2018年07月19日

わたモテ感想[喪138]モテないし大学に行く


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GW。オープンキャンパスで大学見学に行くもこっちとゆりちゃんの一日が描かれる会です。とても静かに進行する暖かい回です。悶え死ぬかと思いました

見学するキャンパスの舞台は「CHIBA WEST UNIVERSITY」ですが、これはおそらく千葉大学がモデルなのでしょう(千葉大学の最寄駅が「西千葉駅」なので)。勉学のために進学してきた真面目そうな学生たちとの姿と落ち着いた雰囲気のキャンパスであるのも道理。


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東京近郊の国公立大なので偏差値は高めであり、入学するためには高い学力が必要です。ゆりちゃんがいう「教育学部なら…」というのは、比較的、偏差値が低いことが多いために国公立大へ進学する上での1つの抜け道になっているからです。余程の名門教育学部でもなければ、これは今でも通用する戦略なのかもしれません。

もっとも、教育学部に進学するということは、将来的に教職に就くことが前提の進路ということになります。もこっちは教職に就きたい意志は現時点ではないでしょうし、「どうせなら保健室の先生が色々と楽そうだ」とか考えそうな思考回路をしているので、本大学に入学のための教育学部を志望するなら教育学部-養護教諭養成課程を選ぶことになりそうです。

ゆりちゃんは、もこっち以上に教職に就くことが想像できませんが、その辺は「黒木さんと同じ」ということで教育学部-養護教諭養成課程を志望しそうです。


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「将来の自分の進路なんだから、もう少し真面目に考えてみんか?」と思わないでもありませんが、まだ若くて社会を知らない10代の女の子に将来を考えろといっても無理がある話です。私個人にしても、進学を控えた高校生の時分に将来を真剣に考えてはいませんでした。

多少の紆余曲折はあったにせよ、うまいこと今の自分の位置に辿り着いた、としか評価できませんし、あのころ将来を真剣に考え抜くことができなかったことが人生に影を落としたとも思えない。なるようにしてなっちゃうものです。ただこれは、高校生には想像も確信もできないことです。

ゆりちゃんは、志望大学の選定理由を、真子さんや吉田さんやもこっちと同じ大学であることと吐露し、また、それが間違っている気がするともこっちに述べます。確かにそれは、志望理由としては不真面目ですし、正しい理由とは言い難いところがある。ゆりちゃんは、漫画で描かれないコマの外で進路について色々と考えていたのですね。


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今回、読んでいて胸が熱くなったシーンに続いていきます。もこっちは本当に強く成長しました。感情的な理由はさておき、前に向かって生きていけば良いという、根源的な生命力を感じさせる力強い精神を備えていることが分かるからです。この年齢で、このように達観した返答ができるのは見事だと思います。ゆりちゃんは、自分の悩みの理解と解消を、そして自分自身が受け入れられたことを感じとったはずです。


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志望理由が「友達がいること」であったにせよ、待っているのはキャンパスで学ぶ日々。もこっちと一緒にキャンパスを歩いたり、一緒に勉強する姿が脳裏に浮かんだのではないでしょうか。

「この大学はまだ行きたいかどうかわからないけれど今日見に来てよかった 黒木さんのお陰で少し楽になった」

と述べるゆりちゃんは、もう本心ではこの大学に決めているように思います。ゆりちゃんは、陰キャラな自分が真面目に勉強する学生たちに混じって落ち着いて勉強できる生活を望み、それを受け入れたい気持ちが湧いていることでしょう。本来的に勉学が好きなタイプで、大学で学ぶうちに学問の魅力に開眼するかもしれません。そうなると、そんなゆりちゃんの背中を押したのは黒木さんということになり、益々もって友情の尊さが強調されることに。人生に大きな影響を与える友人の存在って、いいですよね。





反撃の黒木さん
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冒頭から変調なしで自然な流れなので気付きにくいのですが、今回、もこっちの態度は全編通して殆ど素なんですよね。発言に吃りもないし、上擦った狼狽もないし、自虐ファイヤーボール風味全開です。

ゆりちゃんの前なら、もう素を出してコミュニケーションが取れますし、ゆりちゃんもそんなもこっちの態度に違和感を感じていません。付き合いの長さを裏付けるような親密さです。さしものネモが相手でも、まだこうは行きますまい。「本当は息がピッタリ」の小宮山さんとの会話に近いところがあります。

ほれみろ!と得意げなもこっちと、「メシマズの黒木」に近しい評価をしていたことが確実そうなゆりちゃんの後ろ姿が笑えます。ところで、もこっちは相変わらず外食時には店員へのオーダーを他人頼りにするんですね。昔から、レジでの攻防で色々とあったからかな。


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席について帽子を脱ぎ、席についてもスマホを一切いじらない2人の姿に心が温かくなる思いがします。

吉田さんとも離れたくないと切に願っているゆりちゃんがいじらしい。ゆりちゃんの中では、修学旅行4人組は本当に特別な関係なんですね。

もこっちは吉田さんを田舎のヤンキーとしか考えてないのがひどい。そんなもこっちの吉田さんへの熱いヤンキー評を窘めもしないゆりちゃんが素敵。吉田さんはもこっちをクソガキ扱いするも、大切な仲間だと思っている(はず)。不思議なバランスの上に成り立ってる珍妙な三馬鹿トリオ交遊関係は、数奇な縁で結ばれているからなのでしょう。





【余談】メシマズの黒木事件とは
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修学旅行のグループ行動において、班長・黒木が選択した飲食店の食事がことごとく芳しくなかったことに端を発する。食べログを参考に店を選んだも黒木智子であったが、うら若き女子高生たちの口には渋すぎたのか観光客目当ての量産型食事処であったためか、班員からの評価は良くなかったのである。

とある席で、皆の前でそのことを指摘された黒木智子(喪124)は、内心では気にしていたのであった。戦犯は「食ログの評価」であるが、ゆりちゃんは容赦なし。多分、一生、もこっちとの外食時の口撃材料にするはず。





青山学園に着て行く服がない
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この後ろで手を組んでいるゆりちゃんが楽しんでる感を隠しきれてなくて好き

「1人で(買いに)行けば?」なんて言っておきながら、今日付き合ってくれたお礼にと、服の買い物に付き合ってくれるゆりちゃん。「ネモにも断られたし」の一言を受けて、それなら付き合おうかと考え直したこともあるし、単純にまだもこっちと一緒に居たいと思ったのでしょう。


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そんなゆりちゃんを待ち受けていたのはゲスなセクハラ

もこっちがゆりちゃんに性的興奮を初めて抱いたと思われる貴重なシーン。地味娘にエロ服を着せて悦ぶおっさん性癖をひた走る黒木さん。ゆりちゃんに目論見がバレてて冷たい視線を浴びているのが笑える。ここまで自分をさらけ出しても大丈夫だと確信しているもこっちの姿勢に胸が熱くなります。普通にバカップルのデートだこれ





昏れなずむ帰り道
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大学見学〜昼食〜ショッピングが終わればもう夕方。2人は電車で帰途につきます。朝、行きの電車ではゆりちゃんは両手を脚に挟んでいました。もこっちとの行動に少なからず緊張を覚えていたのでしょう。帰りの場面では、ゆりちゃんの手は脚の横に位置しています。緊張がほぐれ、程よい疲労感を感じていることを窺わせます。

同じ大学に通うことになったら、こんな感じで一緒に帰ったりする日が来るのです。講義が終わったら、待ち合わせて、寄り道して、一緒に帰る日々。高校から大学に舞台が変わっても繰り返される、今の延長線上にある生活。席に腰掛け宙をみたまま語らない2人は、きっと同じことを考えているに違いありません。

夕暮れの車内で、訪れ得るすぐ先の未来の自分について沈思黙考することは、少なからず心を感傷的にします。高校生活の終わりが見え始めたことによって、今更ながらに日常を過ごす自分への内省の念が湧いたりもする。

もこっちは少し前までは連休にクラスメイトと1日を過ごすなんて想像もしていなかったでしょう。ゆりちゃんと1日を一緒に行動することで、修学旅行の自分とその後の自分の姿を、ふと思い出したりしたのではないでしょうか。所詮、自分はぼっちキャラだが、今は状況が少し違う。そのきっかけとなってくれた人物は……

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もこっちの下車に合わせて席を立ち、ドアの前で見送るゆりちゃん。醸し出す親愛の情。ゆりちゃんは、もこっちのことを大切な友人だと思っているからです。そしてまた、もこっちもゆりちゃんを大切な友人であると今日を通じて気づいたはず。

「いまさら田村さん呼びもな…」と考えていたもこっちがいよいよ口にした言葉は「ゆりちゃん」でした。ゆうちゃん、きーちゃん、ゆりちゃんが揃いました。きーちゃんはちょと次元が違うのでアレですが、ちゃん付けは、もこっちの親友であるゆうちゃんに比肩するランクの親密さを感じさせます。

肝心のゆりちゃんがキョトンとしていますが、まさかこんなタイミングで名前を呼ばれるとは予期していなかったからでしょう。このままドアが閉じてふたりは分かれます。余韻を残す上手な演出です。この後のゆりちゃんと同様、『わたモテ』ファンはみんな悶絶したに違いありません。更新日は仕事泣かせです。

ところで黒木さん、購入した洋服を車内にお忘れではありませんか?
次回は顔を赤らめたゆりちゃんがUターンでホームで待つもこっちに忘れ物を届けてくれるところからスタートですかね
ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ……


※次回はネモと森永大学のオープンキャンパス回なので、ゆりちゃんは(たぶん)お休み回になると思います。あぁ^〜
ラベル:わたモテ
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2018年07月05日

わたモテ感想[喪137]モテないしGWを迎える


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新学期早々の遠足イベントが終われば、次はゴールデンウィーク。ダラけた連休を過ごして学校に行きたくないと哀願したもこっちは過去になりにけり。いまではリア充メンバーとお茶をして連休中に出かける約束まで取り付けていたりします。

カレンダーを前に「これがリア充か……」と省察するもこっちはさておき、一方のゆりちゃんはヤンデレ路線が確定済で今後しばらく曇り模様であることもまた確定っぽい展開です。これはつまり、ゆりちゃんが成長する姿は最後までお預けであり、『わたモテ』はまだまだ連載が続くということかもしれません。それとも、従前のもこっちの隠キャ要素をゆりちゃんが引き受けた形で、実質的に『わたモテ』の主人公はゆりちゃんにバトンタッチされたのでありま…違うか。



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今回の話で印象的だったのが、もこっちが皆の前で自身の志望校が「青山学院」であると公言したところです。ゆうちゃんと小宮山さんの3人の時にしか口にしそうもない話題であるばかりか、全く毛色の異なるリア充混じりのメンバーの中で、口にすることで笑いが取れることを確信して発言しているのですから。席についているみんなが笑い、ネモがツッコミを入れてくることを想定していたに違いありません。もこっちの中で、遠足で距離を詰めたクラスメイトとのコミュニケーションにおける距離感や、自己アピールを掴めていることが伺えます。

もっともこれは、メニューを決めるときにネモに「ライスでいいんじゃない」と大ボケを打たれたことに対して、黒木さんが笑いのサービスで返そうと思い至るところがあったからこそではないでしょうか。漫才的なやり取りができる、いまのネモともこっちの関係性は素晴らしいの一言です。お互いに本音を出して笑いに昇華できるのは、理解の通じてる相手だからこそであり、掛け合いを楽しめる余裕ある関係性だからです。


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想定外だったのは、笑うネモに「なぜ笑うの?」と真顔質問する加藤さんの姿でしょう。前々回のエピソードの件で、もこっちが笑われることに対して加藤さんが過敏になっていることが伺い知れます。岡田さんが「黒木のこと買い被ってるからな……」と正確な評価をしているあたりが、今後の加藤さんの姿をアレコレと予感させる切り口になっています。完全無欠な存在感でひた走ってきた加藤さんですが、ここにきてキャラクターに危うさが見え始めることになったといいましょうか。もっとも、もこっちのすべてを抱擁し受け入れる器を有する、名実ともに「ママ」である可能性もあります。

今後の加藤さんは、もこっちに「リア充が悪い奴らじゃないのは分かったし、羨ましいとも思うんだが、自分がリア充側でいるってのは疲れるし、合わんわ……」などと思わせる役割を与えられているのではないかと思っています。GW中のオープンキャンパスイベントで、その辺のひとつの回答が出るのではないでしょうか。


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もこっちにしてもゆりちゃんにしても、個人的には、進学に対してもっと真剣に向き合ってほしいと思います。家から近いからとか、学力的に簡単に入れるから、とかは進学の理由として不誠実だからです。大学の場所や雰囲気、ブランドで志望校を決めることが悪いとは言い切れませんが、志望校の選定には「そこで自分はなにを学ぶか?」こそが最優先されるべきだからです。

ポジション・トークを述べれば、もこっちは色々あって地元の国公立大として千葉大に進学して欲しいかなと思います。[喪37]で登場したぼっち先輩や今江先輩は千葉大に進学していそうな感じがします。


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帰宅したもこっちは自室のカレンダーに予定を書き込みました。
気になるのが、異なるペンで書き足されたであろう「田村さん」。これはどういうことなのか。ゆりちゃんは添え物なのか?

まずもこっちは28日の欄に、ゆりちゃんと大学見学に行く予定ができたことから「大学見学」と書き込んだのでしょう。それから「あ、ネモと加藤さんとも行くんだった」と29日に「ネモ」、30日に「加藤さん」とキュッキュッと書き込んだに違いありません。その時点で「あ、28日はアイツ(ゆりちゃん)とだな」と書き足したのでしょう。

なんとなく、もこっちの中でゆりちゃんの存在が軽んじられているような気がしてなりません。好意的に解釈すれば、ゆりちゃんは当たり前のようにいつも一緒にいる存在だからこそとも取れるのですが。最近のもこっちは、当たり前のところで鈍いラノベ系主人公そのもので、もはやサブキャラクターで話が回っていくための舞台装置です。



The highlight in this episode
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今回のお気に入りのシーン。

岡田さんは、本当に真っ当でいい子なんだと読者に思わせると同時に、他人にあまり興味のないゆりちゃんがその謝罪を正式に受け入れて一緒に顔を上げるシーンだからです。そしてまた、ゆりちゃんは「黒木さんは馬鹿(変な奴)」であることを知る人がいることを喜んでいます。ゆりちゃんは別にもこっちを独占したいわけではなく、その独特のキャラクターを理解しあえる人がいて欲しいと考えているのではないでしょうか。

ゆりちゃんも岡田さんも、お互いに仲良くなろうと意識はしていない間柄でありますが、過去の小さな誤解を綺麗に解消することがお互いにとって意味があることを悟っていることでしょう。仲良くなるには時間がかかりそうですが、岡田さんとゆりちゃんは相性がよさそうな感じがします。

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【参照】↑コトの事情はどうであれ、イジメの現場と勘違いした岡田さんが吉田さんとゆりちゃんに対して忠告を出すシーン


闇落ちのゆりちゃん
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これは今回のエピソードのオチですね。

「私が行かなかったら黒木さん困るでしょ(キリッ」→「1人で行けば?」

1人で服を買いに行くと、黒木さんは困るんですけどね……

『わたモテ』はコメディなので、こういうギャグ要素は毎回ぶち込まれているわけですが、今回のこれは素直に笑えるかといえば微妙なところかも。ゆりちゃんの目が死んでますし。不穏。

もっとも、ゆりちゃんはファッションセンスをもこっちから頼られているわけですから、困っている黒木さんのために人肌脱げるチャンスであるのです。女の子2人で服を買いに行くのは、今回のその目的がアレなところがあるにせよ、ファッションを通じた好みの応酬という意味ではラブラブデート親密さを深め確固たるものとするイベントに違いないからです。

次回はおそらく、ゆりちゃんと大学見学のエピソードとなるのでしょうが、服を買いに行く件はどうなるか分かりません。ゆうちゃんを呼んで3人で買いに行くことになるのかな、とも予想しますが、それはまた、ゆりちゃんとゆうちゃんが仲良くなってほしいと私が願っているからこそのポジション・トークに他なりません。

今回、岡田さんとの会話で笑顔を見せたように、ゆりちゃんが少しずつ交遊関係を広げていくことを願うばかりです。
ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ……


ラベル:わたモテ
posted by ぎゅんた at 23:47| Comment(0) | 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

検索汚染 〜 キュレーションサイトなぞ✖︎✖︎✖︎✖︎しちまえ


ぶっこわしゃらああ!.Jpg


 「一昔前に比べ、ウェブで検索をかけても商業サイトばかりがヒットする。その質の良否はさておき、とある一個人の魂の叫びのような『生の意見』に辿り着きにくくなった気がする」と、以前にどこかの記事にて述べた。

 とある席で、それは『検索汚染に該当する』ときいた。調べたい事象にかかる用語を検索エンジンでサーチをかけても、必要とする情報にたどり着けないことを言うようである。Naverまとめやら、ネット掲示板系まとめサイトやらが率先して表示されてくるのである。とりあえずWikipediaがヒットすればマシな方で、そうでない場合は、内容の薄っぺらいコピペ的商業サイトが延々とヒットしてくる。

 「インターネットの発達によって、知らないことは検索をかけることですべて解決できる」と言われたのも、いまや過去の話。超情報収集媒体へのデジタルアクセスで回答を引き出すスタイルは、結局のところで適切な引き出しができないことが明らかになった。サイバーバンクな未来像は、日本初の近未来SFアニメーションなどで構築された概念と思われるが、少なからず誰しもがそうした未来が訪れることを受容していたのかもしれない。所詮は幻想であった。もしくは、情報を適切に引き出す技術が確立されていない。

 結局のところ、いまではー検索エンジンから真偽を見抜く能力や知力が必要になっている。求める情報を見極める能力がなければ、価値のない情報に踊らされることになるのである、乱暴に言えば「馬鹿のままでは、インターネットは馬鹿な情報しか得られない」と言うことになる。

 インターネットは、その情報へのアクセス性を活かした人の欠点を補う万能テクノロジーでもなんでもなく、むしろインターネットの発達そのものが人間がどれほど馬鹿かを露呈させることになった。優れた技術は必ずや人類に広範囲に拡散されて普及されていくが、皮肉なことに、普及するに従って人類がいかに馬鹿かが露呈することになるのが常である。最近のテクノロジーで言えば、スマホが該当しよう。

 世界を席巻するほどの優れた技術が世に出たのなら、その普及に伴って「馬鹿がやらかす」ことは時間の問題となる。そのときに、いかに馬鹿から金を巻き上げられるかを設計しておくのが、今流のビジネスといったところだ。検索結果を盲信する人間から金を巻き上げるよう誘導したり、アプリから課金の形で金を巻き上げるのがスマートである。



 揣摩臆測な妄言はさておき、検索結果上位にヒットしてくるのに求める情報が薄い商業的なサイトについて話を戻そう。これはキュレーションサイトといい、まとめサイトのことである。

 まとめサイトというと、2CH系の掲示板の書き込みを読みやすく編纂したアフィリエイトサイトの印象が強いが、そうではない「まとめ」サイトもまた、まとめサイトであることに相違はない。

 見た目的な話では、キュレーションサイトの方はスタイリッシュで小洒落た感じ受けるものであるが、あんまりたいしたことを言っていない記事であることが多い。外注仕事のライターがネット上から集めた情報を編纂して、それっぽい語り口で味付けして記事にしてあるからである。記事に関するテーマはハッキリしており、タイトルも的確だが、読んでみてもどうも、薄い内容のように思えて不満を覚えるのである。

 ライターがネット上に落ちている投稿や情報を拾ってきて、それをテーマに沿った内容として読みやすい記事に仕上げたものに過ぎず、有り体に言えば「俺の訴えを聞けえ!」という情熱のない、冷めた記事に過ぎないからである。もっとも、情熱があり過ぎても、第三者が読みづらい形に「暴走」するのが常であるので、その加減が難しいところではある。そういう意味では、冷めているにしても、大多数の人にとって読みやすい形で、一定の情報が記述されている記事の方が価値が高いと判断されよう。だからこそ、検索結果上位を占めているのである。

 私は古い人間なので、たとえ読みづらかろうと独りよがりだろうと、書き手の情熱が分かる文章の方は好きである。自分が調べていた事柄について、なんやようわからんけど熱意があって、膝を打つ内容の記事に出会うと無常の嬉しさを覚えたりする。記事を書いた人に筆者にメールを出したりすると、これまた返事がきてちょっとした暖かい気持ちになったりする。いまの「ネット」にもこういう側面は残っているが、昔のような、どこか牧歌的な風情はない気がする。ネットがあまりにも商業主義まみれてしまったような極めて勝手な被害者意識に基づく失望感があるからだと思う。



 もし検索結果でキュレーションサイトの記事ばかりがヒットして目障りにおぼえるのであれば、ドメインごとブロックして検索結果から表示されないようにできれば便利である。ブラウザにGoogle Chrome用いている方なら『Personal Blocklist』というプラグインを導入するとよい。

 排除したいサイトを登録しなくてはならない手間はかかるものの、解除しない限り検索結果から恒常的に排除(ブロック)できる。あなたの検索フィールドワークから気に食わないサイトを排除していくことで、情報検索のスリム化が測られることを祈るばかりだ。



 個人にとって「本当に必要な情報」とは、実際に読み解いた書物や他人より直接的に見聞きする体験を通じないと会得できないと思われる(忘れてしまうのである)。検索エンジンから得られる情報は、情報会得のための入り口にすぎないと考えているほうが健全だ。Webより得られる情報は、基本的には断面的で検索者に都合の良い情報が選定されやすいバイアスがかかるからである。
 
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2018年06月21日

わたモテ感想[喪136]モテないし漫画を薦める


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Proof that Yuri-chan has a emotion.
今江先輩と別れた卒業式の日に、もこっちはゆりちゃんの前で(直接的な描写はないが間違いなく)涙をみせました。読者も、泣きました。泣くというのは、言葉にならない情動に突き動かされた感情の発露であります。嬉しさ、悲しさ、悔恨、申し訳なさ……胸の中いっぱいに広がった感情が爆発すると人は涙を流します。これは、ひどく人間的な現象です。

「目から流れ出るこの水はなんだ」とロボットが自問するシーンがあったりしますが、あれもまた、泣くという行為が人間に特有の現象であることを逆手にとった演出といえます。どんな悪人の目にも涙で、泣くということは、その人が最低限のところで人間らしさを保っていることの証明にも用いられましょう。


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今回はゆりちゃんがもこっちに救われる場面が描かれる話です。私はゆりちゃんの抱えていた孤独感に胸が締め付けられました。と同時に、香魚子先生の名作『シトラス』の第8話を思い出しました。

自分を理解してくれる人を誰よりも欲している孤独な心と、純真に自分を見ていた人が居てくれたことへの救いの気持ちが交差する展開は古典的ながら胸を打つヒューマニズムに溢れています。


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最近のゆりちゃんは表情筋がないキャラクタとして描かれており、いかにも無感情な陰キャラ然としておりますが、それはただ感情を表情に出さないだけなのです。泣く、というのは確かに人間的で感情豊かなことだけれど、泣けるという触れ込みで読んでみた漫画で泣けなかったとしても、自分が間違っているわけでも、気持ちを共有できなかったことから友達に拒絶される理由にもなりはしない。

思えば、ゆりちゃんは喜怒哀楽にまつわる感情の発露を指摘されると、それを即座に否定する振る舞いをみせています。笑ってないよ。びびってないよ。別に嫌ではないけど……。(涙目に)なってないよ。

私は、元来ゆりちゃんは喜怒哀楽がハッキリとした表情の豊かな子だったのではないかと思いました。そんなゆりちゃんを、南さんのような人物から攻撃材料にされてイジメられたかイザコザがあったりして、感情を表に出すことを一切しないようになったのかもしれません。喜怒哀楽を表に出さず、指摘されても肯定せず。

ゆりちゃんと付き合いの長い真子さんにしても、ゆりちゃんが楽しそうとか嬉しそうとか気づいたとしても、それを口に出して確認をとることはありません。無碍に否定されるだけで、意味がない会話だと悟っているかのようです。

無感情一徹な人間と一緒に居たいと考える人はいないものです。不気味で、退屈で、居心地が悪いことを、誰しも経験的に知っているからです。ゆりちゃんの周りにいた友達は、真子さんを残してみんな去っていった過去があったりすると、いよいよ辛い。


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昨今、囁かれる話題として「登場初期のゆりちゃんは人間的だったじゃないか。いまと別人だ。バージョン違いか?」疑惑があります。

修学旅行のときは、班員編成で真子さんに裏切られて心理的に自暴自棄になっていたので、全く見知らぬ相手同士だったことも幸いして案外に上手くコミュニケーションが取れていたのでしょう。人間関係が下心も親愛の情もなにもない、呉越同舟的なフラットな状態であれば、社会不適応者でもなければ最低限度の礼節をもって団体行動がとれるものだからです(即席パーティであれども案外に上手くいく法則)。

そしてまた、修学旅行で同じ班になったことを通じて、黒木さんが馬鹿でボッチなコミュ障であると知りました。黒木さんになら自分の姿を出しても問題はなさそうだと、ゆりちゃんが判断するキッカケになったことでしょうし、以降それをして「私は黒木さんって無理して話さなくていいから楽だけど 黒木さんはどう思ってるんだろ……」と自覚まじりにもこっちの存在を意識し始めることになっていきます。その後は、色々と思い知る事があったことが原因で、ゆりちゃんはもこっちにも喜怒哀楽を見せなくなっていった流れのように思います。




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「男を見極めるには本棚をみればいい、女を見極めるには台所のスパイス棚をみればいい(西洋の格言)」
本棚にストックされる本は、単純に持ち主が気に入っている本および紐解くことが多い本を意味します。類は友を呼ぶではありませんが、本棚に並んでいく本は、その選定に所有者としての共通項を隠し通す事ができないものです。言い換えれば、どのような本を嗜むかによって、その持ち主の人となりが知れるというわけです。他人に本を推して貸すという行為は、間接的な自己紹介の面があると言えそうです。

ゆうちゃんで実地確認をしたにせよ、もこっちがクラスメイトに漫画を貸す日が来るとは、隔世の感があります。この漫画は良いと思っていることを他人と共有したい気持ちの表れでもあり、自分の好みの告白でもあるからです。初期の頃から追いかけているファンは、もこっちの成長を感じられたことでしょう。

もこっちが他人に本を推薦する姿は[喪109]でもみられました。あのエピソードが好きなファンの方は多いと思います。帰宅したもこっちが「行かなきゃ良かった とも思わないけど…」と確かな達成感を伴うからこそのセリフを、静かそうな雪の日の情景の中に溶け込ませた演出が印象的だからです。


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思えば、もこっちはもう主人公として十分に成長しきってしまったかのような印象を受けます。ぼっちが墓穴を掘って痛々しい目にあったり、読者をドン引かせる振る舞いは、もうしないでしょう。周りのキャラクターに振り回されつつも、無自覚な振る舞いがスマートな解決策となって世界を補強していき、そのまま最終回になだれ込んでいく展開が約束されているように思えます。

今更、現在のもこっちの人間関係が壊滅してぼっちに戻ったりもしないだろうし(一種の仮定法未来として、南さんで示されるかもしれない)、初期の路線に戻ることも考えられないからです。

いずれにせよ、ゆりちゃんはもこっちにあだ名及び名前で呼ばれることになるイベントを残したままです。あと数話もすれば、それが描かれるエピソードが訪れるのではないでしょうか。

ポジション・トークですが、このふたりは「ゆり⇆黒木さん」呼びがらしくて良いなあと思います。「ゆり」呼びされたゆりちゃんが「(喜んでるか?)嬉しいの?」ともこっちに訊かれ、肯定とともに笑顔を見せる姿が浮かびます。ゆりちゃん萌え〜

ゆりちゃんは、やっぱ、いいなあ…

ラベル:わたモテ
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2018年06月19日

ぼくの隣は福井県! 〜石川県民の戯言〜


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どんな言葉に引っかかったのか分からないが、「福井県大嫌い!」を称するブログに行き当たった。どうやら都会から福井(のどこかは分からんが)に訳が合って引っ越されてきた方が、福井という土地を生理的に受け付けつけることができず憤りを感じておられる内容であった。攻撃的な内容であった。

これは、ブログ主が偏狭であるからではない。それもまた宜なるかな的な田舎社会特有のマイナス面、いってみれば「あるある」ネタを、実際に住人として場所と時間を過ごすことになった当事者としては我慢ならない哀しみがあるからこその内容だったからである。『住めば都』とは、一種の諦めを促す魔法の言葉なのだ。

「田舎=人に優しいコミュニティとスローライフ」と思ったら、それは大間違いである。世界のどこでもそうだが、基本的にコミュニティというのは排他的である。身の安全のために暗黙の相互監視を要する人口の少ない地域では尚更のことである。

若者が進学や就職でこぞって上京する機運があるが、これは田舎社会の窮屈さから距離を取りたくなるからこその行動である。意識的であれ、無意識的であれ、やはり親元だけでなく地元を脱け出て生活したくなるものなのである。これは、若者の成長のことを考えると良いことであろう。閉鎖的な環境で有意な時間を過ごすことは、若者の将来を考えれば大きな損失だからである。これを「地元愛がない」と喚くのは、衰退と見捨てられる恐怖に駆られた他力本願の住人である(だから、上京することを躊躇う必要はない)。

田舎暮らしにも都会暮らしにも、その中間あたりの暮らしにも、それぞれに良さと悪さがある。若い頃に色々と見聞を広めておくことで、都会か田舎かその中間か、いずれにせよ自分が居を構える場所を納得して選びやすくなる。これは人生を歩んでいく上で、地味ながら重要なことだと思われる。

石部金吉のような生活をしていた人に限って 、晩年に悪い遊びを覚え歯止めが利かなくなり晩節を汚す羽目に陥ったりするのと同じように、若いうちに色々な地域を見たり生活したり遊んだりしておくのは、当人の人生にとって良いことなのである。「青い鳥」ではないが、いつまでも陽炎のような未来像を抱き続けて現在を否定し続けて生きる、歳を取った人間ほど哀れなものはない。遅くとも20代後半ともなれば、決意と共に、地に足をつけて生きていくことを開始しなくてはならないものであろう。


福井が大嫌いと叫ぶブログ主は、気の毒なことに、福井は足を下ろして生活できる土地ではないのである。合わないものは、合わない。福井県民の民度が低いとか品性が下劣だとかは、さしたる関係はないのである。県民性の違いからくる齟齬は、多少なりともあったかもしれない。

血液型性格分類が、科学的に根拠などないと言われながらも根強く残り続けているように、県民性もまた、昔から根強く存在するものである。血液型性格分類はさておき、県民性に限っては、その土地の歴史や風土の影響を如実に受けて形成されてきた土壌が確実にあることから、単なる統計上の特徴として片付けることのできぬ、地域文化として捉えるべきものである。


私は石川県民だが、福井県の県民性について述べられることはあまりない。昔から福井とは少なからず関わりがあることから贔屓の目で見てしまう立場にある。実際に福井や福井県民に対して悪い印象はないし、ケチをつけたくなる不満もない。北陸に住む田舎者同士、仲良くやろうという思いしかない。

さはさりながら、福井県民から見る石川県民や、石川県民からみる福井県民への印象は「仲の良い隣国関係なし」と言われるように、それなりに攻撃的な要素を含むのが普通である。例えば、石川県民は根拠のない自信の上に福井県民を見下すところがある(これは富山県民に対しても言える)。福井県民は、そうした石川県民のさもしい自尊心を馬鹿にする心理があるはずで、少なくとも劣等感など抱いていない。ちょうど石川県加賀市市民が金沢市市民に対して抱く感情と似たようなものである。

「所詮、自分たちは田舎者である」という客観的に正しい事実を認めない人間は、第三者から見れば滑稽なものだ。金沢市民は、それこそ昔から指摘されているようにプライドが高いのは厳然たる事実であり、福井県民や富山県民を下に見る。とはいえ、実際の態度には決して出してこないあたりは洗練さがある。インテリジェンスが高いというか、表立った差別は決してしないのである。しかし、ふとした拍子に馬脚を現して判明したりする(それがまた相手からすると酷く腹立たしい)。観光客などに鼻持ちならない非礼な態度を取るのは単純にレベルの低い人間であり、大多数の金沢市民は該当しない。

福井県も石川県も、文化的なレベルや教育水準は全国水準からみて高いようで、気質も似たもの同士と思われる(私見)。お互いに(出身のことで)挨拶がわりにからかい合うことはあっても、憎しみを抱いたりはしていない。福井県民が金沢に遊びにきたからといって不当な扱いを受けたりもしないし、石川県民が福井に遊びにいって不愉快な思いをすることもない。

なんらかの人的トラブルがあるとすれば、昔からの風習に凝り固まった頑迷固陋な高齢者から受ける出自を理由にした差別か、若者同士のいざこざぐらいであろう。ことに若者同士のいざこざは田舎では頻繁起こりうる火種である。

というのは、価値観の乏しい田舎では「ナメられたら負け」という土着文化ならぬ風土病が蔓延っているからである。暴力や粗暴な行為は嫌いな心理を有する臆病もののくせに、意図的に虚勢を張ろうとする。ひところ話題になった「マイルドヤンキー」というのは、この特有の心理に端を発するものである。でかくて押し出しの強いフロントマスクをしたミニバンは、確かに強い高級車であり、訴求力の高い憧れのアイテムだ。虚勢を張る自分に酔いしれると、人は気づかず愚かな行為を繰り出す。威圧的な態度の誇示や煽り運転がそれである。ネット用語でいう「イキり」である。普通の社会人から見れば遊びでワルぶっているようにしか見えない態度で可愛いものだが、当の本人らは案外に真剣だったりする(なぜなら「ナメられること」は死を意味するからである)。

福井県民に難癖をつけられ絡まれたとすれば、原因は概ねコレである。福井県民は根が善良なので、イキった態度をとりながらも自分が悪い行動を取っていることを自覚しているし、内心ではそれ以上の悪い状況に発展することを望んでいないものである。対策は簡単で「あなたのことをナメていません」と意思表示すれば良い。素直に謝るのが一番である。相手は顔には出さないだろうが内心ホッとして、「気をつけろ」なんていいながら即座に去っていき、それで終わるだろう。

ただ、福井県民が石川県小松市市民絡んでしまった場合は例外である。この場合「面白い兄ちゃんやな一緒に遊びに行こうか」と親しげに肩を組まれたかと思いきや、脇の下から刃物を突きつけられて車に乗せられ、大日山の麓に埋められることになる。金沢市民や加賀市市民に絡んだ場合は、口汚く挑発されて暴力行為に及んでしまったが最後、警察を呼ばれ傷害事件にされて示談金をせびられることになる。福井県民は根が善良なので、喧嘩になってもお互いが殴り合って終わりと考えるが、石川県民は福井県民ほど善良ではない。ずる賢いので法的に強い立場をとって強請ってくる手段をとる。小松市民には、そもそも関わらない方が良い。

要するにイキっても損しかしないことを悟るべきであり、イキらず生きれば良いのである。肩の力が抜けるというか、自然体で楽に生きられることに気づくはずだ。このことを、1日でも早く悟ることこそが福井県(及び石川県)のような田舎で住むには重要なのである。そのためには、若いうちに他県に生活基盤を移し、環境を変えた中で生活してみることが一番だったりする。

可愛い子には旅をさせよではないが、若いうちに見聞を積んでおくことは、のちの人生に大きな影響を与える。行き先は、「孤独な群衆」を肌で知ることができ、様々な人に出会うことのできる大都市が相応しい。福井県民であれば京都・大阪がまず第一選択ではなかろうか。アクセスが容易であり、文化的に近いからである。

記事冒頭に紹介したブログ主は、色々な事情や体験がおありだったのであろうが、ご本人の反発精神が強かったに違いない。小松市に住んでいれば、もう少し楽しい生活が送れていたのではないかと邪推するが、本当のところは誰にも分からない。

posted by ぎゅんた at 22:00| Comment(0) | 日常茶飯(ちゃめし)ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする