2018年01月18日

わたモテ感想[喪128]モテないし回る


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今回はオムニバス形式。
「一方その頃」な人物たちも登場し、とても賑やかしい回です。

一方その頃な人たちとは、
・雌猫の間グループ(うっちーの属する女子グループ)
・こみさんいとさん(小宮山さんと伊藤さん)
・ダンボーさん
・岡田さん&加藤さん+南さん

です。清田くんら他の男子メンツは残念ながら蚊帳の外です。
ストーリー展開の整理を兼ねた次回以降の仕込みがなされた回であります。


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今回は前回のラストから間を空けずのスタートで、昼食を取りに行くことになった場面からです。

うっちーがコソッとスマホで雌猫の間グループにメッセージを送信している姿を吉田さんが目撃しています。吉田さんはうっちーの「スマホを忘れた(嘘)」事情を知らないので「しゃがんで何やってんだ?」のはてなマーク状態。

うっちーが宮崎さんに送信したメッセージの本文は分かりませんが、内容は宮崎さんが言うには「例のあの人が一人でいる所見かけてかわいそうだから少しの間一緒に回ってあげる」とのことなので、おそらく「一人でいる黒木が気の毒だから、しばらく一緒に(園内を)回ってる」みたいな簡素で事務的なものと推察されます。思いっきりパーティ組んでますし、しばらくっていつまでだよ!とツッコミを入れられるのは読者だけです。いずれにせよ、雌猫の間グループは、うっちーが不在であることに大きな心配や困惑をもっていなさそうな雰囲気で、メッセージ内容にさしたる不信感も抱いていない様子。

雌猫の間グループは、頭飾りが全員お揃いであるところから、ネモの言うところの「普通 女の子のグループって 空気読んでみんなに合わせるもの」に合致することは間違いありません。

一方、我らが黒木組は頭飾りはバラエティが見られる。単純に捉えれば個性的な集団であり、空気読まない女の子の集まりであり、みんなに無理に合わせなくても許されるグループ、といえそうです。要するに濃いメンツ

うっちーはこの遠足イベントを経て黒木組に収まるのか、雌猫の間グループに戻るのか、派閥など気にせずどちらにも関わる存在になるのか展開が読めません。いつまでも隠し続けてはいられませんから、今後、なんらかの形で決着がつくのでしょうが、うっちーはギャグキャラ扱いなので不幸な展開にはならないと思います。


She has no presence.
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昼食。
机の端っこに陣取り、前に真子さん、隣にもこっち、斜向かいに吉田さんを置く穴熊的布陣を敷くのがゆりちゃん。ここは昼食を摂りながらパレードが見られる吉田さんご推薦プレイス。そんな吉田さんの隣にはネモが座ります。もこっちの右隣にはうっちーが。

端に座るゆりちゃんからすると、いつもの4人が側に揃った布陣であるので吉田さんと自然に会話もできるというもの。

「メインは夜のパレードだからな その時は間近で見ようぜ」
え!?
遠足4時で終わりでしょ? 4時に点呼するって…
「ばかやろう そんなの再入場に決まってんだろ‼︎
「え!?」
え!?
「え!?」
「入らないのか?」
「あ……いや入るよ ね…ねえ!」
あ…う うん

困惑の汗をかくゆりちゃんの姿は久しぶりです。吉田さんの素っ頓狂な落胆ぷりの豪速球と、自分たちが当たり前のようにナイトパレードに参加するとみなされていたことへの狼狽があるからです。このとき、ゆりちゃんがどんな表情をしていたかは後ろ姿なので分かりません。分かることが他にあるとすれば、心を許せる自然な状態にあるゆりちゃんはリアクション豊かであることです。

もこっちは最後まで一言も口を開いていませんが、顔に汗をかいているあたり、内心はゆりちゃんと真子さんと同じであることが窺えます。

この場面でさりげなく重要そうなのは「黒木さんはどうする?」的な確認が全くなされないで終了したであろうことです。この4人に限っては、個々人の心情のすり合わせを経ての集団行動が成立しておらず、素のままでスムーズに統率が取れるバランスにあることが分かるからです。

集団行動というものは、普通は反対意見がでたり、合わせてくれないので妥協したり、我儘を貫くことを容認してもらったりと、案外に折衝が付きまとうものなのです。もし、自分の思うように行動しようとしたとしても、集団の意思と合致して包容されるのであれば、不思議な心地よさが約束される格別なグループであると言えましょう。

吉田「おいお前ら参加したらんかい!」
他3人「は…はい(即座に納得と了承が完了)」
みたいな。

修学旅行から始まったこの4人は、まだそのことに気づいていないでしょう。いや、ゆりちゃんは気づいているのかも。気づいているからこそなのかもしれません。


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場面は変わってマスコットキャラクターたちを交えた写真撮影に。

吉田さんは真子さんと一緒にクマさんと写真撮影に興じています。ピュアヤンキーの可愛らしい姿を写真に収めたのは撮影を頼まれたネモです。すっかり仲良し。真子さんが妙に照れた表情ですが、パパママコンビだからですかね……。

うっちーは勇を鼓してもこっちを誘います。もこっちもは少しビクっとしてますが誘いに乗ります。

ゆりちゃんは写真撮影の雰囲気から外れてひとり立っていたのでしょう。真子さんに「ゆりも撮ろう」と誘われます。「うん……」と弱々しいのは、本心ではもこっちと写真を撮りたいがため。でも、一緒に撮ろうと誘えないのが、やっぱりゆりちゃん。

いえ、誘えないというより、もこっちから「一緒に撮ろう」と誘ってくるのを待っている感じがします。私は誘わないから、察して欲しい。察してくれる相手であって欲しいという甘えた気持ち。

吉田さんが膝を曲げることで高さを合わせて撮影しようとしている気遣いの温かさ。一方その頃、根元さんにリア充カップル御用達ライクなポーズを強いられながらも赤面しつつも撮影に臨む黒木さんの姿が視界にイン。うっちーに続き根本さんまで黒木さんと写真を。涌き出でる冷たい衝動を左手で押さえ込む。黒木さん、そんな風に写真を撮られるのも撮影を楽しんだりするの嫌でしょ?私となら、普通に写真撮影できるよ?

…ところでネモともこっちを撮影してるのはうっちーのはずですが、こいつら女同士で腕でハートマーク作って写真撮るなんてキモイキモイと歯ぎしりしちゃってピンボケにならなかったか心配です。もっとも、ピンボケになったらなったでネモが再撮影を命じて延々とキモイキモイことになり、クマさんの左腕はゆりちゃんクローで捥げることになりそうですが。


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愛の反対語は
ひとりうな垂れ足元が覚束ない南さんの姿を発見したゆりちゃんと真子さん。

ゆりちゃんは真子さんよりも前に南さんに気づいており、声にも態度にも出さず色々と思案していたような感じです。嫌いな相手なので、思うところはあれど関わらない無関心の姿勢を崩しません。愛がないことが無関心だというなら、そう、その通りね。ってなもんです。

ゆりちゃんと南さんの間に過去、何があったかについては、作中でまだ具体的なところが語られていません。南さんがゆりちゃんの悪口を言いまくっていて喧嘩になったのか、ゆりちゃんがやらかして南さんに嫌われたのか。お互いに非があるのか。

真子さんは南さんと縁が切れていない程度の仲ではありますから、ゆりちゃんがどう思うかは別として、アプローチをかける展開は来るでしょう。拗れた人間関係を生活圏内に持ち続けることは大きなストレス。この遠足会に込められたテーマに「友だちと仲直り」は含まれているでしょうから、南さんに救いのある展開になると思います。

そうして終わりを迎える遠足会の締めがナイトパレードになるのは間違いないでしょうし、ゆりちゃん大勝利で終わるイベントが用意されているのではないかと思います。とは言っても、派手なものではなく、ゆりちゃんが黙ってもこっちの手を握るとぎゅっと握り返されるとか、そういう甘酢っぱいもの。同族なので、言葉にせずとも分かり合える間柄みたいな。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ…







against bull's eye
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こみさんいとさんは射撃場でライフルゲーム興じていました。小宮山さんのファッションセンスでは、ネズミーのファンシーな耳はお気に召さなかったようで格好いい帽子を装備しています。伊藤さんの頭に寝そべるクマさんが可愛い。ライフルを肩に掛けている姿がヤケに様になっています。

狙って的に当てられなかったのなら、それを素直に認めて笑い飛ばせばいいだけの話であるのに、ゼロインがどうとか専門的な解説(言い訳)をしてしまう「あるある」ネタが登場します。得意分野で活躍できなかったら、自分の地位を失ったり、相手の失望を買うことを恐れている心理でありましょうか。世の中にはチャレンジして良い結果がえられないことなんてザラです。失敗を恐れず恥じず、挑戦を諦めない心を持つことが大切なのです。うまくいかないのは、現状の方法に誤りがあることを教えてくれているだけなのです。

一方、ダンボーさんが野比のび太さんよろしく超絶なる射撃の腕前をサラッと披露し、男の子たちのアイドルになっています。男の子たちの服装は私服なので、他校の生徒のようです。きっと入園後にあちこちでポテンシャルを見せつけて舎弟にしてしまったのでしょう。

この大物感、狭い教室の人間関係など超越しているわけ、たとえ教室ではぼっちキャラでも学外に多数の知り合いを抱える超人タイプのようです。でも、隣の席の伊藤さんのことはちゃんと知っています。これを機にいとさんこみさんと親しくなっていく姿が見られるようになるかもしれません。



駟も舌に及ばず
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これからラストにかけてが今回のハイライトです。ちょっと辛い

昼食後と思われる岡田さん&加藤さん+南さんグループ(南さんはお代わり中?)。そこに吉田さんとネモともこっちの横並び3人が通りかかる。ゆりちゃん、真子さん、うっちーはトイレに行ったようで、特に目的もなく合流待ちの散歩中なのでしょう。

「黒木さんと根元さん……それに吉田さん?珍しい組み合わせだね」

加藤さんの位置からすると一番遠いはずのもこっちの名を先頭に…これは加藤さんがもこっちラブだからではなさそうです。目の前の岡田さんに「あ、根元さんだ」とストレートに発言することを避けたクッション話法なのです。珍しい組合わせだね(根元さんはいつも茜といるのにね)、と婉曲的な発言にしているわけです。

チラッと岡田さんをみて一呼吸の沈黙の後、もこっちたちの姿を見ながら「そろそろ仲直りしたら」と岡田さんに促す加藤さんのメンターっぷり。しかし岡田さんの心はまだ頑なです。ネモが本当に大切な存在だからこそ、慎重になるし、焦燥感に駆られるし、意地を張ってしまうのですね。何度も噛まれボロボロになったストローの姿がそれを物語ります。


岡田さんは、ネモが自分ではなくもこっちとつるんで行動しているであろうことを入園前に知っています。ひょっとしたら、「エヘヘ…」と自分のところに戻ってくる淡い期待もあったかもしれません。

現実的にそうならなかったわけですし、吉田さんまで加わって仲良く楽しんでいる様子。

これら事実が心の中で渦巻き、不快な嫉みが自己嫌悪とともに降りかかっているはずです。なにか口にせずにはいられません。たとえそれがつまらない悪態であったとしても。そこに存在するのは、ただ自分への不甲斐なさへの怒りであり、もこっちへの悪意や敵愾心ではない。

「つーかあいつ なんで黒木なんかと つるんでんの?」

この発言を表面的になぞれば、確かにこれはもこっちに対する悪口。けれどそれはミスリーディングです。そしてまた、他人への悪口を快く思う人はいません。悪口ばかり口にする人間は、そうでない人間から疎まれる一方であり、悪口ばかり口にする信頼の置けない人間とばかりつるむことになる。

だからこそ、南さんはここぞとばかりにもこっちの悪口を唱ってしまった。加藤さんは凍りついた。地雷を踏んでしまった。あまつあさえ、ネモの悪口まで。

岡田さんは発言を遮るようにやおら口を開きます。

「つーかさ…… あんたなんでいんの?別に誘ってないんだけど」

思いもがけない岡田さんの痛棒に南さんはパニックに陥ります。

「はぁー!? 別にあんたなんかについてきてないし!! つーかバカじゃない?こんな所で空気悪くしてイライラしてさー!!

ばーかばーかと捨て台詞と共に走り去る南さん。親しい友人とクラスが別になり、ぼっちになるのを避けるために加藤さんと南さんすり寄っていたことを見透かされた恥ずかしさに居た堪れなくなったのです。


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岡田さんは、こうなることを予想したうえで南さんに悪口の餌を蒔いたのだと思います。加藤さんも内心では南さんを疎んじていることを知っていますし、追い出したい気持ちが優位になった(心理的に余裕がなくなってきた)からです。残酷な策ですが、うまくいきました。

「言い過ぎじゃない?」と強く咎めないとはいえ、さしもの加藤さんも岡田さん持て余し始めてているようです。

「茜も最近 根元さんの話しかしないけどね」
「はあ?してないし」
「自覚ないの?」

根元さんの話ばかりしている茜もまた、悪口ばかり言っている南さんとそう変わらないんじゃないの?と言いたげな様子。いずれにせよ、このままでは仲直りから遠いままだと悟ったのでしょう、加藤さんは吉田さんのそばに向かいます。ネモやもこっちの窓口が吉田さんであることを見抜いているからです。

「ねぇ 私達も混ぜてもらっていい?」

これには岡田さんも従わざるを得ません。強制的ですが、仲直りのきっかけ突破口が得られるでしょう。ネモもまた、拗れた岡田さんとの今の関係に決着をつけるべきだからです。もこっちの蚊帳の外具合がすごい。

ここにゆりちゃん、真子さん、うっちーが合流すれば8人の大所帯となります。作画が大変そうなので別行動の形で分けられるかも。ゆりちゃんが南さんとどう絡むかは想像がつきません。多分、無関心の体で積極的に絡みはしないでしょう。真子さんの胃には穴があきそう。



ところで
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田村さん、あなた半年ぐらい前はこんなこと言う人だったじゃないかと突っ込んではいけません。海原雄山と同じでバージョンが変わったので




というわけで、次回の開幕は

吉田「まずは耳だ」

からスタートしそうです。


そしてアトラクション周りながら、「ネモと岡田さん」「南さん」「吉田さんと目隠れさん」の仲直りが並行して行われるのでは……。もっとも、吉田さんのところは「悪かったな」「おう」でアッサリ解決しそうな間柄っぽいのですが。

加藤さんは岡田さんとネモの仲直りのアシストを画策する一方、もこっちに絡んできそうな雰囲気です。加藤さんに絡まれたもこっちは興奮して、あらぬセクハラ行為に及びイチャイチャするかもしれません。ゆうちゃん、ネモに続いて次は加藤さんです。

ゆりちゃんの道は長い……
ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 23:19| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

(映画感想)『デッドクリフ』



まごうことのなきパッケ詐欺


立ち入り禁止の山岳地帯でロッククライミングを始めた若者たちが、転落以上の恐怖に見舞われることになるサバイバル・ホラーである。大自然の中での遭難モノですから、やっぱりテンプレート展開になってしまうものです。B級。これといい勝負な出来。フランス映画。


まとめ
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ストーリーの流れを大まかに説明すると、

1.登場人物らが人里離れた山岳にロッククライミングに出かける(田舎のあんちゃん&boob!)
2.ロッククライミング開始
3.退路を絶たれる
4.うぎゃートラバサミじゃあ!
5.パニック&サバイバル
6.結局は助からなかったよ…

こんな流れである。

ここに「知能指数の低そうな若者」「山を舐めすぎ」「醜い小競り」エッセンスがブチ込まれる。要するに登場人物らが凄惨に死んでも(心情的に)オッケーな作りに意図的になされているのである。自業自得感というか、バカは死んでも治らない、というのはシュール&シニカルなフランス人の強い本音なのか。そう考えると、いやしかし、描写がまだ中途半端だな……という感じで、突き抜けていない。「このグダグダさこそ現実的」といえばそうだし、その意味でいえば上手くできている。

前半は転落の恐怖がヒシヒシと伝わってくるクライミングシーンの連続であり、高所恐怖症の方は視聴できない迫力に満ちている。私は高所恐怖症なのでみていて辛かった。どうやって撮影したのか皆目わわからないが、迫力のある映像に仕上がっている。確かにホラーである。

しかし中盤のトラバサミ以降、謎の時間経過と天候変化でフィルム全体に陰りが降り始めるとともに、本作は転がり落ちていく。転落以上の恐怖とは殺人鬼のことだった! 人間にとってもっとも怖いのは大自然よりもナチュラル殺人鬼なのである!

…って、流れになっても、いまさら新鮮味もクソもないと感じる方が多いだろう。

文明より隔離された誰も来そうにない大自然の山岳に殺人鬼がいたら、それは確かに最悪の恐怖に違いないし、ロッククライマーなら誰しもが想像したことのある鉄板ネタなのであろうが、描写として突き抜けていないので新鮮味に欠けているように見えてしまう。後半のパンチが弱いのである。本作の残念なところだ。


テンプレ展開を反省と打破するために、主要登場人物らを完全無欠な仲良し男女パーティにして、迫り来る危機を友情とチームワークで見事に跳ね除け無事生還する「開き直った」サバイバルホラー映画が観てみたい気持ちを新たにする。それだとホラーにならんでしょというツッコミはごもっともだが、私は登場人物らが怒鳴りあったり口論するシーンはテンションが下がる一方で好きじゃないからである。そうしないと人間ドラマや物語の起伏がつかないことも分かるのであるが、やっぱり。
 
posted by ぎゅんた at 13:41| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

(映画感想)『きみはいい子』




中学生の時分であったが「タクシーから始まる幸福の連鎖」の話を知った。タクシーから降車する際に、敢えて100円の釣りを運転手に謝意と共に手渡すのである。100円であるども運転手は貰って嬉しく思うであろう。その気持ちが、次の乗客に気持ちの良い仕事として引き継がれ、乗客もまた、気持ちが良くなるはずだ。100円の釣りという、ちっぽけな始まりが、世の中を明るく良くする風に働いていくー、そういう話であった。どの文献にあったかは記憶にないが、話だけは記憶に残っている。

この話に感銘を受けた私は、金沢に出てタクシーを利用した場面で実行に移してみた。運転手は笑顔みせてくれたが、しかし、頑として受け取らなかった。素晴らしいお心遣いだけれども、君が大人になってから存分にやってくれ、そんなことを言われた。気持ちは分かるが、身の丈にあったことをせよと教えてくれたのである。私はこの運転手に気高さを感じた。目下、タクシーを利用する度に思い出すのである。


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本作は子どもの虐待を主軸に置いたヒューマニズム群像劇である。メインの登場人物は3人で、それぞれがパラレルに物語が進行し、一応の終着駅に向かっていく。子どもとはなにか、大人とはなにか、現代社会に生きる我々に突きつけられる見えない現実はどのようなものか。単純明快なハッピーエンド約束された結末ではないく、答えは、観たものに委ねられる。上手に撮られた邦画であり、視聴後にモヤモヤ残す味なつくり。なぜ我々は、こうも張り詰め中で生きているのだろうかと考えさせられる。


コピペでストーリー
岡野(高良健吾)は、桜ヶ丘小学校4年2組を受けもつ新米教師。まじめだが優柔不断で、問題に真っ正面から向き合えない性格ゆえか、児童たちはなかなか岡野の言うことをきいてくれず、恋人との仲もあいまいだ。

雅美(尾野真千子)は、夫が海外に単身赴任中のため3歳の娘・あやねとふたり暮らし。ママ友らに見せる笑顔の陰で、雅美は自宅でたびたびあやねに手をあげ、自身も幼い頃親に暴力を振るわれていた過去をもっている。

あきこ(喜多道枝)は、小学校へと続く坂道の家にひとりで暮らす老人。買い物に行ったスーパーでお金を払わずに店を出たことを店員の櫻井(富田靖子)にとがめられ、認知症が始まったのかと不安な日々をすごしている。

とあるひとつの町で、それぞれに暮らす彼らはさまざまな局面で交差しながら、思いがけない「出会い」と「気づき」によって、新たな一歩を踏み出すことになる―。


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誰もが見るべき傑作ヒューマンドラマ。

ストーリーには色々と綻びもあるのだけれども、いつのまにか気にならなくなったり解消されていたりする。事件や問題点、トピックが表在化したとしても、時間の経過と共に霧消していたり、別のアプローチの介入で改善したり、自己解決機転が働いていたりする。つまりは現実世界の事象と同じである。この作品に流れる、ストーリーを背負った現実的な空気感は実に見事で、撮り手である監督のバランス感覚の鋭さに脱帽させられる。人間のいやらしい面をも巧みに描いている。

それは俳優の演技にも熱演の形で反映されている。虐待シーンやそれを匂わす描写や表現があまりに生々しく、観る人によっては、心が辛くなったり、不快感に耐えられなくなるかもしれない。心が痛むし、腹が立つし、同情させられるし、素面にハッとさせられたりする。よくぞここまでのものを撮ったものだ。吸い込まれるように無音になる場面や意図しない雑音のようなBGM、廊下を長く無機質に映し出すカットなど、計算された演出面も味がある。


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凍りついた瞳』という有名な漫画がある。大学の丸善で、社会派を気取っていた私は、講義中に時間つぶしに読もうと(お父さんお母さんゴメンナサイ)思って購入したのだった。果たして、その内容に衝撃を受けた私は落ち込み、「読み終わったら見せてくれよ」とはしゃいでいた畠山くん(仮名)は文字通り凍りつき、「私にも読ませて」と又貸りしていった戸田さん(仮名)は講義中に教室を飛び出しいった。我々は本当に幸運だったのだ。私立の大学に通わせて貰える裕福な家庭に育ち、家庭内外で「子どもの虐待」と無縁で育ったからだ。世間知らずのお坊ちゃんお嬢ちゃんといえば、それだけの学生だったのだ。しかしそのことを咎められようか。現実に存在する、あまりにも残酷な世界に嘔吐した戸田さんを誰が慰められよう。

ここで学んだことは、親より受けた虐待は「子が親の背を見て育つように」連鎖する側面がある、ということだ。この不幸な心理は、虐待を受けて育った人間に独自に形成される歪な愛情表現にあろう。欠落した部分を補償するために、無意識的に親が自分にしたことと同じことをしてしまうのである。いわゆる愛情の欠如である。無論、やっている本人も間違っていることは分かっているのだが、止めることができない。誰にもいえない。理解してもらえない。欠落した部分が埋まらない限り、同じことを繰り返す袋小路に陥ってしまう。

しかし、優しくすることはできる。優しくしたことが全てを解決すとはいえないけれど、優しさが優しさを呼んでくることはあるかもしれない。どう接していいのか分からないなら、言葉にして伝えることができないなら、相手を抱きしめてみるとよい。それだけでも、相手を少しでも理解しようとする心の表れを伝えることができる。一人でないことを伝えることができる。安心することができる。


人間を救えるのは人間だけ
映画のラストは尻切れで、不穏な空気を残したまま終幕となる。その後の具体的な話は視聴者の想像に委ねられている。ここで描かれているのは、「あの時は」一歩も前に踏み出せず踵を返すしかなかった新米教諭が、臆せずドアをノックできる気概を身につけていることだけだ。とんでもないバッドエンドかもしれないし、ハッピーエンドが待っているのかももしれない。しかし私が予想するのは、義理の父親と膝を交えた不快な話し合いが始まることである。終わりではなく、子どものための始まりである。

面倒を起こさず、少なくとも今より自体を悪くないことを考えれば、生徒の家庭に介入などしなければ良い。しかしそれは、問題を認識していながら見て見ぬふりをすることでもある。声にならない子どものヘルプを拾った時、なんとかしなくてはならないのは大人の務めなのである。たとえそれが度の過ぎた他人のお節介だ、余計な面倒ごとだと罵られても、やらなくてはならない。

この辺の「子どもを虐待から救うため」のメッセージ性は、敢えてフィルムに入れなかったようだが、当然のことながら込められている。考えさせられるように意図的に撮られている。こうすればいい、ああすればいい、制度を変えればいい……人それぞれに色々な意見があって然るべきであり、また、快刀乱麻を断つ解決策もない。子どもの虐待という悲劇は、今も変わらず存在し続けている社会の病根のひとつなのである。
 
posted by ぎゅんた at 00:15| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

(映画感想)『ナポレオン・ダイナマイト』




アイダホ州のど田舎が舞台。全編にわたって抑揚のないシュールな、しかし温かさだけは決して失わないで突っ走る脱力系スクール・コメディ。傑作


コピペあらすじ
アイダホの高校生ナポレオン・ダイナマイト。ルックスもダサければ頭も良くない彼は、当然のように学校でも友達もなくイジメにあってばかりの毎日。そんな彼にも、メキシコ人の転校生ペドロという友だちが出来た。女の子にモテたいペドロは無謀にも生徒会長に立候補、ナポレオンも彼の応援に精を出すが…


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アメリカの学校といえば、なにはさておき、スクール・カーストである。スクール・カースト抜きでは語れないのである。この学校社会独自の社会制はアメリカ以外にも普遍的に存在するが、アメリカが文化的に最も際立っていることは確かであり、その延長線上に大国アメリカが存在している。

かくいうわけで、本作にもその特色は認められるのであるが、スクール・カーストをテーマにしたものではないから、細かな説明や発展があるわけではない。主人公ナポレオンや友人のペドロ、デビーらはカーストの底部のナードであるが、そうした本質はストーリーに先立たれた添え物にすぎない。

学校で幅を利かせているのはイケてる運動部や美女らであって、それ以外はそうではない、ぐらいに単純明快なっている。実際は存在したであろう陰惨な面はあえて排除したようで、それによって作品の雰囲気がシリアスになりきらないよう調整したようだ。ナポレオンはジョックにやられっぱなしではない。てんで的はずれではあるが、反論も反撃もするし、よくよくみればジョックもクイーンもあまりイケてない(所詮は小さな田舎でしか幅を利かせられないレベル)し、叔父のリコに見られるように、大切なのは過去に生きるのではなく未来に向かってまず今の自分が動くことである、という隠れた主張がみえてくる。こうした特色が本作の根底に太く流れていることが、本作にみられる独自の温かさとユーモアに起結したのだろう。話の展開が素直で捻くれていないのである。


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そんなかんだで、シュールな静止場面やハイテンション婆ちゃんや謎の屠殺シーンを含めた「アメリカの農場」体験が織り込まれ、押しも押されぬど田舎コメディムービーに仕上がっている。このような牧歌的で郷愁感さえあるコメディ作品は珍しいだろう。形は様々であれど、誰しもこうした経験を経て大人になっていったのだという無言の説得力まである。

爆発や暴力や派手なCGもなにもなく、中腰遁走スタイルを貫く本作は肩の力を抜いて鑑賞できる傑出の脱力系スクールコメディである。映画が好きな人なら、押さえておくべき一本であることは間違いない。オススメ
 
posted by ぎゅんた at 10:38| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

わたモテ感想[喪127]モテないしのる


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今回は修学旅行から始まった凸凹3人組がメインのお話になっています。
もう思い残すことなく年を越せる……そんな気持ちにさせてくれる回です。


物語は、時間的に「お昼のパレードまでまだ少しある」時刻。
一行の行動は、吉田さんと真子さんのパパママコンビが統制しているようです。

次のアトラクションは、吉田さんのススメでコースター系からうって変わって実に恐ろしい客いじり系に…

司会者が無造作に観客の1人を指名して会話を強制してくるような、仕事の付き合いで参加した講演会等で、強制的に感想を発言させられるような、サークルの飲み会の席で突如始まる自己紹介タイムのような。要するに「くたばりやがれ!」と思わざるを得ないアレ。あぁ…と思い当たる人は少なくないはず。


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世の中には気の利いたコメントを咄嗟に返せない人間がいることを、「できる人」は多少なりとも配慮してくれないと困ります。

しかし世の中では、そういった場面をうまく切り抜けられる能力こそが求められるものであり、自身を守るために重要だったりする。ゆりちゃんのようなコミュ障にとっては、ただ辛い場面でしかありません。

ネモはなんの問題もなく余裕の受け答え。コワリィッチに「どこかで会ったことあるよね?」なんて訊かれてますから、このアトラクションは(おそらく昨年に)経験済みなのでしょう。

そりゃお前は余裕だろうがコッチは違う!とゆりちゃんが考えたかどうかは分かりませんが、退路を断たれた緊張感に不意に襲われたので、不安で腕を組む防御姿勢をとることになります。


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そらそうよ

もこっちも緊張しています。ゆりちゃんを陰キャ扱いする程度の余裕はあれども、指名されるのは御免被る気持ちに変わりはないからです。

指名されるかもしれない場面で有効なのは、場の雰囲気の醸成に非協力的な旗幟であることを鮮明にすることです。それは非礼な対応に他なりませんが、指名する側にとってみれば、意識を向けてくれている人を相手にする方が対応に与しやすいですし、場を盛り下げない上で確実だからであります。

それを応用すれば簡単、寝ているフリをしてやり過ごせば良いのです。「質問あるやついるかー?」と教師が生徒に投げかけてきたときは俯いていればやり過ごせる、そういう心理。もこっちは寝たフリを始めました。

それを見たゆりちゃん、「黒木さんならそうするよね…」と即座に自分も寝たフリにはいります。空気読まなそうなコワリィッチであれど、寝ている人を指名してくることはありますまい。遊び疲れや緊張の切れ目でアトラクション中に舟を漕ぐ人は案外に多いものだからです。


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しかしそうは問屋が卸さない。
寝たフリをしている仲良しふたりの姿が吉田さんの心の導火線に火をくべる。

寝ている生徒がいたら、その近くの生徒に発言を促すのがベテラン教師というもの。吉田さんは急に声を張り上げて歌唱を開始します。畢竟、コワリィッチの注目を集めるわけで、なし崩し的にその横の寝ている仲良しふたりの存在が明らかとなり、「あれー うたってない人いるー」なんてことになる。びくぅっと、寝ているフリでは逃げられない現実を叩きつけられるふたりが可愛い。

それにしても、こうキャラクター並んでいると分かりやすいですね。前列はリア充系陽キャで、ゆりちゃんともこっちはその正反対。

このふたりはRPGをやったらストーリーそっちのけで寄り道とか関係ないことばかりしてそうなタイプというか、MMO-RPGをやったら狩りやアイテムハントには出かけず、なんら生産性のない振る舞いや遊びを黙々と何時間もし続けていそうというか。真面目にやれと外野に怒られるタイプ。


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そんなふたりですが、もこっちは窮した場面から逃げず立ち向かう術を身につけています。基本、嫌なことからは逃げる姿勢なのだけれども、逃げ切れないなら覚悟を決めて対峙するだけの意思を持っています。ゆりちゃんはそうではない。握り拳と腕に添える手の仕草が実に対照的です。


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なにやってんだ私…と心がグワングワンに揺れていそうですが、覚悟を決めたもこっちは足を踏み出します。

指名避けに寝ているフリが通じないなら、大多数の参加者と同じように振る舞う「逃げ込むなら人混みへ」作戦に出ます。隣の吉田さんがノリノリですから、自分もノリノリにならないと、これまた目立ってしまうからです。


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そんな黒木さんの態度を曲解しちゃうのがゆりちゃんの面倒くささ愛おしさ。

「ずるい 抜けがけした…」

この心理は、同類の黒木さんも(参加)できないはずだと考えていたことと、参加しないでいる自分は間違っている姿勢だと理解していることを裏付けます。それをして、黒木さんは自分と違って「参加できる」人なんだ…と気落ちします。それはそうかもしれません。

しかしもこっちの真意は、自分と同じく指名されたくない一心に震えるゆりちゃんを助けることにあります。自分が助かるために、気づいていないゆりちゃんを救うために、もこっちはゆりちゃんの腕をとり手を振らせながら「嘘でいいからやれ!」と指示を出すのです。


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実にもこっちらしい、ゆりちゃんとの間に築かれている友情を感じさせられるシークエンス。恥じらいつつも、参加型アトラクション独特の楽しさに身を任せ始めるゆりちゃん可愛すぎ問題。

ゆりちゃんの歌声が耳に入ったのでしょう、真子さんが振り向いて驚愕します。あんなにはしゃいでるゆりちゃんを見るのは初めてのことで、ゆりちゃんは「こういうの絶対にやらない」からです。黒木さんは凄いなあ、ゆりにどんな魔法を使ったんだろう?

ゆりちゃんは不可思議な心地よさを覚えていたに違いありません。

覚悟を決め、肚をくくって自分が一歩踏み出せば、その勇気を讃える結果がもたらされるものです。



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その結果がこれだよ!

コワリィッチに愛すべき凸凹3人組が讃えられた瞬間です。歌ってくれる3人の姿が、とても嬉しかったのでしょうね。

とびっきりの笑顔が揃う写真が人生に寄与してくれるありがたみは、歳を重ねたものにしか分かりません。

この3人は修学旅行で蝙蝠の間から関係が始まった縁で結ばれているわけですから、これはもう家宝級の、最高の写真だと私なんかは思います。


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しかし名前は答えてもらう







…。
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アトラクション後に真顔で虚脱直立するふたり。

なんだかんだで「らしく」ないことをしたものだから、
回復待ちなのでしょう。他の4人は手洗いか写真の購入にいったのでしょうか。

お互いがそばにいても無理して何かを語りかける必要のないことが自然である、いつもの間柄。

…と思いきや、


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「黒木さんのせいで たいへんな目にあった…」
やおら呟くゆりちゃん。

ゆりちゃんはきっと、この発言を受けて「ごめんね、ゆりちゃん……」 と謝ってくるもこっちを期待していたのです。そして「ううん、黒木さんだからいいよ(だから、おあいこ)」と返してシャンシャンにする意図があったのではないでしょうか。

真子さんであれば、その望んだ返答は得られたのでしょう。
しかし相手はもこっちです。真子さんとは違います。以前とは違って、立腹したら遠慮なくもの申すことのできる仲になっているのです。


「お前がああいいうの 絶対嫌そうだから やってやったんだろ!!
「お前…!?」
「……頼んでないし お前じゃないけど……」

売り言葉に買い言葉。
ゆりちゃんは、自分の甘えが跳ね除けられ、お前呼びされたことに不快感を露わにします。

もこっちは、お礼までは望まなくとも「まさかあんなことになるとは思わなかったね」ぐらいの、互いが互いを理解し合えているからこその感想を共有したい気持ちはあったでしょう。

お互いがお互いを想っていたとしても、言葉ですれ違ってしまえば、感情の持つパワーに負けてしまい、険悪な雰囲気に発展してしまいます。


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そこに降臨するは救いのハグ。勇気をだした一歩を讃える結果。ふたりは吉田さんに救われました。

もこっちは、ゆりちゃんと友達関係にあるからこそ怒りの感情を発露させました。さはさりながら、ゆりちゃんとの間に生じた仲違いを即座に解消しきれるほどの手腕は有しません。

ゆりちゃんは、コワリィッチに「ゆり」「ゆり」と呼ばれても嬉しくなかったこともあるのでしょうが、「お前」呼ばわりが、気の置けない間柄だからこそ用いられもすることに気づきました。

もこっちに自分の名前を答えさせ、確認と満足、そして湧き出る喜びをのせて手打ちの言葉を口にします。

「まぁ黒木さんのお陰で吉田さん楽しそうだし 一応 私の為にもやってくれたんだよね? じゃあもういいや」

何がだよ?と思うもこっちは、ゆりちゃんの心情の機微をいまだ理解しきれていません。分かるのは、吉田さんのように言葉と感情が明瞭な方が理解しやすいということぐらい。もこっちの中で、相手をなるべく理解しようと努める気持ちが育っている気がします。

ゆりちゃんは、自分勝手で気難しいようでいて、結局のところで大切な相手である吉田さんが楽しんでいることを喜ぶ優しさ持っていますし「一応」と謙遜クッションを挟んで、同類の黒木さんが自分のためにしてくれた行為であったことを疑問形の形にすることで断定を避けつつ認めています。

ゆりちゃんが友人に求めるのは、言葉と感情を曖昧にしつつも理解しあえる熟年夫婦のような間柄なのでしょう。ただそれは、真子さんに求めることはできても、もこっちに求めることはちょっと難しい気がします。

ゆりちゃんは、その気さえあれば「ねぇ。とか、お前。とかで私を呼ばないで」「ゆりって呼んで」と確たる態度をもこっちに示せるでしょう。でも、決してそうはしない。気づいてもらうことを望み、求めているのです。もこっちが開眼するのを待っているのです。

隣同士に座って、何も語らずともそのままでいられるような、ふと手が触れ合っても、「まぁいいか」と仄かに伝わる温かさを無言で共有できるような間柄を欲しているのだと思います。

もこっちがふと、ゆうちゃんと路線は違えども、ゆりちゃんもまた自分にとってかけがえのない親友であると気づくときがくるのではないかと期待しています。ゆうちゃんが中学生時代に得た無為の親友であるなら、ゆりちゃんこそ、高校生時代に得た無為の親友になります。

その日が来るのはちょっと遠いかもですが、意外とすぐそこにあるような気もします。ゆりちゃんは面倒くさいですけれど、唯一無二の親友になる存在でしょう。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんはやっぱ、いいなあ…








人と屏風は直ぐには立たない?

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吉田さんの左頬の腫れの原因は、なんというか実にしょうもない吉田さんらしいものでした。純粋にネズミ―を楽しみたい気持ちが横溢する吉田さんにヤンキー仲間がついていけなかったことでひと悶着があったのです。


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即座鉄拳殴打にでる吉田さんの狂犬具合はさておき、気の進まない相手に自分の好みを平然と無理強いするのは非常識な態度といわざるを得ません。もこっちらと行動を共にしても、ネズミ―を心の底から満喫しようとする気持ちに陰りはありませんし、アトラクションを楽しむノリをメンバーに求めています。

吉田さんは、大好きなネズミ―の世界に友人を招くことが目的ではなく、ただ友人と楽しい時間を共有したいのです。そして、自分がネズミ―が好きであることに懐疑も羞恥も抱いていません。好きだから、なにも、曲げない。精神の高い自立を感じさせます。

例えばネモは、自分がアニメ好きで声優を目指していることは友人たちに2年間隠していました。たとえ親しい中でも、知られず隠しておきたい秘め事はあるものですし、あって糾弾されるいわれもない。

しかし吉田さんはドストレート。自分の好きなことはノーガード開示。それを否定されようと揶揄さえようと、怒りはしますが、好きである自身の気持ちを曲げることはありませんし、好きでいてくれる人に喜びをぶつけます。言葉と感情がハッキリしている。


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吉田さんを喜ばせるためではなかったとはいえ、もこっちとゆりちゃんは一転して能動的にアトラクションに参加する姿勢をとりました。ジェスチャーもして大きな声を出して歌いました。吉田さんは普段の二人を知っているわけですから、どれほど嬉しく思ったことでしょう。

だからこそ、こんな曇りのない笑顔をするし快哉をあげる。抱きしめちゃったりする。コワリィッチと同じ表情になっちゃったりする。吉田さんはホンマいい舎弟友達をもったものです。

他人にどう思われようが、自分に「それが好きだ」という確たる感情があるなら、それを隠したり、曲げたり、誤魔化さなくてよいのだという一つのテーマが見えてきます。


遠足はお昼前。まだまだ続く。

吉田さんとヤンキー仲間、ネモと岡田さんとの仲直り、うっちーのもこっちへの想いの終着点などが、これから描かれるのだろうと思います。そして、ゆりちゃんの成長も。

来年の更新日が待ち遠しいですね。
 
ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 18:43| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする