2014年05月31日

映画感想「マンデラ 自由への長い道」 島国単一国家に「教育は国家百年の計」はチート 



まとめ

これは南アフリカ共和国のアパルトヘイトに立ち向かった偉人、ネルソン・マンデラの自伝を映画化した作品である。内容的には、マンデラ氏の自伝映画であり、アパルトヘイト政策がどのようなものかを知る歴史教育的な側面がある。派手なシーンは殆ど無く、政治的なストーリーが淡々と展開する。アフリカの大自然や動物たち、文化が前面に押し出されることがない。なのでアフリカ大好きな漆原教授や、内容に興味が持てない人は寝てしまうかもしれない。

アフリカといえば、昔は広大な砂漠〜野生動物といった大自然のイメージが強かったようだが、次第に貧困にあえぐ人たちの住む土地の印象が強くなったかに思う。同時に、貧しい国のかわいそうな子供たちに愛の手を差し伸べましょう(募金)なムーブメントが流行り始めたように思う。食糧危機からくる餓死、エイズの台頭である。時は経って、ハテいつまで我々はアフリカに寄付をし続けるのか?と多くの人が漠然と考え始めたころ、アフリカの内情は終わりなき内戦と延々と連鎖しつづける憎しみに満ち溢れていることを知る。人道的支援は形を変えて銃器になり、民に配られる。殺し合いの原資となるのである。内戦は先進国に煽られて終結の兆しもみえず。ただ武器の輸出先(古い武器のお払い先)の扱いを受けている。本当は違うかもしれない。だけれど、本当の姿もみえない。暗黒大陸と揶揄されるアフリカは、そのとおりだと思ったものだ。

アフリカには様々な国があるが、有名どころは南アフリカ共和国であろう。泣く子も黙るヨハネスブルグがあるが、アフリカの近代国家といば、まずは南アフリカ共和国という扱いだ(エジプトもそうなのだろうが、観光大国であることとテロで危険なイメージが強い)。それが証拠といえるものではないが、アフリカを舞台にする映画の多くはヨハネスブルグやプレトリア、ケープタウンが映されることが多い。アフリカを代表する国であることは間違いないし、現代のアフリカのイメージリーダーといえるかもしれない。しかし、アフリカにはたくさんの国がある。メディアが「アジアの国々〜」というとき、それは中国・韓国の意であるが、アジアには48の国々がある。ひとつの国かごく小数の国のイメージで地域をイメージすると偏見になる。しかし、アジアはともかく、アフリカに関しては、はっきり言って現地の情報がなさ過ぎて想像もつかない。身近に感じられない。アフリカ=南アフリカ共和国と短絡的に捉えてしまうのは勉強不足であることは確かでも、むべなりしところである。他の国々は常に内戦していて、結果として常に貧しい国なのではないかと考えてしまうことも。

アフリカに必要なのは、結局は教育であると常に思うのである。
優れた身体能力を誇る黒人が、広大で温暖で肥沃で天然資源に満ちた土地に、少子化の心配もどこ吹く風の人口ピラミッド。武器を捨て学校を建て子供たちに学の機会が平等に与えられる社会が作られたら、数十年もしないうちにアフリカは超大国大陸に台頭する気がする。世界中の人々がワクワクする豊かな大陸になるだろう。人口が多すぎて食料をまかないきれないとか、そんな心配はいらないだろう。砂漠地帯はともかく自給自足できるポテンシャルの土地まみれである。ひょっとしたら地理的に無理なのかもしれないが、門外漢の俺はそうは思わない。

しかし、このビジョンが実現する兆しはない。
なぜ実現しないのか?
まず、先進国がアフリカの国々の近代化を本心では望んでいない、飼い殺し状態にしておきたい。
アフリカに住む大多数の人間が、現状のアフリカを理解できる知識がない。その日暮らしが出来ればよいと考える集団による社会風土であること(偏見かもしれない)。
民族間の対立があまりにも複雑すぎて和平もクソもない混沌とした内戦状態にあり、加えて貧しいその日暮らしで、自分たちの住む社会を向上させることに意識が回ろうハズも無い状況にあること(人類は豊かでなければ、エコもクソも考えない)。
世界の国々からの莫大な援助金はどこに行ったのか?いつまでアフリカは貧しいままなのか?国際的に貧しいままのアフリカであることが世界に望まれるバランスなのだろうか。そうは思えないのだが、これといって改善する感じがしない。捨てたゴミの行く末については、「ゴミとして出した」後に思考回路から綺麗に消えてしまうように、我々の多くはアフリカに関しては意識に上らないでいる気がしてならない。

私自身は、アフリカは凄まじいポテンシャルを持っているだけに現状がもったいなく感じる。
と同時に、日本が地理的に隣国に影響されづらい島国社会であって、寺子屋に始まる義務教育制度が世界に通用する近代国家にしたのだと確信させられる。国力は、基本的には国民の総合力だからである。しばしば「(その)国の政治は国民のレベルに引き下げられる」と語られるが、それは国が国民の集合である以上当然のことである。なので、アフリカの多くの国のプレゼンスが低いままなのは国民の教育が破綻しているからだと思わずにいられない。本当にもったいないことだと思う。これからの世界を救うのはアフリカかもしれないのだ。このままアフリカ以外の国々が困窮してくれば、いずれアフリカの民族は平等に一掃されて世界農場・資源採掘大陸にされ酸鼻を極めた未来が起こりうる。意識化では黒人を人類とみなしたくない(恐れている)白人連中は、自身らが追い詰められたときには平然と有色人種を犠牲にする性格を持っているものと考えておかねばならない。

アパルトヘイト撤廃を訴え続けたマンデラ氏は、それが夢物語ではなく実現できると確信していたに違いない。不可能に思える物事の多くは、当人が強く望めば実現させることができる。明確で具体的なイメージであれば確実だ。南アフリカ共和国のアパルトヘイト製作を撤廃する。それは壁に埋もれたレンガのひとつを抜き出さんとするほど大きなエネルギーを要する社会的改革であっただろうが、皆が同様に強く望むからこそ実現できたのである。優れたリーダーは聖人とイコールではない。同じ願望を抱く人々に、その実現のための具体的なイメージを与えることに傑出している人物とイコールであろう。物事は、人々が強く望む方向に流れてゆく。アフリカが豊かな国々の大陸になる日が来て欲しいと私は願っている。
 
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2014年05月21日

血は水より濃く、血はインクより安い

ink of printer.jpg

まとめ
インク商法だと?ふざけるなぁ!


世の中にFuckの種は尽きまじ。そのなかの優等生が純正インクの価格である。プリンタ本体の価格はまやかし。むしろ必要な替えインクを揃える方が高くつくかもしれない。インクが切れたら本体をヤフオクで売っぱらって、また同じプリンタを買ってきた方がいいんじゃないか?というかプリンタが安く思えてしまうほどインクが高すぎる。プリンタを使わないままでいると蒸発したり、モノクロ印刷してもちゃっかりカラーインクを使ったり、起動するだけで勝手にインクを消費したり。これがファックでなくてなんだというのか。キャノンやエプソンの社員だってプライベートじゃ純正インク使ってないだろが。地底に戻りやがれ!

怨嗟に等しいこのような思いは世界中に溢れているわけで、当然、カートリッジに自前でインクをブチ込んで使うユーザーが現れる。そのうち、社外品として詰め替えキットが出るようになった。純正インクに比べるとカラークオリティに劣り、長期耐久性がない(色褪せる)そうだが、大多数のユーザーはそんなもん求めないのである。求める場合は、プレゼンテーション用だったりする。それは純正インクで印刷するし、もしくは写真屋で印刷すれるかコンビニ印刷すればよいのだ。ユーザーの多くはプライベート用として、コストを気にすることなく気軽にプリンタと接したいだけだ。純正インクの高さは、そんなユーザーの淡い気持ちをへし折る無粋な邪魔者にすぎない。


さて、こんなことは昔から有名な話。貴方は既にご存知だろうし、カラー印刷はコンビニで済ませる賢いタイプだろう。私もそうしていた。しかし、春から仕事でどうしても職場にプリンタを設置せねばならなくなったのだ。

実家には古いキャノンのプリンタがあり、それをアテにしていたのだが、Windows2k対応というロートルで、純正インクだけをガブガブ喰らっていたくせに、インクカートリッジを交換した瞬間に死亡したのである。これでファックと呟かない者がいようか(まだ在庫の替えインクあるんだぞボケ!)。このロートルを窓から投げ捨て、ニューカマーのプリンタを用意せねばならなくなったことに俺は頭を抱えた。

そして
・コンビニでの印刷では仕事が追いつかない
・純正インクを買うと同じプリンタが買えるほど高い
・インクが切れたらプリンタを売って、新品を買い直すのは面倒
・社外品の詰め替えインクを活用すれば手間はともかく安くつく
・社外品のインクはメーカーの保証が得られなくなるが、どのみち安い本体なので上等(クソ高いインクでクソ殿様商売しているクソメーカーに保証を求めるのも癪であるし、どのみちクソ対応しかされない)
・なんとなくキャノンはふぁっく

こう思案した。

あとは安価で詰め替えインクが用意できるモデルを購入するだけである。
ブラザーかエプソンかの安価モデルを買えば良いとなったのだが、ブラザーのものは大きさとケーブルの挿入口の位置の点で少し難があったのでエプソンにした。PX-045Aである。あまり評判が良くない機種のようだ(プリンタにうるさい人からすると我慢ならない天が多いらしい)が、詰め替えインクが存在するし、シンプルでちょうどよい機種に感じる。壊れやすいとかインクがすぐ切れるとか画質が悪いとか、そんな意見は知らん。5千円程度で買える格安プリンタにあれこれ要求するのは野暮である。繰り返し述べるが、私には適当にカラーと白黒印刷ができて、社外詰め替えインクが用意されている安いプリンタであれば良いのだ。そしてそれはシンプルな機能でしかないから、プリンタ本体も小さくて済む。コードレスWiFi仕様とか現代風なの機種もあるが、値段が少し上がるし、どのみち電源のケーブルは有線であるから無視する。私に限らず、昔からのパソコンゲーマーは「コードレス」に性能的な魅力をあまり感じないタチだろう。コードレスマウスでFPSなんぞ遊べるわけがない。


実存するPX-045A
使用してみた感じ、印刷速度が遅いとか作動音がうるさいとか、安物感があるが、そもそも安物なので気にしてはならない。この値段でプリンタとスキャナとコピーができるのだから十分だろう。まだインク切れは起こしていないが、切れた際は詰め替えインクで対応する予定である。純正インクは高すぎる。

posted by ぎゅんた at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

大自然はありのままに 映画「サファリ」感想

safari(2014).jpg
お色気シーンを期待してはならない

まとめ
駄作(わかっていただろうに)


登場人物らが自分たちに振りかかった顛末をハンディカメラで撮影し続け、第三者が遺された記録を見て彼らに何があったのかを追うスタイル。との説明を聞くと「アァ・・・」と力ない嘆息しかつくことができない。あなたも、私も、そうである。低予算・お約束テンプレート・手振れ画面の三点セットだと直感で理解することだろう。映画界はいつまでこのブレアウィッチ・スタイルを続けるのか?本質的に誰もさして興味は無いし価値も無い情報に過ぎないが、低俗な芸能ゴシップ誌は常に世に出版され続けている。気が向いたら出来に期待せずに触れればよい、その程度の娯楽だということだ。

映画の内容は、殆ど全てをひとつの絵で説明できる。

争い.jpg

お約束「仲間割れ」である。
必ず仲間同士で衝突が起こり醜い口争いが生じ死が訪れるのである。「神よ人類は何も学ばない」メッセージ性をあらわすにはこれと無い手法だが、手垢がつきすぎていて単純にうんざりするのである。カメラで撮り続けるのはいいが、バッテリはー「たくさん持ってきた」で済まし、カメラ本体は精密機械とは思えないほど異常に頑丈で、記録媒体の容量もサッパリ不明。そもそもこんな目に遭ってててカメラを回していたら心理的に撮影なんぞやめるだろうに、言い争いの光景をそんなに撮りたいのか。とにかく根拠も示さず北へ向かいたがる奴がいたり、食事シーンは分かるが排泄シーンは一切なく、もうじき日が暮れるといいながら数時間も炎天下だったり、ライオンに襲われた密猟者(?)のトラックが突如爆発したり、主人公の少女はなぜかライオンに喰われなかったりと、観賞していて口元がにやけつつ額に皺が寄る始末。

結局、この映画の肝はなんであろうと考えると判然としない。人が喰われる残酷シーンだろうか?ただの客寄せ文句にすぎないレベルである。期待してはならない。なんもメッセージ性がねーからと考えれば終わりだが、冒頭の、ヨハネスブルグまでみんなで歩いていくんだよ、と叔母(?)に送り出される主人公の少女は、口減らしで出されたのではないかと考えてしまう。大人数人でもサファリを横断することは出来ないのだから、子供たちだけで横断できるわけがない。子供たちは大自然に呑み込まれただけである。肉食動物に無残に餌食になる文明人を映す一方で、大自然に寄り添い生きるアフリカの人々の一面を映したかったのかもしれない。そもそもストーリー進行があるようでないものだし、深い描写も無いので、意味ありげに見えるシーンがさりげなく描写されているから観客側が想像するほかに無いが、かろうじて感じたこの映画の肝はそこだったのではないかなと思うのである。少女が妙に達観的なのはなぜだろうと考察するとよいかもしれない。なぜ現地少女純度100%のこの子が映画後半、突如英語をしゃべり始めるのかは追求しないほうがよい。 
 
posted by ぎゅんた at 21:45| Comment(5) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月16日

iHad

こんな感じ.jpg

iPadの画面は液晶画面の上に薄いガラス張りがなされているようだ。
この度、プライベート用のiPad miniが落下事故により、ガラスにヒビが入ってしまった。液晶部はやられていないので、画面の滲みや欠損は生じていないものの、ヒビがあると単純に見づらいし、タッチ操作が鈍くなってしまっている。主たる実害はその二つだが、画面が割れたiPadは痛々しい。

なぜヒビが入ったのか?
落下地点に運悪く凸があったからである(こうしたケースの常で画面側が下だった!)。バター猫パラドクスが想起される瞬間といえよう。装備されていたiPad mini Tough Xtreme Caseは画面に関してはアクリル板しか介していないから、このような力学的に致命的な場合は保護も効かない。無慈悲にガラス板にヒビが入るのである。

故意ではないにせよ、このヒビ割れは保証が効かない。アップル対応だと本体が買えそうな値段での修理(ただ交換するだけ)であるが早くて確実である。正規アップルでない、民間企業に修理を依頼すると本体交換ではないので安くつく。クオリティは信じる他にない。あるいは故障を機に、修理はせず別のモデルを購入する金持ち対応をするか。

iPad miniは、画質もCPUもへぼくバカにされているモデルだが、DVDケースと同等のサイズと軽量さが想像以上にユーザーフレンドリーであることはもっと賞賛されるべきではないか。とにかく取り回しがジャストフィットな感じなのだ。これに慣れるとiPad2はでかくて重く、常に取り回しに気をつけなくてはならない緊張が強い(センシティブである)ことに気づいてしまう。プライベートで持ち歩くことを考えると、やはり私はiPad miniを望むものである。

さて修理することを考えると、通常はアップル対応で交換の形をとるだろう。
しかしそうすると望まれないiOS7が無慈悲にインストールされたiPad miniが届くことになるだろう。それをiCloudのバックアップで復元させるが、いまのバックアップデータはiOS6のものだから互換性の面で衝突がおきそうだ。別に一からやりなおしでも構わないが、とにかくiOS7だけは勘弁願いたいところ。
そして次に、修理は諦め別のモデルを買い求める金持ち対応について。そちらの場合はiPad mini Retina になるだろう。画質、CPUが向上するし、HD容量も大きくできる。コストに目を瞑るならベストチョイスだろう。しかしiOSは7になることは避けられない。つまるところ、iOSが6がのままでいたい私は、修理に出す以外にないのである。いずれにせよ出費が痛い。
 
posted by ぎゅんた at 22:00| Comment(2) | TrackBack(0) | iPad2 , iPad mini | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月09日

名作は色褪せずか? Return to Castle Wolfenstein (RtCW)

トレス疑惑.jpg

まとめ
・(悲報)字幕設定ができない!
・Qauek3エンジンが好きな人はどうぞ


この作品のゲームエンジンはQUAKE3エンジンであり、結構古いゲームである。ブランド”idソフトウェア”印がなされているが、開発の実態は別会社(確かKingpinを開発したメーカー)となっているが、これはidがDOOM3の開発で多忙だった時期であったからだろうと思われる。発売当時は無料デモDL版でマルチプレイが遊べたものであった。Quake3エンジンであることから、ストレイフジャンプがそのまま使えるため、当時のQuake3プレイヤーの多くはデモ版を遊んでいたに違いない。私もそのひとりである。シングルプレイも無料デモDL版にあったが、プレイした感じあまり面白くなかったので購入に至らずそのままでいたのであった(「エイリアンVSプレデター」や「クライブ・バーカーズ・アンダイイング」をプレイしていた)。

このたびsteamのセールで安くなっていたので購入。
シングルプレイはクリアしたがマルチプレイには人がおらず遊べていない。なので、以下に記される内容はシングルプレイに関しての所感である。難易度はHARD。

RtCW_SS_01.jpg
ステルス隠密プレイをすると楽しく遊び応えのあるバランスに仕上がっている。


シングルプレイは潜入隠密行動を基本とする。
主人公は意味不明なほど多種多様の銃器と弾薬を持ち運べる四次元ポケットの持ち主であるが、回復アイテムは携帯できない。このゲームの特徴であろうが、静止した状態で撃たないと狙った方向に弾がいってくれないので、走りながらの銃撃をしていても満足に敵にダメージを与えられず弾薬を浪費するだけになる。かといって物陰に隠れて銃撃戦をしていれば切り抜けられるほど敵の命中率やダメージも甘くない。加えてライフやアーマーの入手が極めて乏しい設定になっているため、EASY難易度でもなければ考えて行動しなくてはクリアがおぼつかない。基本的には銃撃戦になることを避けるプレイを心がけるべきなのである。背後からナイフで暗殺したり、サイレンサー銃のヘッドショットで手早く間引く。こうすると騒ぎにならず、敵兵たちはまばらに位置していることもあって数を減らしていける。正面から見つかるなら裏をかくルートを探すか遠距離スナイプをする。全てのミッションを完全ステルスでクリアすることは不可能であるが、減らせられる敵兵は減らした上でのドンパチにしないと押され負けてしまう場面が多々ある。HITMANシリーズのように作りこまれたステルス性ではないものの、緊張感あるプレイが可能である。これはこのゲームの特徴であり長所だろう。ドンパチするだけなら他にゲームがあるし、ナチ本拠地とオカルト要素が混じった作風によくマッチしている。BGMはあまりよくない。当時、ドイツで聞かれていたクラシックレコードがオブジェクトから流れる演出はよい。

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火炎放射のエフェクトは息を呑む美しさ。当時のグラフィック水準を考えると「ナチの科学力」同様に脅威の域!


オカルト要素-「ナチならこんなトンデモをやらかしそう!」-は、第二次世界大戦の時代風味にあわせたものが登場する。若干、科学技術力が暴走気味な気がするが、ギャグに見えない程度にほどよく収まっている。火炎放射兵のコスチュームがプロテクトギアを模したデザインとなっており、ナチの制服と相まって独自の格好良さがある。タブーなので誰も明言しないだけで、ナチの制服のデザインセンスの素晴らしさ・見栄えのする格好良さは否定されようがないわけである。あんな格好いい軍服を身に纏えば士気も違ってきそうなものだ。

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左側は村人の娘。SATSUGAIするとミッション失敗になりますからグレネードで肉片にして遊んではいけません。


一方で女キャラも登場する。
昔から「id製の女キャラに美人なし」と言われるが、それは本作にも当てはまる。しかし後発のDOOM3よりはマトモなあたり、開発元がidと違ったことが幸いしたのかもしれない。

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変態セクシー制服のエリート・ガードM属性のプレイヤーに妙な興奮を与えてくれます。同様の感を抱いた愛すべき馬鹿ユーザーはいるわけで、ネット上には彼女らのセクシーな制服をさらに引っぺがし裸婦同然にするMODもあります。ちょっくらDLして試してみた結果、変態セクシー制服のほうがエロいという結論に達しました。エリート・ガードの悦ばしい痴女っぽさはこのゲームの良心なのであります。

クリアまでに要するプレイ時間は15−20時間といったところ。昨今のシングルプレイのFPSに比べれば物足りないかもしれないが、QUAKE3エンジンの長所が活かされているので昨今のマシンスペックであれば高解像度で快適にプレイできる。セールを狙えば400円ほどなので、FPSのシングルプレイが好きな人は購入されてはいかがだろうか。
 
posted by ぎゅんた at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 洋ゲー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

洗車だけじゃないんだぜ プレクサス


愛車の洗車。となると、水洗いからワックスコーティングまで様々あるようだ。ようだ、とあるように、私はクルマの洗車に関して明るくない。クリアコーティングだとかサッパリ分からない。高級車が艶艶としているのはワックスがけされているのだろうけれども、具体的に何をどのように使用しているかについては、皆目、見当もつかない。水洗いして乾燥させてワックスを塗布して乾燥させて磨き上げてクリアコートで仕上げるの?ちんぷんかん。

洗車に疎いオーナーの場合、所持している車は常に薄汚れているか、洗車されることのない満身創痍であることが常である。これを見越して、「汚れに強い(ばれにくい)」シルバー系統のボディカラーの車を選択する人もいる。中古への下取りのことを考えると、車のボディカラーは白か黒を選択するのが有利ゆえに前提となるが、どちらのカラーも車体の汚れがすぐに分かるので、洗車を厭わないオーナーでないと清潔感を欠いた野暮ったさを呈することになるからである。私自身は、車は好きだし、マイカーに対する愛車精神もあるのだが、手間暇とお金をかけて常にピカピカで綺麗にしておきたいと望む気持ちはこれっぽっちもない。だけれども、機会があれば洗車して綺麗にしておきたいものだと願っているし、ボディには艶があった方が見栄えが良いだろうと考えている。しかし、実行に移すにはお金の面で萎えてしまう。そもそも中古で購入したクルマに、そこまで費やすものだろうか。まさしく私自身に他ならないが、このようにお考えのオーナーは多いのではないか。

さて、そんな中、暇だったので調べていたところ、プレクサスなる商品の存在を知った。メリケン製ケミカル商品である。とくれば、実に人体に悪そうな成分の塊であることと引き換えに高い利便性と一定以上の効果が見込めるお手軽商品であることを意味している。米国の化学製品は効果だけの面で判断すればどれも素晴らしいクオリティである印象が強い。しかし、人体に対しても遠慮がないはずなので、肌に触れたり口に入れたりする製品は避けるべきと考えるが、このプレクサスはプラスチックと金属に塗布する対無機物専門なので結果が期待できる。玄関先の新聞を取りにいくために乗り物に乗るほど無精なメリケン人が作っただけあって、洗車もせずにそのまま塗布して綿100%の布で拭きあげれば「汚れ落とし、艶出し、保護」の効果が得られるよう設計されている。こうした万能さを謳ういいとこ取りの製品は、絶対的なクオリティには劣り、正道からすれば邪道かもしれない。一方で、私を含めてそこまでのクオリティを要求するユーザーがどれだけいるのかという話になる。人類が楽を求めるから文明や技術が発展するわけで、ここは素直に恩恵を享受すればよろしかろう。相手は中古で買った古いクルマなのである。

さて実際に使ってみるとなると、洗車もせずに吹き付けて拭きあげるのは心理的に抵抗があり、先に洗車してしまった。設計的には(よほど酷い汚れでなければ)洗車を省いてよいようだが、工程的には洗車をした方が良いに決まっている。ただし洗車自体が存外に時間を食うので、本当に面倒ならプレクサスを信じて省いて構わなないだろう。

水気があるとよくないので水滴がない状態にしてから(洗車後数時間放置)、ボディや布にスプレーで成分を吹き付け拭きあげる。強くこすれば艶が出るとか、そういった感触はない。汚れを取りながら拭いていく、ただそれだけ。金属やプラスチックが対象だが、ガラスの面を吹き上げても別に問題はない。ホイールは金属なので吹き付けて拭くと綺麗になる。洗車の工程を省いていれば、本当に短時間に終わらせられる。

結果的に、艶が出るのは確認できた。ショールームに飾っても遜色のないほど綺麗に艶がでて光り輝くわけではないし、小さな傷が修復されて分からなくなるようなことも、水むら模様が消えることもなかった。こう書くとダメダメに感じられるが、洗車だけの場合に比べれば明らかに艶が出ているのは確認できるので、なかなかのお値打ち製品であることは確信できた。入浴直後の自分を鏡に写すとちょっと魅力的に感じるものだが、感覚的にはそれ近い。私の使い方が間違っているというよりは、常に青空天井だったDC5の塗装が弱り切っているものと思われる。GHアテンザに使用すればかなり艶が出る気がする。期待以上の結果が出た折には報告したいところ。

Amazonで買うと手っ取り早いが、ドンキホーテのカーグッズ・コーナーにも売られている。どこにでもあるサイズのスプレー缶だが、メリケン製だけあってボリューミー、一本あればかなり使えそうである。金属やプラスチックに使用できるから、アクリルのバイザーやメーターパネル、内装部品など、応用範囲が広いのも嬉しいところだ。
 
posted by ぎゅんた at 19:35| Comment(2) | TrackBack(0) | クルマ(なんでも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

次なるショルダー鞄はしおらしく

joindutycolor.jpg
ジョインデューティカラー(赤×黒コンビネーション)と軽薄な赤のカバン

2年ほど使い込んでいたショルダーバッグの耐久値がいよいよさがり、ただならぬボロさを呈し始めてきた。カジュアルに使用できるレベルを下回ってしまった。確かにボロっちくはなってきたものの、これはこれで味のあるボロ具合だわいと思っていたのだが、そう思っているのは自分だけでしたというオチなんである。友達に「(それを身につけていられるお前とは)一緒に行動して恥ずかしい」と言われれば、それはときメモにおける最後の砦・清川さんにデートを拒絶されるに等しい事案なのである。なぜなら、清川さんが要求する「容姿」のパラメータは低くてもOKだからである。これを現実翻訳すればそうとう危険な身なり具合という意味となる。俺は涙をのんで次の鞄を探すことにした。

それに当たり、カジュアル使用だけでなく、フォーマルなシーンにも応用が効く鞄にすることを考えた。いい歳こいたおっさんだから、という自制の気持ちもあるはあるが、単にあらゆるシーンで使い回しができれば持ち物が少なく、費用が節約できるからである。ただのケチなんである。

スーツを着ている場合に携帯するフォーマル用の鞄もあるのだが、そちらは軽薄な赤が売りの大きめの鞄であり、カジュアル用途には向かない。フォーマルなシーンで使うことは可能だが、スーツの色を考えなくてはならず、万能フォーマル選手とはならない。カジュアルとフォーマル、どちらにも対応できる懐の広い鞄が欲しくなったわけである。

そんなわけで、ここのところ時間があれば鞄を探していたのだがピンとくる商品がなかった。値段は安い方が嬉しいが、老朽化に伴い安物感が急に露呈しがちなので選択が難しい。

さてようやく見つけたのがマスターピースのFeel No.02551である。
見た目と材質に一目惚れ。
値段は、私が購入するに相応しくない18000円クラスである。安いのか高いのか…
こうした大金をもって購入する衝動買い系アイテムの場合、私は以下の行動様式を取るようにしている。

まず、一週間の保留期間を置く。これで欲しい気持ちが消えなければ、所有したいと要求する自分の気持ちに純粋さがあると判断する。そして再度、現物を見に行く。そのうえで、やっぱり欲しいと思えば、再び一週間の保留期間を置く。それでも欲しければ買いである。もし在庫を含んで現物がなく購入ができなければ、それは、残念ながら縁がなかったものと判断する。

さて今回の場合、二週間目の時点で店頭からは売約で消えていたのだが、問い合わせると幸いにして在庫があったので購入できた次第である。フォーマルに使うには若干小さい感じだが、A4サイズの書類はキチンと収納できる。デザイン的には保守的に過ぎてこれいって目を引く特徴はないのだが、鞄の材質が特殊で高級そうな独特のレザー調で、これが保守的デザインと相俟って実に渋い。もし使い古しても独特の味を醸し出すようになるだろう。メーカーを信じるしかないが、材料から完成まで全て純国産職人仕立てだそうである。

master-piece
posted by ぎゅんた at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | お店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

消えゆく町の本屋さん

書店がどんどん少なくなっていると報じられて数年が経つ。
大型書店の躍進とネット通販の台頭に反比例するかのように、昔ながらの町の本屋(個人営業の小さな店舗)が減少に転じたのだという。それは、確かにありそうだ。

郊外型ショッピングモールの流行と商店街の衰退から、書店は商業施設型ともいうべき大型店舗に姿を変えることになった。それは、地方で顕著であった。人の流れが変わったのである。また、本国に籍をおくことで税金逃れをしているとまことしやかに囁かれるamazonが、圧倒的な物流と配送サービス、果ては値引きとポイントシステムで「便利で安い」印象を国民に植え付けることに成功した。書店にいかずして、目的の本をみつけることができて、割引恩恵があり、直ぐに配送されるのである。コスト重視の人にとってこれほどありがたいことはない。時間もお金も節約できるのだ。一時期は「ネットで買う=amazonで買う」という恐るべき図式が成立していたのである。

その間、個人経営の書店は減少し続けた。不景気による個人消費の落ち込みの影響もあるだろう。そして、大型店舗とネット通販の台頭もまた、なるほど大きな原因であろうが、しかし他に忘れてはならない原因に万引きがあると考える。書店という商いの本体は薄利多売であるから、万引きは常に致命傷をもたらす。こうした要因の全てが書店の減少につながったのである。地域に密着している(ように見える)書店が消えて行くのは、やはり寂寥感を否定できない。

「これも時代の流れである」と捉えるのは現実的だが妥協的である。「経営努力が足りない」と断ずるのは現代的な考えるの流行りのようだが、ただの傲岸不遜であろう。様々な事情の上に経営を続けている書店に思うところがある人は、積極的にその書店を利用すればよい。ネットでamazonに注文する方が楽で早く確実に手にはいる。そんなのは当然である。あえて承知の上で書店を利用する。それは時代の流れに逆らっているわけではない。お金を払って本を手にする実態に違いはない。時間を要するにしても、あまりにも大きな差であろうか?その時間の差にどれだけの価値があるのか?一分一秒が金を産むごく一部の、時間に厳しく生きる人を除けば全く無いに等しい。オンラインに購入履歴を残すことなく本を購入できるアナログな行為は、現在においても唯一無二の価値がある。

昔からお世話になっている書店で漫画本四冊を注文して、歩いて帰る道すがら色々と考えた。いつまで営業し続けてくれるのか分からないが、私は最後の日までこの書店を利用するつもりである。

posted by ぎゅんた at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | お店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月01日

最強の防御こそ最大の武器…って、あれ? 映画「キャプテン・アメリカ / ウインター・ソルジャー」感想


まとめ
凡作


第二次世界大戦時生まれのキャップは、絶対的な戦闘力の点では(アベンジャーズ内では)劣るキャップ。人類最高ランクにまで引き上げられた身体能力と最強の防御を誇る盾を駆使して戦うその姿は、見るものの胸を揺さぶる魅力に溢れている。本場アメリカ人がキャップのキャラクターについてどのように捉えているのか分からないが、キャップのキャラクターは日本人にはウケる要素があると考える。大火力や怪力、特殊能力で敵をド派手にブッ飛ばす派手さはなくとも、高邁な人格と優れた格闘術からくる「確かな」強さを感じさせるキャラクターこそがヒーロー像として合致するからである。少なくとも私はキャップのキャラクター像にそれを感じるし、前作「キャプテン・アメリカ / ザ・ファースト・アベンジャー」でその思いはより確かになった。超人たちと比較すれば能力的に非凡の域をでなくとも、最強の防御を誇る盾を武器に戦う姿は本当に格好良いのである。地味だが、それで良いのだ。

本作でそのへんはどうかというと、キチンと描かれている。キャップが現代のテクノロジーにアッサリ馴染みすぎている気がしないでもないが、体術を主軸とした立ち回りやバイクを駆る姿に好意的なアナログさを感じるので気にならない。

しかしストーリーが気にかかる。元がマーブル・コミックがゆえだろうが突飛なストーリー展開は実に不自然である(「マイティ・ソー」や「ハルク」はマーブルな世界だからと素直に納得できるのだが、キャップは妙にアナログなキャラのために、本作が「マーブルな世界」であることを受け入れられない)。また「前作から気づきあげてきた設定を簡単に覆すor忘れている」洋画・洋ゲーにありがちな、あの特徴も出ている。ここに詳述するまでもなく、私はそれが好きではない。フィル・コールソンは何処に行ったんだ?

個人的に感じた不満は、キャップが多大な一般人の犠牲を無視・黙認するかたちでSHIELDを巨大空母ヘリキャリアごと壊滅させた姿勢にある。本作のテーマは「正義について考えてみましょう」であることは間違いない。アメリカと正義のためにと戦うキャップが、時代を超え、現代の正義に疑問を抱くからである。いくらテロを未然に防ぐためとはいえ、人類に頭上から銃口を向ける巨大な火力を上空に飛ばすことが正しいのか。シールドの独善に基づく実質的圧政ではないのかと。するといきなり狙われるヒューリー長官とキャップ。誰も信じるな。でもブラックウィドウのことは信じます。なんだかんだで敵の正体は滅ぼしたはずのヒドラで、実はシールドは乗っ取られており、というかシールドもヒドラも表裏一体じゃんという結論から全てぶっ潰すために奮闘することになる。頼もしい相棒(黒人しかいない)の想像以上にバランスブレーカーな助力があり、大事なブツを盗んでくるシーンは「任せろ」のセリフだけでカットして、シールドがハイドラにどのように侵略されていたのかその手口はよくわからず、ヒューリー無能疑惑がモヤモヤ晴れず、コンピュータのチップはガラスケース越しに剥き出しで差し替えればおkの安心不安セキュリティ。洗脳されているのか真意から行動しているのか分からない「こっち発砲してくるやつ」を叩き伏せ、シールド職員を戦闘に巻き込んでしまうことに対する苦悩は見せず、ネットにデータを流してしまえば真意は明らかになるとの直球姿勢で、巨大空母を落下地点の被害について微塵も考えず画面映えするようド派手に落とす。無論、落下地点は海だったので一件落着形だったが、計算して海に落としたとは思えないのは如何なものか。…こんなケチをつけたくなるぐらいには映画に熱中できなかった証左である。

そもそもこの事件、被害の規模が甚大すぎて、アメリカの国力が大きく傾く経済的損失をきたしているのではないか。この世界ではアメリカに住むことは危険すぎる。常に厄災や脅威に襲われ、現れるヒーローになんとか解決してもらうことになるからである。ロイズが韓国船舶に保険を一切認めない(事故起こしすぎ)の同様、この世界でのアメリカには保険会社は実に渋いことであろう。死にすぎ壊れすぎである(民間人が戦闘に巻き込まれて死ぬシーンは「アベンジャーズ」同様にないが、実態は惨憺たるものであろう。常に復興し続ける社会である)。「アベンジャーズ以外、全員敵」と謳いでながら、自国の大事件だというのにアイアンマンは登場しないのも解せない。ドーナツのオブジェに座って不貞腐れていたのか昼寝でもしていたのだろうか。同一世界の話のはずだが、映画的大人の事情と片付けるにはやや不自然さを感じるところ。全員揃うのは「アベンジャーズ」シリーズだけである。


そんなわけで
正義の為に身を挺して戦うキャップが好きだとはいえ、なんとなく腑に落ちない感じを受けて楽しめなかった。それが本作の印象となる。しかし良いシーンはたくさんあって、例えば考えられた肉弾戦的アクションは目を見張るクオリティであるし、キャップの人徳さが人を動かし流れを作るのも素晴らしい。最後に、本作のベストシーンとして、キャップがかつての懸想相手のペギーに会いに行くシーンを挙げておこう。既に老婆となったペギーは認知症を患っているのだろうか、寝たきりで要領を得ない発言をする。再開を約束していたふたりであったが、時間の流れの違いがこのような残酷な現実をつきつけるのだった。このシーンの二人のやり取りは胸を締め付けられそうになるほど切なく、私の涙腺は緩むのである。
 
posted by ぎゅんた at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする