2018年02月18日

(映画感想)『タッカーとデイル 史上最悪についてないヤツら(原題:Tucker and Dale VS Evil)』




映画好きの友人に推薦された一本。ジャンルはホラーコメディ。隠れた名作

我々人間はコミュニケーションが取れる。理解し合える。しかし、偏見と思い込みが過ぎるとそれすら不可能になる。なんにでも流される自分の意思がない人間もダメだが、偏見に凝り固まった人間もまた、ダメなのだ。掌を相手に見せて Hi! と挨拶するのは、マナーでもあるが、相手を攻撃する意思のないことを示すだけでばく相手からの無用な攻撃を誘発させないための自己防衛でもある。銃社会なら、なおさらだ。

腹の中に煮え切らない気持ちがあったとしても、我々はやはり、互いに歩み寄り理解し合う方が良いのである。たとえ机の下でナイフを突きつけあって「肘をつけて話し合う板一枚下は一触即発」であったとしても、互いに歩み寄る姿勢である方が良い。攻撃的な姿勢でいることは、場合と展開によっては、凄惨で取り返しのつかない破滅に向かって追い込まれる結果に繋がることがあるからである。

本作のプロットは、そうした訓戒……でもない、一種の倫理を下敷きに組まれているように思える。幼い頃からずっと一緒に生きてきた気の置けない親友同士の2人のおっさん(タッカーとデイル)と世間知らずのボンボン大学生たちでは、やはり局面での突破力が違うのである。そしてまた、ヒロインである真面目に学業に打ち込んでいる心理学専攻の女学生は、深慮と未知の相手に歩み寄る勇気を持っていた。そんな登場人物らは副題通り、おしなべてツイてない羽目に陥ることになっていく。

ジャンルとしてはホラーコメディなので、物語の展開に不自然な「ご都合」があってもコメディということで無理が通せる親設計仕様。

さあ、これをエンターテイメント映像すれば一本の映画ができるぞ!


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本作の舞台はウェストバージニア州アパラチア山脈(の麓の森の中)、世俗から隔離された大自然の中。

ウェストバージニア州というのは、要するにド田舎である。映画においてアメリカの田舎が舞台、といえばメイン州やアイオワ州だとかの印象が強いが、ウェストバージニア州もまた「田舎担当州」のひとつである。

……もっとも、アメリカは国道が広過ぎるので、どこの州にも僻地的なOutskirtsとしての田舎を抱えている気もするため、「○○州は田舎である」と断定するのはそれこそが偏見というか、ナンセンスな行為かもしれない。

なお、同州の炭鉱の田舎町「Coalwood」を舞台にしたヒューマンドラマ『遠い空の向こうに(原題:October Sky)』は、米国の田舎町特有の閉塞感と、どこまでも果てしない広大な秋の空が対比的に描かれた傑作である。カバー曲『カントリー・ロード』の原曲である『Take Me Home, Country Roads(故郷に帰りたい)』もまた、ウェストバージニア州を歌った曲として有名だ。

いずれにせよ、ウェストバージニア州の携帯の電波も届かぬ「圏外」な森の中にキャンプにやってきた大学生たちが、「念願の別荘を手に入れたぞ!修繕だ改修だ」と準備している休暇中のタッカーとデイルを不気味なヒルビリー(Hillbilly:田舎モン、かっぺ)だと偏見から思い込むところから、本作の「ツイてない」悲劇が始まるのである。


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アメリカは国土が広く、人によっては生涯にわたって自分の住む州から出ない人すらいるそうだ。それは「田舎」の白人に多いそうで、当然ながら保守的な人種であるし、学歴は低いし低所得である。共和党支持者で、銃規制には反対で、V8エンジンを積むピックアップトラックを愛していたりする。もしくは、そういう印象が強かったりする。こうした白人たちは「Redneck」と呼称されている。彼らはステレオタイプなところがありながらも、肉体労働を中心に勤労に勤しみ、趣味があり、州と郷土への愛着があり、日々を楽しく生きているのである。

彼らは田舎者であることは知っているので、都会の人間を前にすると裕福で別世界の人間であるという線引きを引いてしまう劣等感も有する。余所者に対して攻撃的な態度をとる人間も、勿論、いる。田舎は住人が少なく密接な人間関係がある監視社会でもある(息苦しいところがあるが、それがセーフティネットになっていたりもする)から、余所者の存在は一種の緊張の引き金になる。とはいえ、彼らの縄張りを荒らし始めるような余所者はまずいないで、問題が生じることはあまりないのである。

生じるとすれば、入り込んできた余所者が勘違いをしてなにかをしでかした場合であることが多いものだ。「厄災は常に余所者が持ち込んでくるもの」なのである。

その余所者とは、都会からきた人間と相場が決まっている。田舎の人間は人をさらって森の中の小屋に連れ込み猟奇殺人を楽しんでいるとか、人気のない山奥には殺人鬼が住んでいて殺されるとか、 都会にいた犯罪者が身を隠している仮初めの姿だとかのステレオタイプな偏見を持って。


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思えば『ブレアウィッチ・プロジェクト』も田舎の森の中が舞台であった。人が住む町があり、そこからちょっと足を運べば人間を拒むように存在する大自然が横たわっている環境に住み続けていれば、そこには「人を飲み込んでしまう危険が潜んでいる」畏怖の念が育つと考えられるし、米国人の中に普遍的に存在するオカルトじみた怖れの念の出自となっているのだろう。

大自然を控えた人の姿のない田舎であればこそ、風貌の怪しい人物は、やはり即座に警戒の対象となりうる。大自然も怖いが、狂った人間、ことに潜在的なシリアルキラーはもっと怖いのである。死んだと思っていた犯人の死体は確認されず、実は生きのびていたんだ、とかね。
 
posted by ぎゅんた at 23:01| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

オートミールで納豆ご飯もどき


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最強に美味しい組み合わせだが、白ご飯の存在が気になる(情けない)お年頃……


子どもの頃は万能食と信じて疑わなかった納豆ご飯。
中年のおっさんになった今、改めて納豆ご飯を再考すると血糖値オーバーシュートの面でわずかに見劣りがすることに気づいた。納豆ご飯は、白米だけを食べた場合に比べて血糖値の上昇を緩やかにはしてくれるのであるが、白米は所詮は栄養分を削ぎ落とした存在であるだけに栄養価の観点から見ると力不足であり、納豆頼みになっていることを否定することができない。

おっさんにとって「健康であること」は履歴書に誇らしげに記載できるほどの価値があるのである。そしてまた、おっさんにとって健康を考えるとは、糖尿病にならない生活を送ることを意味している。糖尿病になることは人生に重い足枷を装着することに他ならない。


糖尿病というのは「インスリンの作用不足よる慢性高血糖を主徴とする疾患群」であり、発症の引き金には血糖値の急激な増減が大きく関与している。血糖値は常に高くてもダメだが、血糖値の急激な変化もまた、身体にはよろしくないのである。

食事通じて血糖値が上昇すると、

高血糖→インスリン→血糖値の低下(血糖は脂肪に変換される)

このような反応が起こる。

誰しも給食を終えた正午の授業で睡魔に襲われた経験があるものだが、食後に午睡を誘うあの多幸感は、急激に上昇した血糖値がインスリンによって下げられたことを意味する生理反応である。試しに、炭水化物を一切、含まない食事で昼食を終えてみると眠くならないのでよく分かる。

学校給食は炭水化物がリッチなため(家庭科で食事における三大栄養素は「炭水化物・たんぱく質・脂質」教えているのだから、給食もそれを律儀に守り必要栄養を満たす献立になっている)、生体の生理反応が元気溌剌な子どもたちが正午に眠くなるのは自明なのである。

さて、この反応が生体内で慢性的に起こり続けるにつれて、生体にインスリン抵抗性が出てくる。糖尿病予備軍の仲間入りである。これを解消するのは薬ではなく、食事内容の見直しと運動(血糖を消費させること、インスリン抵抗性の改善が狙い)がまず第一となる。真面目にやると、ちゃんと下がるからである。

反して、ズルズルと過ごしていると薬物療法が必要なレベルに陥ってしまい、めでたく糖尿病患者の仲間入りとなる。定期的な病院通いを強いられ、いかに世界に冠たる日本の国民皆保険制度の庇護があれども医療費の経済的負担は避けられず、糖尿病の三代合併症に怯え続けることになる。人種的に膵臓の機能が弱い日本人にとって糖尿病はがんと同じく割合に避けられきれない病気でもあるようだが、しかし、避けられるべき糖尿病は避けなくてはならない。当人のみならず、日本社会にとっての人的・医療資源的・経済的損失であることは間違いないからである。

食事による血糖値の急激な上昇は、小麦や白米といった精白系穀物、清涼飲料水添加される葡萄糖果糖液糖や果糖、砂糖によってもたらされる。昨今、「食前に、前菜のようにまず野菜を」と盛んに言われているのは、先に食物繊維を採っておくと血糖値の上昇が緩やかになるからである。

ひとまず、空腹に銀シャリや菓子パンや清涼飲料水は最悪、と覚えておけば良い。これだけでもだいぶ違う。空腹は異常状態を示す初見ではないのだから、空腹を感じたら腹を満たす行動に出るのは誤りである。腹を満たすにしても、血糖値をズバンと上げないものを選択する程度のセンスが必要だ。


「パンではなくご飯を食べよう」というちょっとスローガンがある。
私は両手を上げて賛成だ。昔ほどパン食が好きでなくなったこともあるが、日本人はパンよりもご飯だ、という意識があるし、なにより、ご飯もといコメこそがこの日本を作り上げてきた歴史的土壌があると信じているからである(これは富山和子 著『日本の米 環境と文化はかく作られた』に詳しい)。

私は日本の食事情に台頭してきた菓子パンの存在こそが現在の日本人の健康を蝕んでいる諸悪の根源だと確信している。菓子パンは分かりやすいその美味しさを盾に、善良で豊かな食生活を彩る貴婦人ヅラをしているのが心底、気にくわない。そしえ、その魅力に抗えない時がある自分の意志の弱さにも辟易させられてしまう。だれか学と地位のある人が「菓子パン亡国論」でも唱えてくれないものかと期待しているところだ。


パンよりご飯だ。それはいい。
だが、白米をバコバコ食べるスタイルは血糖値の観点からみればよろしくない。然りとて、玄米で食べるのもよろしくない(血糖値の急激な上昇を起こさないことと栄養学的には満足できるが、食感が白米のそれと違いすぎて食べづらく不味いと感じる)。せめて麦を混ぜるべきであろう。案外に食感も美味しさも損なわないからである。ただ、麦を混ぜてご飯を炊くと年配者のウケがよろしくない。理屈抜きの白米信仰は、案外に根強く残っていたりするものなのだ。

私自身には白米信仰はないので、麦ご飯に抵抗はない。むしろ白ご飯で血糖値を上げたくないので麦ご飯を望んでいる。しかし嫁は嫌がる。炊くときに少し麦を混ぜるだけでいいやろが、と内心、方言丸出しで悪態付くことがしばしばである。そもそも嫁というのは、夫が勝手に飯を炊いたりキッチンを使うことを縄張りを侵食された野生動物のように嫌がり、料理や献立に文句をつけてくる夫を攻撃対象とみなす生き物である。意地を張っても勝てないし非生産的な喧噪でしかないから素直に従う方が良い。たまにキッチンを使っても良い承諾を得ておけば充分である。

夫が小腹を満たすために納豆ご飯を食べたくなったとき、どうすればよいだろう。
ご飯を炊くにも嫁が嫌がるし、手間である。白米で納豆ご飯は血糖値と栄養の簡単からややマイナスだ。

そこで私はオートミールに注目した。オートミールの正体は麦である。白米を諦め、100%麦ご飯(いわゆる麦飯)に納豆をかけて食べることにした。

耐熱容器にオートミールをザザッと入れ、浸るぐらいの水を注いでラップをかけて電子レンジで数分、加熱するだけで食べやすい状態になる。そこに納豆を加えてかき混ぜて食べるだけだ。見た目はとても悪いが、納豆ご飯の代替として申し分のない味である(思ったよりも麦臭くないことに、驚くはずだ)。より美味しく頂くことを望むなら、小鍋でオートミールをしばらく茹でることで粥状にできるので、それを腕に装って納豆をかければ良い。

オートミールがご飯がわりになるわけで、納豆の代わりに生卵で「卵かけご飯」にもできるし、丼モノも可能である。白ご飯に比べて咀嚼の面でやや物足りないぐらいの欠点はあるが、それを指摘するのは野暮であろう。

オートミールは安くて保存も利き、なにより栄養価に優れた食物繊維の塊である。非常食にも、なるだろう。海外の朝食に見られる不味い牛乳粥ではないのである(そういう食べ方もできる、というだけだ)。見た目が致命的に悪いことが、簡単に超えられて気にならなくなるにしても、最初の障壁であろう。

オートミールを食べることがダイエットに直結することはないが、白ご飯の代わりにオートミールを採用するだけでも血糖値栄養の観点から恩恵が得られるであろうし、レシピとして知っておくだけでも大きな意味がある。

安く購入する場合はキロ単位からになるので、まずはドラッグストアなりのシリアルコーナーで手頃な量のものを購入して試してみるとよい。気にいったら、Amazonなり楽天なりでキロ単位のものそ購入するとよいだろう。
 
posted by ぎゅんた at 16:56| Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

(映画感想)『GANTZ:O』


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奥浩哉の漫画『GANTZ』の大阪編をストーリーのメインに据えた3DCG映画。漫画原作の映画化は、邦画は、下手に実写化などしないで素直にCGアニメーションにした方が宜しかろうと思わされる高いクオリティに仕上がっている。個人的には期待値には届かないものだったが、ファンの多くは満足する内容だろう。

原作における大阪編は、おそらく最も面白い時期であったのではないかと思われる。漫画『GANTZ』魅力をこれといって説明すること難しい。多方面に貪欲で飽食で刺激的だからである。簡易に表現するなら、現代舞台にSF設定を盛り込んだエログロアクション漫画といえる。普通、そうした「お手軽な」ものはファストフードと同様、子供だましな内容と展開を否定することができず、10代読者層にはウケてもそれ以上の年齢層には底を見透かされてウケないものである。『テラフォーマーズ』がその好例として挙げられよう。『GANTZ』もまた、その流れがあることを否定できない。

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しかし、『GANTZ』には、とりも直さず、とてつもなく魅力的な男性キャラクターたちが登場する。それぞれを主役に据えて世界観を変えれば面白い漫画が一本、作れちゃうほど個性的で魅力的なキャラクターが、あまつさえ使い捨てのように贅沢にシレッと動き回っている。『GANTZ』は、主人公やヒロインにさしたる魅力は覚えないのだが、サブキャラクターたちがトンデモ面白くて引き込まれるのである。私は昔から主人公よりもサブキャラが好きなタイプだったので、堪らないものがある。

作者である奥浩哉は「DQNを描かせたら右に出る者がいない」人類の至宝レベルのハイセンスの持ち主であるから、その慧眼があれば、漫画のキャラクターとして極めて魅力的な人物像を与えることは造作もないことなのかもしれない。大阪編の主要登場人物らには、大阪への多少の偏見と悪意がある気がしたが……

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そうした個人的背景から本作を評価すると、残念ながら高い評価を出すことができない。ストーリーが悪いわけではなく、登場して欲しいキャラクターがオールスターレベルで欠落しているからである。風とタケシ、桜井とサカタの超能力師弟コンビ、ホストザムライ、ド変態の桑原さんが登場しないのだ。この時点で「それはアカンわ」と思う方は少なからずおられるはずである。このクオリティの3DCGアニメで彼らのアクションを堪能できたのなら、と、ひとえに残念な気持ちになるのである。

本作の主人公・加藤は原作通り素晴らしい漢であり、文句のつけようがないが、加藤1人で物語を引っ張るには大阪編はあまりに大きすぎる。ヒロインは2人登場するが、初代『デッドオアアライブ』のような縦方向だけの不自然な乳揺れを強調されても仕方がない。エロを強調する上での遊び心かもしれないが、それが『GANTZ』の重要な魅力のひとつとは思えない。本作にヒロインはそもそも不要だったとは言えないが、扱いに贔屓がすぎたのが個人的には不満であった。先述したが、『GANTZ』において、主人公とヒロインは添え物みたいなものだからである。

posted by ぎゅんた at 13:48| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

(漫画紹介)『健康で文化的な最低限度の生活』




生活保護に携わるケースワーカーたちの姿から、生活保護の実態を克明に描いている作品。「行政」を舞台にした人間ドラマものであるが、半田さんの格好良さに悶えさせられる萌え漫画でもある

ネット上では10年ほど前から、生活保護に対してバッシングの嵐が吹き荒れてきた。「働いたら負け」とか「現代貴族」とかいう名言(?)はこの頃に生まれたものであったように思う。その背景には生活保護という社会保障制度への無理解と誤解、そして極めて人間らしい醜い嫉みがある。無知からくる偏見ほど厄介なものはない。

元々、生活保護という制度は、存在はすれども関わりなく過ごしてきた国民が大半だった。生活保護のセーフティネットに掛からずして生活している人ばかりであったのである。

そんな中、押しも押されもせぬ破竹の勢いの日本経済もバブルが弾け敗戦処理に追われることになった。経営者はリストラを断行し非正規雇用という蜜を吸い始めるようになった。それまで日本社会は、なんだかんだで雇用者を大切にしていたのであり、年功序列が明らかで就職後の将来設計見通しも建てやすかった。それをして愛社精神があったし、文句を言わず素直に勤労し納税していた。順応な飼い殺し社会だったと言えるかもしれないが、極めて安定した豊かさがあった時代であったと思う。

経済繁栄路線をひた走っていた日本社会もとうに終焉を迎え、全体的な豊かさが減じるにつれ、相対的に貧困層が目立ち始めた。生活保護受給者が増え始めると同時に、生活保護のプレゼンスが増した。おりしも、これはワーキングプア問題が台頭し始めた時期にも一致するのである。

昨今、国も国民も、生活保護受給者は税金を食いつぶす存在だと認識しているように思う。

しかしそれは間違いであることは、冷静に考えれば明らかである。

受給者もまた国民の1人であり納税者であり、社会にはいざという時のためのセーフティネットが不可欠だからである。

生活保護受給者への風当たりの強さは、偏見から生じているものが多数であるが、自業自得の側面もある。恥や遠慮を知らない傲岸不遜な態度の受給者がいれば、反発を招くだろう。貧困ビジネスの肥やしにされている受給者がいれば、その無知さ加減を追求したくもなるだろう。嗜好品の購入やギャンブルに保護費を費やしていれば、その愚かさ加減を呪いたくもなるだろう。こうした「残念な」受給者は、ごく少数ながら実在する。もしあなたの周りに行政(生活課)関係者や医療従事者がいれば、生活保護受給者の印象について尋ねてみると良い。少なからず辛辣な意見を耳にできるはずだ。火のない所に煙は立たぬ。強烈な印象を与える存在があれば、たとえ少数なれども、そのものが属するグループ全体の印象を決定づける。例えは悪いが「飲食店とゴキブリ」のようなものだ。

さはさりながら、受給者は馬鹿だと断定することはできないし、してはならない。「生活保護を受給している」現実を、実際に有する心理状態は、そうでない人が想像することは難しい。身体に痛みを抱える人の精神状態が不安定になりがちなように、生活保護を受給していれど金銭的に困窮し余裕をなくしている人が善良で良識的であれようか。

「犯罪の禍根は貧困にあり」「衣食足りて礼節を知る」「恒産なくして恒心なし」などど言われるように、人が人として生きていくには、何よりも余裕が必要である。生活保護受給者が増えていることは、財政上、確かに由々しき問題であろうが、その反面、この制度によって不幸な犯罪の発生が防がれている側面もあろう。生活保護を受給するような貧困者は穀潰しだとかプライスレスだとかDQNだとか罵倒する人間(ネット上で目立つ)は、自助努力して地位や収入を勝ち得た、さぞ立派な高額納税者たちなのであろう。言いたくなる気持ちも分かる。しかし、生活保護受給者について、もう少しばかりの斟酌をお願いしたい。

現状、生活保護受給者の多くは国民年金だけでは生活に困窮する高齢者である。さすれば、超高齢化社会である以上、今後も受給者の数は増加し続けていくことになる。

いくら生活保護が社会にとって必要な制度であっても、その財源は無限に用意されているわけではない。現在の日本経済が好調で成長路線であるなら、税の増収が見込めるので良いのだが、そうではないわけである。アベノミクスがなんであれどうであれ、景気が良いと実感しているのは、勝っている投資家や退職間近の官僚や大企業の役員以上のアッパークラスな人たちであり、経済を根底から堅牢に支える中流層の人口は増えていないのである。

経済の基本は「お金の循環」であるから、貧困層に位置付けられる生活保護受給者に現金が支給されることは、実は最もローコストでハイリターンなことである。しかし、経済の規模は小さいと言わざるを得ず、やはり景気を良くして税収を上げていくことを考えるなら中流層を増やさなければならないだろう。中流層ほど消費活動に能動的で善良な納税者もおらず、国家が求める国民の模範像たる存在もないはずである。

……漫画の紹介から大きく逸脱してしまった。それというのも、この作品が生活保護という制度を通じて色々なことを考えさせられる力に満ちているからである。実写ドラマ化されそうでされないあたり、ドラマ化によって生活保護受給者(申請者)が急増することを懸念する向きがあるのだろうか?とちょっとモヤモヤする。単に作者が許可してないだけかもしれないけど。
 
posted by ぎゅんた at 16:28| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

わたモテ感想[喪129]モテないし教えてあげる


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もこっちを絡めてまさかこのような流れでネモと岡田さんの仲直りの流れを実現させるとは…とシナリオの巧みさに感服させられた回。

ゆりちゃんはもこっちのところに合流しますが、仕方のないこととはいえ、蚊帳の外っぽい立場になってしまいます。不遇回だと思います。



遠くに行った人は嘘をつきやすい
前回のラスト、1人で俯き歩いている南さんの後ろ姿を目にしたゆりちゃんと真子さん。南さんは泣いています。そんな南さんの前に現れますは別のクラス別れをした「友達」。しかし、一緒に回ろう!と声が掛かるわけではない。

「何してんの一人で?」
「3-5の人と一緒に回るって言ってなかった?」
「もしかして一人なの うちらと回る?ついて来てもいいよ」

南さんに掛かるのは、この残酷な言葉がけ。

南さんはこの遠足で、一人でいる姿を見られたくないからこそ、一人でいたくないからこそ、岡田さん+加藤さんに混じって男女混合グループ行動をとるつもりだったのです。

しかし、ネモ岡田さんの仲違いがあり、グループ行動計画は瓦解してしまった。ふたりに疎んじられていることは多少は気づいていたであろうが、岡田さん+加藤さんについて行く他になかった。あまつさえ岡田さんからの思いもよらぬ痛棒を喰らって捨て台詞と共に飛び出して来たところなのです。南さんの悪口を言いたがる性格こそが禍根であるとはいえ、そのことに自覚のないままの南さんはもうパンク寸前です。

南さんがそんな状態にあることを読者は分かっていますから、嘲笑的なニュアンスを隠そうともしない「ついて来てもいいよ」と言われる辛さが共感できるというもの。

「はぁそんなわけないじゃん‼︎ はぐれただけだよ 今 連絡とったし‼︎

と強がって合流を拒む南さんを、誰が自業自得だと嘲ることをできましょうか。そしてまた、この3人の「友達」は、そんな南さんの発言を強がった嘘っぱちだと見抜いているに違いないことを、離れたところで南さんをネタに嘲笑するであろう次の姿が予想できない読者もまた、おりますまい。


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そんな姿を離れからみていた真子さん・ゆりちゃん・うっちーの3人。

ゆりちゃんもうっちーも相好を崩さず真顔のままですが、真子さんはこの事態にあって茫然としています。固まる真子さんを横目みるゆりちゃんはなにを思惟したのか。

ああ、真子は南さんが心配で放っておけないのだな。でも、私が足枷になっていて一歩を踏み出せないで逡巡しているのだろう。それなら……


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「行けば?」

ゆりちゃんは真子さんの背中を押して送り出すことを選択します。自分は南さんのところには行きません。嫌いだからです。

真子さんが南さんの所に行くということは、もこっちたちの元に合流した時に少なからず孤立しがちな不安定な立場にならざるを得ません。そのことはゆりちゃんも承知のはず。それでも、人情に厚くて困った友達を見捨てられない優しい真子の気持ちを無視することはできません。

一方、真子さんは人を心配するあまりに行動が優柔不断に陥ることがあるから、真子さんを突き放すような口調になります。

「行きたいんでしょ 行けばいいよ」
「…ゆりも」
「私は行かない」
「………」

南さんの元に向かおうとする真子さんを冷たく不機嫌に突き放しているかのような口調です。

しかしゆりちゃんは、この態度をして真子さんと仲違いになるとは思っていません。たとえ真子さんと南さんが親密になろうとも、真子さんとの関係が壊れることはないと確信しているのです。

加えて、単純に南さんとの面倒な折衝を避けたい心理があるでしょうし、自分は身を引いて全て真子さんに任せた方が結果的に良い結果になるであろうとも達観してもいるからでしょう。ゆりちゃんなりの気遣いなのです。真子さんの「…」は、ゆりちゃんの気持ちを読み取っていた造次の間を表しています。


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南さんを追う真子さんの後ろ姿を見送るゆりちゃんとうっちー。

うっちーは南さんと真子さん、ゆりちゃんの人間関係にさしたる興味はないでしょう。でも、真子さんとゆりちゃんが別行動になることを心配する気持ちはあります。

「…いいの?」
「……私は仲良くないから」

真子は私と違ってうまくやってくれるから。というゆりちゃんの気持ちがうっちーにも伝わったのではないでしょうか。


ところで、うっちーは「(うっちーにとって)特に理由のない暴力」をゆりちゃんから受けたお立場であるのに、随分とフラットな間柄になっていますね。さして親しいでもないが一定の距離感でお互いを許容しているというか。性根が優しくて興味のないことには無関心な人間同士というか。こういう間柄は好きです。

うっちーのもこっちへの想いはいずれ決着がつくにせよ、「黒木組」とうっちーとの関係が途切れるとは思えません。うっちーはゆりちゃんにとって、いい意味でフラットなまま気の置けない相手になって欲しいと思います。


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さてそんなうっちーも、ついに雌猫の間グループに見つかってしまいます。
もこっちと一緒にいると聞き及んでいるにも関わらずゆりちゃんと一緒ですから、雌猫の間グループは多少の混乱は覚えたでしょう。しかし彼女たちは、そのことをさして意に介さないのですね

「なんでもいいよ 一緒に回ろう ナツは彼氏と回ってるし うっち一緒じゃないとつまんないよ」
「もう用事は済んだでしょ?」

雌猫の間グループは「普通の女の子のグループ」でありましょうが、とても明るく清潔な印象を受けます。うっちーは本当にいい友人に囲まれているのです。

この場面のやり取りは、当然ながら南さんのそれとの対比になっています。ちゃんとお互いを好き合っている関係にある友達であるかそうでないか。相手のことを否定せず受け入れる姿勢であるかどうか。


雌猫の間グループは、もこっちと一緒にいるうっちーと合流して6人で回ろうと考えていたのでしょう。もこっちがいないので屈託無くゆりちゃんを誘います。

しかしゆりちゃんは、やおら耳飾りを外しながら

「私は待たせてる人がいるから」

と返します。

ゆりちゃんが耳飾りを外したのは、あなた方のグループとはご一緒しませんという意思の表れに他なりませんが、心理的な緊張があった上での無意識的にとった行為だと思います。

「あ、そうなんだ残念だね」
「じゃあねー」

社交辞令ながらも棘のない反応で別れます。雌猫の間グループの女の子たちは、うっちーとの合流が嬉しくて仕方がない様子です。ゆりスマイルで手を振るゆりちゃん。


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……やっぱりちょっと頑張ってました。

「戻ろ……」

どこに?
待たせている人のところに。一緒に回っている人のところに。少なくとも、黒木さんと吉田さんがいるところに。私には帰るところがあるんだ。



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……。
なぜ増えてる

一人で戻ってきたわけですから、当然ながら(班長役になっている)吉田さんに真子さんとうっちーのことを訊かれます。シンプルに「他の人と回るって」とだけ伝えるあたりが実にゆりちゃん。

もこっちは両手に花(ネモ&加藤さん)、吉田さんの側には岡田さんという強靭な布陣の前にゆりちゃんなす術なし。ゆりちゃん的に最も一緒にいられない人物は岡田さんでしょうから、畢竟、黒ネモ加藤の後ろを追うことになります。

煌びやかに挟まれた黒木さんが遠い。吉田さんは岡田さんと小さな悶着を起こしているけれど、アレは間違いなく吉田さんのオウンゴールだろう。そしてまたしても乗り物系アトラクションで黒木さんと違うペア。加藤さんと話せることなんてないよ……。

アトラクションから降りてみれば、岡田さんが根元さんの腕を掴んで向こうに連行していく。


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憐れゆりちゃんは憔悴のオンザベンチ。さしもの加藤さんもグロッキーゆりちゃんを気遣っていられる場面でもありません。ゆりゲージが溜まってそう。真子さんがいないのは、やっぱり、堪えるのです。


今回は大変だねゆりちゃん回と言わざるを得ません。

大嫌いな南さんに思うところがあったために、そんな南さんを慮る真子のために、我慢の道を選んで真子さんの背中を押した今回のゆりちゃんに私は一縷の気高さを覚えます。決してベストの対応ではなかったのでしょうし、我儘を通して「行かないで」と真子さんを制することもできたでしょう。真子さんと離れることにメリットなど、ないからです。

ゆりちゃんはゆりちゃんで、思うところがあるのです。人間関係においては、自分が傷つくことになると分かっていても他人のためを優先しなくてはならぬ場面があることが。血を流せばサメがまた寄ってくると分かっていても、血を流すハメになる場面があることも。その代償は見返りを全く約束するものではないけれども、要訣は、人間関係は自分の都合だけを一方的に押し付けて成立させ続けられるものではないということ。

ゆりちゃんは、親友である真子さんが自分にとっていかなる存在であるかを客観的に考えるべき時期にあります。

言うなればゆりちゃんは、真子さんという絶大な保護者のフォローがあっていままで傷つかずにいたけれども成長する機会を失っていたのです。

一方、もこっちは対照的です。痛々しく毒づいたり徒手空拳の末に無残に傷ついたりしてきたにせよ、失敗を小さな糧に成長してきました。他人の無条件の優しさに触れて己を見つめることがありました。「自分を見てくれていた人」を知って自身の影の震えを止めることもありました。性根のところはもこっちの本質であり、そこは変わらりません。本人にもあまり自覚はないようですが随分と成長したものです。ぼっちでなくなったのは、決して偶然の重なりではありません。


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この遠足編でゆりちゃんが大きな成長をみせることはないでしょう。しかし、今後のゆりちゃんの成長の糧となる経験は得られるでしょう。それがゆりちゃん自身が開眼しての「気づき」なのか、他者からのガイダンスから得られる「気づき」なのかは分かりませんけれども。

今回の話でゆりちゃんが不遇なのは、遠足編のシメであろうナイトパレードでのやったぜゆりちゃんイベントのための溜めではないかと思います。

とはいえ、こうしたポジショントークなど軽々と斜め上をいかれてアヘ顔にさせられるのが『わたモテ』なので、予想外の展開込みで座して待つことしかできません。でも、ゆりちゃんの最高の笑顔だけはきっとあるはず。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ…





解語の花
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このコマを見た読者の心のツッコミそのもののセリフ


今回はネモが本気で声優を目指していることが分かった回でもあります。
そして、もこっちと岡田さんとのやりとりから、ネモと岡田さんの仲直りまで一気呵成に掻っ攫っていくスタイル。時刻は点呼の16:00まで1、2時間といったところでしょう。

加藤さん&岡田さんの合流したところに戻ってきたゆりちゃん。そして「あの二人」こと真子さん&うっちーの脱落があって、アトラクション巡りが再開します。ゆりちゃんからの報告を受ける吉田さんは「……そうか じゃあ6人だな」と真子さんの脱落がちょっと残念そうなそぶりをみせます。


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ネモと岡田さんは心理的に蟠りがあるので距離を取っています。ネモはもこっち側に、岡田さんは吉田さんと。

ネモは岡田さんと仲直りができないならそれはそれで…と達観している覚悟がある様で、もこっちにガンガン絡んできます。

これには加藤さんも「二人ともいつの間(に)そんな仲良くなったの?」と新鮮な驚きを隠せません。岡田さんだけでなく加藤さんもまた、もこっちとネモの珍奇な関係については知らないからです。

ネモって 呼んでたんだよね」とナチュラル・ネモの強い口撃。

ゆりちゃんは会話に加わらずジッと我慢の子。しかし心に渦巻く激情はゆりちゃんだけでなく岡田さんにも。舌打ちする岡田さんに吉田さんが話しかけます。


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※注)信じられないことにここからはギャグパートとなります
「お前 根元とケンカしてんのか?」
「あんたには関係ないでしょ」
「あるよ 私も一緒だ」
「え!?」
「私も友達(ダチ)ケンカして別れてアイツらと一緒になったんだ」
「………」
「あいつらといるのが楽しかったから忘れてたが…」
「あんたが悪いの?」
「いや私は悪くねぇよ だからこそこっちから折れてやんなきゃダメなんだ……」
「……… 何があったの?」
「友達(ダチ)がなネズミーキャラの悪口言ったからぶん殴ったんだ そしたらちょっとそいつとケンカになってな……」
「いや……完全にあんたが悪いし そんなくそくだらないのと一緒にしないでよ」
くだらねーってなんだコラ‼︎

そして二人は取っ組み合いに。

びっくりするもこっちと振り向く加藤さん。
この悶着に流石の加藤さんも狼狽しています。
動じもせず仲裁に入ろうともしないゆりちゃんに只ならぬ歴戦の感があります。


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どうやって決めたのか謎ですが、吉田さんとネモ、加藤さんとゆりちゃん、岡田さんともこっちのペアになってアトラクションの列に並んでいます。岡田さんともこっちペアがしんがりなのは、吉田さんと岡田さんを離したいからでしょう。加藤さんの横のゆりちゃんもそうですが、岡田さんの横のもこっちも居心地が悪いひと時です。

順番待ちの時間もあるので、岡田さんはもこっちに話しかけます。自分には決して語らなかった声優になる夢を知っていた、仲が良さそうにも思えなかった存外の人物だからです。

もこっちは緊張のあまりにカバンの肩ベルトを握っています。リア充から強く詰問されているも同然だからです。返事も、小声で吃ってしまいます。

重要なのはネモと仲が良い友達だから声優になる夢を教えてもらったわけではないということ。
声優を目指すというのは、友達であってもカミングアウトすることが憚られる種の道であること。

岡田さんは、ネモやもこっちの「オタク」気質を有さないバスケットガールですので、この辺の知識もないし機微に疎いのですね。そのことを見抜いたもこっちは解説モードに入ります。

「普通の人は知らないけど声優って顔だして唄とダンスして恋愛禁止が普通だから」と吃ることなく述べます(自分の分野のことなら饒舌化します)。これは門外漢の岡田さんが知らないのは無理のないことなので、と気配りのできた前置きに相当します。

そして「男と恋愛すれば売女って言われて そのくせ30過ぎたら早く結婚しろとか言われる世界で……」と解説を展開し始めます。岡田さんは、自分がこうしたことを知らなかったばかりに打ち明けてくれなかったのだと、ネモなりの事情に考え馳せ始めます。そこに「それにエロゲー出演とかもあるし友達に言いづらいんじゃ…」の追撃。ここから岡田さんはもうプチパニック状態から虚脱放心状態に。


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私も声優業界や仕事内容に詳しいわけではありませんが、10代の普通の女の子が知ったら、やはりショッキングな世界に思えてならない内容でしょう。そりゃ打ち明けられませんわ……岡田さんは、ネモが自分に本当のことを打ち明けてくれなかったことへの強張った憤りが氷解していきます。

やや直情的に「声優=エロいことヤる」と捉えてしまったようですが、そんな岡田さんの純朴さと、自分のことを誰よりも本当に大切に想ってくれている温かな気持ちはネモに伝わりました。ネモは岡田さんに一歩踏み出して仲直りです。ネモの影が岡田さん影に重なって濃くなっている描写が暗示的なのですが、今回のラストで、ネモはSタイプと判明しちゃうので、なんというかもう震えが止まらないわけです……。

いやまて、ネモは新学期に自己紹介の後に震えていましたし、わざと相手を挑発して反撃いでてくるのを期待しているようなフシもあるからMのようにも思える。ネモのキャラクターは掴み所に欠けるところがあって、正直、よく分かりません。


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少なからず岡田さんに手を焼いていたに違いない加藤さんは、今回の仲直りのきっかけが岡田さんともこっちとの会話にあったことを知っています。二人の前に並んでいましたから、会話の端々は聞こえていたであろうからです。うーん黒木さんは只者じゃない。

とても加藤さんに話せる内容でないので、もこっちは言葉を濁しています。左右の手ともスカートを握っているあたり、相当に緊張しているようです。

とりあえず加藤さんのもこっちへの好感度UPは確定で、今後、もこっちに積極的にコンタクトを取るようになる予感がします。加藤さんを見るゆりちゃんは、そんな場面を考えて悶々としているのかも。





APPENDIX
ところで『わたモテ』は一級のコメディ漫画であることはご周知のとおりですが、今回、それが発露されたのが吉田さんのナイスなキャラクターですね。

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こんな素っ頓狂なことを「いい話風」に述べるピュアヤンキーが地球上に存在するだろうか?逸材です。

岡田さんはよく吹き出さなかったものぞと感心してしまいますが、もとよりヤンキー枠で恐れられる吉田さんと臆さずタメ口で会話できる人ですし、それだけ真剣に悩んでいたわけですものね。

いやまあ、吉田さんも真剣に悩んでいたのでしょうが、あいつらといるのが楽しくて忘れてたが、とか言っちゃってますし。一緒にするなと答える岡田さんは真っ当であります。

そういえば過去、こんな吉田さんに締め上げられていた黒木さんといえば……


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同じような馬鹿だった。


そんな黒木さんと親しい田村さんもアレですし、やはりこの三馬鹿トリオ3人の関係は本当に素晴らしいです。気づいていないのは当人らだけで、生涯にわたる友情が約束されてた相性と絆で結ばれています。そこに更に真子さんが加わり、共同体のような雰囲気の4人グループが成立する。うっちーとネモには悪いけれども、この4人の特別感は揺るぎません。

ナイトパレードがどうなるかは皆目、見当がつきませんが、この4人それぞれがより仲良くなる展開だと嬉しいです。もっとも、 既に吉田さんと真子さんは「できちゃってる」ぐらいの仲の良さでほっこりさせれているのですけれども。





次の更新は3週間後の2/22で、おりしも12巻の発売日になっています。
待ち遠しいですね。
ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 23:17| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする