比較にならないほど手軽に容易に写真や動画を撮影できるようになった。誰だってスクープ映像を取れるチャンスが与えられた時代になったのである。素人の撮影した動画がニュースに使用されることも珍しくはなくなったし、動画投稿サイトでは名もなき一般人の投稿が再生数を稼く人気動画となる。一方、これの行き過ぎが「目の前で救護を要する人を写メする人々」であり、俗人の功名心が公のモラルを上回る例として有名である。我々の眼前に生じるあらゆる事象が、SNSに投稿する題材であるはずがない。携帯カメラやデジカメへの度が過ぎた依存の先に、幸福が待っているのでしょうか?落し物や忘れ物があるのではないですか?
本作にはこのようなメッセージが込められている気がしてならなかった。

オバマ大統領に似た校長は、悪い人間ではないのだが、頑固で現状認識力とリーダーシップに劣る人物として描かれている。


ストーリー自体は自己主張に乏しい。なにしろ、用意されているストーリーが『前例のない規模の竜巻に襲われたアメリカ中西部シルバートンの一日を描く』なのである。映画の世界観も竜巻の巨大さに比べれば実に小さい。なにしろこれだけの巨大竜巻による未曾有の大災害を受けても、映画の世界はシルバートンで殆ど完結しているのだ。こうした世界観の小ささは映画をスポイルさせる致命的な材料にしばしばなりうる。語られる内容の信憑性が、たとえ架空の世界のものだとしても歪な違和感として脳裏の警報ベルをけたたましく掻き鳴らそうとするからだ。だが、本作では決してそんなことはなかった。世界観の小ささ。それは確かに在るのだが、エンドロールになだれ込むまで全く気にならないのである。登場人物らは巨大な竜巻から逃げ、ただ身を守ることしかできない。人間は大自然の猛威からすれば塵芥にすぎないが、生き延びるために懸命に行動し仲間と助け合う様は、根源的な生命な力強さを発揮してやまない。私がハッとさせられ、そして嬉しい気持ちにさせられたのは物語り後半にある。主人公らが竜巻の脅威が桁外れなことを目の当たりにし、本当に大切な気持ちに気づき始めるあたりに相当するが、もうこの頃は登場人物らが誰一人として死なず助かって欲しいと切望させられている自分に気づいたのだ。

こうしたジャンルの作品では、中盤以降にモブキャラや悪役の無残な死がつきものだ。
観客への刺激と尺伸ばし、ストーリーの進行のために、どうでもいい被害者役か観客の溜飲を下げる生贄役が殺されるわけである。「13日の金曜日」シリーズでいうリア充カップルみたいなものだ。
しかし、本作ではそのようなシーンはあえて撮られなかったようだ。そのことに関する製作者らの真意は分からないが、この作品の根底には温かなヒューマニズムが流し込まれていることは分かる。それは決して押し付けがましくなくも優等生然としたイヤミさもない。それは、登場するキャラクターたちが、本音のところでは素直で正直で気持ちの良い人間たちで構成されていることにも表れている。

どんなに過酷で凄愴とした悲劇に見舞われようとも、生き延びることが出来たのなら、我々は家族や仲間たちと手を取り合って立ち上がることが出来る。文章にすると青臭くて恥ずかしいスローガンのようだが、本作の素晴らしさは、物語の最後にこれをさらりと纏め上げ観客を心地よくエンドロールに連れて行ってくれることにある。

本文中には触れていないが、竜巻の映像と迫力はかなりのものなので、興味のある方は是非とも劇場に足を運んでいただきたい。字幕担当はアンゼたかし氏である。
 
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2014年08月20日

エクスペンダブルス3 GAIJINたちの反応は

The Expendables3.jpg

待望のエクスペンダブルス3だが、海外ではもう封切りされている。
映画の評価はどうであるか気になったので調べてみることにした。


レビュー評価は

1.大絶賛
2.大否定
3.平均以上80点


に大別される。

駄作というわけではなさそうだが、最高と最低に二分されるということは、明確な理由があるはずだ。そして、評価者の考えには一定の傾向が見られる。

まず、評価を下げている原因の多くに、本作がPG-13指定であることが挙げられている。シリーズ最多の死傷者をだすバトルが用意されているのに、蜂の巣にされようが血の一滴も吹き出さないし、欠損表現もみられなず、そんな不自然な話があってたまるか、何の冗談だと不満の声が述べられている。children-friendly.もしこれが本当なら、私も多いに不満に感じることになるだろう。ランボー4以来、スタローン作品には蠱惑的なゴア表現を期待してしまうからである。エクスペンダブルス1.2のゴア表現が特別に過激であった覚えはないので、この不満の意味は、今回の殺劇は本当に何ら一切「出血のない」人形劇のような内容を示しているのではないか。

次にみられた意見は「退屈なアクション」であった。穴だらけのプロットにアクビがでるアクションが乗った映画なのだという。何ら記憶に残ることのないアクション。ジェット・リーは五分ぐらいしか登場してねえ。マイケル・ベイの映画よりも緊迫感がないetc。
ケチョンケチョンだが、一方で、最高のアクション!と褒めちぎる評価者もいる。
否定的意見を述べる人には一貫した共通点があって、初代と前作を高く評価しているのである。

彼らの考えを無理やり要約すると

エクスペンダブルス・シリーズはいまや歳をとったオールド・アクション映画ファンのために撮られた映画であって、ノスタルジーだけでなく、過去の作品にまつわるネタをギャグに楽しめる娯楽作品でもあるし、そうであり続けて欲しい。

…といった思想であるようだ。
オールディーたによるオールドたちのためのお祭り映画に込められた哲学を重んじている人たちである。年月と共に老いたかつてのアクション俳優をも、我々は(エクスペンダブルスを通じて)愛するようになった。続編を重ねようと、新要素や凝ったバックストーリーや革新は必要ないと、そう考えているのである。

本作は、従来のファンたちのみならず、新たなファンの獲得を視野にいれて撮られたようで、それがPG-13指定と新キャラ(ルーキーズのメンバー登用)の登場に表れている。それが、オールドファンには余計なこと、裏切り、日和ったと捉えられたようだ。誰のための映画か?ファンも消耗品だというのか?


予想される「3」の内容
出血やゴア表現が一切なく、ストーリーは相変わらずで、ジェット・リーの出番は五分で、若い俳優が新エクスペンダブルスのメンバーとして加わる

そんな映画のようである。

個人的に期待している"Doc"ウェズリー・スナイプスは好演で悪い評価は全くないが、ストーリーに不可欠なキャラかといえばそうでないような…と言葉濁したコメントがあった。そして、映画「ブレイド」のようなブラックロングコートに日本刀スタイルではない様子。がっかり… 陽気な黒人役で決まりか?

とりあえず日本では11/1公開予定です。


iPadから送信
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2014年08月17日

茶室への誘い

sadou.jpg

「明日、お茶しない?」との友人の誘いにホイホイついていくとそこは茶室であった。
なお、私には茶道の素養は一切ない。畳のヘリを踏んではいけないとか、茶道=和菓子タイムぐらいの認識である。

茶道は総合芸術(なんて便利な言葉だ!)なので私ごときがアレコレと語ることはできないほど奥深い世界だ。意外だったのは、茶道には作法があり、ガチガチに厳守されるものだと身構えていたのだが、案外にそうではなかったことである。茶室空間は民家の一室にすぎないくせに世俗から隔離されたような独特の空間であるから、作法に反すればぶっ殺されても文句言えないような厳粛さがあると思っていたのは手前勝手な杞憂にすぎなかった。
勿論、無作法な振る舞いは慎まねばならないが、茶室における作法とは人と人とのコミュニケーションの真髄でないかと考える。要は他人に失礼がないように振る舞うことを心がければ間違いではないハズで、そこに慮りを加え無駄な動作を削ぎ落として行った先が茶道における作法の入り口になるのだろう。うまく言えないが、間違いではあるまい。正解でもないだろうが。

なにはともあれ、茶道なる文化に興味を持つことができたので、よい体験であった。さっそく図書館で「もしも利休があなたを招いたら」を借りてみることにしたが、これが滅法界なく面白いのである。茶道の入門書というよりは、茶道がどのようなものかを数多の雑学を交えながら分かりやすく知ることができる本である。「文化は日常のエアポケット」というのは実に面白く的を得た表現である。

茶道に邁進し免状を取る未来はないと思うが、禅や日本文化につながっている茶道を少しでも知っておくと、今後、文化的な共通点に気づく知的な瞬間に出会えるかもしれない。教養として後々、得をすることもあるかもしれない。茶室に足を運ぶのは敷居が高いが、茶道を通じて知識を広げていくことならできそうだ。
 
posted by ぎゅんた at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画以外の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月16日

映画感想「思い出のマーニー」成長するには他人が必要だ


まとめ
・静かに感じ入ることのできる名作


原作があるようだが未読。
不思議な体験を通じた少女の成長物語を描いている。


本作の監督は「借りぐらしのアリエッティ」の米林宏昌。また前半戦だけのアニメなのだろうか…と危惧していたが、それは杞憂であった。
私の理解不足か、尺の問題か、監督の意図したものか、説明不足及び展開が拙速(乱暴)に感じられる点もあったが、全体としてみると破綻なく仕上がっている。米林監督は確かで見事なバランス感覚をもってこの物語をまとめ上げたと賞賛されるべきであろう。

ケチをつける/ツッコミをいれる/不思議に感じた点を述べようとするなら、それは少なからず散見している。

・杏奈はなぜ絵を描くことが好きだったのか
・初めて湿っ地屋敷を訪れた杏奈はなぜそこで昼寝したのか(眠かった?)
・幼少時の杏奈が抱いていた人形はマーニー?
・初めてのボートで「下手っぴ」なはずだが、真っ直ぐブレずに漕げている杏奈さん
・村の子どもたち登場しなさすぎ
・いくらなんでも夜遊び外出しすぎ
・杏奈の妄想だったのか、マーニーの思い出の世界に杏奈がトリップしていたのか、マーニーの幽霊の仕業だったのか、判然としない


とまあ、思いつく限りソコソコあるが、この物語はファンタジーなので気にしてはいけない(気にする必要がない)。気にならないわけではないが、観終わってみるとアレはああいう意味だったんかなと釈然としないながらもセルフ納得してしまえるので、不満に直結はしない。世界観や内容が自分好みであったから、贔屓の目で評価していることも否定しない。私は勝手な人間なのである。


周囲と一線を画すように距離をおく杏奈は、いじめられっこではないが、集団と距離を置いている13歳の少女である。幼いころは明るく活発であったというが、今は他人に心を閉ざしているかのようだ。喘息もちで、その療養のために夏休みを利用して札幌からやってきた(釧路の漁村?)。

喘息を治すための療養、ということで空気の綺麗な(大気中にアレルゲンが少ない)場所に移ることを考えるのは自然なことだが、一方で環境を変えることで喘息を克服させる狙いもあるようだ。杏奈の場合、喘息の原因は心理的要因(ストレス)の影響が強いであろうから、この療養の狙いは後者ではなかろうか。精神科医・中沢正夫氏の著書『捨てる旅」に以下のような記載がある。

ストレスに対象する最良の方法は、「時々、日常性をブレークすること」そして」現場から物理的に離れること」である。離れることによって自分が見えてくる。自分と職場の関係、自分の価値観は今、どこで、何と圧迫されぶつかっているのか、などが見えてくる。こうして人は、再び、自分を取り戻し歩きはじめることができるのである。


自らを、それまでとは全く異なる環境におくことは、自分の内面をリセットする上で有効な手段である。環境の変化が、精神衛生の改善に有効に働くのである。旅行やあてのない一人旅が好きな人は、心理的ストレスを解消させたいと願っているかもしれない。そして異国に飛び出して行く若者はいつの時代になってもいるものだ。安っぽい言葉を借りれば「本当の自分探し」と言ったところだ。本作の杏奈も、知ってか知らずか、これにあずかっているといえよう。「思い出のマーニー」は杏奈の成長物語だからである。実際に物語後半では、杏奈が喘息もちであったことを観客も忘れている塩梅だ。これは、杏奈は喘息を含めて克服したことを示している。

杏奈は、マーニーと出会って自分を受け入れられたのである。マーニーを通じて自分をしり、自分が好きになったからである。我々は、自分が成長するためには他人がいなくてはならない。他人を通じて、自分を知り、成長するものだからだ。触れ合い、本音を語り、さらけ出せる相手が必要なのだ。自己は、親や友人を含む第三者が存在する社会の中で相対的に形成されていく。ときとして、その環境が本人にとってあまりな過大なストレスになりすぎたとき、ブレーキとして作用して己を見失うことがある。


マーニーは、現実世界に現れた霊魂だったのか、杏奈の空想上の産物だったのか、現実と異世界とのあわいの邂逅劇であったのかは釈然としない。杏奈の記憶の深淵にある祖母に関する情報の投影が考えられるが、しかし、詮索は瑣末なことだ。杏奈はマーニーと触れ合うことで自分を知ることができたからだ。文章にするとひどく素っ気ないけれども、フィルムでは二人の交流は幻想的で実に美しい。互いが互いを否定することをできようはずはなく、愛おしく、存在を求めあう様は尊く、言葉にできぬ情動が心を揺さぶる。キャッチコピー「あなたのことが大すき」は扇情的に思えるが、機微をついた名コピーであることに気づかされる。

子どもであれ成人であれ、まずは自分を受け入れなくてはならない。欠点も長所もひっくるめて、自分が好きであらねばならない。そして子どもには、理解ある保護者と大人たちが必要なのである。


「かぐや姫の物語」でも感じたが、ジブリは少女の成長物語をアニメーションで仕上げることに強い執念か拘りがあるのだろうか。子どもウケは悪そうだがこの路線は決して嫌いではないので続けて欲しいとおもう。そして、シナリオは原作抜きの、ジブリオリジナルを期待したいところだ。
 
posted by ぎゅんた at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

映画感想「GODZILLA ゴジラ」原作愛を感じる


まとめ
・今回はファッキン・イグアナ・ムービーではない
・家族愛をおもわせる人間ドラマが強調されているが、本質的に人類は蚊帳の外であるのが心地よい


ストーリーは原作を踏襲しており、幼稚さや目だった破綻も無く組み立てられている。人類の手にした原子力とその扱いについて、我々はどうあるべきかを考察させる内容になっているような気がするが、難しく考える必要はない。要はゴジラさんが目障りな敵をブチ殺してノシノシ海に帰っていくお話である。人間側はアレコレと翻弄されるだけで、抵抗むなしく蚊帳の外である。大災厄同様、巨大生物からは逃げ惑うしかないのだ。

…だが、それだけだとあんまりなため、本作では異常に悪運の強い主人公アメリカ海軍大尉がちょこっとアシストっぽいことをやり遂げる(ゴジラに対して行った行動ではないが)。しかし核爆弾のアナログセットも60秒で解除できるらしいが、肝心のケースが開けられなかったので沖に流して処理するあたりは高度なギャグ。アメ公は核爆弾をフレンドリーに描きすぎ。ゴジラがテーマであるから、監督なりの皮肉かもしれんが。

ゴジラは破壊者であって人類の見方ではない。大自然の驚異や原子力同様、人類に制御しきれない恐怖の力の象徴でもある。ムートーが敵なので倒しただけである。「敵の敵は我が見方」の諺にあるように、結果論からすればゴジラは救世主に相当するかもしれないが、建造物を破壊して放射熱線を吐くことで放射能汚染を巻き散らかす救世主はちょっと迷惑である。過常武装過常火力で敵を殲滅圧倒する米軍を示唆したのかもしれないなるほど、マッチョで格好良いゴジラのスタイルはアメリカ人の好みに合致しそうだ。

続編のロールアウトは確実なようだが、次作はどうなるのだろうか。
ゴジラさんが新たな敵をブチのめしてノシノシ海に帰っていく物語であってよいが、おそらくそうはならないだろう。どうせゴジラを制御しようとして失敗して返り討ちにあった人類をよそ目に敵をブチのめしたゴジラさんがノシノシ海に帰っていく話になるだろう。まさか宇宙人が攻めてきて人類と共闘するとかはあるまい。ゴジラはアメ公であっても決して制御できないのである。



・日本人の家族を演じる人たちが日本人にみえない(顔がどうみても中国・韓国系)
・警察署でガラウケにきていた若者の家族の会話がアテレコで格好も意味不
・立ち入り禁止区域の雀路羅原発跡地の雰囲気がコッペリオンっぽい
・破壊されるサンフランシスコが映されるシーンでやたら中華街が強調されている(中国市場でウケる為の配慮だろう)
 
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2014年08月14日

映画感想「トランスフォーマー ロストエイジ」


まとめ
駄作


吹き替え2D版鑑賞。
もう四作目に当たる本作は、過去三部作に決別がつけられた新章となっているらしい。CG技術の発展と実験のためには本作のような映画が必要なのかもしれない。

映画「トランスフォーマー・シリーズは、初代から、ど肝を抜かれる大迫力ジェットコースター・ムービーとの評価であった。要は原作「トランスフォーマー」をネタに派手なアクション映像を楽しむだけの、ストーリーはただの添え物にすぎない大作映画、ということである。ストーリーに感動したり、なにか知見が得られたりするような文化的な側面はない。大迫力の映像を大画面で堪能して、楽しく時間が過ごせればいいだけの映画である。なので、一般的な家庭用環境で視聴するとかなりのスポイルを喰らう。では、映画館で鑑賞してつまらなかったら?駄作と断じて差し支えない。

制作費200億円突破の超大作。こんなのが撮れちゃうのは世界広しといえどハリウッドだけの特権かもしれない。しかしその実はなんのワクワクもドキドキも得られない退屈な映画だった!
3時間近い上映時間は、本来はこのような娯楽大作ではありがたいご褒美であるはずなのに拘束時間に等しい。まだ続くのかと時計を確認したくなること請け合いだ。どうしてこう退屈なのか?fu@'n boring suuuuuucks!!

改めて述べるが、映画「トランスフォーマー」に質の高いストーリーなど観客は求めていない。大迫力の映像のシャワーを心地よく浴び続けられる非日常的娯楽時間を享受したいだけだからだ。

そして「トランスフォーマー」の肝要は機械の変形ギミックとロボット生命体のバトルアクションにある。我々い馴染み深い機械たち(特にクルマ)が変形してロボットになるのだ。こんな興奮するフィーチャーが他にあるか!それなのに本作では変形シーンが少なくそっけなく製作者の拘りや熱意が全く感じられないのだ。これだけでこの映画の価値は半減している。そのうえに人間キャラのドラマがイチイチ合間合間に挟み込まれるのだが、これが上映時間の望まれない尺伸ばしにしか感じられず鬱陶しくて仕方が無い。そもそも人間キャラのドラマが、ありきたりで使い古された設定だらけで新鮮味のカケラも魅力もなく、その存在意義に首を傾げざるを得ない程度の酷いものだ。そこに全く面白くないスベりまくったギャグがぶち込まれる。寒い空気が劇場に流れる。アメ公のギャグセンスを疑うわけではないが、少なくともこの映画のコメディ要素は壊滅的で椅子から滑り落ちそうになる。

ストーリーについてアレコレいうことは、本来は野暮なことかもしれない。しかしこれだけ費用をかけた大作が、こんなに酷くていいのか観客を不安にするレベルであってはならないだろう。原因は人間キャラクターを中途半端に戦いに絡ませたからだろう。オートボットらの戦いは、人間はどうしても巻き込まれる被害者にしかならないのだから、現場で共闘させる必要などあるまい。そもそもオートボットという巨大で素早い動きをするロボットが暴れまくってるそばにいるだけで人間は吹き飛んで死んでしまう。平然とそばでウロチョロしたり助けてもらったりしている姿は滑稽を通り越しているし、「どうせ主人公らは怪我もしないし死にもしないのだな」と観客に致命的な安心感を与えてしまう結果になる。なので、ハラハラと手に汗を握る興奮などこれっぽっちもない。

映画「トランスフォーマー ロストエイジ」はこれが延々と繰り返される。同じことの繰り返しだ。オートボットたちと交流する人間キャラの存在はストーリー上、必要不可欠なことは分かるが、駒として動かすならもっとクレバーに使い分けなくてはならないだろう。とりあえず主人公ら人間代表が地球の危機を救ったどころか危機を招き被害拡大をもたらした戦犯でしかないので、残ったオートボットらの庇護があっても平穏な日常には戻れないだろう。なにが卒業式には出られれるねだ。その人をイラつかせる能天気さはどこからきた?チート使ってゲームをクリアした達成感か?重積した吊り橋効果による昂揚感か?観客はバカだから騙せるってか?


劇場に足を運ぶ前に
エンドロール後におまけシーンは一切ないことを知っておく必要がある。貴方の貴重な時間を無駄にしないためにだ。

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2014年08月09日

映画感想「STAND BY ME ドラえもん」 精神病者学芸会


まとめ
・ドラえもんになんの思い入れがなければどうぞ。


「ドラえもん」は原作漫画とアニメで完成・完結していると捉えている人にとってこれほど不快で失望させる作品はないだろう。だれも3D化もくだらない原作改変もお涙頂戴芝居を望んでいない。「さあ泣け」とばかりにドラえもんを利用しただけの、原作へのリスペクトをなんら感じさせられることのない、商業くささばかりが鼻につく。監督の売名行為に他ならないのではないか。

邦画の嫌いな点が散見する映画。
・感動を売りにした宣伝と喧伝
・原作レイプ(原作の軽視、改悪)
・情緒不安定な言動と叫喚に走った登場キャラクターたち
・それっぽい曲を流し涙をみせて観客の涙を誘う演出

つまりは、
ドラえもんを知らない人、思い入れのない人がみてもフーン…で終わり、
ドラえもんを愛する人、思い入れある人がみると違和感と失望を覚える。

その程度の内容である。

原作の珠玉のエピソードをつなぎ合わせた感動のストーリーとのことだが、全てが薄っぺらい。そもそも原作の「ドラえもん」はクオリティの高いコミカルシュール調のギャグ漫画である。そのなかにあって、人の心を静かに叩く徳義と哲学と名言があるからこそ、永遠に残る名作であるのに、よくもまあここまで浅い内容になったもんだ。製作者らの感性が鈍いのだろうとしか言いようがない。短期的に成功して小銭は稼げるだろうが、ドラ映画の名作としては残らず、すぐに忘れ去られるだろう。こんな映画を観なくても、原作を読めば良いのだし、原作の感動エピソードは既にアニメ化されていて極めて高い評価を得ているのだ。製作者らが調子に乗って「おばあちゃんの思い出」や「ぼくの生まれた日」「あの日あの時のダルマ」で次作を撮らないことを心の底から祈るばかりだ。
 
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2014年08月08日

清濁併せ呑まない腕時計選び

Image - 2014-08-08 22.11.47.jpg

まとめ
・DX.comは商品到着が超ウルトラスーパー遅いことに注意
・安物の腕時計を気楽に楽しもう


中華の超大型通販サイトDealExtreamにオーダーしていた腕時計がようやく届いた。5/30に注文したので、二ヶ月と少しかかっている。とにかく配送が遅いことで有名な通販企業であるが、「いつ届くんだよコノヤロー」と催促メールをはさんでこれだからホンモノだ。送料は無料でアイテムも安い(中華価格)のだが、ここまで待たせるサービスでよく潰れないものだ。

届いたブツはこれである。
購入の条件としては
・安ければ良い
・ビジネスシーンでは使用しない
・電池交換は嫌なので機械式であること
・サイズは大きめでメタルバンドであること
・今まで所有したことがないタイプのデザイン
・ホームセンターで買える安物の腕時計よりはマトモな外観(明らかな「安物」よりはマシに見える)

こんなところであった。概ね条件を満たしていたものであれば良かったのである。

普段使いをしていた、長年愛用していた腕時計が老朽と電池切れで退役するため、気に入ったデザインの腕時計が安くてにはいればと注文したのであった。
スーツを着て自分を装わなくてはならない時には、専用にオメガのスピードマスターがあるため、気楽に使用できる安物の腕時計が一本あれば十分なのである。携帯電話で時間を確認する人が増えてきている昨今、もはや腕時計は「ファッション感覚で安価なものを身につけるか、一切身につけないか、一流品を身につけるか」の三択の時代であると考えて差し支えあるまい。

腕時計を末長く愛用していこうと考えると、一流ブランドの時計以外は決して選んではいけない。それも、最低でも15万以上の投資が必要である。それ以下の物は、末長く使用するには品質が中途半端で、結局は損をする。

ビジネスシーンで恥をかかない程度のブランドの腕時計を一本所有しているのであれば、使い捨て前提の、気に入った安物腕時計を普段使いに充てればよいと考える。
腕時計は男の小物の代表選手であり、畢竟、世には色々な考えがあるが、私はそう考える。

さて、購入した安物中華腕時計だが、チャイナボカンがないことを祈って気楽に使えば良い。バンドの調整や交換は、下手をすると本体の価格以上のコストがかかるので自前で行おう。記事冒頭の写真は、過去に所有していた腕時計(修理不能)のメタルバンドを拝借・交換したところである。この腕時計のメタルバンドは軽くて装着して頼りのない安物感が強かったのである。所詮安物であるから自己満足の域を出ない。

なお、日常防水を唄っているくせに雨にうたれたら内部に水が入って曇ってしまった。機密性がザル。これも安物につきものの症状である。デザインと質感はそれなり。スケルトンなので内部構造が見えるのが面白い。
 
posted by ぎゅんた at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | お店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする