2018年06月21日

わたモテ感想[喪136]モテないし漫画を薦める


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Proof that Yuri-chan has a emotion.
今江先輩と別れた卒業式の日に、もこっちはゆりちゃんの前で(直接的な描写はないが間違いなく)涙をみせました。読者も、泣きました。泣くというのは、言葉にならない情動に突き動かされた感情の発露であります。嬉しさ、悲しさ、悔恨、申し訳なさ……胸の中いっぱいに広がった感情が爆発すると人は涙を流します。これは、ひどく人間的な現象です。

「目から流れ出るこの水はなんだ」とロボットが自問するシーンがあったりしますが、あれもまた、泣くという行為が人間に特有の現象であることを逆手にとった演出といえます。どんな悪人の目にも涙で、泣くということは、その人が最低限のところで人間らしさを保っていることの証明にも用いられましょう。


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今回はゆりちゃんがもこっちに救われる場面が描かれる話です。私はゆりちゃんの抱えていた孤独感に胸が締め付けられました。と同時に、香魚子先生の名作『シトラス』の第8話を思い出しました。

自分を理解してくれる人を誰よりも欲している孤独な心と、純真に自分を見ていた人が居てくれたことへの救いの気持ちが交差する展開は古典的ながら胸を打つヒューマニズムに溢れています。


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最近のゆりちゃんは表情筋がないキャラクタとして描かれており、いかにも無感情な陰キャラ然としておりますが、それはただ感情を表情に出さないだけなのです。泣く、というのは確かに人間的で感情豊かなことだけれど、泣けるという触れ込みで読んでみた漫画で泣けなかったとしても、自分が間違っているわけでも、気持ちを共有できなかったことから友達に拒絶される理由にもなりはしない。

思えば、ゆりちゃんは喜怒哀楽にまつわる感情の発露を指摘されると、それを即座に否定する振る舞いをみせています。笑ってないよ。びびってないよ。別に嫌ではないけど……。(涙目に)なってないよ。

元来、ゆりちゃんは喜怒哀楽がハッキリとした表情の豊かな子だったにではないかと思いました。そんなゆりちゃんを、南さんのような人物から攻撃材料にされてイジメられたかイザコザがあったりして、感情を表に出すことを一切しないようになったのかもしれません。喜怒哀楽を表に出さず、指摘されても肯定せず。

ゆりちゃんと付き合いの長い真子さんにしても、ゆりちゃんが楽しそうとか嬉しそうとか気づいたとしても、それを口に出して確認をとることはありません。無碍に否定されるだけで、意味がない会話だと悟っているかのようです。

無感情一徹な人間と一緒に居たいと考える人はいないものです。不気味で、退屈で、居心地が悪いんことを、誰しもことを経験的に知っているからです。ゆりちゃんの周りにいた友達は、真子さんを残してみんな去っていった過去があったりすると、いよいよ辛い。


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昨今、囁かれる話題として「登場初期のゆりちゃんは人間的だったじゃないか。いまと別人だ。バージョン違いか?」疑惑があります。

修学旅行のときは、班員編成で真子さんに裏切られて心理的に自暴自棄になっていたので、全く見知らぬ相手同士だったことも幸いして案外に上手くコミュニケーションが取れていたのでしょう。人間関係が下心も親愛の情もなにもない、呉越同舟的なフラットな状態であれば、社会不適応者でもなければ最低限度の礼節をもって団体行動がとれるものだからです(即席パーティであれども案外に上手くいく法則)。

そしてまた、修学旅行で同じ班になったことを通じて、黒木さんが馬鹿でボッチなコミュ障であると知りました。黒木さんになら自分の姿を出しても問題はなさそうだと、ゆりちゃんが判断するキッカケになったことでしょうし、以降それをして「私は黒木さんって無理して話さなくていいから楽だけど 黒木さんはどう思ってるんだろ……」と自覚まじりにもこっちの存在を意識し始めることになっていきます。その後は、色々と思い知る事があったことが原因で、ゆりちゃんはもこっちにも喜怒哀楽を見せなくなっていった流れのように思います。




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「男を見極めるには本棚をみればいい、女を見極めるには台所のスパイス棚をみればいい(西洋の格言)」
本棚にストックされる本は、単純に持ち主が気に入っている本および紐解くことが多い本を意味します。類は友を呼ぶではありませんが、本棚に並んでいく本は、その選定に所有者としての共通項を隠し通す事ができないものです。言い換えれば、どのような本を嗜むかによって、その持ち主の人となりが知れるというわけです。他人に本を推して貸すという行為は、間接的な自己紹介の面があると言えそうです。

ゆうちゃんで実地確認をしたにせよ、もこっちがクラスメイトに漫画を貸す日が来るとは、隔世の感があります。この漫画は良いと思っていることを他人と共有したい気持ちの表れでもあり、自分の好みの告白でもあるからです。初期の頃から追いかけているファンは、もこっちの成長を感じられたことでしょう。

もこっちが他人に本を推薦する姿は[喪109]でもみられました。あのエピソードが好きなファンの方は多いと思います。帰宅したもこっちが「行かなきゃ良かった とも思わないけど…」と確かな達成感を伴うからこそのセリフを、静かそうな雪の日の情景の中に溶け込ませた演出が印象的だからです。


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思えば、もこっちはもう主人公として十分に成長しきってしまったかのような印象を受けます。ぼっちが墓穴を掘って痛々しい目にあったり、読者をドン引かせる振る舞いもしないでしょう。周りのキャラクターに振り回されつつも、無自覚な振る舞いがスマートな解決策となって世界を補強していき、そのまま最終回になだれ込んでいく展開が約束されているように思えます。

今更、現在のもこっちの人間関係が壊滅してぼっちに戻ったりもしないだろうし(一種の仮定法未来として、南さんで示されるかもしれない)、初期の路線に戻ることも考えられないからです。

いずれにせよ、ゆりちゃんはもこっちにあだ名及び名前で呼ばれることになるイベントを残したままです。あと数話もすれば、それが描かれるエピソードが訪れるのではないでしょうか。

ポジション・トークですが、このふたりは「ゆり⇆黒木さん」呼びがらしくて良いなあと思います。「ゆり」呼びされたゆりちゃんが「(喜んでるか?)嬉しいの?」ともこっちに訊かれ、肯定とともに笑顔を見せる姿が浮かびます。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ…

ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 23:48| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月19日

ぼくの隣は福井県! 〜石川県民の戯言〜


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どんな言葉に引っかかったのか分からないが、「福井県大嫌い!」を称するブログに行き当たった。どうやら都会から福井(のどこかは分からんが)に分け合って引っ越されてきた方が、福井という土地を生理的に受け付けつけることができず憤りを感じておられる内容であった。攻撃的な内容であった。

これは、ブログ主が偏狭であるからではない。それもまた宜なるかな的な田舎社会特有のマイナス面、いってみれば「あるある」ネタを、実際に住人として場所と時間を過ごすことになった当事者としては我慢ならない哀しみがあるからこその内容だったからである。『住めば都』とは、一種の諦めを促す魔法の言葉なのだ。

「田舎=人に優しいコミュニティとスローライフ」と思ったら、それは大間違いである。世界のどこでもそうだが、基本的にコミュニティというのは排他的である。身の安全のために暗黙の相互監視を要する人口の少ない地域では尚更のことである。

若者が進学や就職でこぞって上京する機運があるが、これは田舎社会の窮屈さから距離を取りたくなるからこその行動である。意識的であれ、無意識的であれ、やはり親元だけでなく地元を脱け出て生活したくなるものなのである。これは、若者の成長のことを考えると良いことであろう。閉鎖的な環境で有意な時間を過ごすことは、若者の将来を考えれば大きな損失だからである。これを「地元愛がない」と喚くのは、衰退と見捨てられる恐怖に駆られた他力本願の住人である(だから、上京することを躊躇う必要はない)。

田舎暮らしにも都会暮らしにも、その中間あたりの暮らしにも、それぞれに良さと悪さがある。若い頃に色々と見聞を広めておくことで、都会か田舎かその中間か、いずれにせよ自分が居を構える場所を納得して選びやすくなる。これは人生を歩んでいく上で、地味ながら重要なことだと思われる。

石部金吉のような生活をしていた人に限って 、晩年に悪い遊びを覚え歯止めが利かなくなり晩節を汚す羽目に陥ったりするのと同じように、若いうちに色々な地域を見たり生活したりしておくのは良いことなのである。「青い鳥」ではないが、いつまでも陽炎のような未来像を抱き続けて現在を否定し続けて生きる歳を取った人間ほど哀れなものはない。遅くとも20代後半ともなれば、決意と共に、地に足をつけて生きていくことを開始しなくてはならないものであろう。


福井が大嫌いと叫ぶブログ主は、気の毒なことに、福井は足を下ろして生活できる土地ではないのである。合わないものは、合わない。福井県民の民度が低いとか品性が下劣だとかは、さしたる関係はないのである。県民性の違いからくる齟齬は、多少なりともあったかもしれない。

血液型性格分類が、科学的に根拠などないと言われながらも根強く残り続けいるように、県民性もまた、昔から根強く存在するものである。血液型性格分類はさておき、県民性に限っては、その土地の歴史や風土の影響を如実に受けて形成されてきた土壌が確実にあることから、単なる統計上の特徴として片付けることのできなぬ、地域文化として捉えるべきものである。


私は石川県民だが、福井県の県民性について述べられることはあまりない。昔から福井とは少なからず関わりがあることから贔屓の目で見てしまう立場にある。実際に福井や福井県民に対して悪い印象はないし、ケチをつけたくなる不満もない。北陸に住む田舎者同士、仲良くやろうという思いしかない。

さはさりながら、福井県民から見る石川県民や、石川県民からみる福井県民への印象は「仲の良い隣国関係なし」と言われるように、それなりに攻撃的な要素を含むのが普通である。例えば、石川県民は根拠のない自信の上に福井県民を見下すところがある(これは富山県民に対しても言える)。福井県民は、そうした石川県民のさもしい自尊心を馬鹿にする心理があるはずで、少なくとも劣等感など抱いていない。ちょうど石川県加賀市市民が金沢市市民に対して抱く感情と似たようなものである。

「所詮、自分たちは田舎者である」という客観的に正しい事実を認めない人間は、第三者から見れば滑稽なものだ。金沢市民は、それこそ昔から指摘されているようにプライドが高いのは厳然たる事実であり、福井県民や富山県民を下に見る。とはいえ、実際の態度には決して出してこないあたりは洗練さがある。インテリジェンスが高いというか、表立った差別は決してしないのである。しかし、ふとした拍子に馬脚を現して判明したりする(それがまた相手からすると酷く腹立たしい)。観光客などに鼻持ちならない非礼な態度を取るのは単純のレベルの低い人間であり、大多数の金沢市民は該当しない。

福井県も石川県も、文化的なレベルや教育水準は全国水準からみて高いようで、気質も似たもの同士と思われる(私見)。お互いに(出身のことで)挨拶がわりにからかい合うことはあっても、憎しみを抱いたりはしていない。福井県民が金沢に遊びにきたからといって不当な扱いを受けたりもしないし、石川県民が福井に遊びにいって不愉快な思いをすることもない。

なんらかの人的トラブルがあるとすれば、昔からの風習に凝り固まった頑迷固陋な高齢者から受ける出自を理由にした差別か、若者同士のいざこざぐらいであろう。ことに若者同士のいざこざは田舎では頻繁起こりうる火種である。

というのは、価値観の乏しい田舎では「ナメられたら負け」という土着文化ならぬ風土病が蔓延っているからである。暴力や粗暴な行為は嫌いな心理を有する臆病もののくせに、意図的に虚勢を張ろうとする。ひところ話題になった「マイルドヤンキー」というのは、この特有の心理に端を発するものである。でかくて押し出しの強いフロントマスクをしたミニバンは、確かに強い高級車であり、訴求力の高い憧れのアイテムだ。虚勢を張る自分に酔いしれると、人は気づかず愚かな行為を繰り出す。威圧的な態度の誇示や煽り運転がそれである。ネット用語でいう「イキり」である。普通の社会人から見れば遊びでワルぶっているようにしか見えない態度で可愛いものだが、当の本人らは案外に真剣だったりする(なぜなら「ナメられること」は死を意味するからである)。

福井県民に難癖をつけられ絡まれたとすれば、原因は概ねコレである。福井県民は根が善良なので、イキった態度をとりながらも自分が悪い行動を取っていることを自覚しているし、内心ではそれ以上の悪い状況に発展することを望んでいないものである。対策は簡単で「あなたのことをナメていません」と意思表示すれば良い。素直に謝るのが一番である。相手は顔には出さないだろうが内心ホッとして、「気をつけろ」なんていいながら即座に去っていき、それで終わるだろう。

ただ、福井県民が石川県小松市市民絡んでしまった場合は例外である。この場合「面白い兄ちゃんやな一緒に遊びに行こうか」と親しげに肩を組まれたかと思いきや、脇の下から刃物を突きつけられて車に乗せられ、大日山の麓に埋められることになる。金沢市民や加賀市市民に絡んだ場合は、口汚く挑発されて暴力行為に及んでしまったが最後、警察を呼ばれ傷害事件にされて示談金をせびられることになる。福井県民は根が善良なので、喧嘩になってもお互いが殴り合って終わりと考えるが、石川県民は福井県民ほど善良ではない。ずる賢いので法的に強い立場をとって強請ってくる手段をとる。小松市民には、そもそも関わらない方が良い。

要するにイキっても損しかしないことを悟るべきであり、イキらず生きれば良いのである。肩の力が抜けるというか、自然体で楽に生きられることに気づくはずだ。このことを、1日でも早く悟ることこそが福井県(及び石川県)のような田舎で住むには重要なのである。そのためには、若いうちに他県に生活基盤を移し、環境を変えた中で生活してみることが一番だったりする。

可愛い子には旅をさせよではないが、若いうちに見聞を積んでおくことは、のちの人生に大きな影響を与える。行き先は、「孤独な群衆」を肌で知ることができ、様々な人に出会うことのできる大都市が相応しい。福井県民であれば京都・大阪がまず第一選択ではなかろうか。アクセスが容易であり、文化的に近いからである。

記事冒頭に紹介したブログ主は、色々な事情や体験がおありだったのであろうが、ご本人の反発精神が強かったに違いない。小松市に住んでいれば、もう少し楽しい生活が送れていたのではないかと邪推するが、本当のところは誰にも分からない。

posted by ぎゅんた at 22:00| Comment(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

わたモテ感想[喪135]モテないし仮面をかぶる


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昼食会は前後篇でオチがついて終わりだったようで、新しい話に切り替わりました。1ページ目からもこっちの描写のみスタートで、新鮮な印象を受けます。新たな日常回の始まりを連想させてくれます。

ここのところ「わたモテだよ全員集合!」とばりに登場キャラクター密度の高い話が続き、もこっちは相対的に傍観者のような立ち位置になっていました。

今回の話を既に読まれている読者諸氏の皆さんは既にご存知のように、今回はゆりちゃんは台詞なし2コマだけのモブキャラみたいな描写のみの登場でした。そういうこともあるやろで片付くコトかもしれません。ただ、私は、新たな日常回の始まりを予期させる上で、これは一抹の不安を拭いきないスタートであるように感じました。なにより、登校時にゆりちゃんがもこっちといない様子なのですから。

もっとも、いつも一緒に登校しているとは限りませんし、そもそもゆりちゃんがもこっちを誘って登校しているのか?と考えると、そうは思えない。ゆりちゃんは、もこっちと登校したいと思っていても「通学路で偶然に出会って、一緒に教室まで行く流れ」こそ尊重すれども、自分から誘ったり待ち合わせたりして登校することはあえて選択しないと思うからです。偶然、黒木さんに出会えるように歩む速度を調整したりするのがせいぜいなのではないでしょうか。



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そんなわけで、もこっちはゆりちゃんより先に教室に入っていたのだ

雑多な教室で、たとえ近距離であれどシャカシャカと音漏れをしているイヤホンは、比較的大きな音量を示唆するものです。通学路から教室まで、ゆりちゃんは外界との接触をシャットアウトしていたからに他なりません。たぶん、昔からの変わらないスタイル。

元々ゆりちゃんは教室でも1人で音楽を聴いているキャラクタでありました。修学旅行で班員となり、一緒に行動し、仲良くなっていき、2年生の後半では多くの場面でもこっちと一緒にいました。

あの頃がゆりちゃんの黄金期だった、と過去形にするわけにはいきませんが、ただ、最近のゆりちゃんがゆりちゃんにとって不遇であるのもまた事実。これには色々な要因が考えられますが、ひとつはもこっちが成長して先に行ってしまい、そこに他のキャラクターが絡み始めてきたことが挙げられましょう。次に、ゆりちゃんが痛々しい陰キャラであることの作者の意識的な描写です。これらは、好意的に解釈するなら最終的にゆりちゃんが救われる展開への「溜め」がため、ということになります。ゆりちゃんをここまで登場させてきておいて、今後、使い捨てのようにポイ捨てする展開はないと思うからです。

主人公であるもこっちにしても、ゆりちゃんとばかり絡んでいられないストーリー上の事情があります。それがないと、百合チック日常系漫画として埋没しかねないからです。

また、本質的に陽キャラでないにしても、もう少し自ら行動しないと人間関係では損をしちゃうよ、というありがちであれども大切な教唆が込められているようにも思えます。



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乱入するにはガッツが足りない!(っぽい)ゆりちゃん

人間関係というのは、誰であっても不器用な過ちをしてしまうもの。相手とぶつかって理解しあっていく場面はいつになっても訪れる。ゆりちゃんが考えているほど、周りの人間は怖くもないし意地悪でもないし、絡んではいけない危険人物でもない。そしてまた、ゆりちゃんに関心があるわけでもない。

「狭く深く」の人間関係には尊い価値がありますし、人は最終的には本当に親しい気の置けない数人とばかり過ごすことになっていく。さはさりながら、その価値をより強く認識していくには、必ずや他人を介した幾多のガイダンスが必要となります。

私は、最近のゆりちゃんを見ていて胸が苦しくなります。嫌いな相手は嫌いなままでいいけれども、敵意なく好意に近い態度を向けてくれる相手には、自らぶつかって仲良くなっていけばよいと偉そうに伝えたくなる衝動が駆け巡るからです。「ネモに絡んでいる最近のゆりちゃんの態度がそれ」なのかもしれませんが、ちぃとばかしズレていることぐらいは、ゆりちゃん自身も分かっているはず。そうじゃなくてこうだよね、と気づいて欲しい気持ちを抱きながら諭したい心境になるのです。コミュニケーションは、そんなに難しいことだらけじゃないんだよと。それは、自分が通って来た過ちの道であったと今更ながらに自覚しているからに他なりません。

本来的には、これは真子さんに与えられた役割なのでしょうけれども、最近の真子さんは南さんの世話で手一杯の様子です。吉田さんはいい意味でゆりちゃんに無関心で、動かないゆりちゃんのフォローはしないはず。

なんらかのきっかけ(もこっちに与えられるであろう役割)を要するであろうにしても、ゆりちゃん自身が気づき、開眼し、動く必要がある。別にそれは義務ではないから、動かなくても構わないのですが、そうするとゆりちゃんは「わたモテ」の世界からフェードアウトさせられることになるでしょう。私は死ぬ。






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え!?そうなの?(目から鱗

ところで、今回はもこっちにとってネモが背中を預けられる相手になりつつあることが分かる回でしたね。イタくてダサくて笑われるかもしれないチャレンジに躊躇しつつある黒木さんを「笑わないよ 絶対」と強く受け止めたネモがいたからこそですものね。

人を動かす」ではありませんが、他人に信頼されることは、我々が生きる上での絶対の喜びであります。それが、親しくなりたい相手からのドストレートなものあれば尚更のこと。「学校でもバレない!赤リップつやっぽメイク」が忠実に再現されたもこっちの姿のせいで、無常の喜びが有耶無耶にされてしまったところがコメディですが、きっとその日の夜、ネモは満たされた気持ちでジタバタするのだろうと読者の頬も緩みます。

もこっちとネモは、もうお互いの距離感が取れたも同然のところまで来たようです。

ちょっとしょっぱいことがあっても、「まあネモが(クロが)そうなら、いいか…」みたいな、LOSE-LOSEで問題ない関係というか。損得抜きの、仲のいい友人であればこその関係に自然に移行しているというか。

ネモは今後しばらくはヒロイン路線をひた走ってくれそうな気配。進路も声優志望ですから、もこっちの進路がどうであれ、いよいよストーリーに絡みまくることは堅いですしね。話を強引に掻っ攫っていく加藤さんもまた、グイグイと絡んでくることになるでしょう。

ネモと加藤さんを苦手とするゆりちゃんは、どうしても辛い展開が待ち受けているように思えてなりません。ゆうちゃんや小宮山さんと友人関係を築きあげたりするのか、もこっちを含めてGW中に出かけるイベントが起きるのか、それとも二軍落ちしてしまうのか。

私にできるのは、今後の展開をそぞろ待ちわびるだけです。更新が待ち遠しくて仕方がありません。

え、次の更新は6/21?


まとめ
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ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ…






オマケ
Q.加藤さんは誰からもこっちの携帯番号を?

携帯の電話番号は、言ってみればセミ・プライバシー情報。誰から知ったんだろう?と、もこっちが狼狽えるのも道理。

予想できるのは小宮山さんか真子さんのどちらかですが、消去法で真子さんかなと思います。大穴でゆりちゃん。

小宮山さんは「知っているけれど、アイツの許可がないと…」と加藤さん相手でもひとまずのNoを突きつける古風な義理堅さというか、クソ虫のことであれども、多少のお堅い常識を優先するタイプだと思うからです。

真子さんは、加藤さんがもこっちと仲良くなろうとしている気持ちを知れば喜んで教えるでしょう。なにより優しい子だからです。

もっとも、結果的にOKだったにせよ、本来はやはり本人の許可がいる行為だと思われます。不名誉な「裏切りキャラ」の汚名が、またしても真子さんに降りかかる……。
ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 23:51| Comment(1) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

【レゲー紹介】『ブレスオブファイアU(SFC)』


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魔物たちは誇張抜きに強い存在であり、立ち向かうには相応の力が必要だ


まとめ
ノンビリやり込み型プレイが好きな人向けの正統派RPGの名作


スーファミのRPGというと、私の中では『ガデュリン』『ブレスオブファイア』『ドラゴンクエストX』『ファイナルファンタジーY』の印象が強い。発売当時、10代の若かりし頃に遊んでいたタイトルでもあるから、思い入れが強いこともある。

今回、記事で紹介したい『ブレスオブファイア2』は、名前の通り『ブレスオブファイア』の続編である。大阪企業生まれのギャグと超王道路線を特徴とする正統派RPGであり、本作はその路線を素直に踏襲した続編にあたる。

最近のゲームに慣れ親しんだ感覚からすると、明らかに不親切で快適性を損なってしまっている点が散見し、その点が短所になっているのだけれども、練られたシナリオと展開、個性的なキャラクターたちが織りなす世界の魅力は絶大で、RPGに欠かせない世界観への没入度は極めて高い水準にある。

プレイステーションが発売される目前の、スーパーファミコン末期にあたる時代のタイトルであり、ハードの性能を限界まで使いこなせるようになった熟練の技術の粋が込められているように感じる。加えて、『ブレスオブファイア』から受け継がれている王道路線と、コミカルなギャグ(良い意味でふざけたているギャグであり、悪ふざけとは異なる)の味付けで仕立てられており、いま遊んでみても十二分に通用するクオリティだ。

ROMゲームにしてはややロード時間が長く感じられるものの、ドット・グラフィクスとドット・アニメーションのレベルは驚異的なものがある。SFCにおけるドットを用いた表現力の最高峰であろう。綺麗で破綻のないドット絵が実に滑らかに豊かに動くのだ。ドット絵でしか表現できないゲームの世界がある、と私は信じているが、この『ブレスオブファイア2』は、その意味では殿堂入りできるタイトルであること確信している。

懐古主義者のひとりごとだが、この時代のカプコンのドット技術は芸術の域にあり本当に素晴らしいものがあった。いまやロストテクノロジーとなってしまったことに寂しさを覚えずにおれない。



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女の子キャラクターのドット絵の気合の入りようは異常。アスパーは弱いので、一軍で使っていくにはプレイヤーの愛が不可欠


BGMは目立って素晴らしいと断言はできないレベルだが、「クロスカウンター」「キングダム」「ゆめ見るように ねむりたい」など、心に残る、ツボを押さえた曲が存在する。そんじょそこらのタイトルのそれより遥かに良い。

RPGとしての難易度は、謎解きと戦闘バランスとを勘案し、総合的に判断すれば「普通」である。あらゆる人々から情報収集し、注意深く探索し、戦闘を避けずレベルアップし、脳筋ゴリ押しではなく、魔法や道具を駆使して敵の弱点を突いて戦っていけば活路が開ける。やり込み要素や隠し要素が多いので、一週目でやり損なったことを二週目で押さえて遊ぶのが本当に楽しい。

他に注意すべきことは「育てておかないとイベント戦で詰む」リスクを抱えるキャラクターがパーティに含まれていることである。そのキャラクターは「ランド」「ステン」「ニーナ」であり、特に「ステン」の場合はレベルによっては冗談抜きで「詰む」ことがある。

たとえばステンは、彼ひとりで強制単独行動させられるイベントがあるのだが、このイベントに突入すると引き戻すこともパーティに合流することもできなくなるのだ。その単独行動イベント時には、僅かながらレベルアップさせられる余地が残されてはいるものの、その時点のレベルによっては敵を倒すこともままならないほど弱く、実質的に「詰んで」しまうのである。涙を飲んで最初からやり直す他ない(経験済)。

ランドとニーナの場合は、救済余地が残されているのでなんとかなるが、ステンはの場合は本当にどうにもならないし、洒落にならない。

パーティは主人公リュウを固定として3人選ぶことになるのだが、このイベントを見越して「ステン」を意識的に育てておくべきである。パーティ加入当初は「このエテ公が〜!」と落胆させられるほど弱くて嫌にさせられるものだが、地道に育てていき、火のシャーマンと合体させれば強いキャラクタに化けるので心配は要らない。

ランドはクリアを目指すなら欠かせない安定キャラクタとなる。ステンと一緒で、パーティ加入当初は「この見掛け倒しが〜!」と落胆させられるのだが、これまた地道に育てていき、土のシャーマンとの合体を果たせば回復魔法を備えたタフネス・タンクに大化けするから、パーティに欠かせない重要キャラクターになるのである。

ニーナは本作のヒロインであり、ビジュアル的にもたいへん素晴らしいキャラクタであり、リンプーと同じで贔屓の心が作用してパーティ加入率が高く、全く育てていない、ということはあまり考えられない。

……のだが、ニーナは隠しキャラクターのディースの下位互換であり、特にディースは加入時のレベルが35で強力な攻撃魔法を有し、ヒュールやデルダンの魔法も習得しているチート級の強さを誇るから、人によってはニーナは2軍落ちすることになる。

ただ、ストーリー的にニーナはクリア時にパーティにいるべきキャラであるから、ディースに頼らずニーナを贔屓して育てておくべきではないか、と思う。そして、ベストエンディングを迎えるべきである。

歪な私はニーナの中にわたモテの「ゆりちゃん」を重ね合わせてしまったので、大贔屓して育てていた。

ニーナは風と聖のシャーマンとの究極合体でかなり強くなるので、育てておくとかなり報われる。究極合体時の「おはらい」は、エンカウント率が異常に高いラストダンジョン攻略時にかなり有効であることもありがたい。



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序盤のギャグはいい意味で頭おかしくて大好き


快適にプレイできるか、といえば配慮が不足している
ヒュールや飛行手段のない序盤〜中盤までは、徒歩での長時間の移動を強いられる単調な場面が多く、移動がただただ面倒である。エンカウント率が高い点も少なからずマイナス。前作で完全にエンカウントを封じることのできた「まもりけむり」の効果が全くないのもいただけない。

もっともこれは、経験値を貯めてレベルアップして下さいというメッセージなのであるが、いささか食傷気味になるほどエンカウント率が高いのはストレスである。

もう少し全体的にロードが早く、戦闘システムにしても、もう少し攻略の幅が広ければ気にならなかったのであろうが。
古いゲームに慣れていない人は、このあたりの不親切さとスローペースに我慢がならず挫折してしまうかもしれない。それでも『ガデュリン』ほど不親切でも苛酷でもない。


ストーリーは一本道だが、共同体の発展や共同体での各キャラクターとの会話など、進行と共に変化する要素は豊富に存在する。魅力的な各キャラクターの成長やダンジョン攻略、隠し要素の発見、アイテム収集、アチコチに散りばめられた大阪仕込みのコミカルなギャグやセリフなど、ハマる要素はてんこ盛り。後半はシリアス路線になり、クリアまで緊張感のある展開となる。

シナリオにしても、子どもを持つ親であれば考えさせられるところのある良いストーリーである。昔プレイした時には、そんなに良いと感じなかったものだが、改めて遊ぶと違う視点で感動できたりするの新鮮なものだ。

王道路線の正統派RPGの古典名作を耽溺したい貴方は、今すぐプレイすべきタイトルである。 

enjoy!!
posted by ぎゅんた at 22:37| Comment(0) | レトロゲー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月10日

わたモテ感想[喪134]モテないし周りは騒がしい


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モーさんキーホルダーの行方は…?


今回は予想に反して前回の続きでした。

「周りは騒がしい」というか、小宮山さんがらみで学食がメチャメチャです。
出禁ものなのでは……

ギャグ回ですが、ゆりちゃんに関しては、今後の辛い展開の訪れが予想される流れに思えてならず、不穏な感じを受けました。




(騒動に)無関心のゆりちゃん
ゆりちゃんはほとんど蚊帳の外で、さしたる動きはありませんでした。前回の態度のまま延長戦にもつれ込んでいるのですから当然です。

咄嗟とはいえ小宮山さんが「その智貴くんは私の親友の弟で……」と発言していたり、吉田さんが胸を触られ(握られて)赤面の末、小宮山さんの肚に鉄拳を叩き込んだりしていますが真顔のまま相好を崩しません。なんという壊れメンタル。興味のないことは極力シャットアウトしているのでしょう。今のゆりちゃんはネモへの「牽制」でいっぱいいっぱいだからです。


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少食のゆりちゃん

もしくは、「自分が信じることへの絶対の確信」がそうさせているのかもしれません。

ゆりちゃんの中では、修学旅行4人組の友好関係は絶対。黒木さんが馬鹿なのも、真子さんが優しいくお節介を焼いてくれることも、吉田さんが暴力系キャラであっても加減を知っていることも、少なくともゆりちゃんの中では、その理解に確信がある。

とはいえ「親しき間柄でも礼儀あり」で、人間は一面性だけで理解しきれる単純な情動動物ではありませんから、現時点のゆりちゃんの「理解」には、精神的な信仰に近いだけの脆さを兼ね合わせています。

もしその理解が違えばゆりちゃんは動揺するでしょうし、また、往々にしてこのようなケースでは「裏切られた」と一方的な解釈と都合で激昂したりする。

今回のゆりちゃんの姿を見て、私はそう思いました。なんらかの形でゆりちゃんはもこっち(ないしは他のメンバーと)と仲違いをするのではないかと。不安定なガードレールの上を歩いていれば 、もしかしたら車道側に落ちてしまうかもしれないからです。


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ネモも返事をしてゆりちゃんに絡めばいいと思うんですけども…遠慮してるんですかね

真子さんは、なんら事態に動じないゆりちゃんに喝を入れて大好きな吉田さんを追おうとします。内心、「まるで成長していない……」と思っていたであろうことは想像に難くありませんし、なぜ吉田さんが心配でないのか?と、さしもの真子さんもゆりちゃんを理解しきれていないのではないかと思われます。

ゆりちゃんは、作中では描かれていませんが、LINEでゆうちゃんに「今日の黒木さん」報告をしているのかもしれません。ゆうちゃんは、ゆりちゃんがもこっちを好きなことを分かっていますし、対話というよりもゆりちゃん側からの一方的な「報告」であっても聞き役に徹していることでしょう。そのことが悪い意味でゆりちゃんのネモに対する態度に転換されているのかもしれない。

ゆりちゃんは今の自分をどう評価しているのでしょう。読者からすると、「これだけ仲がいいから私は特別なんだ」アピールを繰り返す精神的に幼い女の子の印象を受けます。そこまで客観的にみれていなくとも、自分らしくないとか、不自然な行動をとっている程度の違和感を感じていると良いのですが……

そこまでには至っておらず、後々に誤解が原因で致命的な仲違いが発生し、今のキバ子のように交友関係が崩れてしまう事態に繋がっていくのではないかと懸念してしまいます。


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加藤さんにデレるもこっちを横目で睨むゆりちゃんと微笑むネモの違い

今のゆりちゃんは、もこっちを奪われたくない気持ちで色々と不安定なのですね。

そんな躍起にならなくても「ゆりちゃん-黒木さん」ラインは不変なままなのですが、ゆりちゃん本人が、黒木さんを盗られる不安に苛まれているものですから、牽制もするし嫉妬もする。日々の学校生活を気もそぞろに過ごしているのだろうと思うと胸が痛いです。もこっちと一緒に帰宅できているんでしょうか?

最後の「中庭昼食会」のコマでゆりちゃんが加藤さんの方をみています。ゆりちゃんはネモには絡めても加藤さんには一方的な苦手意識があって絡めないでしょう。ですから、目下のところ加藤さんにデレるもこっちをどうにもできません。羨ましいと思ったり、弄ばれているだけだとおもったりえ、ゆりちゃんの心の中は嵐が吹き荒れていそうです。

『わたモテ』では、全て加藤さんがいいところを掻っ攫っていくところがあります。
キバ子にしても、もしかしたら窮地に陥ってしまうゆりちゃんにしても、加藤さんに救われる展開が今後、見られるかもしれません。もこっちと一緒に加藤さんによしよしされてネンゴロになっちゃうゆりちゃんの姿が見られたりするかも。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ……





!?
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マー坊


単行本のおまけページが楽しみですね。
 
ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 22:41| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする