2017年10月18日

(漫画紹介)「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」




いよいよ一層、面白くなって止まらない漫画が「わたモテ」である。

ここのところ、連載母体であるガンガンオンラインで最新話が更新されると数日にわたってファンが大騒ぎする祭りで盛り上がっている。連載初期の頃から固定ファンは付いていたが、最近は新規ファンともに作品の更新を祝い、アレコレ語り合う良い雰囲気が醸成されているところだ。作品についてアレコレと語れるのは、その世界に没頭できる魅力が詰まっているからであり、気軽に考察できる描写が散りばめられているからである。良質な文学作品は「行間を読む」ことを含め、読み手側に魅力的な世界を案内してくれるものであるが、最近の「わたモテ」は、従前の(アイデンティティである)痛々しさコメディを保持しながら主人公以外のキャラクターの群像劇へと移行しすることで、極めて魅力的な世界観が演出されるに至っている。

全然接点のないクラスメイト(当人にとってモブキャラ)であっても、ぶつかり、コミュニケーションをとり、人となりを知ることで、活き活きとした存在に変貌する。親しくなってみると、最初の印象と違って、随分と魅力的で個性的なルックスのヤツだったんだなと評価が覆ったりした経験は誰しもがあるはずだ。これは学校という小さいながらも社会の縮図である集団社会のなかでは極めて顕著である。

女の子同士の無駄に不自然で視聴者向けの仲良しアピール.jpg
うーん さすが慧眼の黒木さんです


コミックス8巻から始まる修学旅行編からこのあたりの種が蒔かれ始めていたが、上手に丁寧に育て上げられ、現在は11巻まで刊行されている。今冬発売予定の12巻は、現在の「お祭り」に直結してくる話(いわゆる「神回」)が多く収録されたトンデモナイ一冊になると予想されている。興味のある方は12巻だけでも購入してみるとよろしかろう。1-11巻を揃えたい衝動に駆られるだろう。そして、初期の頃の痛々しさ(必要な痛みなのだが)に戦慄することになるはずだ。それをして、改めて読み直すことになる12巻で言葉にできない静かな感動を覚えることになる。さあ、あなたも更新日に「祭り」に参加しよう!
 
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2017年10月17日

ラテマネーとつもり貯金


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ラテマネーという言葉があります。日常生活における、何気ない小さな出費のことを言います。卑近な例でいえば、フラッと立ち寄ったコンビニで適当に購入したお菓子やガム、飲み物などが該当しますが、タバコや不必要な会費、ATMの手数料なども含まれます。概念的な言葉なのです。

単体では、小さな出費なのです。

しかし、いっときの出費がたとえ軽微であっても、それが繰り返されるのであれば大きな出費に化けます。

お金が溜まらないと嘆く人の多くは、このラテマネーの比率が高いことが多いものです。

ただし、ラテマネーは単純な無駄遣いとは異なります。休憩用の嗜好品であったり、交友上の出費の側面もあるからです。購入の目的が曖昧模糊としており、無為で傾向的な心理からくる出費こそがラテマネーでありましょう。支払ったコストに見合う価値が得られない種の出費、回避できうる出費と考えるとよいでしょう。


なんだかんだと出費を迫られる場面ばかりの世の中ですから、金銭にどれほどの余裕があったとしても常に不足しているように思えてならない圧迫感が我々の意識を支配しているように思えてなりません。実際に、それは正しいでしょう。支払わざるを得ない月の固定費のウェイトが昔に比べ高い気がするからです。社会保険料や通信費がそれです。自由の利くお金の絶対量(要するに月の小遣い)が多ければひとまずは安心なのですが、私を含め多くの人はそうではないでしょう。その状況で無意識的な支出をしていれば、常に金欠に陥りやすくなります。ラテマネーを減らし節約することは美徳であり吝嗇にはあたりません。

我々は金欠を嘆く前に己のラテマネー状況を確認することが先決です。

ラテマネーは、言ってみれば購入しなくても問題にならない対象のためのコストでありますから、購入しなかった金額を「つもり貯金」に回すことができます。月額にしていくらになるか、想像がつくでしょうか。早速、実行してみましょう。我慢を強いられる場面もあるかもしれませんが、貯蓄に回してみましょう。数年で小さな財を成すことができるほどの金額であったことに、心胆、驚かされることになるでしょう。




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↓ 「ラテマネー」を提唱した人の原著(訳本)
posted by ぎゅんた at 23:39| Comment(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

(映画感想)「ブラックブック」簡単に他人を信用するなかれ


「アイアン・スカイ」みたいなパッケージ疑惑


ポール・バーホーベンが好きなくせに見逃していた一本。
ノンフィクションに着想をフィクションとのことである。

STORY
1944年9月、ナチス・ドイツ占領下のオランダ。美しいユダヤ人女性歌手ラヘルは、ナチスから逃れるため一家で南部へ向かう。しかし、ドイツ軍の執拗な追跡にあい、ついには彼女を除く家族全員を殺されてしまう。その後、レジスタンスに救われたラヘルは、ユダヤ人であることを隠すため髪をブロンドに染め、名前をエリスと変え彼らの活動に参加する。そしてナチス内部の情報を探るため、ナチス将校ムンツェに接近、彼の愛人となることに成功する。


この物語をオランダ人であるバーホーベン監督がオランダで撮影したもの、というところがミソである。主人公ラヘルはユダヤ人であり、キリスト教を押し付けられる皮肉がきいている。伏線のきいたミステリアスな物語になっており、翻弄されがちで油断ならない展開をみせる。解放されたオランダ人たちが狂気の暴徒と化し、醜いと言わざるを得ない人間性を露わにするところもまた、バーホーベンらしさに満ちている。しかしまあ、なんと嫌なところを突いてくる監督であろう。

キリスト教でないピンとこないかもしれないが、ラヘルがどれだけの精神的苦痛や屈辱を味わったかは、ユダヤ人やキリスト教圏の人なら身につまされて分かるはず。肩身のペンダントを使って棺の十字架のネジを締め上げるシーンのとんでもない圧迫感を映像で伝えてくる手腕は見事としか言いようがない。

ユダヤ人は、自分たちユダヤ人以外を心の底から信用することはできない不治の病に侵されているように思えてならない。そのことを誰が咎められようか。教育にリソースを割き、知力を磨き、野心とバイタリティに溢れ、資金にモノをいわせて業界を裏から支配しようとするユダヤ人を羨むことも非難することも簡単だ。しかし、ユダヤ人以外に真似できる人種はいそうもないし、正すこともできない。
 
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2017年10月11日

(映画感想)「ショーガール」なにがラズベリー賞だ傑作じゃねかコノヤロー



鬼才ポール・バーホーベンの渾身の一作。

バイタリティと才能恵まれた直情型無敵セクシーねーちゃんがラスベガスを舞台にストリッパーからスターダンサーへと駆け上るスポ根ムービー。

人間の様々な面を包み隠さずありのままにフィルムに焼き付けるのが趣味(斜線)主義のバーホーベンらしさが大炸裂している。いきおい、極めて濃いヒューマンドラマに仕上がっている。別にストリッパーでなくても、本作のストーリーは成功しただろう。なぜストリッパーを題材に?「バーホーベンだから」に決まっている。

「下品な内容である」と断じればそれまでかもしれない。バーホーベン作品につきものである「嘔吐と強姦」が存在するし、ポルノシーンも存在する。下品、といっても論ずるに値しない低俗な下品さではなく、人間もまた動物であるところのセクシャリティさを隠していないところの下品さに過ぎない。

主人公ノエミは頭の弱そうで理性のない直情的な女ではあるが、才能と度胸にものを言わせてスターダムにのし上がっていく。もちろん、自分ひとりの力でそれを成すのではない。友人や仕事相手やライバルキャラたちと出会い、ぶつかり、成長したからこそ、夢を実現させるのである。単純で熱いスポ根ドラマが根底にある。バーホーベンなので、そこらへんの描写がちょっと生々しかったりするだけだ。

色々なことがあって、夢みたトップダンサーの地位をナオミは捨てる、ラスベガスを去る決意をする。失望もあったし、親友の復讐のためでもあった。なにより、最後の最後でライバルキャラであるクリスタルと本当の意味で心が通い合い、打ち解けることができたからであった。この最後のシーンの、言葉にできない美しさが素晴らしく圧倒されることだろう。ラスベガスを去っていくノエミに後悔も暗さも微塵もなく、物語は明るく幕を降ろすのである。

本作をラズベリー賞にした審査員はアホである。どう擁護しても、作品を鑑賞していないだろうとしか言えない。そんな連中を嘲り笑うことは簡単だ。本作を鑑賞すれば良いのである。オススメ。
 
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2017年10月09日

(映画感想)「アウトレイジ 最終章」


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↑これは「たけしの挑戦状(1986年) 映画公式サイトは→こちら


全編に渡って陰鬱と寂寥さが貫かれているアウトレイジ最終章。
派手なドンパチも高いカタルシスもなく、前作で本職と見誤るような胃を見せた花菱の重鎮の姿もなくなっている。コントラストに欠いた世界観の中を物語淡々と進行する感じなので、物足りなさをおぼえるかもしれない。

主人公・大友は義理堅い無法者である。昔気質というか、古くさい極道そのものである。「ビヨンド」でもそうだったが、部下である若い衆を大切にしている。しかし善人ではないので、敵であれば平然と殺害する。

意図的にえがかれているのが主人公・大友とマル暴刑事・繁田のスタンスである。両者は立場は違えど、自分のアイデンティティを確固として有し、己の信ずる道を行こうとする。信念でもあり一本気でもあるが、決して良い結果が約束されるわけではない。上手に立ち回らなくては利用されるだけで出世はおぼつかない。そのためには嘘をついたり騙したり、自分を偽らなくてはならない。それができない不器用な男は、舞台から降りるしかない。大友は死に、繁田は辞表をだすことになる。しかし、この2人が愚かだと単純に割り切れるだろうか?

「こんな映画にマジになっちゃってどうすんの」なんて言われそうだが、ビートたけしさんは主人公大友に自身を投影しているであろうし、立場の異なるキャラとして繁田を配置しているはずである。時代に合わない生き方をしているけれども、そんな合わない生き方を貫く男の姿に自分を重ね合わせる気持ちがあったはずである 。それはまた、信念のない生き方やマネーゲーム(金を稼げば偉いとか、手段が正当化されるとか、人の上に立つとか、およそ義理のない種の生き方)に辟易とした気持ちがあり、そのことを受け入れている社会が正しいものかどうか疑問を投げかけているかのようである。山王会も花菱も人が死にまくり、残ったのは老獪さはあれど全盛期のような気迫のないロートルたちのみ。早晩、日本から極道はいなくなり韓国マフィアに日本国がシマにされる未来は避けられそうもなさそうだ。閉塞感につきる。この結末はなにを暗示しているのだろう。

筋を通すとかケジメをつけるってのはゴミクズであるヤクザのちっぽけな矜持(ピカレスクで捉えれば美学)であろう。そんなものでも貫けないなら、もう終わりなのかもしれない。

思えばアウトレイジシリーズは、木村との出会いと共闘と別れ、そして木村の仇打ちでまとまっている。大恩ある会長に迷惑をかけてまで、木村の仇を討った。だから、ケジメをつけなくてはならない。終わりとはあっけないものである。

posted by ぎゅんた at 21:45| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする