2013年11月27日

刻み込まれる恐怖、蘇る死の記憶 Clive Barker's Undying(GOG.com版)

Clive Barker's Undying_Lizbeth.jpg
クライブバーカーズ・アンダイイングは、こんな可愛いケモノ娘と殺し合いをすることになるホラーFPSゲームです(ただし序盤のみ)


おっさんからのオススメ洋ゲー
GOG.COMから購入できます。完全英語版です。格調高いイギリス英語の世界。2001年作と古いながらも埋もれさせておくには色々と惜しいゲーム。ホラーFPSが好きな方はセールのときに買うとよいでしょう。おそらく2$ぐらいになるハズ。

シングルプレイ専用でマルチプレイ非対応です(当初はアップデートで実装する予定だったもののゲームが売れなかったので凍結したらしい)。


<ストーリー>
1899年−西アイルランドの孤島で、エレミア・コブナントと四人の幼い弟妹たちは古ぼけた儀式書を無邪気に読み上げた。このたわいない遊びが、後に想像を超えた惨事を招くことになろうとは、誰一人知る由もなかった。

時は流れ、恐怖は一族を飲み込んでいった…

1923年。パトリック・ギャロウェイは、西アイルランドにある邸宅を訪ねていた。ギャロウェイを迎えたのは昔からの友人エレミア・コブナントであった。長年彼を苦しめ続けてきた忌まわしい事件の解決を、ギャロウェイに依頼する為であった。

彼の話をまとめるとこうだ。

今から25年前、エレミアと幼い弟妹たちは、『佇みし立石の島』で、おもしろ半分に古代の儀式を真似ていた。それはたわいない、ただの遊びのはずだった。ところが子供たちが無邪気に唱えた呪文のせいで、以来、コブナント家は恐ろしい出来事にみまわれ続けているという。彼の4人の弟妹たちは、不可解な恐怖に包まれながら、ひとり、またひとりと姿を消してしまった。最後に残されたエレミアは、己にも迫る死期を感じ、ついにこの忌まわしい謎をある男に委ねる決意を固めた。

一族の呪いを封印し、あの日から続くコブナント家の悪夢を晴らすことが出来る人物。それは第一次世界大戦以来の旧友にして冒険家、超自然現象の研究家でもある、パトリック・ギャロウェイしかいないと気づいたのだ。



というわけで、主人公パトリック・ギャロウェイがエレミアの待つ屋敷に到着するところから始まります。

どのようなゲームか。時代を感じるホラーFPSです。
静かな怖さがゾワゾワくるタイプの恐怖を味わうことが出来ます。薄暗い廃墟に迷い込んでしまい、死を感じる恐怖とでもいいましょうか。なんにせよ、かなり独特な印象を受けるゲームにちがいありません。
なおFPSとはいえ、実弾系武器は時代相応のリボルバーとショットガンぐらいのもので、しかも狙いをキチンとつけて戦わないと弱いのでトリガーハッピーなプレイヤーにはオススメしません。基本的には実弾系以外の武器や魔法を中心に戦かうことになります(実弾系は弾の種類を換えることで強力になります)。20世紀初頭の武器や雰囲気、オカルトが好きな人にはたまらないものがあると思います。アイルランドが舞台なんで、全体的に曇りで薄暗い陰鬱な雰囲気なのもいいですね。



<おまけ>
記事冒頭画像のケモッ娘はコブナント兄妹の末っ子のリズベスちゃんです。セクシーな姿で石を投げつけてきたり叫び声をあげたり引っ掻いてきたりする中二病。こんな詩的な日記を書いちゃうこのゲームのヒロインです。

[Lizbeth poetry](ゲーム中に入手可)
On nights when I cannot sleep I look from my bed to the monastery out my window.The reflections of the waters that separate us ripple across my bedroom walls filling the room with waves of moonlight.If it is quiet enough and the wind is still.I can hear them chanting.Their prayers roll across the water and fall upon my ears like a lullaby rocking me to sleep.It fills my body with such a quiet peace.

And yet I cannot help but wonder how something that provides so much security could at the same time haunt me.At midnight the chanting stops.The brilliant lights of the monastery go black except for a tiny glow that emanates from the entrance to the catacombs.As I watch that single light I can see the shadows of the monks at the entrance.It is then that I feel a slow creeping dread rise from my stomach,as if the island somehow has a hold of me.

I have overheard bits and pieces of a story from hushed conversations about monks who died a horrible death years ago among these grounds.It is said their tortured souls were put to rest within the catacombs and that their two brothers have stood guard at the entrance each night since.I cannot help but wonder why.What are they waiting for,or hoping to ward off?Are they bound to the island with the same unknown force as I?

The lord works in such mysterious ways,but how can a just God allow his own flock to die within sacred grounds?

Surely there is another force working among us,one capable of pure evil.A loving God could never allow such pain and agony.It is that force that eats at me at night and leaves my dreams unsettled?Are the waters enough to keep me safe?I wish just once I could lie in the grass outside the catacombs for a night and put these haunted dreams to rest.I must end these nightly visions and seek the truth.

Lizbeth
posted by ぎゅんた at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 洋ゲー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月25日

”ふぁっく” 映画「マラヴィータ」感想


観にいこうと誘われホイホイついていった。事前情報なし。
マフィアが絡む家族の物語らしい。監督がリュック・ベッソンとある。デート映画として楽しませてくれそうな予感である。


結果
not good.jpg

退屈な凡作と断じて差し支えないのでは。1、2ヵ月後の観客の記憶からはスッパリ消えているだろう。変な意味で記憶に残る駄作ではないのが始末に困る。シリアス路線なのかコメディ路線なのか線引きがあいまいで中途半端なままダラダラと進行して、終わる。登場人物らの言動が痛々しく、共感も同情もできず、物語に没入できない。

穏健な目立たない生活がため、地域コミュニティに溶け込み仲良く生活していかなくてはならないくせに、ちょっとした侮辱や抵抗にあっただけで笑い流すこともせず暴力行為に出る(妄想のときもある)とか、観客はそんなシーンを見ても笑えることも気分がスッとすることも無い。繰り返すが、登場人物らの言動が痛々しく、共感も同情もできないからである。むしろこんな連中に関わったばっかりに半殺しの目にあったり殺される人たち(冒頭の影武者?家族や隣人、配管工)が気の毒で同情してしまうし、笑えない。これは芸人が弱い立場にあるものを暴力や言葉攻めで弄って笑いをとる行為に似ている。お互いにそれを了承済みの間柄であれば当人同士になんらしこりもわだかまりも生じないのだろうが、第三者からすればそんな事情は知る由も無く、単純に気分のよいものではない。映画は娯楽なのだから、ユーモアやシニカルで笑わせて欲しい。

結局のところ、この映画は、アクションシーンにはカタルシスがなく、ギャグシーンは引いて笑えず、うすら寒い後味が残される味付けになっている。

ところで、なぜ映画のタイトルがマラヴィータになっているのだろうか、結局わからない。「どうでもいい」ってことか。
posted by ぎゅんた at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

ど、ドリアン?(困惑) 映画「十五少年漂流記 海賊島DE!大冒険」感想


まとめ
・ストーリーはしょり過ぎ、強引すぎ、ツッコミどころありすぎ、エピローグはどうした?
・でも、これは子供向け映画であることを忘れないで
・猫ケモナー狂喜の、本当に可愛らしいキャラクタ造形
・音楽が良いのでサントラが出て欲しい


読書という知的快楽を私に教えてくれたのがジュール・ベルヌの「15少年漂流記」である。内容はこども向けにモディファイされていたものだが、小学校2年生の自分にピッタリだったのか、時間を忘れ貪るように読んだのを今でも覚えている。子どもたちだけで無人島で生活して生き残る冒険ものは、単純に胸をワクワクさせたのだ。友情と慈愛と勇気。大人がいない無人島では、みんなで力を合わせて生きるほかにないのだ。本作「十五少年漂流記 海賊島DE!大冒険」もまた、子ども向けにモディファイされたアニメ版の「15少年漂流記」であるが、現代の子どもたちは、この作品を通じて胸をワクワクさせるだろうか?


結果
As a result of original piece.jpg
良作だが、原作を知っていると気になる点がチラホラ…

ストーリーは大筋のところで原作と合致しているものの、総じて急展開すぎる。二年どころか二週間ぐらいの出来事になっているのはマズイ。内容も細かな部分で説明不足で無菌的であり、「これなら理解できるだろう」が悪い意味で「投げっぱなし」に感じられてしまい、結果として子ども騙しに陥ってしまっているのではないか。尺の短さ(子供は長時間映画を見ていられないから?)から、ストーリー展開が急なのは止むを得ないとして、もう少し泥臭いサバイバル描写や遭難と脱出時の海の科学的な理由の説明が欲しいところ。冒険・サバイバルものは、理科の知識と面白さを知るこの上ない好機と考えるからである。科学は、本来は面白くて子どもの心をワクワクさせるものだ。

十五少年漂流記 海賊島DE!大冒険_02.jpg
※映画パンフ(300円)

各キャラクターの性格の描写は不足しているし、島の要所で起こるオカルティクな「不思議な事象」は、これまたその理由も説明もない。いきなり島が地震に襲われジャックの豆の木が出現する理由も意味不。繰り返すと、展開が説明不足で強引で都合がよすぎるのである。とはいえ、これはこれで良いとおもう。我々大人からすればツッコミどころの嵐だが、子どもからすれば不思議に感じない、そうしたスムーズに話についていけるだけの計算されたコース(大人からすると急峻と起伏がないのでツッコミを入れたくなるだけ)にあるともいえるからである。そう思うことにする。私は、この映画を通じて原作の存在を知り、学校の図書室に足を運んで「15少年漂流記」を手にする子どもたちがいてくれればとても嬉しく思うし、原作は児童〜ジュブナイル文学における金字塔であることに変わりないからである。


余談
子どもたちが大人のいない無人島で生き残ることになったら、秩序もへったくれもなくなって動物社会みたいになるぜ!的物語が「蠅の王」に書かれている。15少年漂流記に対するアンチテーゼとして書かれたものではないが、少年らの集団心理を深く洞察した傑作である。15少年漂流記が太陽で性善説とするなら、こちらは月で性悪説といったところか。少なくとも、蝿の王はアニメ化されることはあるまいが、こちらもジュブナイル文学の金字塔である。
posted by ぎゅんた at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月22日

2013年マツダ技報

モーターファン別冊 新型アクセラのすべて.jpg

みんなお待ちかねのマツダ技報最新版がひっそりとアップされています。
2013年マツダ技報
毎度おなじみ、理系機械工業系男子(適当)なら胸が熱くなる記述てんこ盛りPDFであります。

同じくして、書店には新型アクセラのすべてが発売されていたので購入してきました。
歴史あるこのシリーズは、造形やデザイン、作りこみについて開発者らを交えアレコレ語られているのが面白く気に入っております。
早めに確保しておかないと在庫注文や電子ブックでの購入となるので、新型アクセラに興味のある方は本屋へ足を運びましょう。
posted by ぎゅんた at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | クルマ(マツダ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月20日

レシピ本を兼ねた超面白い「世界でもっとも有名なシェフ カーネル・サンダースの自伝(.pdf)」

イエスとカーネル.jpg

まとめ
カーネル・サンダースの自伝は面白い。英語版もあるぞ。


クリスマスが近づくと存在感がますファーストフードがKFC。実際に、すでに店頭ではクリスマス予約を受け付けていたりして、KFCのクリスマスにかける気合のほどが伺える。世間のKFC評はあまり高くないようだが、私のようにオリジナル・チキンをただひたすら黙々と食べ続けることを無常の喜びとする者もいるのである。「美味しいか美味しくないか」の問いに正直に答えるのなら「(私個人は大好きだけれど)そこまで美味しくないのでは」が回答になるだろう。しかし、それも現代が美味しい食べ物に囲まれた飽食の時代がゆえの話。カーネルが自分のレストランでフライドチキンを提供していた頃は、黒人のソウル・フード由来の簡単な料理と馬鹿にするなかれ、まごうことの無い、本当に美味しい料理だったに違いない。そうでなければ、フライドチキンひとつがここまで世界に広がりはしない。カーネルは「美味しいものは歳をとらない」と言い残しているが、彼の料理に対する深い愛を感じることのできる名言である。

KFCのケンタッキーフライドチキン(以下、チキン)は、かなり厳格なマニュアルがあり、通常は決してマニュアルを破らないが、クリスマスは唯一マニュアルを無視できる日(注文がさばけないので)と耳にしたことがある。そのため、クリスマスに食べるチキンは美味しくないので避けるべきであるとも。多くの日本人にとってクリスマスは「ターキーを食べる日」ではなく「ケンタッキーフライドチキンを食べる日」の印象が強いようで、実際にクリスマスにチキンを口にする人は多いようだ。それで、不幸にして「KFCはあまり美味しくない」と評価する人が多いのかもしれない。クリスマス以外の日にチキンを召し上がって頂きたい。

カーネル・サンダースの人柄はや生涯についてはあまり世に知られていないようだ。とても面白く、参考になる実りあるお話であるにもかかわらず。
彼の人物像と人生を初めて知ったのは、大学生の時分に手にした「カーネル・サンダース―65歳から世界的企業を興した伝説の男」からである。それまでは、KFCはフライドチキンを商品にしたマクドナルドのライバル企業であり、カーネルもまた、ドナルドの戦友(ライバル)であるに違いないと考えていたのである。

KFCのサイトよりダウンロードできるこの自伝には、彼のカントリー料理のレシピが収められている(先述の藤本隆一 著「カーネル・サンダース」には収められていない)。興味深いカーネルの自伝にレシピがついた.pdfが太っ腹なことに無料なのだ。KFCのサービス精神に感謝してダウンロードしよう。当然ながら原著の英語版が存在するが、こちらは日本KFCのサイトにはないので海外からダウンロードしてくることになる。
(日本語版)http://sogood.kfc.co.jp/
 (英語版)https://s3.amazonaws.com/colcookbook/us/pdf/English_FullBook.pdf


なお、藤本隆一版の自伝の方が当時の時代背景や解説が細かく丁寧であり、当時の日本ケンタッキー社長らのカーネルに対する興味深いインタビューが収録されているのでより楽しめる。.pdf版の自伝を読んでカーネルとKFCに興味を持ったら読むとよいだろう。大きな図書館にならおいてあるのではないだろうか。カーネルの人となりをより知ることができる。

同著には、神奈川県座間市相武台店には、カーネルが三度目の来日時に植樹したポプラの木と植樹記念プレートがあるとの記載がある。公式に問い合わせたところ、いまも相武台店の店頭にあるとのことであった。神奈川県とはとんと縁がないのだが、訪れる機会があれば這ってでも行きたいと思っている。


日頃はケンタッキーフライドチキンをご利用いただき、誠にありがとうございます。また、この度はご問い合わせありがとうございました。

早速ですが、カーネル・サンダースが来日時に植樹したポプラの木ですが、現在、相武台店の店頭に植えられており、3メートル弱の大きさで、記念植樹プレートとともにご覧になることができます。
ご来店を心よりお待ちしております。

また、お気付きの点やご不明点はお気軽にお寄せいただければ幸いです。
今後とも、ご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。


posted by ぎゅんた at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | お店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月19日

別冊マーガレット12月号より 藤代さん系。第7話

別マ12_予告.jpg
どうみても古瀬さんです(次号予告より)。俺の嫁

藤代さんと久世くんの間に妙な軋轢と心理的な壁ができてしまったようです。いわゆる「気まずい感じ」という状況であります。原因は久世くんが藤代さんからの好意を(空気読まずに)受け取めずに流してしまったからに他なりません。古瀬さんが知ったらホッペタをひっぱたく事案であります。
久世くんがこと恋愛に関して鈍感だから、というよりは中学時代にあった何かが原因で藤代さんの思いを受け止められなかったからに違いありません。思えば、家庭環境もちょっとナニかありそうですし。二枚目には裏があるのか。

いずれにせよ、この状況を打開するには久世くんが動くしかありません。時間が解決するのは後悔だけです。そして、そんな久世君を古瀬さんがなんとか後押しをしてくれるはず…テストで負けてたのも今後の伏線に違いないのであります。


さてそんな中、辻杏奈先生のユルリ・ユルリが突発性最終回に…俺は泣いた。
fuffy*同様、唐突に最終回を迎えている気がするが、気のせいか?辻杏奈先生作品集が単行本化されるのはいつの日のことか…


まとめ
ぎゅんたは湯木のじん先生と辻杏奈先生を応援しています
posted by ぎゅんた at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 湯木のじん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月18日

おえぇ〜ぐえぇ〜 映画「武器人間」感想


「ジャングル-不滅-」の直後であることに関わらず、ドキュメンタリ風の映画は食傷気味なのである。手ブレとピント不一致が前提(許される)の映像だから、見ていて疲れるし、肝心のところが分かりづらいのが不満なのである。それがかえって恐怖心を煽る狙いなのだろうが、意図して上手に撮った映像でなければ、慣れないうちの顕微鏡観察と同じで強いストレスに見舞われるだけだ。

ドキュメンタリ風ブレアウィッチ調は、「パラノーマル・アクティビティ」を代表に既に既成ジャンルになったようだ。それとも、低予算でイケることに作り手が味をしめたのだろうか?アイデア勝負の手法とはいえ、もう飽きられていることは自覚してもらいたい。

日曜のレイトショー。観客は私と友人の2人であった。

結果
die.jpg

悪趣味な映画の域をでない意欲作。生理的嫌悪を催すつくりだと思うが、そういうのが好きな人はどうぞ。そうでなければ見る必要はまったくない。総じてサブカル好き向け。生々しいグロさがあるので、子供がみるとトラウマ映画になるは必至。

ストーリーにもカメラワークにも人物描写にもさしたる新鮮味はない作品。
ウリは、間違いなくクリーチャー化した人造人間たちにあると思われるのだが、その扱いが残念に感じた。
それには以下の点、

@人造人間ではなく有機機械にしか見えること
A設計に一貫性と意味が見出せないこと(博士の「とにかく創る」狂気の暴走、つまりは思いつきで作り上げたからとも考えられるが)
B登場する人造人間は冷酷な殺人兵器のようだが、肝心の、彼らの殺傷シーンがぼかされていること

が挙げられる。

特にBは致命的で、人造人間ら個々の戦闘能力の描写が少ない。真面目にそこを映像化しようとすると制作費が跳ね上がってできなかったのだろうが、それは結局は物足りなさとなる。また、不気味なだけで冷静に対処すれば結局は弱そうな印象を受けるのもいただけない。脚がはえたティンパニみたいなやつはキュートでよい。

なお、PVで大山のぶ代が「ぶきにーんげーん」などと声を当てているが、映画本編には全く関与していない。大山のぶ代を使った客寄せPVにすぎないなんて、寂しい話だ。日本語吹替で博士の声を担当することになったらかなり笑えるだろうが、そんな予定もありますまい。
 
posted by ぎゅんた at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月13日

トラップバリュ…

憧れのジャスコ.jpg

偽装米でやらかしたイオンだが、こういうニュースもでてきた。

イオン、かまぼこ4・4万個回収…小麦成分検出

 流通大手のイオンは、自主企画商品(PB)のかまぼこから、使用していないはずの小麦成分が検出されたとして、約4万4700個を回収すると発表した。

 原因は調査中。小麦アレルギーの人に食べないよう呼びかけている。対象は、中国、四国、九州地方の「イオン」や「マックスバリュ」など計231店舗で2〜10日に販売した「トップバリュ 鯛入り蒲鉾(赤・焼・白)」。製造場所を示す番号が「J781」、賞味期限が11〜19日と表示されているという。同社の自主検査で分かった。10日に売り場にあった約3000個は撤去した。

(2013年11月12日23時10分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131112-OYT1T01314.htm?from=navr


安かろう悪かろうで有名なPBがイオンのトップバリュであることは公然の秘密である。
原産国表示をわざと記載しなかったり(概ね韓国製)、きな臭い黒い噂が絶えなかったり、そもそも味が悪かったり…火のない処に煙は立たないものである。

ブランド名「トップバリュ」も、TopValueではなく、valuである。value(価値)ではない。eが抜けていて「価値」もなにも関係のない謎の単語にすぎない。明らかに購買者のミスリーディングを誘うためのブランド名だと勘ぐってしまう。それとも、「イーところがない」と示す身体を張ったギャグなのだろうか。
posted by ぎゅんた at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | お店 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月11日

頑丈なハードって男のコだよな

D705iμ.jpg

昼休みに外出して食事を摂ったあと、携帯電話がないことに気づいた。
乏しい記憶を掘り起こす。外出直前、靴を履き替え傘に手をかける前にメール着信の有無を確認しているので、少なくとも置き忘れてきたわけではなさそうだ。しかし、どのポケットにも、ない…何処かで落としてきたのだろうか?

ひょっとしたらと、元きた道をたどっていくと、なんと、幹線道路の横断歩道の真ん中らへんに携帯が四散しているではないか!いわゆる「肉片」である。横断歩道の信号が青になったので、道路に落ちているゴミを拾うフリして回収。雨に打たれ、時にタイヤの下敷きになったであろう私の携帯は、バッテリーが飛び出しており、カバーの一部も紛失していた。

非折りたたみ式の板チョコ形状でボタンが小さく操作しづらく電池の減りも早い三菱製のD705iμなるマイナーなガラパゴス携帯ではあったが、数年に渡って使い続けてきており、密かに愛着があった。

外れているバッテリーを本体側に戻してみようとするも、変形したのか入らない。力を込めて押し込むとバチッと嵌った。駄目元で電源を入れると、なんと起動したではないか。30分以上も雨に打たれ車に蹴散らされ傷だらけの身であっても、電源が生きていれば蘇るのか。液晶部分に損傷がなかったことが最も大きいのだろうけれども、これはちょっとした幸運に違いない。


まとめ
三菱製の携帯電話はとっても頑丈
電池の減りが早いのは、目に見えないバリアを常に張っているからに違いない

 
posted by ぎゅんた at 22:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月10日

チェーンガンをバッグから出しなよ 映画「ジャングル -不滅- 」感想

The_jungle1.jpg

まとめ
ドキュメンタリ風ホラーが好きでない方以外にはオススメしない
とりあえずこの映画を観るよりは、このサイトで「山にまつわる不思議な話」を読むほうが有益だと思われる


The Jungle
ドキュメンタリ風のサスペンス・スリラーのオーストラリア映画らしい。
作風は見事に映画「ブレアウィッチ・プロジェクト」にそっくりである。ブレアウィッチ調といおうか、様式美といおうか、まことに、そのまんまである。

即ち…
・低予算
・ホームカメラ等の存在を強調した映像
・ぶつ切り編集調
・オカルトじみたミステリアスなエッセンス
・オカルトじみた小道具(アイテム)が恐怖の演出に用いられる
・最後はホームカメラ等が地面に落ちたり壊れて終了
・この映像は、回収されたカメラからのもの

である。

個人的にはブレアウィッチという言葉からは、映画ブレアウィッチ・プロジェクトを題材にしたパソコンゲームの「Blair Witch Volume One - Rustin Parr」を思い出すだけで、あのチャチな映画の記憶も印象は薄い。だが、映画ブレアウィッチの魔女伝説に関する設定は好きである。そしてゲームでは、その魔女伝説の設定を上手くホラー要素に用いてゲームにしていたものだから、映画よりもはるかに印象が強いものになったのだった。

さて、この「ジャングル-不滅-」では、実に残念なことにこちらの興味を引く「設定」がない。
あるにしても、主人公らが絶滅寸前の豹を探しに入るジャワ島のジャングルには昔から地元民が恐れる悪魔がいるとされている、ぐらいのものだ。ジャングルには悪魔がいるから行かないほうがいい、それだけである。あまり歴史的な背景が語られることもないし、現地のシャーマンがなにか特別なことを語ることも無い。迷信だそんなもんとジャングルを突き進む主人公に、カメラマンと現地民ガイド役ふたりが警告しつつ引き止めつつ行動をともにする。彼らは目的の豹の存在を確認する一方で、奇妙な存在が周囲に混在し始めることに気づき始める…

魔術師が用いるという呪われたアイテムがチラッと出てきたり、やたら北へ向かいたがる主人公だったり、テクスチャみたいにのっぺりした腐敗骸がチラッと映るだけだったり、お約束の口論と衝突(これ以上は進んではいけない、早く戻るんだ!VSあんなの迷信だ、もう少し先へ行こう)が起こったり、ビデオ映像の乱れを意図的に演出に加えてきたり、半ば意味不明にすることで恐怖心を煽るオブジェクトを大量出現させたり、やっぱり最後は…だったり、そのままメチャクチャ不気味なスタッフロールに続いたり

これはこれで立派な「様式美」となっており、緊迫感と恐怖を感じさせるつくりとなっている。とはいえ、やはり作品の設定が物足りず力不足の感が否めないつくりだ。どのみちフィクションであるのなら、もう少し観客の想像を掻き立てるような情報をしゃにむにでも設定に盛り込めば、まだ満足度が得られただろう。


この映画を観て感じたのは、森に対する西洋人と東洋人の考えの違いである。
西洋人にとって森は征服の対象であったようで、伐採や開拓を繰り返し荒廃を招いたり、動物の狩猟が乱獲につながった。人間は自然界の頂点に立つ存在であり、人間以外の存在は人間に利用される存在でしかない、といったところか。翻って東洋人は、森は人知を超えた畏敬の対象であり、人知を超えた存在が住まう場所だとする考えが支配的である。森(のみならず自然)は、人間に恵みをもたらしてくれる一方で人間の命を安々と奪う危険な場所でもある。人間は、自然が許してくれる領域で生かされている存在にすぎず、神や悪霊といった人間以上の上位の存在を認めている。彼らは人間のいない自然の中に住んでおり、その領域に足を踏み込むことは非礼な行為にあたり、超えてはならぬ一線がある。
主人公ラリーは、現地民の警告を「迷信」と一蹴し、踏み入れてはならない領域に足を踏み入れる。彼にとってジャングルは人間が支配できる領域であり、脅威は野生動物だという認識だからである。一方、警告する現地民にとってジャングルは言い伝えどおり悪魔が住まう場所であり、そのエリアだけには近づきたくない。近づかないことは昔からのしきたりであり、ジャングルに対する彼らのルールでもあり、住まう悪魔が人間がかなう相手ではないと知っているからである。

我々日本人にとっては、後者の考え方が近いだろし、普遍的な認識であろう。
自然−身近な場ざれば森−には、人智を超越した存在が確かに住んでいると、素直に認めるだろう。

posted by ぎゅんた at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする